対馬市立豊玉小学校
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対馬市立豊玉小学校 | |
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北緯34度23分26秒 東経129度18分40秒 / 北緯34.390444度 東経129.311度座標: 北緯34度23分26秒 東経129度18分40秒 / 北緯34.390444度 東経129.311度 | |
過去の名称 |
豊玉村立豊玉小学校 豊玉町立豊玉小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 対馬市 |
併合学校 |
豊玉村立仁位小学校 豊玉村立嵯峨小学校 豊玉村立鈴江小学校 対馬市立塩浦小学校 対馬市立小綱小学校 対馬市立南小学校 対馬市立乙宮小学校 |
校訓 | 洗心 |
設立年月日 | 1974年(昭和49年)4月1日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B142210002589 |
所在地 | 〒817-1201 |
長崎県対馬市豊玉町仁位1903番地 | |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
対馬市立豊玉小学校(つしましりつ とよたましょうがっこう, Tsushima City Toyotama Elementary School)は、長崎県対馬市豊玉町 [1]仁位(にい)にある公立小学校。対馬中部にある小学校である。
概要
[編集]- 歴史
- 1974年(昭和49年)に当時の豊玉村にあった小学校3校を統合して開校した。2009年(平成21年)に創立35周年を迎えた。
- 校訓
- 「洗心[2]」(開校当初の校訓は「和」であったが、1984年(昭和59年)に「洗心」に変更された。)
- 校章
- 中央に「小」の文字を図案化した絵を置く。
- 校歌
- 作詞は豊玉小学校教職員、作曲は中原達郎による。歌詞は3番まであり、各番とも校名の「あゝ豊玉 豊玉小学校」で終わる。
- 校区
- 住所表記で対馬市豊玉町[1]の後に「仁位(にい、字志賀原を除く)、佐志賀(さしか)、嵯峨(さが)、貝鮒(かいふな)、糸瀬(いとせ)、卯麦(うむぎ)、佐保(さほ)、志多浦(したうら)、大綱(おおつな)字キシキシ、大綱字糠(ぬか)、和板(わさか)、横浦(よこうら)、塩浜(しおはま)、三世浦(みせうら)、鑓川(やりかわ)、仁位字志賀原、貝口(かいぐち)、東加藤(ひがしかとう)、水崎(みずさき)、加志々(かしし)、唐洲(からす)、廻(まわり)」が続く地区[3][4]。
- 中学校区は対馬市立豊玉中学校。
沿革
[編集]- 旧・仁位小学校(にい)
- 1875年(明治8年)
- 1882年(明治15年)- 小学中等科初等科併置学則の改正により、「仁位学区公立中等仁位小学校」と改称。
- 1886年(明治19年)- 小学校令により、中等科・初等科を廃止の上、簡易科を設置し、「仁位学区簡易仁位小学校」に改称。
- 1891年(明治24年)9月1日 - 尋常科(修業年限4ヶ年)を設置の上、「仁位学区尋常仁位小学校」に改称。教育勅語を下賜[6]。
- 1893年(明治26年)
- 4月1日 - 校名を「仁位尋常小学校」に改称(「尋常」の位置を変更)。
- 5月 - 新校舎が完成。
- 6月 - 開校式を挙行。
- 1901年(明治34年)4月 - 補習科(修業年限2ヶ年)を設置(尋常科4年・補習科2年)。
- 1908年(明治41年)4月 - 義務教育が尋常科4年が尋常科6年に延長されたため、補習科を廃止[7](尋常科6年)。島嶼町村制施行により、下県郡仁位村が発足し、その所管となる。
- 1915年(大正4年)4月1日 - 高等科(2ヶ年)を併置し、「仁位尋常高等小学校」に改称。
