強竜打線
強竜打線(きょうりゅうだせん)は、中日ドラゴンズの打線を指す愛称である。
概要
[編集]別名「恐竜打線」。1996年までナゴヤ球場(改修前)を一軍ホームグラウンドにしていた時期の中日は、狭い球場を生かした打力が売り物のチームだった。しかし、1997年にナゴヤドームへと移転してからはチームが不振に陥り、星野仙一監督(当時)の方針のもと、一転して投手を中心とした守備重視のチームへと切り替え、現在に至る。
布陣
[編集]定義が曖昧なため、優勝した年を中心に述べる。
与那嶺要監督のもと、巨人のV10を阻止して1954年以来20年ぶりに優勝した年。突出したスター選手はいないが、僅差ながら総合力で読売ジャイアンツ・阪神タイガースを上回った。しかし、日本シリーズではロッテオリオンズに敗れた。なお、応援歌「燃えよドラゴンズ!」が初めて発売された年でもある。シーズンMVPは三冠王に輝いた王貞治(巨人)が選ばれた。
打順 | 守備 | 選手 | 打席 | 打率 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 備考 |
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1 | 二 | 高木守道 | 右 | .276 | 15 | 47 | 14 | |
2 | 中 | 谷木恭平 | 左 | .274 | 2 | 14 | 5 | |
3 | 左 | 井上弘昭 | 右 | .290 | 18 | 58 | 15 | |
4 | 右 | ジーン・マーチン | 左 | .269 | 35 | 87 | 0 | |
5 | 一 | 谷沢健一 | 左 | .290 | 22 | 77 | 2 | |
6 | 捕 | 木俣達彦 | 右 | .322 | 18 | 50 | 3 | 6番中堅手大島とする書籍も存在する。 |
7 | 三 | 島谷金二 | 右 | .259 | 11 | 41 | 7 | 2番島谷、7番木俣とする書籍も存在する。 |
8 | 遊 | 広瀬宰 | 右 | .229 | 5 | 26 | 2 |
守備 | 選手 | 打席 | 打率 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 備考 |
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三/中 | 大島康徳 | 右 | .258 | 11 | 46 | 1 | |
中 | ジミー・ウィリアム | 両 | .224 | 4 | 27 | 3 | |
左 | 藤波行雄 | 左 | .289 | 1 | 15 | 1 | 新人王 |
遊 | 正岡真二 | 右 | .197 | 0 | 3 | 5 |
近藤貞雄監督を中心として「野武士軍団」といわれる個性豊かな選手たちの活躍により、またも巨人とのマッチレースを制し8年ぶりの優勝。しかし、西武ライオンズとの日本シリーズでは投打共に不振に加え「石コロ事件」の不運も重なり敗退した。
打順 | 守備 | 選手 | 打席 | 打率 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 備考 |
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1 | 右 | 田尾安志 | 左 | .350 | 14 | 41 | 9 | |
2 | 中 | 平野謙 | 両 | .288 | 4 | 33 | 20 | |
3 | 三 | ケン・モッカ | 右 | .311 | 23 | 76 | 1 | |
4 | 一 | 谷沢健一 | 左 | .280 | 21 | 85 | 2 | |
5 | 左 | 大島康徳 | 右 | .269 | 18 | 60 | 5 | 日本シリーズでは7番 |
6 | 遊 | 宇野勝 | 右 | .262 | 30 | 69 | 4 | |
7 | 捕 | 中尾孝義 | 右 | .282 | 18 | 47 | 7 | MVP 日本シリーズでは5番 |
