橋本富三郎
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橋本富三郎 はしもと とみさぶろう | |
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生年月日 | 1886年6月8日 |
出生地 | 滋賀県甲賀市 |
没年月日 | 1955年5月3日(68歳没) |
出身校 | 早稲田大学政治経済学科 |
在任期間 | 1945年11月22日 - 1947年2月22日 |
橋本 富三郎(はしもと とみさぶろう、1886年6月8日 - 1955年5月3日)は、滋賀県甲賀郡水口町(現・甲賀市水口町)出身の文化人[1]、実業家[2] 、地方政治家。
来歴
[編集]1886年6月8日、甲賀郡水口町に生まれる[3] 。早稲田大学政治経済学科卒業[1]後、倉敷紡績へ入社[1][2]。万寿工場人事課長[1]を歴任し、アメリカ視察[1][2]も経験する。
帰国後は、倉敷中央病院事務長、倉敷絹織(現・クラレ)工場長を務め[1][2]、その後、合同新聞(現・山陽新聞)社長となる[1][2]。
戦後、1945年11月より、岡山市長に就任[1][2][3]し、1947年まで1期務めたが、公職追放となる[1]。
引退後は、俳句や書画道を楽しんだ[1][2][4]。号は「魚青」[1][2]である。
1955年5月3日死去。享年70。死後、「魚青句鈔」が出版[2]されている。
関連項目
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 吉岡三平 監修 『岡山人名辞典』 日本文教出版、1978年。