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戸河内駅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
戸河内駅
駅舎(1990年12月)
とごうち
Togōchi
土居 (1.1 km)
(2.9 km) 三段峡
地図
北緯34度34分37.44秒 東経132度13分38.31秒 / 北緯34.5770667度 東経132.2273083度 / 34.5770667; 132.2273083座標: 北緯34度34分37.44秒 東経132度13分38.31秒 / 北緯34.5770667度 東経132.2273083度 / 34.5770667; 132.2273083
所属事業者 西日本旅客鉄道(JR西日本)
所属路線 可部線
キロ程 57.3 km(横川起点)
電報略号 トチ
駅構造 地上駅
ホーム 1面2線
乗車人員
-統計年度-
24人/日(降車客含まず)
-2002年-
開業年月日 1969年昭和44年)7月27日[1][2]
廃止年月日 2003年平成15年)12月1日
備考 路線廃止に伴う廃駅
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戸河内駅(とごうちえき)は、広島県山県郡戸河内町上本郷に存在した西日本旅客鉄道(JR西日本)可部線廃駅)である。

可部線非電化区間(可部 - 三段峡間)廃線に伴い、2003年平成15年)12月1日に廃止された。

歴史

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年表

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駅名の由来

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駅がある自治体名(広島県山県郡戸河内町)に由来。

駅構造

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ホーム(2003年8月)

島式ホーム1面2線を有する地上駅。当初は交換設備を使用していたが、晩年は加計 - 三段峡間スタフ閉塞化により実質棒線化され(島式ホーム南側はレールは残されていたがポイントが固定され、構内の信号機は全て使用停止・消灯)、島式ホームの北側のみ使用されていた。駅舎があり、簡易委託駅であった。駅舎とホームは下り線路と平面交差する通路で結ばれ、東側からホームに上がっていた。

駅周辺

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旧戸河内町の中心部に当たり、戸河内町役場(現・安芸太田町役場)と戸河内町立国民健康保険病院(現・安芸太田町戸河内病院)があった。太田川が駅の裏側(北側)を流れ、駅のすぐ南側を国道191号が通っている。

現状

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駅跡(2010年5月)

駅は町役場に近い好立地だったことから、土地利用のため廃線区間で最も早い2004年(平成16年)12月に解体作業が開始された[4]。駅舎やホームなどは順次解体され、跡地はバス待合所(「戸河内役場(現:安芸太田町役場)」停留所)や駐車場となっている[4]

その他

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  • 可部線のうち加計 - 三段峡間の建設当時の路線名称は本郷線と称していたが、「本郷」は、この戸河内駅のある辺りの地名である。

隣の駅

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西日本旅客鉄道(JR西日本)
可部線
土居駅 - 戸河内駅 - 三段峡駅

脚注

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  1. ^ a b c d 石野哲(編)『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 Ⅱ』(初版)JTB、1998年10月1日、283頁。ISBN 978-4-533-02980-6 
  2. ^ a b 「27日から営業開始」『交通新聞』交通協力会、1969年7月16日、1面。
  3. ^ 「通報」『鉄道公報日本国有鉄道総裁室文書課、1985年2月1日、2面。
  4. ^ a b 旧戸河内駅、残るは表示板のモニュメントのみ 実は開通前から廃止検討の声も”. 中国新聞. 2023年12月9日閲覧。

関連項目

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