川島義明
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選手情報 | ||||
ラテン文字 | Yoshiaki Kawashima | |||
国籍 | 日本 | |||
競技 | トラック競技・ロード競技 | |||
種目 | 長距離走・マラソン | |||
大学 | 日本大学 | |||
生年月日 | 1934年5月10日(90歳) | |||
出身地 |
茨城県東茨城郡川根村 (現・茨城町) | |||
身長 | 159 cm | |||
体重 | 54 kg | |||
オリンピック | 1956 | |||
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川島 義明(かわしま よしあき、1934年5月10日 - )は、日本の元陸上競技選手。専門は長距離走・マラソン。1956年メルボルンオリンピック代表選手で、同大会のマラソンで5位に入賞した。
来歴
[編集]茨城県立水戸農業高等学校時代に、体育教員をしていた篠崎清(1953年ボストンマラソン出場)から陸上競技(マラソン)に勧誘される[2]。川島は1年生時から青森東京駅伝に茨城県チームメンバーとして出場し[3]、2年生時と3年生時にも出場した[4][5]。
しかし高校卒業時に進学はせずに家業の農家を2年間手伝った[1]。1955年2月に「青梅マラソン[注釈 1]」に出場して3位となる[2]。同年4月に日本大学に入学する[1]。5月22日の第34回関東学生陸上競技対校選手権大会のマラソンに2時間42分7秒で優勝した[6]。
1956年5月5日の第11回毎日マラソン(後のびわ湖毎日マラソン、当時は大阪府で開催)に2時間27分45秒で優勝する[7][8]。この結果、1956年メルボルンオリンピックのマラソン代表に選ばれる[9]。
12月1日のレース本番では30 km地点で2位集団の一角を占め、その後後退したものの、2時間29分19秒のタイムで5位入賞を果たした[1][10][11]。
メルボルンオリンピックからちょうど1年後の1957年12月1日に開かれた第11回朝日国際マラソン(現・福岡国際マラソン)では、2時間23分09秒で3位に入賞した[12]。
大学時代は毎年東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)に出場、メルボルンオリンピックからわずか1か月後だった2年生のときには8区で2位となり、16年ぶり総合優勝のメンバーとなった[1][13]。3年生時には3区で区間賞を獲得した[1][13]。
1959年に大学を卒業するとリッカーミシンに入社した[1]。その後職を移り、2015年に退職した[1]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e f g h “箱根駅伝ランナーでメルボルン五輪男子マラソン5位の川島義明さん「『学生だから』は通用しない」”. スポーツ報知. (2021年6月19日) 2024年6月28日閲覧。
- ^ a b 「時の人 川島義明」毎日新聞1956年5月6日、3頁
- ^ 「青森→東京駅伝 晩秋のみちのく色どる10年 駅伝の生んだ名選手」読売新聞1961年10月29日夕刊、5頁
- ^ 「青森→東京駅伝きょうゴール」読売新聞1953年11月17日、4頁
- ^ 「青森→東京駅伝競走第1日」読売新聞1954年11月7日、5頁
- ^ 「中大が四連勝 関東学生陸上対校最終日」読売新聞1955年5月23日、4頁
- ^ 歴代優勝者(びわ湖毎日マラソン過去の記録) - 大阪マラソン公式サイト
- ^ 「川島(日大)が優勝 毎日マラソン」読売新聞1956年5月6日、5頁
- ^ 「マラソン五輪代表決る まず川島、広島両選手」読売新聞1956年5月6日、5頁
- ^ “Yoshiaki Kawashima Olympic Results”. Sports Reference LLC. 2020年4月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年5月2日閲覧。
- ^ 【記録と数字で楽しむオレゴン世界選手権】男子マラソン:2013年以来4大会ぶりの入賞なるか? - 日本陸上競技連盟(2022年7月11日)2024年6月28日閲覧。
- ^ 福岡国際マラソンプレーバック 第11回 - 朝日新聞社
- ^ a b 第93回箱根駅伝2017ガイドブック (PDF) - 日本大学陸上競技部(2016年、2ページ目を参照)