境野駅
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境野駅 | |
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駅舎(2005年8月) | |
さかいの Sakaino | |
◄豊住 (2.8 km) (1.8 km) 西訓子府► | |
所在地 | 北海道常呂郡置戸町字境野 |
所属事業者 | 北海道ちほく高原鉄道 |
所属路線 | ふるさと銀河線 |
キロ程 | 116.6 km(池田起点) |
電報略号 | サノ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面1線 |
開業年月日 | 1922年(大正11年)8月1日[1] |
廃止年月日 | 2006年(平成18年)4月21日 |
備考 | ふるさと銀河線廃線に伴い廃駅 |
境野駅(さかいのえき)は、北海道常呂郡置戸町字境野にあった北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線の駅(廃駅)である。国鉄・JR北海道池北線時代の電報略号はサノ。事務管理コードは▲120503[3]。
歴史
[編集]年表
[編集]- 1922年(大正11年)8月1日:鉄道省網走本線の置戸駅 - 訓子府駅間に新設開業[4][5][6]。一般駅[4]。
- 1949年(昭和24年)6月1日:公共企業体である日本国有鉄道に移管。
- 1961年(昭和36年)4月1日:網走本線のうち、池田 - 北見間を池北線に改称。同線所属となる。
- 1975年(昭和50年)12月25日:貨物取扱い廃止[1]。
- 1984年(昭和59年)2月1日:荷物取扱い廃止[1]。
- 1986年(昭和61年)11月1日:無人化[7]。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により北海道旅客鉄道に継承[1]。
- 1989年(平成元年)6月4日:北海道ちほく高原鉄道に転換[1]。
- 2006年(平成18年)4月21日:ふるさと銀河線廃線により廃止。
駅名の由来
[編集]付近にオケト原野とクンネップ原野の境をなすことから「境川」と称されていた川があり、原野の境ということから「境野」と命名された、とされている[5][6][8][注釈 1]。現地名については駅名が後年地名化したもの[8]。
駅構造
[編集]単式ホーム1面1線を有する地上駅。かつては相対式ホーム2面2線を有しており列車交換が可能であった。
利用状況
[編集]乗車人員の推移は以下のとおりであった。
年度 | 乗車人員 | 出典 | 備考 | |
---|---|---|---|---|
年間 | 1日 平均 | |||
1955年(昭和30年) | 92,630 | 253 | [9] | |
1970年(昭和45年) | 68,856 | 189 | ||
1975年(昭和50年) | 60,829 | 166 |
駅周辺
[編集]境野の集落がある。
- 北海道道50号北見置戸線
- 常呂川
- 置戸町立境野小学校(2009年(平成21年)3月31日閉校)
- 境野郵便局
- 北海道北見バス「境野」停留所
駅跡地
[編集]駅跡を示す碑が建造されている。
隣の駅
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、894頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
- ^ 1948年撮影航空写真(国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス)
- ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、237頁。doi:10.11501/1873236 。2022年12月10日閲覧。
- ^ a b 『官報』 1922年07月22日 鉄道省告示第80号(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ a b 札幌鉄道局 編『駅名の起源』北彊民族研究会、1939年、102頁。NDLJP:1029473。
- ^ a b 『北海道 駅名の起源』(第1版)日本国有鉄道北海道総局、札幌市、1973年3月25日。ASIN B000J9RBUY。
- ^ 「通報 ●飯田線三河川合駅ほか186駅の駅員無配置について(旅客局)」『鉄道公報号外』日本国有鉄道総裁室文書課、1986年10月30日、12面。
- ^ a b 山田秀三『北海道の地名』(2版)草風館、浦安市〈アイヌ語地名の研究 山田秀三著作集 別巻〉、2018年11月30日。ISBN 978-4-88323-114-0。
- ^ 置戸町史編纂委員会『置戸町史 下巻 (戦後編)』置戸町、1987年12月、531頁。doi:10.11501/9571967。