8 | 二 | 上川誠二 | 左 | .227 | 2 | 17 | 4 | 日本シリーズ敢闘賞 |
守備 | 選手 | 打席 | 打率 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 備考 |
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二 | 田野倉利男 | 右 | .220 | 6 | 19 | 1 | 上川と併用 |
外 | 豊田誠佑 | 右 | .136 | 0 | 3 | 1 | |
左 | 藤波行雄 | 左 | .259 | 2 | 10 | 2 |
星野体制2年目の本シーズンは当初最下位予想がなされ、実際4月を6位で終わるものの、夏場から破竹の快進撃で広島東洋カープとの最大8ゲーム差を逆転して優勝(当時のセリーグ新記録)。逆転やサヨナラ勝ちが多く、サヨナラ勝ちは11回を数えた。ルーキーだった立浪和義が2番としてフル稼働した。投手陣では移籍1年目の小野和幸が18勝で最多勝を獲得。日本シリーズでは前回の1982年と同様、西武に敗れた。シーズンMVPはリリーフエース郭源治が選ばれた。
打順 | 守備 | 選手 | 打席 | 打率 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 備考 |
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1 | 中 | 彦野利勝 | 右 | .275 | 15 | 47 | 9 | ゴールデングラブ賞(外) |
2 | 遊 | 立浪和義 | 左 | .223 | 4 | 18 | 22 | ゴールデングラブ賞(遊)、新人王 |
3 | 左 | ゲーリー・レーシッチ | 左 | .293 | 16 | 53 | 2 | |
4 | 一 | 落合博満 | 右 | .293 | 32 | 95 | 3 | ベストナイン(一) |
5 | 二 | 宇野勝 | 右 | .277 | 18 | 76 | 8 | |
6 | 三 | 仁村徹 | 右 | .306 | 7 | 52 | 4 | |
7 | 右 | 川又米利 | 左 | .280 | 6 | 35 | 3 | |
8 | 捕 | 中村武志 | 右 | .236 | 5 | 21 | 2 |
守備 | 選手 | 打席 | 打率 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
左 | 中尾孝義 | 右 | .262 | 7 | 35 | 5 | 序盤は1番や7番で、後半は3番でスタメン |
左 | 豊田成祐 | 右 | .190 | 0 | 7 | 3 | |
遊 | 山田和利 | 右 | .268 | 2 | 7 | 10 | シーズン終盤は立浪に代わって2番に入ることも |
右 | 仁村薫 | 右 | .287 | 7 | 24 | 2 | |
左 | 小松崎善久 | 右 | .289 | 4 | 6 | 2 | 彦野に代わって1番に入ることも |
中 | 音重鎮 | 左 | .219 | 3 | 18 | 0 | 彦野に代わって1番に入ることも |
オフに落合博満がFAで巨人に移籍してしまった事も含め、チームが不調だったため、高木守道監督の進退が問われたシーズン。しかし、後半は例によって走り出し首位巨人を猛追、10月8日の同率首位最終戦の決戦に持ち込んだ。
ナゴヤ球場最終シーズンとなったこの年は星野仙一が監督に復帰し、チームの立て直しを図った。特に6番を山崎武司、7番を大豊泰昭と固定してホームランを量産、この2人と巨人・松井秀喜の3人による熾烈な本塁打王争いが繰り広げられた。この様は「陰のクリーンナップ」と言われ、他球団から恐れられた。なお、「強竜打線」はこの年の様子を形容したことが発端とされている。
打順 | 守備 | 選手 | 打席 | 打率 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 備考 |
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1 | 三 | ダネル・コールズ | 右 | .302 | 29 | 79 | 0 | |
