町谷 (さいたま市)
■町谷 | |
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油面川 | |
北緯35度51分35.67秒 東経139度37分07.86秒 / 北緯35.8599083度 東経139.6188500度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 埼玉県 |
市町村 | さいたま市 |
区 | 桜区 |
地域 | 浦和地区 |
人口 | |
• 合計 | 4,128人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
338-0836[2] |
市外局番 | 048[3] |
ナンバープレート | 大宮 |
人口は大字町谷のみ対象外。 |
町谷(まちや)は、埼玉県さいたま市桜区の町丁及び大字。現行行政地名は町谷一丁目から町谷四丁目、および大字町谷(荒川河川敷にある飛び地)。町丁は住居表示実施済み[4]。郵便番号は338-0836[2]。旧足立郡(北足立郡)町谷村。
地理
[編集]さいたま市桜区中部の荒川左岸側の沖積平野(荒川低地)に位置する。地区の東側を南元宿や西堀、南側を桜田、西側を道場、北側を栄和や中島と接する。また、南側には対角線上に新開が位置している。地域の東部を南北に国道17号新大宮バイパス・首都高速埼玉大宮線が縦断し、地域の北部を東西に埼玉県道57号さいたま鴻巣線(新六間道路)が横断している。新大宮バイパスの東側に一丁目、西側に二〜四丁目が存在する。
地域内は宅地化が進み住宅地域である[5]。地区の南部境界、及び東部には油面川が流れる。荒川河川区域内の飛地は東部を鴨川が流れ、公園やゴルフ場などのレクレーション施設として利用されている。
地価
[編集]住宅地の地価は、2019年(平成31年)1月1日の都道府県地価調査によれば、町谷三丁目26-15の地点で13万2000円/m2となっている[6]。
歴史
[編集]旧足立郡(後に北足立郡)町谷村。古くは高鼻荘に属し、江戸期は武蔵国足立郡与野領のうちであった[7][8]。町谷村の町谷は町屋とも書く(後述)。正保年間に旗本である宮崎・牧野氏の相給地であった以外は幕府領で、村高は「武蔵田園簿」では221石(田158石、畑63石)、「元禄郷帳」では226石、「天保郷帳」では239石。助郷は中山道浦和宿に出役していた。化政期の戸数は48軒で、村の規模は東西3町余、南北2町余であった[7][8]。
- 幕末時点では足立郡町谷村であった。明治初年の『旧高旧領取調帳』の記載によると、代官大竹左馬太郎支配所が管轄する幕府領であった[注釈 1]。
- 1868年(慶応4年)6月19日 - 旧幕府領が、武蔵知県事・山田政則(忍藩士)の管轄となる[注釈 2]。
- 1869年(明治2年)
- 1871年(明治4年)11月13日 - 第1次府県統合により埼玉県の管轄となる。
- 1879年(明治12年)3月17日 - 郡区町村編制法により成立した北足立郡に属す。郡役所は浦和宿に設置。それに伴い、同郡内に同名の村(旧、桶川町の町谷。)があった為、与野領を冠称して、与野領町谷村となる[7][注釈 3]。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、北足立郡与野領町谷、南元宿、西堀、関、鹿手袋、田島、新開、道場、栄和、中島、山窪の十一村が合併し、土合村が成立[9]。土合村の大字与野領町谷となる[7]。
- 時期不明(明治末年頃) - 大字与野領町谷から与野領が取れ、大字町谷に改称される[7]。
- 1950年(昭和25年)5月25日 - 地内に浦和市立土合中学校(現さいたま市立土合中学校) が浦和市立土合小学校の敷地より移転する。
- 1955年(昭和30年)1月1日 - 北足立郡土合村が大久保村とともに浦和市へ編入[10]。浦和市大字町谷となる。
- 1979年(昭和54年)6月2日 - 大字町谷の一部が新たに成立した大字油面の一部となる[11]。
- 1985年(昭和60年)8月1日 - 住居表示実施により、大字町谷・道場の各一部から町谷二丁目〜四丁目が成立[11]。また、大字町谷の一部が新開・道場の各一部となる[11]。
- 1986年(昭和61年)8月1日 - 住居表示実施により、大字町谷・南元宿の各一部から町谷一丁目が成立[11]。また、大字町谷の一部が南元宿の一部となる[11]。残部の大字町谷は存続。
- 2001年(平成13年)5月1日 - 浦和市が大宮市、与野市と合併しさいたま市となり、さいたま市の町名、大字となる。
- 2003年(平成15年)4月1日 - さいたま市が政令指定都市へ移行し、さいたま市桜区の町名、大字となる。
地名の由来
[編集]隣接する道場村(現:道場地区)に畠山重忠の館があった頃、城下町屋があったことによる[7][8]。かつては町屋と表記していたが、書きやすさから町谷と混同され、現在では町谷が町名となっている。昭和時代の住宅地図には町屋と表記しているものがある。
世帯数と人口
[編集]2017年(平成29年)9月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
丁目 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
町谷一丁目 | 395世帯 | 939人 |
町谷二丁目 | 398世帯 | 870人 |
町谷三丁目 | 731世帯 | 1,510人 |
町谷四丁目 | 384世帯 | 809人 |
計 | 1,908世帯 | 4,128人 |
小・中学校の学区
[編集]市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[12]。
丁目 | 番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|---|
町谷一丁目 | 1〜16番 | さいたま市立土合小学校 | さいたま市立土合中学校 |
その他 | さいたま市立中島小学校 | ||
町谷二丁目 | 全域 | さいたま市立栄和小学校 | |
町谷三丁目 | 全域 | ||
町谷四丁目 | 全域 |
交通
[編集]地区内に鉄道は敷設されていない。最寄り駅はJR埼京線南与野駅であるが、町谷三丁目26-15の地点よりおよそ2.3 km[6]離れている。
道路
[編集]施設
[編集]- さいたま市立土合中学校
- 町谷二丁目公園
- 町谷児童公園
- 町谷自治会館
- 新義真言宗光明寺[5]
- 慈観寺
- 薬師堂
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b “さいたま市の人口・世帯(時系列結果)”. さいたま市 (2017年9月5日). 2017年9月20日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2017年9月25日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2017年5月29日閲覧。
- ^ “住居表示実施地区一覧” (PDF). さいたま市 (2019年2月26日). 2019年9月5日閲覧。
- ^ a b 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』921頁。
- ^ a b 国土交通省地価公示・都道府県地価調査
- ^ a b c d e f 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』792頁。
- ^ a b c 新編武蔵風土記稿 町屋村.
- ^ 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』567頁。
- ^ 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』1420頁。
- ^ a b c d e 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』増補4頁。
- ^ “さいたま市立小・中学校通学区域一覧”. さいたま市 (2017年8月23日). 2017年9月20日閲覧。
- ^ 『「街の達人」でっか字埼玉便利情報地図2013年2版2刷』昭文社、2013年、62頁。ISBN 978-4-398-60135-3。
参考文献
[編集]- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 11 埼玉県(増補版)』角川書店、1980年7月8日。ISBN 4040011104。
- 浦和市総務部市史編さん室『わがまち浦和―地域別案内』浦和市、1982年11月30日。全国書誌番号:83024476、NCID BN10203371。
- 「町屋村」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ155足立郡ノ21、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:764001/13。
- 旧高旧領取調帳データベース
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- さいたま市地図情報 - さいたま市
- さいたま市桜区ガイドマップ - さいたま市