三津谷祐
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選手情報 | ||||
フルネーム | 三津谷祐 | |||
ラテン文字 | Yu MITSUYA | |||
国籍 | 日本 | |||
種目 | 長距離走 | |||
所属 | トヨタ自動車九州 | |||
生年月日 | 1984年12月18日(39歳) | |||
生誕地 | 香川県観音寺市大野原町 | |||
身長 | 166cm | |||
体重 | 50kg | |||
引退 | 2015年2月 | |||
国内大会決勝 | 日本選手権10000m優勝 - 2005年 | |||
自己ベスト |
5000m 13分18秒32(2007年) 10000m 27分41秒10(2005年) マラソン 2時間12分59秒(2010年) | |||
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三津谷 祐(みつや ゆう、1984年12月18日 - )は、香川県三豊郡大野原町(現・観音寺市)出身の男性陸上競技元選手、指導者。専門は長距離走・マラソン。世界選手権はヘルシンキ大会10000m、大阪大会5000mに出場した。
経歴
[編集]小学校時代から陸上競技を始める。尽誠学園高等学校入学後は持ち前のスピードを生かした走りでトラック、駅伝に活躍した。なお高校時代にはマイルリレー(4×400mリレー)のアンカーを務めるなど、スプリント能力も優れている。トヨタ自動車九州に入社後も、バルセロナオリンピックマラソン銀メダリストの森下広一監督の指導で着実に力をつけた。
2005年の第89回日本選手権10000mで優勝し一度は世界選手権日本代表に選ばれたが、参加標準記録Bのみの突破であったため、上位のA標準ながら落選した高知・くろしお通信の大森輝和サイドから抗議があり、日本陸上競技連盟が誤りを認め異例の再選考となった[1]。
2005年6月29日のホクレンディスタンスチャレンジ深川大会で10000mに三津谷が出場し、同レースに出場した同僚のサムエル・ワンジルのアシストをうけ、27分41秒10の日本歴代3位(国内日本人最高記録)をマークし、見事にA標準を突破した。その結果、大森、三津谷両名が代表入りを果たした。
2人はともに香川県出身で、この騒動を乗り越え、友情は深まった。しかしその後の世界選手権ヘルシンキ大会では三津谷が19位、大森が最下位の22位の結果に終わった。しかし、この大会では序盤から飛び出して独走し、最後は大きく失速して最下位に終わった大森に対し、三津谷は27分57秒67を記録し、前述の27分41秒10がフロックではないということを証明した。(大森は28分59秒46。)
2007年5月26日の第18回ゴールデンゲームズinのべおか5000mでは日本歴代2位の13分18秒32をマーク[2]。6月29日の第91回日本選手権5000mでは松宮隆行に次ぐ2位に入り、大阪で開催される世界選手権の日本代表に選出された。8月30日に出場した世界選手権5000m予選1組では14分07秒38の記録で15着だった。
2008年1月1日の第52回ニューイヤー駅伝では2区を担当し、ごぼう抜きの新記録となる24人抜きを達成している[3][4]。2009年2月22日の第53回熊日30キロロードレースは1時間29分55秒の記録で優勝した[5]。
2010年2月7日の第59回別府大分毎日マラソンで初マラソンに挑み注目されたが、33Km付近で先頭集団から脱落して結局2時間12分台の9位に留まった。
2015年2月21日の第29回福岡国際クロスカントリー出場を最後に現役を引退した[6]。
引退後の現在は居住地の福岡県・九州地区を中心に、各地のレースでゲストランナーとして参加、市民ランナーへの指導者などで活動中[7]。あして
2017年では4月に恩師である大西力監督が急死した。これを機に9月に臨時で陸上競技部監督にもなった。
主な成績
[編集]- 2000年 第55回国民体育大会少年B 3000m 2位
- 2001年 第56回国民体育大会少年A 5000m 3位
- 2002年 平成14年度全国高等学校総合体育大会 1500m 3位(日本人1位)
- 2002年 第57回国民体育大会少年A 5000m 6位
- 2004年 第9回全国都道府県対抗男子駅伝競走大会 3区 区間2位
- 2005年 第10回全国都道府県対抗男子駅伝競走大会 3区 区間2位(区間新)
- 2005年 第89回日本陸上競技選手権大会 10000m 1位
- 2005年 ホクレンディスタンスチャレンジ深川大会 10000m 2位
- 2005年 第10回世界陸上競技選手権大会 10000m 19位
- 2007年 第18回ゴールデンゲームズinのべおか 5000m 5位
- 2007年 第91回日本陸上競技選手権大会 5000m 2位
- 2007年 第11回世界陸上競技選手権大会 5000m 予選
- 2008年 第52回全日本実業団対抗駅伝競走大会 2区 区間2位
- 2009年 第53回熊日30キロロードレース 30km 優勝
- 2010年 第59回別府大分毎日マラソン 9位
自己記録
[編集]種目 | 記録 | 年月日 | 大会 | 備考 | ||
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1500m | 3分46秒68 | 2003年4月20日 | 第51回兵庫リレーカーニバル | |||
5000m | 13分18秒32 | 2007年5月26日 | 第18回ゴールデンゲームズinのべおか | 日本歴代2位 | ||
10000m | 27分41秒10 | 2005年6月29日 | ホクレンディスタンスチャレンジ深川大会 | 日本歴代3位 | ||
ハーフマラソン | 1時間02分26秒 | 2004年7月4日 | 第47回札幌国際ハーフマラソン | |||
30 km | 1時間29分55秒 | 2009年2月22日 | 第53回熊日30キロロードレース | |||
フルマラソン | 2時間12分59秒 | 2010年2月7日 | 第59回別府大分毎日マラソン | |||
歴代記録は当時の順位 |
脚注・参考資料
[編集]- ^ 2007.盛夏 世界陸上記念号 香川県立丸亀陸上競技場. 2015年2月24日閲覧
- ^ 男子5000・三津谷、A標準突破-陸上Gゲームズ 四国新聞社 (2007-05-27). 2015年2月24日閲覧
- ^ 2009福岡国際クロスカントリー TBS. 2015年2月24日閲覧
- ^ 四国電力過去最高11位-全日本実業団駅伝 四国新聞社 (2008-01-03). 2015年2月24日閲覧
- ^ 三津谷が優勝/熊日30キロロードレース 四国新聞社 (2009-02-23). 2015年2月24日閲覧
- ^ “三津谷選手へのご声援ありがとうございました。”. トヨタ自動車九州陸上競技部 (2015年2月21日). 2015年2月22日閲覧。
- ^ ランニングユナイテッド RUNNING CLINIC(ゲストコーチ) SUPER SPORTS XEBIO 2016年11月15日閲覧
外部リンク
[編集]- 三津谷祐 - ワールドアスレティックスのプロフィール
- 三津谷祐 - 日本陸上競技連盟の選手名鑑
- トヨタ自動車九州 選手プロフィール 三津谷祐
- TBS「世界陸上ヘルシンキ」 最後に夢を掴んだ男 三津谷祐
- TBS「世界陸上大阪」 銀メダリストの愛弟子 三津谷祐