ロスト・エピソード
『ロスト・エピソード』 | ||||
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フランク・ザッパ の コンピレーション・アルバム | ||||
リリース | ||||
録音 | 1958年 - 1992年 | |||
レーベル |
ライコディスク(1996年2月) ザッパ(2012年12月) | |||
プロデュース | フランク・ザッパ | |||
フランク・ザッパ アルバム 年表 | ||||
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『ロスト・エピソード』(The Lost Episodes)は、アメリカ合衆国のロック・ミュージシャンのフランク・ザッパが1958年から1992年までの間にスタジオやステージなどで残した未発表音源や会話を収録した編集アルバム。ザッパ自身によって編集され、彼の病没後の1996年に発表された[1]。
解説
[編集]経緯
[編集]ザッパは1969年8月にインタビューで、The History and Collected Improvisations of The Mothers Of Inventionと題された10枚組アルバムをクリスマス頃に35ドルで発表すると語った。この計画は、彼が自分が率いていたザ・マザーズ・オブ・インヴェンション(The Mothers of Invention、MOI)の解散を宣言した10月には12枚組アルバムの発表にまで膨れ上がり、MOIの音源だけでなく、ザッパがミュージシャンとしての道を歩み始める前の1950年代に録音したものや、MOIが結成される前の1960年代前半にカリフォルニア州クカモンガ(現ランチョ・クカモンガ)で行なった初期の音楽活動の未発表音源を含んでいた。しかし、12枚組アルバムを10,000部作るだけで250,000ドルもの費用がかかることがわかり、この計画は頓挫した[注釈 1]。1970年代にも同様の計画が9枚組アルバムや3枚組アルバムとして検討されたが、実現しなかった[2]。
ザッパは1981年にBarking Pumpkin Recordsを設立し、1960年代にヴァーヴ・レコードから発表したアルバムを含めて、これまでに様々なレコード会社から発表したMOI名義とザッパ名義アルバム全てに対する権利を獲得した。そこで彼は、MOI名義の13作とザッパ名義の5作をリミックスして、これらのアルバムを発売順に完全収録した[注釈 2]The Old Mastersのシリーズを発表した。このシリーズはBox One(1985年4月)、Box Two(1986年11月)、Box Three(1987年12月)の3部からなり、Box OneとBox Twoには、The History and Collected Improvisations of The Mothers Of Inventionに収録される予定だった音源を含む合計35曲の未発表音源を収録した『ミステリー・ディスク』が含まれた[注釈 3]。
晩年の1992年と1993年、ザッパは病魔と闘いながら、『ミステリー・ディスク』に含まれなかった未発表音源や『ミステリー・ディスク』に収録された音源とは異なる録音の編集とプロデュースを手掛けて、本作を完成させた[注釈 4]。そして、テレビアニメ・シリーズ『ザ・シンプソンズ』で知られるアニメーターのGábor Csupóに、ジャケットの制作を依頼して[注釈 5]、1993年12月4日に他界した。
内容
[編集]計30曲の収録曲の内訳は、インストゥルメンタルが13曲、ボーカル曲が10曲、会話のみが7曲。録音時期は1958年から1979年まで様々である。次項「収録曲」が示すように、本作は『ミステリー・ディスク』と同じくThe History and Collected Improvisations of The Mothers Of Inventionに収録される予定だった音源を含んでいるほか、『ミステリー・ディスク』に収録された音源とは異なる録音も収録している。以下、MOIの前身であるザ・マザーズが結成されるより前の1964年までの音源を中心に概説する。
'Lost in a Whirlpool'[3]は、1958年12月か1959年1月に、ザッパ(リード・ギター)と弟のボビー[注釈 6](リズム・ギター)がドン・グレン・ヴリート[注釈 7](ボーカル)とランカスターのアンテロープ・バレー・ジュニア・カレッジ[注釈 8]で録音した。ヴリートが書いた歌詞は、ザッパがサンディエゴのミッション・ベイ・ハイ・スクールに通っていた1955年に[注釈 9]友人達と創作した話に基づいている。