2 | 遊 | 鳥越裕介 | 右 | .276 | 3 | 17 | 8 | |
3 | 二 | 立浪和義 | 左 | .323 | 10 | 62 | 2 | |
4 | 右 | アロンゾ・パウエル | 右 | .340 | 14 | 67 | 1 | |
5 | 中 | 音重鎮 | 左 | .265 | 11 | 41 | 3 | |
6 | 左 | 山崎武司 | 右 | .322 | 39 | 107 | 1 | |
7 | 一 | 大豊泰昭 | 左 | .294 | 38 | 89 | 3 | この年本塁打数2位 |
8 | 捕 | 中村武志 | 右 | .271 | 12 | 37 | 2 |
前年から一転、ナゴヤドーム開場のこの年は新外国人レオ・ゴメス以外の主軸の不振、更にはナゴヤドームでの戦い方(主に外野陣の守備)に慣れず、最下位に終わる。
打順 | 守備 | 選手 | 打席 | 打率 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 備考 |
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1 | 中 | 益田大介 | 左 | .269 | 2 | 24 | 11 | |
2 | 遊 | 鳥越裕介 | 右 | .208 | 2 | 16 | 10 | 遊撃手の最高守備率(.997)記録 |
3 | 二 | 立浪和義 | 左 | .269 | 14 | 55 | 8 | |
4 | 三 | レオ・ゴメス | 右 | .315 | 31 | 81 | 2 | |
5 | 右 | アロンゾ・パウエル | 右 | .253 | 14 | 56 | 0 | 94~96年の首位打者 |
6 | 左 | 山崎武司 | 右 | .257 | 19 | 54 | 0 | 前年の本塁打王 |
7 | 一 | 大豊泰昭 | 左 | .240 | 12 | 35 | 0 | |
8 | 捕 | 中村武志 | 右 | .232 | 8 | 36 | 0 |
前年に阪神からトレードで獲得した関川浩一が開花し、韓国人選手の李鍾範とともにリードオフマンとして抜群の働きをするなど、前年の補強の成果が明瞭にあらわれた。4番ゴメス・5番立浪・6番山崎の強打者に加え、7番井上が開幕21試合連続安打を達成するなど好調。さらに、ドラフトで福留孝介が入団してレギュラーに定着した。しかし、福岡ダイエーホークスとの日本シリーズでは、主砲の山崎がリーグ優勝を決めた9月30日に負傷離脱、関川は第四戦まで無安打で21打数2安打、井上は13打数0安打、福留の守備ミス等が重なり、前評判では、中日圧倒的優位だったが[1]、1勝4敗で敗退。シーズンMVPはエース野口茂樹が選ばれた。
打順 | 守備 | 選手 | 打席 | 打率 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 備考 |
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1 | 左 | 李鍾範 | 右 | .238 | 9 | 33 | 24 | 中盤以降は福留と入れ替わりで2番を打つ事が増えた。日本シリーズでは6番。 |
2 | 遊 | 福留孝介 | 左 | .284 | 16 | 52 | 4 | シーズン中盤では1番、終盤に差し掛かった所では3番を打つ事が増えた。 日本シリーズでは久慈照嘉が遊撃手で、三塁手。 |
3 | 中 | 関川浩一 | 左 | .330 | 4 | 60 | 20 | シーズン終盤や日本シリーズでは1番 |
4 | 三 | レオ・ゴメス | 右 | .297 | 36 | 109 | 4 | 日本シリーズや山崎の欠場時では一塁手 |
5 | 二 | 立浪和義 | 左 | .266 | 4 | 53 | 3 | 勝利打点はチームトップ |
6 | 一 | 山崎武司 | 右 | .246 | 28 | 75 | 1 | |
