浅野 (北九州市)
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浅野 | |
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浅野の街並み(国道199号) | |
北緯33度53分17.72秒 東経130度53分4.83秒 / 北緯33.8882556度 東経130.8846750度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 福岡県 |
市町村 | 北九州市 |
区 | 小倉北区 |
等時帯 | UTC+9 (JST) |
郵便番号 |
802-0001 |
市外局番 | 093 |
ナンバープレート | 北九州 |
浅野(あさの)は福岡県北九州市小倉北区の地名。現行行政町名は浅野一丁目から浅野三丁目。郵便番号は802-0001。
地理
[編集]浅野は北・西・東の3方を海(関門海峡〈響灘〉)と川(紫川・砂津川)に囲まれ、南はJR線(山陽新幹線・鹿児島本線・日豊本線)によって隔てられている。小倉駅新幹線口(旧名称、北口)付近にあたる。地内を国道199号が東西に横切る。大半が埋立地である。西日本総合展示場(見本市会場)、北九州国際会議場、ホテルのコンベンション3点セットが立地し、北九州市のコンベンションゾーンを形成する。
歴史
[編集]- 1931年(昭和6年)7月 - 浅野財閥創始者浅野総一郎により設立された小倉築港(後の小倉興産)が、小倉地先公有水面埋立竣工地の所有権とともに未竣工の385,002m2の埋立免許権を浅野小倉製鋼所(後の住友金属工業、現・日本製鉄)から譲り受け、埋立を開始。
- 1948年(昭和23年)7月 - 小倉豊楽園球場が開設される(1957年(昭和32年)10月閉鎖)。
- 1958年(昭和33年)3月 - 小倉駅が現在地に移転・開業。
- 1971年(昭和46年) - 浅野町に新魚町と船町の一部を併合して住居表示を実施、現在の「浅野」という地名になった。[1]
- 1975年(昭和50年)3月 - 山陽新幹線開通。
- 1979年(昭和54年)3月 - KMMビル(小倉興産6号館、地下1階・9階建、延床面積25,411.58m²)が建設される。
- 1977年(昭和52年)5月 - 西日本総合展示場が開設される。
- 1990年(平成2年)10月 - 北九州国際会議場が開設される。
- 1993年(平成5年)4月
- 1998年(平成10年)4月 - アジア太平洋インポートマート(AIM)が開設される。
- 2012年4月 - あるあるCityオープン。
- 2012年10月 - あさの汐風公園、西日本総合展示場が第7回B-1グランプリの「シーサイド会場」となる。
- 2017年(平成29年)2月 - ミクニワールドスタジアム北九州開場。
交通
[編集]鉄道
[編集]小倉駅が設置されている。
バス
[編集]- 西鉄バス北九州 小倉駅新幹線口・浅野二丁目・小倉記念病院
道路
[編集]- 国道199号
- 市道浅野1号線(通称:タコマ通り)
- 福岡県道37号小倉港線
航路
[編集]施設
[編集]商業施設
[編集]宿泊施設
[編集]- JR九州ステーションホテル小倉(駅ビル内)
- リーガロイヤルホテル小倉
- JR九州ホテル小倉
- コンフォートホテル小倉北口
- アパホテル小倉駅前(旧ブルーウェーブイン小倉)
- 東横イン小倉駅北口
- 小倉ベイホテル第一
教育機関
[編集]その他
[編集]- 浅野埠頭(松山観光港、藍島・馬島行き)
- 西日本総合展示場
- 北九州国際会議場
- アジア太平洋インポートマート(AIM)
- 国土交通省九州地方整備局関門航路事務所
- 小倉記念病院
- ミクニワールドスタジアム北九州…ギラヴァンツ北九州本拠地(2017年 - )[3]
脚注
[編集]- ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会 『角川日本地名大辞典 40 福岡県』 角川書店、1988年
- ^ 海の橋「紫川大橋」(北九州市、2012年4月28日閲覧)
- ^ 基本方針【平成22年11月17日策定】 - 北九州市市民文化スポーツ局文化スポーツ部スポーツ振興課
関連項目
[編集]座標: 北緯33度53分17.72秒 東経130度53分4.83秒 / 北緯33.8882556度 東経130.8846750度