3曲に登場するケニー・ウィリアムスとロニー・ウィリアムスは兄弟[4][注釈 10]で、ロニー[5][6]はザ・マスターズ(The Masters)というバンドのギタリストだった。彼はオンタリオに住んでいたザッパと1960年に知り合い、ザッパにクカモンガでパル・レコーディング・スタジオ(本稿ではパル・スタジオと略する)を設立して運営するポール・バフ(Paul Buff)[注釈 11]というレコーディング・エンジニアの事を教えた[7][8][9][注釈 12][注釈 13]。
'Mount St. Mary's Concert Excerpt'は、ザッパが指揮する約20人の規模のカレッジ・オーケストラが1963年5月19日にロサンゼルスのMount St. Mary's Collegeで開いたコンサートのライブ音源。ザッパは300ドルを自己負担してコンサートを企画し、約13分に及ぶ自作の”Opus 5, For Four Orchestra”を披露した。本作には演奏終了後に彼が行なった聴衆への説明を含む約2分半が抜粋されて収録された[10]。
'Take Your Clothes Off When You Dance'は、1961年1月にパル・スタジオ[注釈 14]でバフのエンジニアリングによって録音された[11]。この曲は1967年にMOIによって録音されて、アルバム『ウィー・アー・オンリー・イン・イット・フォー・ザ・マニー』(1968年)に収録された。
'Tiger Roach'[12]は、ザッパがヴリート(ボーカル)、ヴィック・モーテンセン(ドラムス)[13][注釈 15]、Janschi(ベース・ギター)と結成したザ・スーツ(The Soots)[14][15][16]の演奏。1964年にザッパが買い取ったパル・スタジオ改めスタジオZで同年録音された。
'Run Home Slow Theme'は、作曲家ザッパの初仕事である映画"Run Home Slow"(1965年)[17]の主題曲で、1964年にハリウッドのOriginal Soundのスタジオでバフのエンジニアリングによって録音された[注釈 16][注釈 17]。本作には『ミステリー・ディスク』とは異なる音源が収録された。
'Fountain of Love'と'Any Way The Wind Blows'[18]は、のちにMOIによって録音され、前者はアルバム『クルージング・ウィズ・ルーベン&ザ・ジェッツ』(1968年)、後者は『フリーク・アウト!』(1966年)で発表された。本作に収録された音源は、1963年にパル・スタジオでザッパ(ギター、ドラムス)、バフ(ファズベース、オルガン)、レイ・コリンズ(ボーカル)によって録音された。
'Alley Cat'はザッパとキャプテン・ビーフハートことドン・ヴァン・ヴリートとの共作で、1969年にザッパの自宅の地下室で彼等とジョン・フレンチ(ドラムス)、エリオット・イングバー(スライド・ギター)によって録音された。フレンチはキャプテン・ビーフハート・アンド・ヒズ・マジック・バンドのメンバー。イングバーは1966年3月から数か月間MOIに在籍した元メンバーで[注釈 18]、この録音の後の1970年にキャプテン・ビーフハート・アンド・ヒズ・マジック・バンド改めキャプテン・ビーフハート・アンド・ザ・マジック・バンドに加入した。
'Wonderful Wino'、"RDNZL'、'Inca Road'、'I Don't Wanna Get Drafted'、'Sharleena'は、後に再録音されて、MOIやザッパのアルバムに収録された[注釈 19]。'The Grand Wazoo'は1972年に発表されたMOIの同名アルバムとは無関係で、1969年に録音されたヴァン・ヴリートによるザッパ作の詞の朗読に、1992年にザッパがシンクラヴィアで伴奏をつけたものである。
'The Dick Kunc Story'のディック・クンツとは、1960年代後半のMOIやザッパのアルバム、キャプテン・ビーフハート・アンド・ヒズ・マジック・バンドの『トラウト・マスク・レプリカ』(1969年)などでエンジニアを務めた人物である[19]。
収録曲
[編集]ライコディスク(RCD 40573)のライナーノーツと参考文献(2018年)[20]に基づく。
- The History and Collected Improvisations of The Mothers Of Inventionに収録予定だった音源 - 1、2、3、4、5、6、7、10、12、14、15
- 『ミステリー・ディスク』に収録された音源と同一のもの - 16、17
- 『ミステリー・ディスク』に収録された音源とは異なる録音 - 9、14
参加ミュージシャン
[編集]ライコディスク(RCD 40573)のライナーノーツと参考文献(2018年)[20]に基づく。
- Peter Arcaro (trumpet) - 6
- Dick Barber (snorks) - 19
- Philip Barnett (oboe) - 6
- Arthur Barrow (keyboard bass) - 29