7 | 右 | 井上一樹 | 左 | .296 | 10 | 65 | 2 | 開幕戦から21試合連続安打を記録。 |
8 | 捕 | 中村武志 | 右 | .200 | 6 | 42 | 3 |
この年就任した落合博満監督は「守りの野球」を掲げ、セリーグ最小失策数となる45失策を作った。また、投手陣ではエースの川上憲伸の復活、落合英二や岩瀬仁紀らリリーフ陣の尽力もあり、5年ぶりのリーグ優勝を遂げた。また、「守りの野球」らしく、守備の名手がそろっており、ゴールデングラブ賞を5部門にわたって受賞した(荒木・井端・アレックス・英智・渡邉・川上)。しかし、日本シリーズではまたも西武に敗れた。シーズンMVPはエース川上憲伸が選ばれた。
打順 | 守備 | 選手 | 備考 |
---|---|---|---|
1 | 二 | 荒木雅博 | |
2 | 遊 | 井端弘和 | |
3 | 三 | 立浪和義 | リード時の試合終盤には守備要員の川相昌弘に交代。 |
4 | 右 | 福留孝介 | 夏場以降は五輪代表選出や骨折もあり離脱した。 |
5 | 中 | アレックス・オチョア | 福留離脱以降は4番で、5番は谷繁、リナレスらが代役となった。 |
6 | 森野将彦(一)・井上一樹(左)・オマール・リナレス(一、日本シリーズでは5番) | ||
7 | 渡邉博幸(一)・英智(右)・森章剛(左・右) | ||
8 | 捕 | 谷繁元信 | 夏場以降は5番、日本シリーズでは6番に起用された。 |
代打には高橋光信等が起用された。
守備攻撃ともにかみ合い、途中から首位を独走して優勝。この年の打撃三部門のタイトル(首位打者・最多本塁打・最多打点)はウッズ、福留と中日に在籍する2人で独占された。日本シリーズでは北海道日本ハムファイターズに敗れた。7月に入ると立浪に代わり、森野がサードのレギュラーに起用された。シーズンMVPは福留孝介が選出された。
打順 | 守備 | 選手 | 打席 | 打率 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 二 | 荒木雅博 | 右 | .300 | 2 | 31 | 30 | 怪我からの復帰当初から福留復帰まで2番中堅手。 |
2 | 遊 | 井端弘和 | 右 | .283 | 8 | 48 | 17 | 開幕は3番で2番は中堅手藤井淳志、福留復帰までは再び3番を打った。 |
3 | 右 | 福留孝介 | 左 | .351 | 31 | 104 | 11 | この年のMVP 開幕は5番右翼手、9月中盤までは主に中堅手。 |
4 | 一 | タイロン・ウッズ | 右 | .310 | 47 | 144 | 1 | |
5 | 三 | 森野将彦 | 左 | .280 | 10 | 52 | 0 | 怪我からの復帰当初は1番二塁手で、荒木復帰から福留復帰まで同様の起用。 |
6 | 中 | アレックス・オチョア | 右 | .273 | 15 | 77 | 2 | 9月中盤までは左翼手 打順も開幕は6番で、森野・荒木復帰までは5番。 |
7 | 左 | 井上一樹 | 左 | .311 | 11 | 39 | 2 | 開幕は7番三塁手立浪、また井上自身も9月中盤までは右翼手。 |
8 | 捕 | 谷繁元信 | 右 | .234 | 9 | 38 | 0 |
代打には立浪和義等が起用された。
この年のペナントレースは2位に終わるも、この年から開始されたクライマックスシリーズで巨人に勝利し、日本シリーズでも日本ハムを破り53年ぶりの日本一を果たす。終盤は福留が離脱しながらも中村紀が奮起して日本シリーズMVPを獲得する活躍をした。シーズンMVPはリーグ優勝チームの小笠原道大(巨人)。
打順 | 守備 | 選手 | 備考 |
---|---|---|---|
1 | 二 | 荒木雅博 | レギュラーシーズンでは主に2番荒木とする書籍も存在する。 |
2 | 遊 | 井端弘和 | レギュラーシーズンでは主に1番井端とする書籍も存在する。 |
3 | 左 | 森野将彦 | 荒木離脱時は二塁手、守備固めでは三塁手。 シーズン当初は3番右翼手福留、7番左翼手森野。 シーズンでは主に5番だったが、日本シリーズでは3番を打った。 |
