松平定逵
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 延宝5年(1677年) |
死没 | 享保3年9月10日(1718年10月3日) |
別名 | 定達 |
戒名 | 斉西院殿寂誉天安大居士 |
官位 | 従五位下因幡守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家宣→家継→吉宗 |
藩 | 越後高田藩主 |
氏族 | 久松松平家定勝流 |
父母 | 松平定重、駒井氏 |
兄弟 |
定富、定逵、定儀、水野忠定、定弘、 柳生俊平、定利、福姫、松平忠雅室、 松平宗弥正室ら |
妻 |
大久保忠朝養女・岩姫 烏丸光雄娘 |
子 |
定輝、定倫、幾姫ら 千賀姫 |
松平 定逵(まつだいら さだみち)は、江戸時代中期の大名。諱は定達とも。越後国高田藩2代藩主。定綱系久松松平家4代。官位は従五位下・因幡守。
略歴
[編集]高田藩初代藩主・松平定重の五男として誕生。母は駒井氏。
元禄4年(1691年)に叙任する。正徳2年(1712年)9月7日、父の隠居により跡を継いだ。
享保3年(1718年)9月10日に42歳で死去し、跡を次男・定輝が継いだ。法号は斉西院殿寂誉天安大居士。