大井川港
大井川港 | |
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所在地 | |
国 | 日本 |
所在地 | 静岡県焼津市 |
詳細 | |
種類 | 地方港湾 |
統計 | |
公式サイト | 建設部大井川港管理事務所 (焼津市) |
大井川港(おおいがわこう)は、静岡県焼津市(旧志太郡大井川町)にある市営の地方港湾。港湾管理者は大井川港管理事務所。主な取扱貨物は石油で、貨物取扱量は静岡県内で3位。一帯は2014年(平成26年)11月7日にみなとオアシスに登録していて、大井川港港湾会館を代表施設とするみなとオアシスおおいがわとして交流拠点ともなっている。
地理
[編集]歴史
[編集]- 1960年(昭和35年)6月2日 - 大井川左岸河口に砂利運搬港の建設と骨材選別工場、コンクリート二次製品製造工場の進出を計画している大都工業株式会社と大井川町の間で用地買収計画に関する契約を締結。大井川町は静岡県に対し港湾建設認可申請を行うと共に用地買収に着手。[1]
- 1962年(昭和37年)1月 - 完成後の港湾施設を大井川町へ寄附により地方港湾化すること、骨材搬出については単独企業ではなく大手十数社を主体とする会社設立を条件に、静岡県が港湾区域認可[2]
- 1963年(昭和38年)[3]
- 1964年(昭和39年)[5]
- 1965年(昭和40年)5月20日 - 町営大井川港開港式
- 1967年(昭和42年)3月 - 大井川港振興会発足
- 1968年(昭和43年)
- 4月27日 - 大井川港振興会館が竣工
- 7月 - 国の第三次港湾整備五ヶ年計画の新規改修港湾として採択
- 1969年(昭和44年) - 木材・コンクリートなど荷役開始
- 1977年(昭和52年)4月15日 - 初の外国貨物船(パナマ船籍)入港[6]
- 1980年(昭和55年) - 海岸堤防及び緑地公園竣工
- 2008年(平成20年) - 焼津市との合併で市営港となる。
土地取得問題
[編集]大井川港は民間の砂利販売業者である海運建材株式会社が、自ら所有する大井川河口沿いの土地から砂利を採取し、それによって生じた新たな海面を利用して砂利を船積み出荷するという過程で形成された湾状地形をもとに、約10億円の予算で築港整備され、旧大井川町に寄付されて正式に港湾化したという特異な設立経緯を持っている。そのため、大井川港が存在する海面は元々は陸地であり、同社が所有する私有地であったという事でもある。
海運建材は旧大井川町に寄付を行う際に、元々陸地であった私有地約47000平米分の土地代を立替えるように町側に要請するも、当時の町長が海底面は既に土地ではないので、所有権もないという見解を示した[注釈 2]ことから、その後45年余りにわたり、公有の港湾でありながら湾内の海底に私有地が残る特異な状況が発生していた。
2008年、旧焼津市と旧大井川町が合併したことで新焼津市長は事態の解決に乗り出し、海運建材から競売で海底面を取得していた業者との裁判所での調停の末に、約2400万円で土地を買い取る事となった。しかし、前述のとおり「海底面は既に土地ではなく、所有権もない」という原則通り、この「用地買収」によって、それまで陸地として登記されていた土地が海底と認定され、正式に所有権も面積の項目も登記簿上から消滅するという事が確定。用地買収の結果、市の面積が減少したという結果に終わる珍事となった。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 大都工業、西武鉄道、小田急砂利、相模鉄道、安倍川開発、田村石材、第一石産、利根興産、織戸組、相模興産、東武鉄道、川村組、川村建設、工栄工業、馬上
- ^ しかしこの見解を巡っての民事訴訟では、司法側はこの海底面はまだ私有地であるとの判決を下し、この時点ではこの原則は適用されなかった。
出典
[編集]- ^ 大井川町史編纂委員会 編『大井川町史 下巻』大井川町、1992年3月31日、608-610頁。
- ^ 五月会「静岡県の土木史」編纂委員会 編『静岡県の土木史』五月会、1985年5月25日、1030頁。
- ^ 『県政概要 昭和38年版』静岡県、1964年3月25日、2-3頁。
- ^ 大井川町史編纂委員会 編『大井川町史 下巻』大井川町、1992年3月31日、609-610頁。
- ^ 大井川町史編纂委員会 編『大井川町史 下巻』大井川町、1992年3月31日、610,1057頁。
- ^ 大井川町史編纂委員会 編『大井川町史 下巻』大井川町、1992年3月31日、1059頁。
外部リンク
[編集]座標: 北緯34度46分40.5秒 東経138度17分42.2秒 / 北緯34.777917度 東経138.295056度