井上治 (陸上選手)
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選手情報 | |||||||||||||||
ラテン文字 | Osamu INOUE | ||||||||||||||
国籍 | 日本 | ||||||||||||||
競技 | 陸上競技 (長距離走) | ||||||||||||||
種目 | 5000m、10000m、3000m障害 | ||||||||||||||
所属 | 富士製鐵 | ||||||||||||||
大学 | 中央大学 | ||||||||||||||
生年月日 | 1932年9月16日(92歳) | ||||||||||||||
生誕地 | 愛媛県大洲市 | ||||||||||||||
自己ベスト | |||||||||||||||
5000m | 14分33秒6(1958年)[1] | ||||||||||||||
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井上 治(いのうえ おさむ、1932年9月16日[1] - )は、日本の陸上競技(長距離走)選手。
経歴
[編集]愛媛県喜多郡菅田村(現在の大洲市)出身[2][3]。愛媛県立大洲農業高等学校に入学。1950年には陸上5000メートルを15分56秒0で走り、愛媛県で16分台を初めて割ったエースとして注目された[4]。
中央大学に進み[5]、1952年の第29回 箱根駅伝で4区を走り区間賞(1時間9分35)[6]。1952年にヘルシンキで開催されたオリンピックに代表として参加、男子5000メートルに出場したが予選失格(14分59秒0)。1953年の第30回箱根駅伝では2区を走り区間2位であった[6]。1953年の第37回日本陸上競技選手権大会では男子5000メートルで優勝(14分58秒6)[7]。
1953年8月16日、西ドイツのドルトムントで開催された国際学生陸上選手権大会 (1953 Summer International University Sports Week) で5000メートルを走り優勝[4]。1953年10月に開催された第8回四国国体秋季大会では、男子3000メートルで8分45秒6の大会新記録で優勝[3]。1954年にはマニラで開催された第2回アジア大会で男子5000メートルに出走して優勝した[5]。
大学卒業後は富士製鐵(現・日本製鉄)に入社[5]。1955年、第39回日本陸上競技選手権大会で男子10000メートルに出場し優勝(31分09秒4)[8]。1957年、第41回日本陸上競技選手権大会では男子5000m(14分41秒6)[7]および男子3000メートル障害(9分52秒0)[9]の2種目で優勝。1958年、第3回アジア大会(東京)で男子5000メートルに出走して優勝(大会二連覇)[5]。
脚注
[編集]- ^ a b “井上治_(陸上選手)”. Sports Reference LLC. 2020年4月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年5月17日閲覧。
- ^ “現代〔昭和25(1950)~昭和28(1953)〕”. データベース『えひめの記憶』 愛媛県史 愛媛県史 年表(平成元年2月28日発行). 愛媛県生涯学習センター. 2020年2月3日閲覧。
- ^ a b “1953年の愛顔・愛媛新聞で振り返る地元国体 愛媛国体2017 <20>順位躍進 閉会式荘厳に”. 愛媛新聞. 2020年2月3日閲覧。
- ^ a b “二 戦後復興期”. データベース『えひめの記憶』 愛媛県史 芸術・文化財(昭和61年1月31日発行). 愛媛県生涯学習センター. 2020年2月3日閲覧。
- ^ a b c d “三 充実期から東京五輪まで”. データベース『えひめの記憶』 愛媛県史 芸術・文化財(昭和61年1月31日発行). 愛媛県生涯学習センター. 2020年2月3日閲覧。
- ^ a b “箱根駅伝 1951年~1955年”. 中央大学駅伝応援サイト. 中央大学. 2020年2月3日閲覧。
- ^ a b “過去の優勝者・記録 男子5000m”. 日本陸上競技選手権大会. 日本陸上競技連盟. 2020年2月3日閲覧。
- ^ “過去の優勝者・記録 男子10000m”. 日本陸上競技選手権大会. 日本陸上競技連盟. 2020年2月3日閲覧。
- ^ “過去の優勝者・記録 男子3000m障害”. 日本陸上競技選手権大会. 日本陸上競技連盟. 2020年2月3日閲覧。