コンテンツにスキップ

岩﨑達郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
岩﨑 達郎
楽天時代
2013年7月31日、こまちスタジアムにて
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 神奈川県横浜市瀬谷区
生年月日 (1984-12-28) 1984年12月28日(39歳)
身長
体重
175 cm
75 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 内野手外野手
プロ入り 2006年 大学生・社会人ドラフト5巡目
初出場 2008年6月22日
最終出場 2017年8月22日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

岩﨑 達郎(いわさき たつろう、1984年12月28日 - )は、神奈川県横浜市瀬谷区出身の元プロ野球選手内野手外野手)。右投右打。

経歴

[編集]

プロ入り前

[編集]

横浜商科大学高等学校から社会人野球新日本石油ENEOSへ進み第76回都市対抗野球大会に補強選手で出場[1]田澤純一は高校、社会人の2年後輩。

二塁手遊撃手の守備を評価され、2006年大学・社会人ドラフト中日ドラゴンズに5巡目で指名された。プロ入り以降は守備の人のイメージが強いが、高校通算41本塁打を記録している。

第1次中日時代

[編集]
中日時代

2007年は、レギュラーシーズンでは一軍昇格は無かったものの、正遊撃手の井端弘和がシリーズ前にケガをし、状態に不安があるため、バックアップとしてクライマックスシリーズ第1ステージを前にした10月13日に、初の一軍昇格を果たした。10月18日の同クライマックスシリーズ第2ステージ第1戦(巨人戦)の8回に新井良太の代走として一軍戦初出場し、初得点も記録している。

2008年は開幕を二軍で迎えたが、6月17日に井端弘和の故障によりシーズン初の一軍登録。その後井端の復帰で登録抹消されたが、8月に荒木雅博北京五輪へ出場するために再び一軍昇格。荒木のチーム合流で抹消されるも井端が再び怪我をしたためわずか5日で再び一軍に昇格した[2]。その後、井端の復帰で再び抹消されるもシーズン終盤に再び一軍登録されて一軍と二軍を4度も往復した。

2009年から2012年まで春季キャンプでは井端が目の異常で離脱した影響もあり、監督の落合博満から直々にノックを受けた。オープン戦では遊撃手や二塁手として出場し、適時打を放つなど課題である打撃面でも着実に成長が見られ、初の開幕一軍入りを果たす。

2010年9月1日の広島東洋カープ戦(ナゴヤドーム)で大島崇行からプロ入り初本塁打となるサヨナラ2点本塁打を放った[3]。また、このシーズンは開幕から一軍に帯同し続けた。

2011年9月、4歳年下の一般女性と結婚。出場試合数こそ減少したもののスタメン起用が増え、打率も自己最高の.218を記録した。しかしその後離婚。子供の親権は元妻にある。

楽天時代

[編集]

2013年3月11日、東北楽天ゴールデンイーグルスへの金銭トレードが発表された[4][5]。公式発表の約1週間前にトレードの報道がなされ、中日監督の高木守道や球団社長もそれを認めた[6]ため、楽天監督の星野仙一から「順番が違う」と苦言を呈された[7]。岩﨑本人は楽天からのトレードのオファーをコーチから聞き「勝負したい」と答えるなど移籍に前向きであった[8]。楽天での背番号は「67」に決まった。6月27日の埼玉西武ライオンズ戦(県営大宮)で、プロ7年目にして初の3安打猛打賞を記録した[9]

2016年には、一軍公式戦への出場機会がなく、10月1日に球団から戦力外通告を受けた[10]。12月2日、自由契約公示された[11]

第2次中日時代

[編集]

楽天からの戦力外通告後に、中日時代の一軍監督であった落合からの勧め[12]で、中日の秋季キャンプに参加した。参加中に入団テストを受けた結果、2016年11月25日に、育成選手として中日と契約することが球団から発表。5シーズン振りに中日へ復帰した。そして7月10日に支配下登録をされることとなった[13]

