在日本国中華民国大使館
表示
在日本国中華民国大使館(ざいにほんこくちゅうかみんこくたいしかん、繁体字中国語: 中華民國駐日本大使館)は、かつて日本の東京に置かれていた中華民国の大使館である。
在日本国中華民国大使館 中華民國駐日本大使館 Embassy of the Republic of China in Japan | |
---|---|
住所 | 東京都港区麻布台1丁目5
東京都港区元麻布3丁目4番地33号 |
座標 | 北緯35度39分41.3秒 東経139度44分21.4秒 / 北緯35.661472度 東経139.739278度 北緯35度39分22.6秒 東経139度43分38秒 / 北緯35.656278度 東経139.72722度座標: 北緯35度39分22.6秒 東経139度43分38秒 / 北緯35.656278度 東経139.72722度 |
開設 | 1935年 |
閉鎖 | 1972年 |
大使 | 蒋作賓 (初代) 彭孟緝 (最後) |
歴史
[編集]戦前期
[編集]源流は1871年の日清修好条規に基づき清国が設置した在日公使館であり、清の初代公使何如璋は1877年に日本に派遣された[1]。最後の清国公使だった汪大燮は1911年の辛亥革命後も対日外交代表となり、中華民国の新任代表の着任後に退いた[2]。
1935年、日中は相互に公使館を大使館に格上げすることとなり、駐日公使だった蒋作賓が初代大使として改めて就任した[3]。
戦中期
[編集]昭和16年の時点で、中華民国大使館は現在の外務省飯倉公館がある場所に設置されていた[4]。
戦後期
[編集]日華平和条約により日本と中華民国の国交が回復したことにより開設した。日中国交正常化により、中華民国大使館が閉鎖された後は、駐日中華人民共和国大使館が設置された[4]。現在は、別の場所に、台日間の実務機関として、台北駐日経済文化代表処が設置されている。
大使
[編集]脚注
[編集]- ^ 劉雨珍「筆談と東アジアの文化交流 : 清朝初代駐日公使館員の在日筆談資料を中心に」『東アジア文化研究』第3巻、國學院大學大学院文学研究科、2018年、1-14頁、CRID 1390858397090614144、doi:10.57529/00001574、ISSN 2423-8422、NAID 120006860240。
- ^ 李文杰 (2014-11), “從士大夫到外交官的轉變:由汪大燮的經歷看清末民初外交官形成的一種模式” (PDF), 國立政治大學歷史學報 第42期
- ^ 島崎貞彦「在中国日本公使館の大使館昇格問題 : 日本外交史の諸問題 II」『国際政治』第1965巻第28号、日本国際政治学会、1965年、101-116頁、doi:10.11375/kokusaiseiji1957.28_101、ISSN 0454-2215。
- ^ a b 消えた大使館 : 日下部正樹ブログ