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旭堂南海

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

旭堂 南海(きょくどう なんかい)は、講談師の名跡。


二代目 旭堂きょくどう 南海なんかい
二代目 旭堂(きょくどう) 南海(なんかい)
「覗き梅鉢」は旭堂一門の定紋である
本名 内海 浩明
生年月日 (1964-04-20) 1964年4月20日(60歳)
出身地 日本の旗 日本兵庫県加古川市志方町西牧[1]
師匠 三代目旭堂南陵
活動期間 1989年 -
所属 なみはや講談協会

旭堂 南海(きょくどう なんかい、1964年昭和39年)4月20日 - )は、上方講談師。なみはや講談協会会員。本名∶内海 浩明[2]

来歴

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1964年4月20日、兵庫県加古川市志方町西牧に生まれる[1][2][3]志方西小学校志方中学校加古川東高校を卒業の後、大阪大学文学部へ入学[1]

大阪大学文学部日本文学近世文学)を専攻[2][3]。大衆芸能に興味を持ち、落語浪曲を経て、最後に講談にたどりつく[3]。1988年、3代目旭堂南陵に入門[2]。1996年、大阪府芸術劇場奨励新人賞[2]。1997年、谷町にて「南海の何回続く会?」を毎月1回(第4火曜日)開催(この会は現在も自主講演が続いている)[2]

1998年、大阪市より「咲くやこの花賞」を受賞[3]。2004年、東大阪市から大阪市天王寺区に転居。2009年、加古川観光協会より「加古川観光大使」に任命される。2007年6月、「南海の何回続く会?」が10年を迎える[2][4]

人物

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ファンによるHP[4]の内容に基づく。

  • お酒(洋酒、高麗酒を除く)やタバコを楽しむ。
  • 好きな食べ物は和食。
  • 趣味は物を覚えること。特技は物を忘れること。
  • 「南海」という名は師匠3代目旭堂南陵の由緒ある前座名である。当代は2代目にあたる。
  • 落語の文枝一門と親交があり、「五代目桂文枝一代記」を文枝一門会でゲスト出演した。
  • 高校時代は落語研究会に所属。

出演

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  • ほぼ毎月、講談の席に上っている[5]

テレビ

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ラジオ

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  • 「新播磨風土記」(ラジオ関西)毎月第4月曜日[6]
  • 「谷五郎のOH!ハッピーモーニング」(ラジオ関西)毎週火曜日レギュラー(2006年3月まで)[6]
  • 「谷五郎のOH!ハッピーモーニング」(ラジオ関西)毎週木曜日レギュラー(2004年3月まで)[6]

著書(共著)

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脚注

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注釈

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出典

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  1. ^ a b c 創立150周年記念式典 令和4年11月26日(土) ①記念講演” (PDF). 加古川市. 2024年5月13日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g 旭堂南海 | アーティストプロフィール | ラジオデイズ”. www.radiodays.jp. 2020年1月26日閲覧。
  3. ^ a b c d 旭堂南海師による特殊研究講座│昭和女子大学 人間文化学部 日本語日本文学科 日文便り”. content.swu.ac.jp. 昭和女子大学. 2022年10月31日閲覧。
  4. ^ a b 旭堂南海FUN プロフィール”. 2019年12月20日閲覧。
  5. ^ 旭堂南海FUN 仕事(講談)”. 2019年12月20日閲覧。
  6. ^ a b c d 旭堂南海FUN 仕事(その他)”. 2019年12月20日閲覧。