2017年は1試合の出場に終わり、10月3日に球団から戦力外通告を受けた。その後、12球団合同トライアウトを受けたものの、獲得の意思を示す球団は現れず、12月2日付で自由契約選手として公示された[14]

引退後

[編集]

2018年1月11日、東北楽天ゴールデンイーグルスから楽天イーグルスアカデミーのジュニアコーチに就任したことが発表された[15]。また、2018年8月12日の楽天対西武戦からJ SPORTS野球解説者として活動する。

選手としての特徴・人物

[編集]

遊撃・二塁を中心に内野全ポジションを高いレベルで守り、外野もこなすユーティリティープレーヤー[16][17]。俊足を生かした走塁も武器[18]。打撃では課題があったが[16]、小技に長けていた[19]。第1次中日時代は監督の落合博満から堅い守備力を評価され、主に二遊間のレギュラーである荒木雅博井端弘和のバックアップ要員として活躍した[16]

守備でのモットーは「弱気は最大の敵」であり、グラブにも刺繍を入れていた。受け身にならず、常に攻めの姿勢で臨むことを貫いていた[20]

詳細情報

[編集]

年度別打撃成績

[編集]
















































O
P
S
2008 中日 20 19 18 3 1 1 0 0 2 0 1 0 1 0 0 0 0 1 0 .056 .056 .111 .167
2009 19 14 11 0 2 0 0 0 2 0 0 1 1 0 2 0 0 2 0 .182 .308 .182 .490
2010 78 85 60 13 11 2 0 1 16 4 3 2 17 0 8 0 0 13 0 .183 .279 .267 .546
2011 51 91 78 9 17 3 1 0 22 3 0 1 6 0 7 0 0 13 1 .218 .282 .282 .564
2012 36 24 20 5 2 0 0 0 2 1 0 0 2 0 2 0 0 3 1 .100 .182 .100 .282
2013 楽天 74 112 101 17 22 5 0 0 27 12 0 2 5 1 5 0 0 18 3 .218 .252 .267 .519
2014 56 63 54 8 10 2 1 0 14 7 0 1 3 0 5 0 1 12 1 .185 .267 .259 .526
2015 44 42 38 5 10 1 0 0 11 6 0 0 2 0 2 0 0 12 0 .263 .300 .289 .589
2017 中日 1 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
NPB:9年 379 451 381 60 75 14 2 1 96 33 4 7 37 1 31 0 1 75 6 .197 .258 .252 .511

年度別守備成績

[編集]
内野守備

遊撃 二塁 三塁 一塁
















































2008 7 2 4 0 1 1.000 10 10 22 0 2 1.000 - -
2009 - 5 10 5 0 1 1.000 3 1 1 0 0 1.000 -
2010 15 8 21 1 7 .967 57 45 70 0 17 1.000 1 0 0 0 0 .000 -
2011 36 32 72 4 12 .963 4 2 5 0 2 1.000 10 0 5 1 0 .833 -
2012 8 2 8 1 3 .909 7 7 12 0 2 1.000 3 0 0 0 0 .000 -
2013 44 25 57 4 8 .953 17 20 27 1 7 .979 14 1 12 1 1 .929 -
2014 7 8 7 0 2 1.000 9 11 7 0 1 1.000 26 9 15 1 2 .960 10 29 1 0 4 1.000
2015 17 15 21 0 4 1.000 6 7 17 0 5 1.000 7 1 3 0 0 1.000 3 12 0 0 3 1.000
通算 134 91 191 10 37 .966 115 112 165 1 37 .996 64 12 36 3 3 .941 13 41 1 0 7 1.000
外野守備

外野:3季












2009 1 2 0 0 0 1.000
2014 1 1 0 0 0 1.000
2015 2 1 0 0 0 1.000
通算 4 4 0 0 0 1.000

記録

[編集]

