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橋本富三郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
橋本富三郎
はしもと とみさぶろう
生年月日 (1886-06-08) 1886年6月8日
出生地 日本の旗 滋賀県甲賀市
没年月日 (1955-05-03) 1955年5月3日(68歳没)
出身校 早稲田大学政治経済学科

在任期間 1945年11月22日 - 1947年2月22日
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橋本 富三郎(はしもと とみさぶろう、1886年6月8日 - 1955年5月3日)は、滋賀県甲賀郡水口町(現・甲賀市水口町)出身の文化人[1]実業家[2]地方政治家

来歴

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1886年6月8日、甲賀郡水口町に生まれる[3]早稲田大学政治経済学科卒業[1]後、倉敷紡績へ入社[1][2]。万寿工場人事課長[1]を歴任し、アメリカ視察[1][2]も経験する。

帰国後は、倉敷中央病院事務長、倉敷絹織(現・クラレ)工場長を務め[1][2]、その後、合同新聞(現・山陽新聞)社長となる[1][2]

戦後1945年11月より、岡山市長に就任[1][2][3]し、1947年まで1期務めたが、公職追放となる[1]

引退後は、俳句や書画道を楽しんだ[1][2][4]。号は「魚青」[1][2]である。

1955年5月3日死去。享年70。死後、「魚青句鈔」が出版[2]されている。

関連項目

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脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k 『岡山人名辞典』306頁。
  2. ^ a b c d e f g h i コトバンク. “橋本富三郎 とは”. 2013年4月30日閲覧。
  3. ^ a b 岡山シティミュージアム. “第17代 橋本富三郎”. 2013年4月30日閲覧。
  4. ^ 松瀬青々に師事していた。

参考文献

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  • 吉岡三平 監修 『岡山人名辞典』 日本文教出版、1978年。