森俊滋
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時代 | 江戸時代後期 - 明治時代 |
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生誕 | 天保4年(1833年)? |
死没 | 明治12年(1879年)6月9日 |
改名 | 松之助、俊滋 |
戒名 | 俊滋院殿光山日明大居士 |
墓所 | 兵庫県佐用郡佐用町東大畑の常勝院 |
官位 | 従五位下・伊豆守、対馬守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家慶→家定→家茂→慶喜→明治天皇 |
藩 | 播磨三日月藩主 |
氏族 | 森氏 |
父母 | 父:森長国、母:林氏 |
兄弟 | 虎松丸、俊滋、於城 |
子 | 長祥、伊代子、藤堂高義正室 |
森 俊滋(もり とししげ)は、江戸時代後期の大名。播磨国三日月藩の第9代(最後の)藩主。官位は従五位下伊豆守、対馬守。
略歴
[編集]第8代藩主・森長国の次男として誕生した。幼名は松之助。天保4年(1833年)、もしくは天保6年(1835年)5月生まれと言われている。
妾腹の息子であったが、正室との間に生まれていた虎松丸が早世したため、天保14年(1843年)に世子となった。弘化4年(1847年)2月15日、第12代将軍・徳川家慶に拝謁する。嘉永元年(1848年)9月10日、父長国の隠居により跡を継ぐ。同年12月16日、従五位下・伊豆守に叙任する。
慶応4年(1868年)1月18日、上洛し、新政府支持の姿勢を示す。同年2月4日、新政府から二条城の守備を命じられる。明治2年(1869年)6月23日、版籍奉還により知藩事となり、明治4年(1871年)7月の廃藩置県で免官された。
明治12年(1879年)6月9日、三日月で死去した。法号は俊滋院殿光山日明大居士。墓所は兵庫県佐用郡佐用町東大畑の常勝院。