村上直次郎
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人物情報 | |
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生誕 |
1868年2月26日(慶応4年2月4日) 豊後国玖珠郡森(現・大分県玖珠郡玖珠町) |
死没 | 1966年9月17日(98歳没) |
国籍 | 日本 |
出身校 |
同志社英学校 帝国大学文科大学 |
学問 | |
研究分野 | 歴史学(日欧交渉史、東南アジア史、キリスト教史) |
研究機関 |
東京外国語学校 東京帝国大学文科大学史料編纂掛→東京帝国大学文学部史料編纂掛 台北帝国大学文政学部 上智大学文学部 |
学位 | 文学博士(日本・1921年) |
称号 | 上智大学名誉教授(1964年) |
主要な作品 |
『貿易史上の平戸』(1917年) 『耶蘇会士日本通信』(1927-1928年) 『長崎オランダ商館の日記』(1956-1958年) |
学会 | 帝国学士院、日本歴史地理研究会、キリシタン文化研究会 |
村上 直次郎(むらかみ なおじろう、1868年2月26日(慶応4年2月4日) - 1966年(昭和41年)9月17日)は、明治時代から昭和時代にかけての日本の歴史学者。文学博士。帝国学士院会員、勲一等瑞宝章受章。日欧通交史、日本・東南アジア関係史の権威。
経歴
[編集]豊後玖珠(大分県玖珠町)出身。1878年(明治11年)から1884年(明治17年)の6年間を同志社英学校に学び、同余科(神学科)卒業後は東京府に移る。第一高等学校を経て1895年(明治28年)帝国大学文科大学史学科を卒業。その後東京帝国大学講師、東京外国語学校(現:東京外国語大学)校長、東京音楽学校(現東京芸術大学音楽学部)校長、台北帝国大学文政学部長、上智大学第4代学長などを歴任。
栄典
[編集]- 1912年(大正元年)12月18日 - 勲四等瑞宝章[1]
- 1916年(大正 5年)7月31日 - 従四位[2]
- 1934年(昭和 9年)12月18日 - 勲一等瑞宝章[3]
- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[4]
- 1964年(昭和39年)11月3日 - 銀杯[5]
著作
[編集]- 単著
- 『日蘭三百年の親交』冨山房、1915年(大正4年)
- 『貿易史上の平戸』日本学術普及会、1917年(大正6年)
- 『日本と葡萄牙』改造社、1942年(昭和17年)
- 『日本と比律賓』朝日新聞社、1945年(昭和20年)
- 翻訳・校訂
- 『異国日記抄 校註』三秀舎 1911年(明治44年)
- 『耶蘇会士日本通信』異国叢書 聚芳閣、1927年(昭和2年) - 1928年(昭和3年)、のち雄松堂「異国叢書」
- 『異国往復書翰集・増訂異国日記抄』異国叢書 駿南社、1929年(昭和4年)、のち雄松堂 同
- 『耶蘇会士日本通信 豊後篇』帝国教育会出版部、1936年(昭和11年)
- 『ドン・ロドリゴ日本見聞録 ビスカイノ金銀島探検報告』駿南社、1929年(昭和4年)、のち雄松堂 同
- 『バタヴィア城日誌』日蘭交通史料研究会、1937年(昭和12年)、のち平凡社〈東洋文庫〉全3巻
- 『出島蘭館日誌』オランダ東インド会社長崎商館編 文明協会 1938年(昭和13年)
- 『蘭領印度史』A. J. エイクマン, F. W. スターペル 原徹郎共訳 東亜研究所、1942年(昭和17年)
- 『六昆王山田長政』編訳、朝日新聞社、1942年(昭和17年)
- 『耶蘇会の日本年報』拓文堂 1943年(昭和18年) - 1944年(昭和19年)、のち『イエズス会日本年報』雄松堂
- 「山田長政」J. ファン・フリート『世界ノンフィクション全集29』筑摩書房、1962年(昭和37年)
脚注
[編集]関連文献
[編集]- キリシタン文化研究会編 『キリシタン研究』第12輯、吉川弘文館、1967年3月
- 『キリシタン文化研究会会報』第9年第9号(村上直次郎博士追憶特輯号)、1967年5月
- 『上智史学』第13号(村上直次郎先生追憶号)、上智大学史学会、1968年10月
- 「先學を語る 村上直次郎博士」(東方学会編 『東方学回想 I 先学を語る(1)』 刀水書房、2000年1月、ISBN 4887082460)
- 「日欧交渉史研究のパイオニア : 村上直次郎」(坂東省次著 『スペインを訪れた日本人 : エリートたちの異文化体験』 行路社、2009年6月、ISBN 9784875344155)
学職 | ||
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先代 藤田豊八 |
台北帝国大学文政学部長 1929年 - 1932年 |
次代 安藤正次 |