富士見台 (名古屋市)
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富士見台 | |
---|---|
北緯35度10分53.05秒 東経136度58分16.66秒 / 北緯35.1814028度 東経136.9712944度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 愛知県 |
市町村 | 名古屋市 |
区 | 千種区 |
町名制定[1] | 1960年(昭和35年)3月20日 |
面積 | |
• 合計 | 0.23078883 km2 |
人口 | |
• 合計 | 2,993人 |
• 密度 | 13,000人/km2 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
464-0015[WEB 3] |
市外局番 | 052 (名古屋MA)[WEB 4] |
ナンバープレート | 名古屋 |
富士見台(ふじみだい)は、愛知県名古屋市千種区の地名。現行行政地名は富士見台1丁目から富士見台5丁目[WEB 1]。住居表示未実施[WEB 5]。
地理
[編集]名古屋市千種区北東部に位置する[2]。西は揚羽町、南は希望ケ丘・鹿子殿・平和公園一丁目、北は御影町、北東は光が丘二丁目に接する[2]。
歴史
[編集]地名の由来
[編集]富士山が見えることを望んでつけられたという説と、実際に冬晴れの日には遠望できたことによるという説がある[3]。
沿革
[編集]- 1960年(昭和35年)3月20日 - 千種区鍋屋上野町の一部により、同区富士見台として成立[1]。
- 1981年(昭和56年)9月20日 - 千種区田代町の一部を編入[1]。
- 1984年(昭和59年)12月3日 - 一部が光が丘二丁目に編入される[4]。また、同時に一部が名東区平和が丘一丁目に編入される[5]。
- 1986年(昭和61年)11月17日 - 一部が鹿子殿に編入される[6]。
世帯数と人口
[編集]2019年(平成31年)1月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[WEB 2]。
町丁 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
富士見台 | 1,099世帯 | 2,993人 |
人口の変遷
[編集]国勢調査による人口の推移
1960年(昭和35年) | 279人 | [7] | |
1965年(昭和40年) | 898人 | [7] | |
1970年(昭和45年) | 1,345人 | [8] | |
1975年(昭和50年) | 1,406人 | [8] | |
1980年(昭和55年) | 1,316人 | [9] | |
1985年(昭和60年) | 1,203人 | [9] | |
1990年(平成2年) | 1,240人 | [10] | |
1995年(平成7年) | 1,392人 | [11] | |
2000年(平成12年) | 2,121人 | [WEB 6] | |
2005年(平成17年) | 2,124人 | [WEB 7] | |
2010年(平成22年) | 2,700人 | [WEB 8] | |
2015年(平成27年) | 2,782人 | [WEB 9] |
学区
[編集]市立小・中学校に通う場合、学校等は以下の通りとなる[WEB 10]。また、公立高等学校に通う場合の学区は以下の通りとなる[WEB 11]。
番・番地等 | 小学校 | 中学校 | 高等学校 |
---|---|---|---|
全域 | 名古屋市立富士見台小学校 | 名古屋市立千種台中学校 | 尾張学区 |
施設
[編集]- 真言宗豊山派の寺院[12]。1388年(至徳5年)、恵龍により與楽寺として海東郡萩原村(一説には愛知郡御器所村)に創建された[12]。清須越しの寛永年間に名古屋伊倉町に移転し、医王寺と改めた[12]。1945年(昭和20年)3月19日の名古屋大空襲により焼失し、戦後、千種区希望ヶ丘2-6-22に移転[12]。1957年(昭和32年)11月8日、境内に自由ヶ丘幼稚園を設立[12]。さらに1966年(昭和41年)には猪子石八幡に第二自由ヶ丘幼稚園、1979年(昭和54年)猪子石宮根に第三自由ヶ丘幼稚園をそれぞれ展開している[12]。1996年(平成8年)、富士見台に移転[WEB 12]。
その他
[編集]日本郵便
[編集]脚注
[編集]WEB
[編集]- ^ a b “愛知県名古屋市千種区の町丁・字一覧”. 人口統計ラボ. 2016年1月29日閲覧。