- この当時の児童数は尋常科65名、高等科27名。高等科併置に伴い、清玄寺(現・中対馬振興部[8])に校舎を増設。
- 1930年(昭和5年)11月 - 桜町[9]に新校舎が完成。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令により、「仁位村立仁位国民学校」に改称。尋常科を初等科に改称(初等科6年・高等科2年)。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)。
- 1950年(昭和25年)5月21日 - 中学校の新校舎が完成し、小学校との併設を解消し、独立。
- 1952年(昭和27年)- 長崎県立対馬高等学校定時制仁位分校(長崎県立豊玉高等学校の前身)に1室を貸与。
- 1953年(昭和28年)9月1日 - 対馬高等学校定時制仁位分校の新校舎が完成し、貸与1室が返還。
- 1955年(昭和30年)3月20日 - 仁位村と奴加岳[11]村の合併により豊玉村が発足。これに伴い、「豊玉村立仁位小学校」に改称。
- 1959年(昭和34年)- 裏側校舎を増設。
- 1962年(昭和37年)3月 - ミルク給食を開始。
- 1967年(昭和42年)10月 - 校歌を制定。
- 1974年(昭和49年)3月31日 - 統合のため閉校。
- 旧・嵯峨小学校(さが)
- 1874年(明治7年)6月1日 - 「第五大学区第四中学区嵯峨小学校・佐志賀小学校・貝鮒小学校・糸瀬小学校」が開校(文部省により正式に認可される)。
- 1885年(明治18年)頃の名称 - 「仁田学区公立中等仁田小学校下等嵯峨分校・下等佐志賀分校・下等貝鮒分校・下等糸瀬分校」
- 1886年(明治19年)- 小学校令により簡易科を設置の上、「仁田学区簡易嵯峨小学校・簡易佐志賀小学校・簡易貝鮒小学校・簡易糸瀬小学校」となる。
- 1891年(明治24年)9月1日 - 尋常科を設置し「仁田学区尋常嵯峨小学校」と改称。佐志賀・貝鮒・糸瀬の簡易小学校3校を統合。
- 1893年(明治26年)4月1日 - 「嵯峨尋常小学校」となる。
- 1901年(明治34年)- 女子対象に裁縫科を設置。
- 1908年(明治41年)4月1日 - 島嶼町村制施行により、下県郡仁位村が発足し、その所管となる。義務教育延長に伴い、尋常科5年を設置。
- 1909年(明治42年)4月1日 - 尋常科6年を設置。
- 1913年(大正2年)11月 - 嵯峨779番地に校舎が完成。
- 1918年(大正7年)5月 - 加藤分教場を設置。
- 1921年(大正10年)5月 - 高等科を併置し、「嵯峨尋常高等小学校」に改称。
- 1925年(大正14年)7月 - 加藤分教場校舎を改築し、同運動場を拡張。
- 1926年(大正15年)4月 - 併置の嵯峨農業補習学校が青年訓練認定となる。
- 1929年(昭和4年)1月 - 講堂が完成。
- 1938年(昭和13年)7月 - 加藤分教場の校舎を増築。
- 1935年(昭和14年)6月1日 - 青年学校令により、併置の青年訓練認定嵯峨農業補習学校が嵯峨青年学校に改称。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令により、「仁位村立嵯峨国民学校」に改称。尋常科を初等科に改称。
- 1944年(昭和19年)3月 - 加藤分教場が分離の上、仁位村立加藤国民学校[12]として独立。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)。
- 旧・嵯峨国民学校の初等科が改組され、「仁位村立嵯峨小学校」となる。
- 旧・嵯峨国民学校の高等科および旧・嵯峨青年学校が改組され「仁位村立嵯峨中学校」(新制中学校)となり、小学校に併設。
- 1948年(昭和23年)4月1日 - 併設の嵯峨中学校が仁位村立仁位中学校[10]に統合。これにより併設を解消し、単独校となる。
