在家 (さいたま市)
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■在家 | |
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荒川総合運動公園 | |
北緯35度52分43.03秒 東経139度36分03.05秒 / 北緯35.8786194度 東経139.6008472度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 埼玉県 |
市町村 | さいたま市 |
区 | 桜区 |
地域 | 浦和地区 |
人口 | |
• 合計 | 368人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
338-0813[2] |
市外局番 | 048[3] |
ナンバープレート | 大宮 |
在家(ざいけ)は、埼玉県さいたま市桜区の大字。郵便番号は338-0813[2]。
地理
[編集]さいたま市桜区北部の沖積平野(荒川低地)に位置する東西に長い矩形の堤内地を有する地区。地区の東側で白鍬に、南側で宿や五関(飛び地)に、西側で昭和に、北側で島根に接する。全域が市街化調整区域である[4]。住宅地が東部にあるが、西部は荒川堤防まで耕地整理された田圃や大久保浄水場があるのみで、宅地はない。西部から東部にかけて江川が流れ、鴨川に合流する。地区の南方の荒川の河川区域内に入会地由来の飛び地がある。地内の荒川堤防ではさいたま築堤事業によって、堤防のかさ上げ工事が実施されている[5]。
小字
[編集]- 根切[6]、稲荷、鶉貝戸、碇り、迎田、大角、道免、志加田、折柳、堀合、油田、武低、松の木、二重川、谷中、八貫野
歴史
[編集]もとは江戸期より存在した武蔵国足立郡植田谷領に属する在家村で[7]、古くは水判土荘に属していたと云われている[8]。村高は『武蔵田園簿』では347石余、『元禄郷帳』では290石余、『天保郷帳』では297石余。化政期の戸数は30軒で、村の規模は東西14町余、南北3町余であった[7]。
- 発足当初は幕府領、1633年(寛永10年)より知行は旗本小笠原氏、1727年(享保12年)より知行は旗本小笠原氏およびその分家による相給[7]。なお、八貫野の持添新田は1731年(享保16年)より幕府領である。なお、検地時期は不詳[7]。
- 幕末時点では足立郡在家村であった。明治初年の『旧高旧領取調帳』の記載によると、代官大竹左馬太郎支配所が管轄する幕府領と旗本小笠原靭負の知行であった[9]。
- 1868年(慶応4年)6月19日 - 旧幕府領が武蔵知県事・山田政則(忍藩士)の管轄となる。
- 1869年(明治2年)
- 1871年(明治4年)11月13日 - 第1次府県統合により埼玉県の管轄となる。
- 1879年(明治12年)3月17日 - 郡区町村編制法により成立した北足立郡に属す。郡役所は浦和宿に設置。それに伴い郡内に同名の村(現・川口市安行領在家)が存在したため、植田谷領を冠称して植田谷領在家村となる[7]。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、植田谷領在家村は上足立郡上大久保村・下大久保村・五関村・植田谷領領家村・宿村・塚本村・白鍬村・神田村・植田谷本村新田の一部と合併し、大久保村になり[10][11]、大久保村の大字植田谷領在家となる[7]。
- 時期不明(明治末年頃) - 大字植田谷領在家から植田谷領が取れ、大字在家に改称される[7]。
- 1955年(昭和30年)1月1日 - 土合村・大久保村が浦和市へ編入され[10][12]、浦和市の大字となる。
- 1964年(昭和39年)3月 - 地内に大久保浄水場の建設に着手される(給水開始は1968年4月)。
- 1969年(昭和44年) - 大字在家の一部が大宮市へ編入される[7](翌年の大字昭和創設のための準備)。
- 1970年(昭和45年)7月1日 - 大宮市大字在家(前年に編入)の一部から大宮市大字昭和が成立[13]。
- 1989年(平成元年)4月 - 浦和市・与野市荒川総合運動公園(現、荒川総合運動公園)が開園する[14]。
- 2001年(平成13年)5月1日 - 浦和市・大宮市・与野市が合併し、さいたま市が発足。同市の大字となる。
- 2003年(平成15年)4月1日 - さいたま市が政令指定都市に移行し、同市桜区の大字となる。
世帯数と人口
[編集]2017年(平成29年)9月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
大字 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
在家 | 156世帯 | 368人 |
小・中学校の学区
[編集]市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[15]。
番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|
全域 | さいたま市立大久保小学校 | さいたま市立大久保中学校 |
交通
[編集]地内に鉄道は敷設されていない。埼京線与野本町駅までは2.5キロほど離れている。県道に「在家」停留所が設置されており[16]、北浦和駅への路線バスがある。
道路
[編集]- 埼玉県道57号さいたま鴻巣線
- 埼玉県道155号さいたま武蔵丘陵森林公園自転車道線(荒川自転車道)[16]
- 荒川総合運動公園通り[16]
施設
[編集]脚注
[編集]- ^ a b “さいたま市の人口・世帯(時系列結果)”. さいたま市 (2017年9月5日). 2017年9月20日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2017年9月29日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2017年5月29日閲覧。
- ^ 外部リンク節の『さいたま市地図情報』を参照。
- ^ “さいたま築堤~さいたま地区の暮らしを守る荒川の一大プロジェクト〜” (PDF). 国土交通省関東地方整備局荒川上流河川事務所. 2019年9月26日閲覧。
- ^ 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』 1388頁。
- ^ a b c d e f g h 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』 397頁。
- ^ 新編武蔵風土記稿 在家村.
- ^ 「旧高旧領取調帳データベース」の検索結果も参照。
- ^ a b 『わがまち浦和』 巻末付録(頁番号なし)。
- ^ 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』 159頁。
- ^ 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』 1420頁。
- ^ 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』 958頁。
- ^ 付表 浦和市主要年表 (PDF) - さいたま市.2019年9月9日閲覧。
- ^ “さいたま市立小・中学校通学区域一覧”. さいたま市 (2017年8月23日). 2017年9月20日閲覧。
- ^ a b c d 『「街の達人」でっか字埼玉便利情報地図2013年2版2刷』昭文社、2013年、83頁。ISBN 978-4-398-60135-3。
参考文献
[編集]- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』角川書店、1980年7月8日。ISBN 4040011104。
- 浦和市総務部市史編さん室『わがまち浦和―地域別案内』浦和市、1982年11月30日。全国書誌番号:83024476、NCID BN10203371。
- 「在家村」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ154足立郡ノ20、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:764000/79。
- 旧高旧領取調帳データベース
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- さいたま市地図情報 - さいたま市
- さいたま市桜区ガイドマップ - さいたま市
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