- Max Bennett (bass) - 28, 29
- Jimmy Carl Black (drums) - 16, 17
- Captain Beefheart (vocals) - 2, 8, 20, 21, 22
- Dale Bozzio (vocals) - 29
- Terry Bozzio (vocals) - 29
- Paul Buff (bass, organ) - 10, 12
- Chick Carter[21] (flute, saxophone) - 9
- Don Christlieb[22] (bassoon) - 9
- Pete Christlieb[23] (saxophone) - 9
- Vinnie Colaiuta (drums) - 29
- Ray Collins (vocals) - 10, 12
- Alex Dmochowski[24] (bass) - 23
- Chuck Domanico (bass) - 9
- George Duke (keyboards) - 23, 24, 25, 27
- Aynsley Dunbar (drums) - 23, 29
- Chuck Foster[25] (trumpet) - 7
- Bruce Fowler (trombone) - 23, 24, 25, 27
- Tom Fowler (bass) - 24, 25, 27
- John French (drums) - 21
- Chuck Glave[26] (drums) - 7
- John Guerin (drums) - 28
- Don 'Sugarcane' Harris (violin, vocals) - 28
- Danny Helferin (piano) - 7
- Ralph Humphrey[27] (drums) - 24, 25, 27
- Eliot Ingber (guitar) - 21
- Janschi (bass or guitar) - 8
- Dick Kunc (vocals)
- Patrolman LaFamine (vocals)
- Ricky Lancelotti (vocals) - 23
- Wayne Lyles (vocals) - 1
- Elwood 'Junior' Madeo (vocals) - 1
- Sal Marquez[28] (trumpet) - 23
- Tommy Mars (Keyboards) - 29
- Malcom McNab (trumpet) - 6
- John Mitchell[29] (baritone saxophone) - 9
- Vic Mortensen (drums) - 8
- Ron Myers[30] (trombone) - 9
- Jean-Luc Ponty (violin) - 25, 27
- Don Preston (keyboards) - 16, 17
- Tony Rodriquenz (saxophone) - 7
- Chester Thompson (drums) - 24
- Arthur Tripp (percussion) - 16, 17
- Ian Underwood (saxophone, keyboards) - 16, 17, 23, 24, 25, 27, 28
- Ruth Underwood (percussion) - 24, 25, 27
- Caronga Ward (bass) - 7
- Ray White (guitar, vocals) - 29
- Kenny Williams (vocals) - 4
- Ronnie Williams (vocals) - 3, 5
- Ike Willis (guitar, vocals) - 29
- Terry Wimberly (vocals) - 1
- Bobby Zappa (guitar) - 2
- Frank Zappa (vocals, guitar, drums, piano, bass, Synclavier) - 1, 2, 3, 4, 5, 7, 8, 10, 12, 14, 16, 17, 19, 21, 22, 23, 24, 25, 26, 27, 28
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ “zappa.com”. 2023年5月5日閲覧。
- ^ Ulrich (2018), pp. 358–360.
- ^ Miles (2004), p. 52.
- ^ Miles (2004), p. 60.
- ^ “Discogs”. 2023年5月7日閲覧。
- ^ “united-mutations.com”. 2023年5月7日閲覧。
- ^ Miles (2004), p. 68.
