伊達治一郎
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1976年モントリオール五輪 | |||||||||||||||||||||
個人情報 | |||||||||||||||||||||
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フルネーム | だて じいちろう | ||||||||||||||||||||
国籍 | 日本 | ||||||||||||||||||||
生誕 | 1952年1月6日 大分県佐伯市 | ||||||||||||||||||||
死去 | 2018年2月20日 (66歳没) 東京都調布市 | ||||||||||||||||||||
身長 | 172 cm (5 ft 8 in) | ||||||||||||||||||||
スポーツ | |||||||||||||||||||||
競技 | レスリング | ||||||||||||||||||||
種目 | 男子フリースタイル74kg級 | ||||||||||||||||||||
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伊達 治一郎(だて じいちろう、1952年1月6日 - 2018年2月20日)は、日本のレスリング選手。大分県佐伯市出身。1976年モントリオールオリンピックレスリング男子74kg級金メダリスト。
略歴
[編集]- 大分・佐伯農業高校~国士舘大学~国士舘大学教員
- 1972年ミュンヘンオリンピックグレコローマン74kg級3回戦敗退。その後フリースタイルに専念。
- 1976年モントリオールオリンピックフリースタイル74kg級金メダル[1]。7試合中6試合にフォール勝ちする強さだった。
- 1980年モスクワオリンピック幻の代表。
- 引退後は五輪代表のコーチを務めた。
- 元横綱・武蔵丸が高校生だった時にハワイでレスリングを指導。角界入りの橋渡しをした。
- 2018年2月20日、東京都調布市内の自宅マンションから転落し、死去[2][3]。66歳没。
記念碑
[編集]統合により母校を引き継ぐ大分県立佐伯豊南高等学校の正門横庭園には伊達治一郎の記念碑が宗兄弟の記念碑「栄光の軌跡」とともに設置されている[4]。
出典
[編集]- ^ “レスリングのオリンピック日本人男子メダリストを紹介、偉大な功績を残した3選手”. 【SPAIA】スパイア (2020年5月4日). 2020年11月14日閲覧。
- ^ レスリングモントリオール五輪金メダリスト・伊達治一郎さんが転落死 - デイリースポーツ 2018年2月22日
- ^ 五輪レスリング金メダリストの伊達治一郎さん死去 - 時事ドットコム 2018年2月22日
- ^ “佐伯豊南高の正門横にオリンピアンの記念碑 宗兄弟の碑を移設「偉大な先輩知って」”. 大分合同新聞. 2024年8月31日閲覧。