宇喜多秀道
表示
時代 | 江戸時代中期 - 後期 |
---|---|
生誕 | 生年不詳 |
死没 | 文政6年1月19日(1823年3月1日) |
別名 | 通称:権左衛門、儀八、孫九郎、半七 |
戒名 | 唯念道悟信士 |
氏族 | 宇喜多氏 |
父母 |
父:浮田継了、母:不詳 養父:宇喜多秀徳 |
兄弟 | 秀道、秀美、浮田福三郎、浮田仙之助、浮田仙吉、浮田留助、浮田留次郎、浮田作吉、浮田清太郎、浮田民五郎、ハナミヤ、クスイリ(ヒラ)、トシ、ナカ、シマ、セキ |
妻 | イマ(宇喜多秀徳の娘)、カユ、テゴ |
子 | 浮田継朔、浮田勇松、浮田儀三郎、ハン(作之丞の室)、フサヨシ(儀八市兵衛の室) |
宇喜多 秀道(うきた ひでみち)は、江戸時代中期から後期の人物。浮田半六家の当主浮田継了の長男。
生涯
[編集]八丈島の宇喜多7家の1つ、浮田半六家の当主継了の長男として生まれる。
宇喜多本家(孫九郎家)の当主宇喜多秀徳の婿養子となり孫九郎家を継ぐ。
後に、本家の家督を弟秀美に譲り、自らは実家に戻り浮田半六家の家督を継ぐ。
参考文献
[編集]- 立石定夫『戦国宇喜多一族』(新人物往来社、1988年)ISBN 978-4-404-01511-2
- 近藤富蔵『八丈実記 第1巻-第7巻』緑地社、1964-1976。