豊田誠佑
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 東京都練馬区 |
生年月日 | 1956年4月23日(68歳) |
身長 体重 |
172 cm 73 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 外野手、内野手 |
プロ入り | 1978年 ドラフト外 |
初出場 | 1980年4月10日 |
最終出場 | 1988年10月27日(日本シリーズ第5戦) |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
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コーチ歴 | |
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この表について
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豊田 誠佑(とよだ せいすけ、1956年4月23日 - )は、東京都練馬区出身の元プロ野球選手(外野手、内野手)、プロ野球コーチ。右投右打。1988年から1997年までの登録名は豊田 成佑(読み方同じ)。
来歴・人物
[編集]日大三高では、右翼手として1974年春の選抜に出場。向陽高を破り2回戦に進むが、銚子商業高の土屋正勝に抑えられ敗退[1]。この大会の本塁打記録は1本と珍しい大会であったが、その1本は豊田が土屋から打ったランニングホームランであった。
高校卒業後は、明治大学へ進学。東京六大学野球リーグでは3度の優勝を経験。
1978年春季リーグでは鹿取義隆、高橋三千丈の両エースを擁し、中心打者として優勝に貢献。直後の全日本大学野球選手権大会でも、決勝で中尾孝義らのいた専大を降し優勝を飾る。1977年から2年連続で日米大学野球選手権大会日本代表に選出。リーグ通算62試合出場、203打数63安打、打率.310、5本塁打、26打点。首位打者1回。ベストナイン2回。
同年オフに、ドラフト外で中日ドラゴンズに入団。即戦力の巧打者として期待される。
1980年には7月から右翼手、二番打者として起用され63試合に先発出場。
1981年は三塁手も兼ね、規定打席には届かなかったが打率.292の好記録を残す。
1982年、故障がもとで1年先輩の平野謙にレギュラーを奪われることとなり、その後の活路を右の代打・守備要員に見出す。同年の西武との日本シリーズでは4試合に出場、日本一は逃すものの、第4戦では9回表に適時打を放ち勝利に貢献した。
1987年は9月下旬から一番打者として起用され、打率.315と活躍。
1988年は不調が続き、同年限りで引退。
大学時代から江川卓と相性がよく、江川キラーとして名を馳せた[2]。1982年9月28日、9回裏2-6から全盛期の江川を打ち崩した奇跡の同点劇は、豊田のレフト前ヒットから始まったとされている(同年の中日リーグ優勝のターニングポイントとする意見も多い)。
現役引退後は大学先輩の星野仙一監督の下でコーチとなり、関東・北信越地区担当のスカウトを務め、2008年シーズン終了時より堂上照に代わりナゴヤ球場に隣接する選手寮「昇竜館」の館長に就任[3]。2014年シーズン終了後退任した[4]。その後は、名古屋で居酒屋を営む[5]。
実弟の豊田和泰(外野手、日大三高~明大~日本鋼管)は明大4年時の1980年春に首位打者を獲得しており、東京六大学初の兄弟首位打者として話題となった。
詳細情報
[編集]年度別打撃成績
[編集]年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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1980 | 中日 | 102 | 276 | 242 | 33 | 61 | 7 | 2 | 3 | 81 | 18 | 6 | 4 | 13 | 1 | 14 | 1 | 6 | 50 | 3 | .252 | .309 | .335 | .644 |
1981 | 114 | 352 | 315 | 39 | 92 | 19 | 2 | 4 | 127 | 29 | 9 | 2 | 8 | 3 | 23 | 0 | 3 | 43 | 7 | .292 | .346 | .403 | .749 | |
1982 | 103 | 98 | 88 | 12 | 12 | 2 | 0 | 0 | 14 | 3 | 1 | 1 | 3 | 0 | 7 | 1 | 0 | 16 | 2 | .136 | .200 | .159 | .359 | |
1983 | 34 | 23 | 20 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | 1 | 4 | 1 | .050 | .174 | .050 | .224 | |
1984 | 104 | 77 | 72 | 17 | 17 | 0 | 0 | 4 | 29 | 9 | 1 | 1 | 2 | 0 | 3 | 0 | 0 | 16 | 2 | .236 | .267 | .403 | .669 | |
1985 | 52 | 49 | 36 | 5 | 4 | 0 | 0 | 0 | 4 | 5 | 0 | 0 | 4 | 0 | 8 | 0 | 1 | 10 | 1 | .111 | .289 | .111 | .400 | |
1986 | 62 | 52 | 45 | 5 | 9 | 1 | 0 | 1 | 13 | 5 | 0 | 0 | 1 | 0 | 6 | 0 | 0 | 15 | 2 | .200 | .294 | .289 | .583 | |
1987 | 107 | 139 | 124 | 19 | 39 | 8 | 0 | 1 | 50 | 8 | 4 | 1 | 3 | 2 | 10 | 0 | 0 | 15 | 2 | .315 | .360 | .403 | .764 | |
1988 | 88 | 102 | 84 | 4 | 16 | 4 | 1 | 0 | 22 | 7 | 3 | 2 | 7 | 1 | 9 | 1 | 1 | 23 | 0 | .190 | .274 | .262 | .536 | |
通算:9年 | 766 | 1168 | 1026 | 134 | 251 | 41 | 5 | 13 | 341 | 84 | 24 | 11 | 41 | 7 | 82 | 4 | 12 | 192 | 20 | .245 | .306 | .332 | .638 |
記録
[編集]- 初出場:1980年4月19日、対横浜大洋ホエールズ2回戦(ナゴヤ球場)、5回裏に三枝規悦の代打として出場
- 初安打:1980年4月22日、対広島東洋カープ1回戦(広島市民球場)、9回表に田野倉正樹の代打として出場、池谷公二郎から
- 初先発出場:1980年4月23日、対広島東洋カープ2回戦(広島市民球場)、2番・右翼手として先発出場
- 初打点:1980年6月10日、対阪神タイガース8回戦(富山県営球場)、7回裏に星野仙一の代打として出場、山本和行から同点適時打
- 初本塁打:1980年6月19日、対広島東洋カープ12回戦(ナゴヤ球場)、8回裏に江夏豊からソロ
背番号
[編集]- 25(1979年 - 1988年)
- 75(1989年 - 1991年)
- 88(1992年)
- 98(1993年 - 1994年)
- 97(1995年)
- 73(1996年 - 1997年)
- 81(2003年)
登録名
[編集]- 豊田 誠佑 (とよだ せいすけ、1979年 - 1987年、2003年)
- 豊田 成佑 (とよだ せいすけ、1988年 - 1997年)
脚注
[編集]- ^ 「選抜高等学校野球大会60年史」毎日新聞社編 1989年
- ^ “【豊田誠佑コラム】モッカ入団、平野謙さん台頭でヤジ将軍に転向 – 東京スポーツ新聞社”. 東スポWeb. 2022年5月25日閲覧。
- ^ 昇竜館・豊田新館長 スカウトから生活指導へ 中日スポーツ 2008年10月30日
- ^ 中日2軍コーチに松岡功祐氏招へい、日刊スポーツ、2014年10月22日
- ^ 中日OB・豊田誠佑氏 予約困難の居酒屋経営もコロナ禍で… 東スポWEB 2020年5月28日
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)