4 | 一 | タイロン・ウッズ | |
5 | 三 | 中村紀洋 | シーズン当初は6番、シーズン終盤は3番を打った。 守備固めでは一塁手 |
6 | 右 | 李炳圭 | シーズン当初は5番中堅手 |
7 | 中 | 平田良介 | シーズン中盤は英智 |
8 | 捕 | 谷繁元信 |
代打には立浪和義等が起用された。
井端の途中離脱・新外国人のディオニス・セサルや主砲のトニ・ブランコの不調など、貧打に苦しみ、リリーフ投手陣に助けられて球団最多となる12回のサヨナラ勝ちを記録しつつ優勝。森野・和田が打線を牽引し続け、若手の堂上兄弟・岩﨑達郎・大島洋平らが台頭した。シーズンMVPは和田一浩。
打順 | 守備 | 選手 | 備考 |
---|---|---|---|
1 | 遊 | 荒木雅博 | 前年まで二塁手だったが、遊撃手にコンバート。 |
2 | 中 | 大島洋平 | シーズン終盤は英智や藤井淳志。最終的に104試合の出場に終わるが、日本シリーズでは大活躍。 |
3 | 三 | 森野将彦 | 試合終盤の守備固めでは一塁を守り、森野に代わって三塁を堂上直が守る。 |
4 | 左 | 和田一浩 | この年のMVP |
5 | 一 | トニ・ブランコ | 開幕から4番だったが、シーズン途中から5番。 |
6 | 右 | 野本圭・堂上剛裕・ディオニス・セサル | 野本圭と堂上剛は同時に代打の切り札 |
7 | 捕 | 谷繁元信 | |
8 | 二 | 堂上直倫 | 山本昌登板時のみ7番で、8番には捕手・小田幸平、守備固めでは三塁、二塁には岩﨑達でCS以降は井端の二塁スタメンが多かった。 |
代打には野本圭や堂上剛裕等が起用された。
この年から導入された統一球の影響で森野・和田をはじめとする打撃陣が絶不調に陥り、打線もシーズン終盤まで固定できず12球団ワーストのチーム打率・総得点を記録した年。一時前半戦から首位を独走したヤクルトと10ゲーム差以上をつけられたものの、吉見一起・浅尾拓也ら投手陣の奮起と夏場以降離脱していた谷繁・井端・ブランコが復帰、打線が固定され少ないチャンスを生かして確実に点を取ることができるようになったことで、落合の突然の退任発表もありながら大逆転で球団史上初の連覇を決めた。シーズンMVPはリリーフエースの浅尾拓也が選ばれた(ゴールデングラブ賞もリリーフ投手として初受賞)。日本シリーズではソフトバンクに3勝4敗で敗退。
打順 | 守備 | 選手 | 備考 |
---|---|---|---|
1 | 遊 | 荒木雅博 | シーズン中盤は二塁手として起用される事もあった(その間の遊撃手は岩﨑達)。 |
2 | 二 | 井端弘和 | シーズン中盤は離脱する事が多く、荒木や堂上直が二塁の守備に就く事があった。 |
3 | 三 | 森野将彦 | 守備固めでは一塁手 |
4 | 一 | トニ・ブランコ | 78試合の出場でありながら、勝利打点は12球団トップだった。離脱時はジョエル・グスマンが代役を務めていた。 |
5 | 捕 | 谷繁元信 | シーズン終盤のみ。ポストシーズンは全く安打を打てず、和田が5番を打った。エンジェルベルト・ソトが先発時は小田幸平がマスクをかぶり8番を打ち、1試合のみだが、その関係でプロ入り初となる一塁手でのスタメン出場があった。ゴールデングラブ賞を受賞。 |
6 | 左 | 和田一浩 | 開幕からしばらくは4番だったが、打撃不振により、5番に降格。シーズン終盤は6番を任されたが、ポストシーズンでは不振の谷繁に代わって再び5番を打った。 |
7 | 右 | 平田良介 | シーズン途中から出場機会を増やし、守備率100%を達成。リーグ最多補殺を記録。 |
8 | 中 | 大島洋平 | 打撃不振により、一時期は野本らにレギュラーを奪われ、前年より少ない96試合の出場に終わるが、シーズン後半は再びレギュラーを奪い、ゴールデングラブ賞を受賞。 |
代打では堂上剛裕、小池正晃、佐伯貴弘等が起用された。
関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ ホークス75年史―南海、ダイエー、ソフトバンクー継承される栄光の歴史ベースボール・マガジン社、2013年、P91