ミカサ (自動車)
ミカサは、岡村製作所が1957年(昭和32年)から1960年(昭和35年)にかけて製造・販売していた商用車と乗用車のブランドである。
前輪駆動方式であり、自社製のトルクコンバータを採用した、日本初のオートマチック車として特筆される。
概要
[編集]岡村製作所は1945年(昭和20年)に旧日本飛行機の航空機製造の技術者らによって創業された[1]。当初はオフィス家具を手がけたが、1950年(昭和25年)に日本初のトルクコンバータの開発に成功。さらに、このトルクコンバータを搭載した自動車の開発を目指すことになる[2]。
自動車の開発にあたって、岡村製作所ではシトロエン2CVを購入して研究した[3]。
2CVの手法を取り入れ、当時日本では珍しかった前輪駆動方式と空冷水平対向2気筒エンジンを採用してスペース効率を追求、前輪に動力を伝達するトランスアクスルは当時一般的なマニュアルトランスミッションに代えて自社製トルクコンバータによる自動変速式とした。もっとも完成したモデルの外見から2CVの影響がうかがえるのは、ボルト3本で組みつけられるディスク式ホイールぐらいである[4]。またサスペンションの設計も、2CVの独特な「前後連関懸架」は採用せず、前後とも手堅く重ね板ばね(リーフスプリング)を用い、前輪のみ独立式とした。
1957年(昭和32年)5月に日比谷公園で開催された第4回全日本自動車ショウにおいて、ミカサ・サービスカー・マーク I及びミカサ・スポーツの2台を出展[5]。
ミカサ・サービスカー・マーク Iは同年から販売され、ミカサ・スポーツはミカサ・ツーリングと名を変えて1958年(昭和33年)から販売された。また、後にミカサ・サービスカー・マーク II[4]も発売された。ミカサの製造にあたっては、ボディには航空機の薄板加工技術が、シート及び内装には家具製造の技術が用いられ、生産はすべて岡村製作所の社内で行われた[2]。
しかし、メインバンクが共通する本田技研工業が既に二輪車事業を軌道に乗せており、メインバンクが岡村製作所にオフィス家具への専念を勧めたこともあり[6]、1960年(昭和35年)に生産が中止された[2]。総生産台数は、サービスカーが500台余り、ツーリングが10台程度とされる。
岡村製作所の業態変更により、同社のトルクコンバータがその後自動車に採用された例は、1960年(昭和35年)発表のマツダ・R360クーペと1961年(昭和36年)発表の愛知機械工業・コニー・グッピーの軽自動車2種に留まっている。
車種
[編集]ミカサ
[編集]1955年(昭和30年)、自社製トルクコンバータと2速自動変速機を組み合わせたAK-4型「ノークラッチOKドライブ」のテストベッドとして試作車が製作され、「ミカサ」と命名された。先述のとおり、エンジンを含め、設計から組み立てまでの全てが内製で行われている。
パワートレインのレイアウトは範とした2CVに倣い、前から縦置きエンジン、デフ、トランスミッションの順であるが、スタイリングは2CVとは全く異なり、独立したトランクを持つ3ボックスタイプの4ドアセダンとなった。
同社のウェブサイトには広報用と思われるパワートレインとセダンの外観写真のほか、586 ccというエンジン排気量とAK-4型の記載があるが、その他の諸元と生産台数は不詳。
ミカサ・サービスカー・マーク I
[編集]ミカサ・サービスカー・マーク I | |
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概要 | |
販売期間 | 1957年 - 1960年[2] |
ボディ | |
乗車定員 | 4人[7] |
ボディタイプ | 2ドア・バン |
駆動方式 | FF[7] |
パワートレイン | |
エンジン |
空冷 水平対向2気筒 OHV 4ストローク 586 cc 最高出力:17ps[7] |
変速機 | 2速AT(トルクコンバータ)[7] |
前 |
前:横置き重ね板ばね独立懸架 横置き重ね板ばねリジッド軸[7] |
後 |
前:横置き重ね板ばね独立懸架 横置き重ね板ばねリジッド軸[7] |
車両寸法 | |
ホイールベース | 2,100 mm[7] |
全長 | 3,810 mm[7] |
全幅 | 1,380 mm[7] |
