森快温
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時代 | 江戸時代中期 - 後期 |
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生誕 | 明和6年10月18日(1769年11月15日) |
死没 | 享和元年9月27日(1801年11月3日) |
改名 | 木工之丞、長従、快温 |
戒名 | 快温院殿野州刺史鷲峯宗雲大居士 |
墓所 | 兵庫県佐用郡佐用町の高蔵寺 |
官位 | 従五位下下野守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家治→家斉 |
藩 | 播磨三日月藩主 |
氏族 | 浅野氏→森氏 |
父母 |
父:浅野重晟、母:不詳 養父:森俊韶 |
兄弟 | 浅野斉賢、快温、浅野長懋、浅野忠順、光樹院、伊東祐民室、浅野長容室、秋元知朝正室、勝子、小笠原長瑶正室ら |
妻 | 正室:森俊韶の養女・曽代 |
子 | 養子:長義 |
森 快温(もり はやあつ)は、江戸時代中期から後期にかけての大名。播磨国三日月藩の第5代藩主。官位は従五位下下野守。
略歴
[編集]安芸国広島藩主・浅野重晟の3男として広島城にて誕生。幼名は木工之丞。初名は長従。
寛政5年(1793年)5月、嗣子のない先代藩主森俊韶の養嗣子となる。同年8月11日、11代将軍徳川家斉に拝謁した。同年11月10日、俊韶の隠居により跡を継いだ。同年12月、従五位下・下野守に叙任した。藩政においては藩校・広業館を創設して、藩士子弟の教育化に努めた。
享和元年(1801年)9月27日、33歳で死去し、跡を養嗣子の長義が継いだ。法号は快温院殿野州刺史鷲峯宗雲大居士。墓所は佐用郡佐用町の高蔵寺。