榊原政養
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時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 寛政10年2月25日(1798年4月10日) |
死没 | 弘化3年8月21日(1846年10月11日) |
改名 | 小平太(幼名)、政養 |
戒名 | 道隆院殿常誉清徳義山大居士 |
墓所 | 江東区の霊巌寺 |
官位 | 従五位下・兵部大輔、従四位下・式部大輔、右京大夫 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家斉→家慶 |
藩 | 越後高田藩主 |
氏族 | 榊原氏 |
父母 | 榊原政令、鍋島治茂娘・誠 |
兄弟 |
政養、政礼、政忠、政愛、岡田善宝、 稲葉正誼、榊原職常室、節子ら |
妻 | 井伊直中次女・知 |
子 |
万寿、富子 政愛 |
榊原 政養(さかきばら まさきよ)は、江戸時代後期の大名。越後国高田藩4代藩主。官位は従四位下・式部大輔、右京大夫。榊原家12代当主。
略歴
[編集]先代藩主・榊原政令の長男。文政10年(1827年)、父の隠居により家督を相続した。天保10年(1839年)隠居。男子がなかったため、家督を五弟・政愛に譲った。
系譜
[編集]父母
正室
- 知 - 井伊直中の次女
子女
養子
- 榊原政愛 - 政令の五男