- 1955年(昭和30年)3月20日 - 仁位村と奴加岳[11]村の合併により豊玉村が発足。これに伴い、「豊玉村立嵯峨小学校」に改称。
- この時の新村名募集で嵯峨小学校1年生が当選した。
- 1960年(昭和35年)7月 - JRCに加盟。
- 1965年(昭和40年)3月15日 - 嵯峨410番地に新校舎が完成。
- 1974年(昭和49年)3月31日 - 統合により閉校。
- 旧・鈴江小学校(すずえ)
- 1874年(明治7年)6月1日 - 「第五大学区第四中学区(大船越学区)佐保小学校」(さほ)が開校(文部省により正式に認可される)。当初の訓導は笠原養玄。
- 1875年(明治8年)3月4日 - 「第五大学区第四中学区仁位小学校佐保分校」となる。
- 1880年(明治13年)- 佐保分校から分離する形で「卯麦分校」が創立。
- 1883年(明治16年)- 「仁位学区公立中等仁位小学校下等佐保分校」・「仁位学区公立中等仁位小学校下等卯麦分校」となる。
- 1885年(明治18年)頃の名称 - 「仁田学区公立中等仁田小学校下等佐保分校・下等卯麦分校」
- 1886年(明治19年)- 小学校令により佐保分校を統合し、簡易科を設置の上「卯麦学区簡易卯麦小学校」となる(仁位学区から卯麦学区が分離)。
- 1891年(明治24年)9月1日 - 尋常科を設置し「卯麦学区尋常卯麦小学校」と改称。教育勅語謄本を下賜。
- 1893年(明治26年)4月1日 - 「卯麦尋常小学校」となる(「尋常」の位置が変わる)。
- 1895年(明治28年)4月 - 補習科(修業年限3ヶ年)を設置。
- 1901年(明治34年)- 補習科を廃止。
- 1902年(明治35年)
- 5月17日 - 佐保村字鈴江に新校舎を建設。
- 9月 - 「鈴江尋常小学校」に改称。
- 1908年(明治41年)4月1日 - 島嶼町村制施行により、下県郡奴加岳村が発足し、その所管となる。義務教育期間延長に伴い、尋常科5年を設置。
- 1909年(明治42年)4月1日 - 尋常科6年を設置。
- 1915年(大正4年)7月14日 - 鈴江農業補習学校が併置される。
- 1917年(大正6年)3月31日 - 奴加岳村青年団が発足。
- 1922年(大正11年)4月 - 高等科を併置し、「鈴江尋常高等小学校」に改称。
- 1924年(大正13年)
- 1月24日 - 国民精神作興ニ関スル詔書が下賜。
- 4月1日 - 本村中部女子青年団が発足。
- 1926年(大正15年)4月 - 併置の鈴江農業補習学校が青年訓練認定となる。
- 1931年(昭和6年)7月25日 - 鈴江少年団を結成。
- 1933年(昭和8年)1月1日 - 後援会が発足。
- 1935年(昭和10年)10月6日 - 新校舎が完成。
- 1939年(昭和14年)6月1日 - 青年学校令により、併置の青年訓練認定鈴江農業補習学校が鈴江青年学校に改称。
- 1941年(昭和16年)
- 4月1日 - 国民学校令により、「奴加岳村立鈴江国民学校」に改称。尋常科を初等科に改称。
- 6月4日 - 鈴江青年学校が奴加岳高等実業青年学校として独立。併設を解消。
- 1944年(昭和19年)7月28日 - 奉安殿下の退避壕が完成。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)。
- 旧・鈴江国民学校の初等科が改組され、「奴加岳村立鈴江小学校」となる。
- 旧・鈴江国民学校の高等科および旧・鈴江青年学校が改組され「奴加岳村立鈴江中学校」(新制中学校)となり、小学校に併設。
- 1948年(昭和23年)9月20日 - 育成会(PTA)が発足。
- 1951年(昭和26年)10月14日 - ルース台風により、中学校校舎(旧・高等実業青年学校)が半壊。
- 1953年(昭和28年)4月3日 - 校舎を増築。
- 1955年(昭和30年)3月20日 - 仁位村と奴加岳村の合併により豊玉村が発足。これに伴い、「豊玉村立鈴江小学校」に改称。
