寺西成騎
オリックス・バファローズ #13 | |
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基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 石川県能美郡根上町(現:能美市) |
生年月日 | 2002年10月18日(22歳) |
身長 体重 |
185 cm 86 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2024年 ドラフト2位 |
年俸 | 1100万円(2025年)[1] |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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寺西 成騎(てらにし なるき、2002年10月18日 - )は、石川県能美郡根上町(現:能美市)出身[2]のプロ野球選手(投手)。右投右打。オリックス・バファローズ所属。
経歴
プロ入り前
能美市立浜小学校で3年生の時に根上学童野球クラブで野球を始める。能美市立根上中学校では軟式野球部に所属し、3年時にはBFA U-15アジア選手権の日本代表に選出された[3][4]。その時のチームメイトには内山壮真(東京ヤクルトスワローズ)、根本悠楓、山城航太郎(ともに北海道日本ハムファイターズ)、平尾柊翔(くふうハヤテベンチャーズ静岡)がいる。
星稜高等学校に進学し、1年春からベンチ入り。同年夏の第100回全国高等学校野球選手権記念大会、2年春の第91回選抜高等学校野球大会、夏の第101回全国高等学校野球選手権大会に控え投手として出場した。2年夏に右肩の肩関節唇を損傷し、3年春に手術を受けた[5]。同年は新型コロナウイルスの影響で公式戦が中止となり、県で行われた独自大会でも登板はなかった。同学年に内山壮真、1学年上に奥川恭伸、山瀬慎之助がいた。
高校卒業後は日本体育大学へ進学。投手コーチ辻孟彦からの「1、2年生は投げなくてもいい。4年生でピークを持ってきてプロに行こう。」という助言のもと、1、2年時は右肩のリハビリやトレーニングに専念した[5]。3年春のリーグ戦で実戦復帰し、リーグ最多となる5勝、防御率0.31を記録した[5]。4年時の2024年にはハーレムベースボールウィークの日本代表に選出された[4]。
2024年10月24日に開催されたドラフト会議にて、オリックス・バファローズから2位指名を受けた[2]。11月25日、契約金7000万円、年俸1100万円で入団に合意した(金額は推定)[1]。背番号は13[6]。担当スカウトは小林敦[7]。
選手としての特徴
最速153km/hの質のいいストレートを中心[8]に縦スライダー、カットボール、フォーク、カーブを投げ分ける[9]。
家族
3歳上の兄・建も野球選手で、星稜高等学校時代に第98回全国高等学校野球選手権大会に出場した。
詳細情報
背番号
- 13(2025年[6] - )
代表歴
脚注
- ^ a b 「【オリックス】ドラフト2位・寺西成騎が仮契約「何をしたら、そんなに大きくなるのか」同学年の右腕に興味津々」『スポーツ報知』2024年11月25日。2025年1月22日閲覧。
- ^ a b 「【速報】星稜高校OB 日体大・寺西成騎投手 ・オリックスが2位指名 プロ野球ドラフト会議2024」『TBS NEWS DIG』2024年10月24日。2024年10月26日閲覧。
- ^ 「寺西成騎(オリックス・バファローズ)」『週刊ベースボールONLINE』。2025年1月22日閲覧。
- ^ a b 「寺西 成騎|大学」『野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト』。2024年10月26日閲覧。
- ^ a b c 「【ドラフト】手術で“3年登板なし”からリーグトップ“防御率0.31”へ 元スーパー中学生の日体大・寺西成騎が吉報待つ」『TBS NEWS DIG』2024年10月23日。2024年10月26日閲覧。
- ^ a b 「【オリックス】24年ドラフト新人選手の背番号発表 1位麦谷祐介は「8」2位寺西成騎は「13」」『日刊スポーツ』2024年11月29日。2025年1月22日閲覧。
- ^ 「【オリックス】ドラ2寺西成騎「奥川さんよりも活躍したい」真っすぐ磨いて星稜の先輩越え宣言」『日刊スポーツ』2024年10月29日。2025年1月22日閲覧。
- ^ 「日体大・國學院大 ドラフト指名に歓喜 寺西投手、坂口投手」『タウンニュース』2024年10月31日。2024年11月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年11月30日閲覧。
- ^ 「日ハムなど複数球団注目の怪我からの完全復活を遂げた最速153km右腕!寺西成騎/日本体育大【ドラフト候補2024】」『ラブすぽ』2024年10月4日。2024年11月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年11月30日閲覧。