- ^ “discogs.com”. 2023年5月7日閲覧。
- ^ “discogs.com”. 2023年5月7日閲覧。
- ^ Ulrich (2018), pp. 298–299.
- ^ Miles (2004), p. 64.
- ^ Miles (2004), p. 77.
- ^ Miles (2011), pp. 14, 17, 22.
- ^ Zappa & Occhiogrosso (1990), pp. 49–50.
- ^ Miles (2004), pp. 76–78.
- ^ Barnes (2011), p. 13.
- ^ “imdb.com”. 2023年5月13日閲覧。
- ^ Miles (2004), p. 78.
- ^ Barnes (2011), pp. 83–85.
- ^ a b Ulrich (2018), pp. 296–305.
- ^ “Discogs”. 2023年3月24日閲覧。
- ^ “Discogs”. 2023年3月24日閲覧。
- ^ “Discogs”. 2023年3月24日閲覧。
- ^ “Discogs”. 2023年3月24日閲覧。
- ^ “Discogs”. 2023年3月24日閲覧。
- ^ “Discogs”. 2023年3月24日閲覧。
- ^ “Discogs”. 2023年3月24日閲覧。
- ^ “Discogs”. 2023年3月24日閲覧。
- ^ “Discogs”. 2023年3月24日閲覧。
- ^ “Discogs”. 2023年3月24日閲覧。
注釈
[編集]- ^ 未発表音源の一部はアルバム『いたち野郎』(1970年)として発表された。なお、1969年の250,000ドルは、2023年の約2,000,000ドルに相当する。
- ^ ザッパは編集当時の自分のバンドのメンバーのアーサー・バーロウとチャド・ワッカーマンを起用して、Box Oneに収録したMOI名義の『ウィー・アー・オンリー・イン・イット・フォー・ザ・マニー』の全曲と『クルージング・ウィズ・ルーベン&ザ・ジェッツ』のほぼ全曲のベースとドラムスの部分を録音し直した。
- ^ 1998年に一枚組CDにまとめられて、『ミステリー・ディスク』として発表された。
- ^ 『イエロー・シャーク』(1993年)、『アヘッド・オブ・ゼア・タイム』(1993年)、『文明、第三期』(1994年)の制作や編集と並行しての作業であった。
- ^ CsupóはKlasky-Csupo, Inc. の共同設立者である。ザッパは『ザ・シンプソンズ』が好きで彼と親交があった。
- ^ 本名はチャールズ・ロバート・ザッパ(Charles Robert Zappa)。1943年に生まれ、ザッパと同じくアンテロープ・バレー・ハイ・スクールに通った。この録音の時には在学中であったと考えられる。のちにMOIに加入してモーターヘッド・シャーウッドと名乗ったジム・シャーウッドはボビーの同級生であった。2018年病没。
- ^ アンテロープ・バレー・ハイ・スクールでザッパの同級生。のちのキャプテン・ビーフハートことドン・ヴァン・ヴリートである。クレジットはキャプテン・ビーフハートであるが、彼がキャプテン・ビーフハートと名乗り始めたのはキャプテン・ビーフハート・アンド・ヒズ・マジック・バンドを結成した1964年であり、この曲を録音した時には出生名を名乗っていたと考えられる。
- ^ ザッパは1958年6月にアンテロープ・バレー・ハイ・スクールを卒業して、アンテロープ・バレー・ジュニア・カレッジに進学したが一学期在籍しただけで退学した。
- ^ ザッパの父親は1956年にモハーヴェ砂漠の西端に位置するアンテロープ・バレーのエドワーズ空軍基地の近くにある連邦政府化学戦研究施設に勤務することになり、一家はサンディエゴからランカスターに転居した。ザッパはアンテロープ・バレー・ハイ・スクールに転入し、そこで同級生のドン・グレン・ヴリートと親しくなった。
- ^ ウィリアムス兄弟は、MOIの『ウィー・アー・オンリー・イン・イット・フォー・ザ・マニー』(1968年)に収録された'Let's Make The Water Turn Black'と'Idiot Bastard Son'の歌詞に登場した。