- 1957年(昭和32年)4月1日 - 併設の鈴江中学校が豊玉村立仁位中学校[10]に統合。これにより併設を解消し、単独校となる。
- 1960年(昭和35年)7月 - JRCに加盟。
- 1963年(昭和38年)11月6日 - ミルク給食を開始。
- 1973年(昭和48年)11月11日 - 創立100周年記念式典を挙行。
- 1974年(昭和49年)3月31日 - 統合により閉校。
- 豊玉小学校
- 1974年(昭和49年)4月1日 - 豊玉村立小学校3校(仁位・嵯峨・鈴江)を統合し、「豊玉村立豊玉小学校」が開校。
- 1975年(昭和50年)4月1日 - 町制施行にともない、「豊玉町立豊玉小学校」に改称。
- 1976年(昭和51年)3月 - 体育館が完成。校歌・校章を制定。
- 1977年(昭和52年)2月 - ヒトツバタゴ等の樹木を旧・仁位小学校校地から移植。
- 1980年(昭和55年)3月 - 架橋のために校門を移設。
- 1984年(昭和59年)4月 - 校訓を「和」から「洗心」に変更。
- 2004年(平成16年)3月1日 - 対馬市の発足に伴い、「対馬市立豊玉小学校」(現校名)となる。
- 2015年(平成27年)4月1日 - 対馬市立塩浦小学校(北緯34度23分14.0秒 東経129度21分4.2秒 / 北緯34.387222度 東経129.351167度)を統合。
- 2021年(令和3年)4月1日 - 対馬市立小綱小学校を統合。
- 2022年(令和4年)4月1日 - 対馬市立南小学校を統合[13]。
- 2023年(令和5年)4月1日 - 対馬市立乙宮小学校を統合。
アクセス
[編集]- 最寄りのバス停
- 最寄りの道路
周辺
[編集]- 長崎県立豊玉高等学校
- 対馬市立豊玉中学校
- 対馬市立比田勝幼稚園
- 仁位へき地保育所
- 対馬振興局道路課仁位駐在
- 対馬市役所中対馬振興部・対馬市議会(旧・豊玉地域活性化センター、旧・豊玉町役場)
- 対馬南警察署豊玉警察官駐在所
- 対馬市消防本部豊玉出張所
- 豊玉診療所・福祉センター
- 豊玉郵便局
- JA対馬中対馬支店
- 対馬地区家畜診療所
参考文献
[編集]- 「豊玉町誌」(1992年(平成4年)3月発行, 豊玉町役場)p.771 ~ p.778
脚注
[編集]- ^ a b 対馬市発足前は「とよたまちょう」と読まれていたが、対馬市発足後は「とよたままち」と読まれるようになった。
- ^ 読みは「せんしん」。意味は「平常心で過ごすこと」。
- ^ 対馬市立小・中学校の通学区域の設定に関する規則 - 対馬市ウェブサイト
- ^ 地区の読み方に関しては日本郵便ウェブサイトの郵便番号検索を参照。
- ^ 長崎区が第一中学区、旧大村藩が第二学区、旧島原藩が第三学区、旧平戸藩が第四学区、旧福江藩が第五中学区。なお壱岐と対馬は第四中学区に属した。
- ^ 読みは「かし」。意味は「目上の者から受け取ること」。
- ^ 旧・補習科1・2年に新・尋常科5・6年が充てられたため。
- ^ 旧・豊玉地域活性化センター、旧・対馬市役所豊玉支所、旧・豊玉町役場。
- ^ 2004年(平成16年)の対馬市発足時に廃止された長崎地方法務局対馬支局豊玉出張所(登記所)があった場所。
- ^ a b c 仁位中学校は1955年(昭和30年)に豊玉村立仁位中学校、1975年(昭和50年)に豊玉町立仁位中学校になった後、1976年(昭和51年)に乙宮中学校・小綱中学校・塩戸中学校と統合され、豊玉町立豊玉中学校となった。
- ^ a b 読みは「ぬかだけ」。
- ^ 1947年(昭和22年)の学制改革で「仁位村立加藤小学校」となり、1955年(昭和30年)に「豊玉村立加藤小学校」に改称、1971年(昭和46年)に豊玉村立唐洲小学校と統合され、豊玉村立南小学校(現・対馬市立南小学校)となった。
- ^ 広報つしま2021年10月号p.2「佐須中学校・南小学校最後の運動会を満喫」 (PDF) - 対馬市ウェブサイト