清和学園前停留場
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清和学園前停留場 | |
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手前に清和学園前停留場 奥に一条橋停留場 | |
せいわがくえんまえ Seiwagakuen mae | |
◄一条橋 (0.1 km) (0.5 km) 領石通► | |
上は土佐大津駅 | |
所在地 | 高知県高知市大津 |
所属事業者 | とさでん交通 |
所属路線 | 後免線 |
キロ程 | 3.6 km(後免町起点) |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 2面2線 |
開業年月日 | 1985年(昭和60年)9月10日 |
乗換 | 土佐大津駅(土讃線) |
清和学園前停留場(せいわがくえんまえていりゅうじょう)は、高知県高知市大津にあるとさでん交通後免線の路面電車停留場。
隣の一条橋停留場との間の距離はわずか63メートル(84メートルとも[1][2])で、日本一短い隣接駅間距離である[3][4]。
歴史
[編集]1985年(昭和60年)9月に高知市本宮町から当地へ移転した清和女子中学校・高等学校への通学利便性向上のため、新設された停留場である[1][3]。隣の一条橋停留場はこの時すでに存在していたが、地域住民の要望もあり廃止されることはなく、結果として両停留場が非常に近接して並び立つという事態になった[3]。なお、停留場新設のきっかけとなった清和女子中高は、2026年度末に閉校することが決定している[5]。
年表
[編集]- 1985年(昭和60年)9月10日:土佐電気鉄道の停留場として開業[6]。開業日は9月14日とも[7]。
- 2004年(平成16年):後免町方面のりばにホームを設置。
- 2014年(平成26年)10月1日:土佐電気鉄道が高知県交通・土佐電ドリームサービスと経営統合し、とさでん交通が発足[8]。とさでん交通の停留場となる。
停留場構造
[編集]ホームは2面あり、東西方向に伸びる2本の線路を挟んで向かい合わせに置かれる(相対式ホーム)[9]。線路の北側に後免町方面行きのホーム、南にはりまや橋方面行きのホームがある[9]。
停留場周辺
[編集]一条橋停留場との間には幅が狭いものの川が流れており、後免線は軌道専用の明見川橋梁にて渡河する[1][9]。63メートルしか離れていない一条橋停留場は、当停留場からでも目視ではっきりと確認できる[3]。
- 清和女子中学校・高等学校
- 天竺神社
- 国道195号
隣の停留場
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c 『土佐電鉄が走る街 今昔』88頁
- ^ 『路面電車はゆく 高知』高知新聞社、1998年、83頁。ISBN 4-87503-268-4。
- ^ a b c d 乗りものニュース編集部 (2016年12月3日). “となりの駅まで徒歩1分以内 近すぎる2駅、なぜ存在?”. 乗りものニュース. メディア・ヴァーグ. 2023年11月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年6月3日閲覧。
- ^ 伊藤博康『日本の鉄道ナンバーワン&オンリーワン ―日本一の鉄道をたずねる旅』創元社、2014年、204頁。ISBN 978-4-422-24069-5。
- ^ 「清和女子26年度末閉校へ 理事会決定 運営資金不足 南国市」『高知新聞』2024年5月12日。オリジナルの2024年5月22日時点におけるアーカイブ。2024年7月3日閲覧。
- ^ 今尾恵介(監修)『日本鉄道旅行地図帳』 11 中国四国、新潮社、2009年、61頁。ISBN 978-4-10-790029-6。
- ^ 『土佐電鉄が走る街 今昔』100頁
- ^ 上野宏人 (2014年10月2日). “とさでん交通:「再出発」 「便利な市民の足に」高知で設立式 新デザインの車両披露”. 毎日新聞 (毎日新聞社)
- ^ a b c 川島令三『四国・九州ライン 全線・全駅・全配線』 第2巻 四国西部エリア、講談社〈【図説】 日本の鉄道〉、2013年、35,91頁。ISBN 978-4-06-295161-6。
参考文献
[編集]- 土佐電鉄の電車とまちを愛する会『土佐電鉄が走る街 今昔』JTBパブリッシング〈JTBキャンブックス〉、2006年。ISBN 4-533-06411-6。