小笠原長瑶
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時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 寛政元年11月2日(1789年12月18日) |
死没 | 文化6年7月11日(1809年8月21日) |
別名 | 長瑗 |
戒名 | 諦聴院 |
墓所 | 龍光寺 |
官位 | 壱岐守 |
藩 | 陸奥棚倉藩世嗣 |
氏族 | 小笠原氏(忠知系府中小笠原氏) |
父母 | 小笠原長堯 |
兄弟 |
千勝丸、長瑶、義八郎、角之進、篤三郎、長昌、長恒、北条氏喬正室、 小笠原長保正室 |
妻 | 浅野重晟娘時子 |
小笠原 長瑶(おがさわら ながてる)は、江戸時代後期の陸奥国棚倉藩の世嗣。名は長瑗とも。官位は壱岐守。
略歴
[編集]2代藩主・小笠原長堯の次男として誕生した。正室は浅野重晟の娘。
棚倉藩嫡子として育つが、家督を継ぐことなく文化6年(1809年)に21歳で死去した。
代わって弟の長昌が嫡子となった。