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天皇・皇后と日清戦争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
天皇・皇后と日清戦争
『天皇・皇后と日清戦争』パンフレット表紙
監督 並木鏡太郎
脚本 館岡謙之助
製作 山梨稔
製作総指揮 大蔵貢
出演者 嵐寛寿郎
阿部九洲男
信夫英一
江川宇禮雄
高田稔
丹波哲郎
音楽 江口夜詩
撮影 山中晋
公開 日本の旗 1958年3月14日
上映時間 121分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
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天皇・皇后と日清戦争』(てんのうこうごうとにっしんせんそう)は、新東宝が製作し、1958年(昭和33年)3月14日に封切り公開した日本の戦争映画

あらすじ

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1894年(明治27年)7月に起こった豊島沖海戦によって日清両国の緊張は頂点に達し、双方とも8月1日に宣戦を布告。近代化を進めていた日本と大国の清との戦いは日本側の有利で進むが、両国だけの問題ではすまず、列強は戦争の結果に干渉した。

概要・エピソード

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日本の命運をかけた日清戦争に対する明治天皇の姿を描く大作映画。本作公開翌年の1959年(昭和34年)には、『明治大帝と乃木将軍』(小森白監督)が製作され、前作の『明治天皇と日露大戦争』、本作『天皇・皇后と日清戦争』と合わせ、天皇を描いたシリーズ三部作となっている。

前年の1956年(昭和31年)、経営不振の新東宝は、周りの反対を押し切った大蔵貢社長の指揮の下、製作費2億円をかけ、初めて銀幕に明治天皇を描いた超大作映画『明治天皇と日露大戦争』(渡辺邦男監督)を公開し、記録的大ヒットを飛ばして一気に負債を返済しており[1]、 これに味をしめた大蔵社長が、柳の下の泥鰌を狙って矢継ぎ早に続く本作を企画したと言われた[2]。 だが、製作も務めた新東宝専務の山梨稔は、もともと「王政復古」「日清戦争」「日露戦争」「軍神山本元帥と連合艦隊」「終戦秘話と国際裁判」などの題材を順に映画化し、日本の歴史を描いてゆく企画であったが、順序を違えて「日露戦争」が製作されただけだとして、二匹目の泥鰌を狙ったものではないと否定している[2][注釈 1]

大蔵貢新東宝社長(右)と明治天皇に扮した嵐寛寿郎(左)

前作に続き明治天皇役を嵐寛寿郎に依頼。が、皇后役に愛人である高倉みゆきをあてたため、アラカンはこれに反発。「昭憲皇太后こんな人やない、まるでイメエジ違う」と意見したところ、大蔵社長はこれに激怒、「ワシの女やから気品がないというのか? よし、見ておれ!」と強引にこれを起用している[3]

前作で弱かった女性客の取り込みに注力しており、昭憲皇太后赤十字活動のエピソード、出征する若い兵士達と家族の情愛、兵士同士の朋友愛などを織り交ぜ、前作に比して個人の人間性をクローズアップした作りになっている[2]

キャスト

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スタッフ

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  • 監督 - 並木鏡太郎
  • 製作 - 山梨稔
  • 企画 - 伊藤基彦
  • 原作 - 大蔵貢
  • 脚本 - 館岡謙之助
  • 撮影 - 山中晋
  • 美術 - 加藤雅俊
  • 音楽 - 江口夜詩
  • 総指揮 - 大蔵貢

映像ソフト

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  • 2001年7月25日にDVDが発売された[4]
  • 2002年には、『明治天皇と日露大戦争』『明治大帝と乃木将軍』を同時収録したDVD-BOX『新東宝名画傑作選DVD-BOX3 明治天皇3部作』が発売された[5]
※ 上記のほか、クラリオンソフトが「新東宝名画シリーズ」の一作としてVHSビデオ化したが、表題のみ「明治大帝と日清戦争」 と改めて発売された[1][2]。 

出典

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  1. ^ 『幻の怪談映画を追って』(山田誠二、洋泉社)
  2. ^ a b c d 山梨稔「「天皇、皇后と日清戦争」製作にあたって」『キネマ旬報』No.198 3月上旬号、3-1、118頁。 
  3. ^ 『聞書アラカン一代 - 鞍馬天狗のおじさんは』(竹中労、白川書院)
  4. ^ 「綴込特別付録 宇宙船 YEAR BOOK 2002」『宇宙船』Vol.100(2002年5月号)、朝日ソノラマ、2002年5月1日、170頁、雑誌コード:01843-05。 
  5. ^ 「DVD & VIDEO Selection」『宇宙船』Vol.100(2002年5月号)、朝日ソノラマ、2002年5月1日、102頁、雑誌コード:01843-05。 

注釈

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  1. ^ 山梨の言う「企画」がいつなされたものかは不明だが、明治天皇3部作以外に大蔵貢のもとで『日本敗れず』(1954)『軍神山本元帥と連合艦隊』(1956)『重臣と青年将校 陸海軍流血史』(1958)『大東亜戦争と国際裁判』(1959)『皇室と戦争とわが民族』(1960)が製作されている。山梨は、所謂エログロ映画を製作する一方で、「六社の中で一番貧しいと言われた新東宝」がこの様な「民族的歴史映画」を製作していることの意義を強調[2]している

外部リンク

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