- ^ バフはクカモンガ出身のエンジニアで、レコーディングに興味をもって独学で技術を習得し、さらにギター、ベース、ドラムス、キーボード、サクソフォーンの演奏も学んだ。彼は1950年代後半、21歳の時にクカモンガにパル・スタジオを設立して、レコーディング機材を自らの手で改良し、サーフ・ミュージックやドゥーワップのシンガーやグループとマスター・テープを制作して、ハリウッドのレコード会社に売り込んだ。
- ^ ロニー・ウィリアムスが在籍していたザ・マスターズは1960年10月に、バフのプロデュースによるデビュー・シングル'T-Bone'をバフのエミ―・レコード(Emmy Records)から発表していた(E 1006)。彼等は1961年6月にエミ―・レコードから2作目のシングル'Sixteen Tons'を発表した(E 1008)。このシングルのB面に収録された'Breaktime'はバフ、ウィリアムス、ザッパが共作したインストゥルメンタルで、バフがピアノ、ウィリアムスがドラムスとベース・ギター、ザッパがギターを演奏した。
- ^ ザッパは1961年6月から11月まで映画"The World's Greatest Sinner"の音楽を書いて、バフの下で主題曲を録音した。彼は引き続いてパル・スタジオで働いてバフからレコーディング技術を学び、バフと共同または単独で様々なシングルレコードの制作に携わった。そして1964年7月にバフからスタジオを買い取って、同年8月にスタジオZと改名して再出発させた。
- ^ ライナーノーツには、本曲はスタジオZで録音されたと記されている。ザッパと共にパル・スタジオに出入りしていたジム・シャーウッドによると、ザッパは1964年7月にスタジオをバフから買い取った後で、その名前をスタジオZにした。従って本曲の録音場所の名前は正式にはパル・スタジオであるが、ザッパは自分が買い取るよりも前からパル・スタジオをスタジオZと呼んでいた。
- ^ ライナーノーツにはVic Mortensonと記されているが、正しくはVic Mortensenである。アンテロープ・バレー・ハイ・スクールのザッパやヴリートの後輩にあたる。ザッパがパル・スタジオを買い取ってスタジオZと改名する1964年8月より前から、ザッパに誘われてスタジオに出入りするようになった。1965年に、ドン・グレン・ヴリート改めドン・ヴァン・ヴリートが率いるキャプテン・ビーフハート・アンド・ヒズ・マジック・バントの2代目ドラマーになるが、ほどなくベトナム戦争の為に徴兵されたので離脱した。
- ^ バフは1963年にOriginal Soundと契約を結んで、パル・スタジオではなくハリウッドで仕事をすることが多くなっていた。
- ^ ザッパは1959年に、アンテロープ・バレー・ハイ・スクールの英語教師だったドン・セルヴェリスが脚本を書いた映画"Run Home Slow"の音楽を書いた。彼が1964年にようやくその報酬を得、それを資金源にパル・スタジオをバフから買い取った。
- ^ MOIのデビュー・アルバム『フリーク・アウト!』(1966年)の制作と、それに引き続いたMOI名義の初めての国内ツアーに参加したが、薬物摂取の為にザッパに解雇された。
- ^ 'I Don't Wanna Get Drafted'は、'Drafted Again'と改題された。
参考文献
[編集]- Zappa, Frank; Occhiogrosso, Peter (1990). The Real Frank Zappa Book. Touchstone. ISBN 0-671-70572-5
- Miles, Barry (2004), Zappa, Grove Press, ISBN 0-8021-4215-X
- Ulrich, Charles (2018), The Big Note: A Guide To The Recordings Of Frank Zappa, New Star, ISBN 978-1-55420-146-4
- Barnes, Mike (2011), Captain Beefheart: The Biography, Omnibus Press, ISBN 978-1-78038-076-6