- ^ a b “町・丁目(大字)別、年齢(10歳階級)別公簿人口(全市・区別)”. 名古屋市 (2019年1月23日). 2019年1月23日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2019年1月6日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2019年1月6日閲覧。
- ^ 名古屋市役所市民経済局地域振興部住民課町名表示係 (2015年10月21日). “千種区の町名一覧”. 名古屋市. 2016年1月29日閲覧。
- ^ 名古屋市役所総務局企画部統計課統計係 (2005年7月1日). “(刊行物)名古屋の町(大字)・丁目別人口 (平成12年国勢調査) (8)千種区(第1表から第3表)” (xls). 2015年10月15日閲覧。
- ^ 名古屋市役所総務局企画部統計課統計係 (2007年6月27日). “(刊行物)名古屋の町(大字)・丁目別人口 (平成17年国勢調査) (8)千種区(第1表から第3表)” (xls). 2015年10月15日閲覧。
- ^ 名古屋市役所総務局企画部統計課統計係 (2012年4月22日). “(刊行物)名古屋の町(大字)・丁目別人口 (平成22年国勢調査) (8)千種区(第1表から第3表)” (xls). 2015年10月15日閲覧。
- ^ 名古屋市役所総務局企画部統計課統計係 (2017年7月7日). “(刊行物)名古屋の町(大字)・丁目別人口 (平成27年国勢調査) (1)千種区(第1表から第3表)” (xls). 2018年3月7日閲覧。
- ^ “市立小・中学校の通学区域一覧”. 名古屋市 (2018年11月10日). 2019年1月14日閲覧。
- ^ “平成29年度以降の愛知県公立高等学校(全日制課程)入学者選抜における通学区域並びに群及びグループ分け案について”. 愛知県教育委員会 (2015年2月16日). 2019年1月14日閲覧。
- ^ “東光山 医王寺”. 東光山 医王寺. 2022年6月15日閲覧。
- ^ 郵便番号簿 平成29年度版 - 日本郵便. 2019年01月06日閲覧 (PDF)
書籍
[編集]- ^ a b c 名古屋市計画局 1992, p. 729.
- ^ a b c d e 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1989, p. 1470.
- ^ 名古屋市計画局 1992, p. 119.
- ^ 名古屋市計画局 1992, p. 730.
- ^ 名古屋市計画局 1992, p. 866.
- ^ 名古屋市計画局 1992, p. 732.
- ^ a b 名古屋市総務局企画部統計課 1967, p. 66.
- ^ a b 名古屋市総務局統計課 1977, p. 41.
- ^ a b 名古屋市総務局統計課 1986, p. 14.
- ^ 名古屋市総務局企画部統計課 1991, p. 8.
- ^ 名古屋市総務局企画部統計課 1996, p. 8.
- ^ a b c d e f 愛知県史誌出版協会編集事務局 1986, p. 1.
参考文献
[編集]- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 23 愛知県』角川書店、1989年3月8日。ISBN 4-04-001230-5。
- 名古屋市計画局『なごやの町名』名古屋市計画局、1992年3月31日。
- 愛知県史誌出版協会編集事務局 編『愛知県歴史全集・寺院篇』愛知県史誌出版協会、1986年7月31日。
統計資料
[編集]- 名古屋市総務局企画部統計課 編『昭和41年版 名古屋市統計年鑑』名古屋市、1967年。
- 名古屋市総務局統計課 編『昭和51年版 名古屋市統計年鑑』名古屋市、1977年。
- 名古屋市総務局統計課 編『昭和60年国勢調査 名古屋の町・丁目別人口(昭和60年10月1日現在)』名古屋市役所、1986年。
- 名古屋市総務局企画部統計課 編『平成2年国勢調査 名古屋の町(大字)別・年齢別人口(平成2年10月1日現在)』名古屋市役所、1994年。
- 名古屋市総務局企画部統計課 編『平成7年国勢調査 名古屋の町(大字)・丁目別人口(平成7年10月1日現在)』名古屋市役所、1996年。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- ウィキメディア・コモンズには、富士見台 (名古屋市)に関するカテゴリがあります。
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