宝永町停留場
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宝永町停留場* | |
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はりまや橋方面ホーム | |
ほうえいちょう Hoeicho | |
◄知寄町一丁目 (0.3 km) (0.4 km) 菜園場町► | |
所在地 | 高知県高知市中宝永町 |
所属事業者 | とさでん交通 |
所属路線 | 後免線 |
キロ程 | 9.9 km(後免町起点) |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 2面2線 |
開業年月日 | 1908年(明治41年)10月31日 |
* 1938年に下知停留場から改称 |
宝永町停留場(ほうえいちょうていりゅうじょう)は、高知県高知市中宝永町にあるとさでん交通後免線の路面電車停留場。
歴史
[編集]当停留場は1908年(明治41年)、下知停留場(しもぢていりゅうじょう)の名で開業した[1][2]。伊野線の堀詰停留場からはりまや橋を経て後免線の路線が開通した際に開かれた停留場であり、当時の路線は当停留場まで[1]。後免町方面に路線が通じたのは翌1909年(明治42年)のことで、この時は葛島橋西詰までが開通した[1]。
停留場名が宝永町に改められたのは1938年(昭和13年)[1][2]。その後1943年(昭和18年)に停留場はいったん休止されるも、9年後に復活している[2]。
年表
[編集]- 1908年(明治41年)10月31日:当停留場から堀詰までの開通に伴い、土佐電気鉄道の下知停留場として開業[1][2]。
- 1909年(明治42年)10月30日:当停留場から葛島橋西詰までの開通に伴い途中駅となる[1][2]。
- 1938年(昭和13年)2月1日:宝永町停留場に改称[1][2]。
- 1943年(昭和18年)1月16日:休止[2]。
- 1952年(昭和27年)7月1日:再開[2]。
- 2014年(平成26年)10月1日:土佐電気鉄道が高知県交通・土佐電ドリームサービスと経営統合し、とさでん交通が発足[3]。とさでん交通の停留場となる。
停留場構造
[編集]宝永町停留場は後免線の併用軌道区間にあり、道路上にホームが置かれる。ホームは2面あり、東西方向に伸びる2本の線路を挟み込むように配置されるが、互いのホーム位置は東西方向に離れている[4]。東にあるのが後免町方面行きのホーム、西にあるのがはりまや橋方面行きのホーム[4]。
かつては停留場の南側付近に下知車庫が置かれていたが、1957年(昭和32年)に廃止され、代わって知寄町車庫が完成している[5]。
停留場周辺
[編集]「宝永町」の名は1707年(宝永4年)の宝永地震を機に造成された「宝永堤」に由来する[6]。
隣の停留場
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e f g 『土佐電鉄が走る街 今昔』100・156-158頁
- ^ a b c d e f g h i 今尾恵介(監修)『日本鉄道旅行地図帳』 11 中国四国、新潮社、2009年、60頁。ISBN 978-4-10-790029-6。
- ^ 上野宏人 (2014年10月2日). “とさでん交通:「再出発」 「便利な市民の足に」高知で設立式 新デザインの車両披露”. 毎日新聞 (毎日新聞社)
- ^ a b 川島令三『四国・九州ライン 全線・全駅・全配線』 第2巻 四国西部エリア、講談社〈【図説】 日本の鉄道〉、2013年、39,92頁。ISBN 978-4-06-295161-6。
- ^ 『土佐電鉄が走る街 今昔』76-77頁
- ^ 『土佐電鉄が走る街 今昔』72頁
参考文献
[編集]- 土佐電鉄の電車とまちを愛する会『土佐電鉄が走る街 今昔』JTBパブリッシング〈JTBキャンブックス〉、2006年。ISBN 4-533-06411-6。