全高 | 1,440 mm[7] |
車両重量 | 600 kg[7] |
その他 | |
最高速度 | 70 km/h[7] |
1957年(昭和32年)5月の第4回全日本自動車ショウにプロトタイプを出品[1]。価格は485,000円で、マークIとマークIIを合わせて500台余りが生産された[6]。
ミカサ・サービスカー・マーク II
[編集]ミカサ・サービスカー・マーク IIはマーク Iと同様にライトバンであるが、マーク Iがボディと一体で窓のある荷室を有するのに対して、マーク IIは窓を廃した背の高い荷室を有するフルゴネットタイプであった[6]。ドアと荷室の外板に多数のリブが並ぶなど、マーク Iに比べてより割り切りが感じられ、目標とされた2CVにもあったフルゴネットの雰囲気に近づいている[4]。
ミカサ・ツーリング
[編集]ミカサ・ツーリング ミカサ MT10[8] | |
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概要 | |
販売期間 | 1958年 - 1960年 |
ボディ | |
乗車定員 | 4人 |
ボディタイプ | 2ドア・オープン/クーペ[8] |
駆動方式 | FF[8] |
パワートレイン | |
エンジン |
空冷 水平対向2気筒 OHV 4ストローク 585 cc 最高出力:19.5 ps/4,000 rpm[8] |
変速機 | 2速AT(トルクコンバータ)[8] |
前 |
前:横置き重ね板ばね独立懸架 横置き重ね板ばねデッドアクスル[8] |
後 |
前:横置き重ね板ばね独立懸架 横置き重ね板ばねデッドアクスル[8] |
車両寸法 | |
ホイールベース | 2,100 mm[8] |
全長 | 3,810 mm[8] |
全幅 | 1,400 mm[8] |
全高 | 1,365 mm[8] |
車両重量 | 610 kg[8] |
その他 | |
最高速度 | 90km/h[8] |
1957年(昭和32年)5月の第4回全日本自動車ショウにミカサ・スポーツとして出展[5]。翌年、ミカサ・ツーリングと名を変えて、3台のみが市販されたとも[9]、10台程度が製造されたとも[6][1]される。価格は875,000円であった[6]。ハードトップのクーペモデルが東京都千代田区永田町にあるオカムラいすの博物館で展示されている[10]。搭載されている自社製オートマチックトランスミッションは2015年(平成27年)7月、日本機械学会が認定する「機械遺産」に選定された[11]。
脚注
[編集]- ^ a b c 浅井貞彦『60年代街角で見たクルマたち 日本車・珍車編』三樹書房、2012年
- ^ a b c d 株式会社岡村製作所 CSR Report 2009 持続可能な社会をめざして (PDF)
- ^ 株式会社岡村製作所 創業者 吉原謙二郎 先駆者たちの大地 IRマガジン2003年秋号 Vol.63 野村インベスター・リレーションズ
- ^ a b c 小関和夫 日本の商用車列伝 「第7回 バン&ピックアップ黎明期」 - 三樹書房 M-BASE 2013年9月版(WBMによる2014年7月14日のアーカイブ / 2017年5月30日閲覧)
- ^ a b 五十嵐平達『写真が語る自動車の戦後:アルバムに見る50年』ネコ・パブリッシング、1996年
- ^ a b c d e 高島鎮雄『カタログで見る日本車なつかし物語』三樹書房、1999年
- ^ a b c d e f g h i j k 1957年 岡村製作所 ミカサ・サービスカー マークI カタログ
- ^ a b c d e f g h i j k l 1958年 岡村製作所 ミカサ・ツーリング カタログ
- ^ 名車列伝 ツーリング 日本/ミカサ/1960年 (PDF) インターネット博覧会トヨタ博物館
- ^ オカムラのご案内|いすの博物館 株式会社岡村製作所
- ^ 岡村製作所「ミカサ」のオートマチック・トランスミッションが日本機械学会「機械遺産」に認定 - 岡村製作所、2015年7月29日
外部リンク
[編集]- 「夢のかたち」~ミカサ開発ストーリー - 岡村製作所(2015年版 / 2015年10月28日閲覧)