背番号

[編集]
  • 46 (2007年 - 2012年)
  • 67 (2013年 - 2016年)
  • 206 (2017年 - 同年7月9日)
  • 0 (2017年7月10日 - 同年終了)

登場曲

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ プロ野球プレイヤーズ名鑑 2007 スポーツニッポン新聞社
  2. ^ 本来、日本プロ野球の出場選手登録では抹消後10日間は再登録できないことになっているが、北京五輪による特例措置で再登録することができた。
  3. ^ 失敗帳消し!?中日4年目の守備固め要員 初本塁打がサヨナラ弾スポーツニッポン 2010年9月2日
  4. ^ 岩崎達郎選手トレードのお知らせ”. 中日ドラゴンズ (2013年3月11日). 2013年3月11日閲覧。
  5. ^ 金銭トレードに関して”. 東北楽天ゴールデンイーグルス (2013年3月11日). 2013年3月11日閲覧。
  6. ^ “岩崎達のトレード了承、楽天側は明らかにせず”. SANSPO.COM. (2013年3月3日). http://www.sanspo.com/baseball/news/20130303/dra13030320500003-n1.html 2013年3月11日閲覧。 
  7. ^ “星野監督 トレード情報先行の中日に不快感「何も決まってない」”. Sponichi Annex. (2013年3月5日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2013/03/05/kiji/K20130305005321810.html 2013年3月11日閲覧。 
  8. ^ “岩崎達なぜ放出?中日内部でも異論”. 東スポWeb. (2013年3月7日). https://web.archive.org/web/20130315072317/http://www.tokyo-sports.co.jp/sports/116336/ 2013年3月11日閲覧。 
  9. ^ “「守備の人」楽天岩崎プロ初の猛打賞”. nikkansports.com. (2013年6月28日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20130628-1149004.html 
  10. ^ 来季の選手契約に関して”. 東北楽天ゴールデンイーグルス公式サイト (2016年10月1日). 2016年10月1日閲覧。
  11. ^ 自由契約選手|2016年度公示”. NPB.jp 日本野球機構 (2016年12月2日). 2016年12月3日閲覧。
  12. ^ “楽天戦力外の岩崎が中日と育成契約 5年ぶり復帰”. 日刊スポーツ. (2016年11月25日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/1743062.html 2016年11月25日閲覧。 
  13. ^ “楽天戦力外の岩崎、育成契約で5年ぶり中日復帰「戻ってこれてよかった」”. スポニチアネックス. (2016年11月25日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2016/11/25/kiji/K20161125013789880.html 2016年11月25日閲覧。 
  14. ^ 2017年度 自由契約選手 日本野球機構オフィシャルサイト 2017年12月4日閲覧。
  15. ^ 【楽天イーグルスアカデミー】新任ジュニアコーチのお知らせ|東北楽天ゴールデンイーグルス”. 東北楽天ゴールデンイーグルス公式サイト (2018年1月11日). 2018年1月17日閲覧。
  16. ^ a b c 打撃力が影響!? ユーティリティープレーヤーが戦力外 | BASEBALL KING”. BASEBALL KING. 2021年8月14日閲覧。
  17. ^ 中日・岩崎達郎 楽天を戦力外となった岩崎、古巣復帰 | 野球コラム”. 週刊ベースボールONLINE. 2021年8月14日閲覧。
  18. ^ 【中日】23歳岩崎が俊足でアピール誓う - 野球ニュース”. nikkansports.com. 2021年8月14日閲覧。
  19. ^ 「求められているのは守備で貢献」岩崎達郎選手の入団会見|東北楽天ゴールデンイーグルス”. 楽天イーグルス オフィシャルサイト. 2021年8月14日閲覧。
  20. ^ 岩崎 達郎さん | プロ野球・東北楽天の内野手として、昨年日本一に輝いた | 瀬谷区”. タウンニュース. 2021年8月14日閲覧。

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]