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大里 (北九州市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大里
御所神社 (安徳天皇の柳の御所比定地)
御所神社 (安徳天皇の柳の御所比定地)
大里の位置(北九州市内)
大里
大里
大里の位置
大里の位置(福岡県内)
大里
大里
大里 (福岡県)
北緯33度54分14.42秒 東経130度55分59.95秒 / 北緯33.9040056度 東経130.9333194度 / 33.9040056; 130.9333194
日本
都道府県 福岡県
市町村 北九州市
門司区
等時帯 UTC+9 (JST)
郵便番号
800-0014
市外局番 093
ナンバープレート 北九州
※座標は門司駅正面
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大里(だいり)は、福岡県北九州市門司区地名および地域名。門司区の南西部に位置する。かつては内裏(だいり)であったが、享保年間(1716年1736年)に大里に変更された。

概要

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JR九州鹿児島本線門司駅周辺の市街地を指す。関門海峡の大瀬戸に面し、背後には戸ノ上山(517.8m)がそびえる。鹿児島本線の海側を国道199号、山側を国道3号がそれぞれ平行して通っている。また、山の麓に沿って北九州高速4号線が通っており、地内に大里出入口がある。

もとは豊前国企救郡大里村。関門海峡の九州側上陸地点は、門司関(旧門司・楠原)だと陸路が長くなってしまうため、大里や赤坂になることが多かった。長崎に向かう日本二十六聖人も大里に上陸している。

江戸時代は小倉藩富野手永に属した。長崎街道唐津街道・中津街道などの基点は小倉城下の常盤橋だが、大里まで門司往還(参勤交代往還路)が伸びていた。大里村の地内は村方と町方に分かれており、大里町とも称された町方は九州最北端の宿場町として繁栄した。

大里村は1887年明治20年)に二十町村、柳村、東原町村、馬寄村、新町村と合併して柳ヶ浦村となった。柳ヶ浦村は1908年(明治41年)12月1日町制を施行して大里町と改称した。また、1891年(明治24年)に開業した柳ヶ浦駅も大里駅と呼ばれることが多く、1908年に正式に大里駅と改称された。

1903年(明治36年)に鈴木商店の基幹工場の一つ、大里製糖所(現・関門製糖[1] が設立されたことを皮切りに、1911年(明治44年)に鈴木商店の大里製粉所(現・日本製粉[2] や九州電線(現・古河電工)、1912年(明治45年)に帝国麦酒(現・サッポロビール)、1914年大正3年)に大里酒精製造所(現・ニッカウヰスキー株式会社門司工場)、1917年(大正6年)に株式会社神戸製鋼所門司工場(現・神鋼メタルプロダクツ)などが設立され、大里は明治・大正期以降、鈴木商店系企業を核に、日本を代表する工場集積地の一つとして繁栄した。

大里町は1923年大正12年)2月1日門司市に編入された。また、大里駅は1942年昭和17年)の関門鉄道トンネル開通に合わせて門司駅と改称された。

地名の由来

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内裏(現・大里)という地名は、1183年寿永2年)、この地に安徳天皇御所(柳の御所)があったことに由来する。現在御所神社があるあたり[3] が、柳の御所比定地になっている。享保の頃、この地に海賊が出没し、内裏の海に血を流すのは恐れ多いとして大里に変更された[4]1902年(明治35年)、明治天皇九州行幸のさい、御所神社の社殿が明治天皇の休憩場所に使われた。安徳天皇の慰霊が目的だったとされる。

歴史

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門司駅 (旧・大里駅)
門司赤煉瓦プレイス(旧・帝国麦酒)

主な施設

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ギャラリー

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脚注

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関連項目

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外部リンク

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