図師町
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図師町 | |
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北緯35度34分51.73秒 東経139度25分6.17秒 / 北緯35.5810361度 東経139.4183806度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 東京都 |
市町村 | 町田市 |
地域 | 忠生地域 |
面積 | |
• 合計 | 2.842 km2 |
人口 | |
• 合計 | 8,417人 |
• 密度 | 3,000人/km2 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
194-0203[3] |
市外局番 | 042 (相模原MA)[4] |
ナンバープレート | 多摩 |
図師町(ずしまち)は、東京都町田市にある町名。「丁目」の設定のない単独町名である。郵便番号は194-0203[3]。
地理
[編集]町田市の北部に位置する。
東は野津田町、南は山崎町と忠生、西と北西は下小山田町、北は小野路町と接している。 特に小野路町に跨る北部の丘陵地帯は「図師小野路歴史環境保全地域」に指定されており、全体として典型的なかつての多摩丘陵の景観を示している[5]。
河川
[編集]- 鶴見川 - 北西から南東に流れる。
- 結道川 - 北から南に流れ、並木橋付近で鶴見川と合流する。
地価
[編集]住宅地の地価は、2014年(平成26年)1月1日の公示地価によれば、図師町字八号1629番31の地点で10万1000円/m2となっている。[6]
歴史
[編集]武蔵国多摩郡小山田庄小山田郷の後、多摩郡柚木領に属した。
地名の由来
[編集]承久年間(1219~1221)、時の領主の小山田二朗重義が半沢山にある「白山社」を修理しようとして、別当の大蔵院長栄に社にある地形を尋ねたところ、長栄は図を画き、重義がそれを誉め長栄を図師法印半沢坊と称し、領地の一部を社領として寄贈し「図師領」と称したと伝わる[7]。
沿革
[編集]- 1590年(天正18年) - 徳川家康の領地になる。
- 1651年(慶安4年) - 今井八郎左門が代官になる。
- 1666年(寛文6年) - 坪井治右衛門が代官になる。
- 1693年(元禄6年) - 図師の北部の一部が江戸の湯島の霊雲寺の領地になる。
- 1697年(元禄10年) - 図師の北部の残りが旗本の平岡仁右衛門の知行地になる。
- 1698年(元禄11年) - 図師の南部が旗本の田中一郎右衛門の知行地になる。
- 1856年(安政3年) - 図師ヶ原が開拓され、幕府の直轄地になり、江川太郎左衛門が代官になる。
- 1866年(慶応4年、明治元年) - 武蔵知県事と韮山県の管轄になり、その後神奈川県に移管される。
- 1871年(明治4年) - 区制により第三〇区となる。
- 1873年(明治6年) - 区番組制により第八区五番組となる。
- 1874年(明治7年) - 大区小区制により第八大区四小区となる。
- 1884年(明治17年) - 連合戸長役場制により木曽村戸長役場の管轄となる。
- 1889年(明治22年) - 図師村、上小山田村、下小山田村、山崎村、木曽村、根岸村が合併し、南多摩郡忠生村大字上図師となる。
- 1893年(明治26年) - 南多摩郡、西多摩郡、北多摩郡が神奈川県から東京府に移管され、東京府南多摩郡忠生村大字図師となる。
- 1943年(昭和18年) - 東京都制により、東京都南多摩郡忠生村大字図師となる。
- 1958年(昭和33年) - 町田町、忠生村、鶴川村、堺村が対等合併し、市制施行。町田市図師町となる。
世帯数と人口
[編集]2018年(平成30年)1月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]。
町丁 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
図師町 | 3,479世帯 | 8,417人 |
小・中学校の学区
[編集]市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[8]。
番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|
全域 | 町田市立図師小学校 | 町田市立忠生中学校 |
交通
[編集]路線バス
[編集]- 神奈川中央交通により、町田バスセンターから町田街道・芝溝街道を経由し、野津田車庫行き(町26系統・町39系統・町78系統)、小山田行き(町27系統)、多摩丘陵リハビリテーション病院行き(町31系統)、鶴川駅行き(町36系統)などが運行されている。特に町26系統は入出庫を兼ねた基幹系統でもあり、深夜バスも含めて頻繁に運行されている。
- また、淵野辺駅北口より、野津田車庫行き(淵23系統)、鶴川駅行き(鶴37系統)、登戸行き(淵24系統)も町内を通過するが、本数は少ない。
- 京王バスにより、多摩センター駅から、日大三高行き(多43系統・多45系統)が運行されており、通学時間帯には急行便(多44系統)や臨時便も頻繁に運行される。また、神奈川中央交通も町田バスセンターおよび淵野辺駅北口より、日大三高行き(町16系統・淵25系統・淵67系統)を運行している。
主な道路
[編集]- 東京都道57号相模原大蔵町線(芝溝街道) - 南西から東に横切る。
- 東京都道155号町田平山八王子線 - 図師大橋交差点を起点とし、北西へ走る。
- 東京都道156号町田日野線 - 野津田町との町境にある並木交差点を起点とし、東隅を北へ走る。
- さくら通り - 桜美林学園付近を起点とし、日大三高付近まで結ぶ。沿道の大部分が桜並木となっている。
- 図師半沢通り - 2000年4月5日開通[9]。松下谷戸付近を起点とし、日本ろう話学校入口交差点まで結ぶ。
施設
[編集]- 町田警察署図師駐在所
- 圓福寺 - 曹洞宗眞峰山
- 長慶寺
- 熊野神社
出典
[編集]- ^ “土地・気象 【町田市統計書 第50号2016(平成28)年度発行】”. 町田市 (2017年3月21日). 2018年1月21日閲覧。
- ^ a b “町丁別世帯数・人口表”. 町田市 (2018年1月15日). 2018年1月21日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2018年1月21日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2018年1月21日閲覧。
- ^ [1] 東京都環境局ホームページより
- ^ 国土交通省地価公示・都道府県地価調査
- ^ 森山兼光 『町田郷土誌』 1996年6月(久美堂)
- ^ “市立小・中学校の通学区域”. まちだ子育てサイト(町田市) (2018年4月1日). 2018年4月1日閲覧。
- ^ 広報まちだ 2000年12月21日号 2面町田市
外部リンク
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