マティアス・ザマー
| ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
![]() | ||||||
名前 | ||||||
愛称 | Fire-Head | |||||
ラテン文字 | Matthias SAMMER | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
![]() | |||||
生年月日 | 1967年9月5日(57歳) | |||||
出身地 | ドレスデン | |||||
身長 | 181cm | |||||
体重 | 75kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF (LIB) /MF (DH) | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
1976-1985 |
![]() | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1985-1990 |
![]() | 102 | (39) | |||
1990-1992 |
![]() | 63 | (20) | |||
1992-1993 |
![]() | 11 | (4) | |||
1993-1999 |
![]() | 115 | (21) | |||
代表歴 | ||||||
1986-1990 |
![]() | 23 | (6) | |||
1990-1997 |
![]() | 51 | (8) | |||
監督歴 | ||||||
2000-2004 |
![]() | |||||
2004-2005 |
![]() | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
マティアス・ザマー(Matthias Sammer, 1967年9月5日 - )は、ドイツ(旧東ドイツ)・ドレスデン出身の元サッカー選手。2012年7月から2016年7月までFCバイエルン・ミュンヘンの取締役を務めた。選手時代のポジションはミッドフィールダー、ディフェンダー。
経歴
[編集]選手時代
[編集]1985年に地元のクラブであるディナモ・ドレスデンでキャリアをスタート。当時東ドイツの支配下にあったため、強制的にシュタージのフェリックス・ジェルジンスキー衛兵連隊に所属していた[1]。
1990年にVfBシュトゥットガルトへ移籍すると。1992年には攻守にわたる活躍が認められて、セリエA・インテルへ移籍、ユヴェントスFC相手にゴールを決めるなど、低調なチーム内にあってシャリモフと共に奮戦し[2]、11試合4ゴールと結果を残すが、イタリアのメンタリティーに合わず、シーズン途中にボルシア・ドルトムントへ移籍[3]、移籍後は2000年の引退までチームの守備の要としてプレーし、1994-95シーズンにはチーム創設後初のリーグ優勝を果たし、1995-96シーズンにもリーグ優勝を果たした。また代表では欧州選手権優勝に貢献した活躍から、欧州最優秀選手賞(バロンドール)を獲得した[4](前年度は第9位[5])。1996-97シーズンにはボルシア・ドルトムントのUEFAチャンピオンズリーグ初優勝に貢献した。
ドイツ代表としては東ドイツ出身者として初選出を果たし、UEFA欧州選手権1996ではDFながら、グループステージのロシア戦、準々決勝のクロアチア戦でゴールを決めるなど、攻守にドイツの優勝に貢献、大会最優秀選手に選ばれた[6]。
膝の故障に苦しみ、引退直前の2シーズンはほとんど試合に出ることができなかった。
引退後
[編集]引退後は指導者としての道を歩み、ボルシア・ドルトムントやVfBシュトゥットガルトの監督を務め、2006年のドイツサッカー協会のスポーツディレクター就任を経て、2012年にバイエルン・ミュンヘンの取締役に就任。2016年7月に同クラブを退団した。ボルシア・ドルトムントの監督としてはブンデスリーガ優勝も果たした。
2017年以降はテレビ局のゲストコメンテーターとして活動している。
2018年4月、ボルシア・ドルトムントの顧問に就任した。
フォアリベロ
[編集]一般にリベロは攻撃の組み立てに参加しつつ試合をコントロールするセンターバックではあるが、ザマーはそれに加えDFラインから前線に顔を出すシャドーストライカーの仕事もこなした。ドルトムントではジュリオ・セザールとミヒャエル・ツォルク 、代表ではトーマス・ヘルマーとディーター・アイルツ、と能力の高いCBとカバーリングに優れた守備的MFに恵まれ、ザマーは高い身体能力を活かした素早いオーバーラップで、たびたび前線に飛び出し流れの中から得点を挙げた。3バックの中央であるがほとんどDFラインの前でプレーしていたことから、日本では「フォアリベロ」というサッカー用語が一時定着した。
攻撃的な選手が選ばれる傾向があるバロンドールやUEFA欧州選手権1996の最優秀選手賞にザマーが選出されたのは、このプレースタイルに依るところが大きい。
所属クラブ
[編集]ディナモ・ドレスデン 1985-1990
VfBシュトゥットガルト 1990-1992
インテル・ミラノ 1992-1993
ボルシア・ドルトムント 1993-1999
代表歴
[編集]出場大会
[編集]試合数
[編集]
東ドイツ代表 | 国際Aマッチ | |
---|---|---|
年 | 出場 | 得点 |
1986 | 1 | 0 |
1987 | 0 | 0 |
1988 | 8 | 1 |
1989 | 11 | 2 |
1990 | 5 | 3 |
通算 | 25 | 6 |
ドイツ代表 | 国際Aマッチ | |
---|---|---|
年 | 出場 | 得点 |
1990 | 1 | 0 |
1991 | 3 | 0 |
1992 | 9 | 1 |
1993 | 6 | 0 |
1994 | 12 | 2 |
1995 | 6 | 2 |
1996 | 11 | 3 |
1997 | 3 | 0 |
通算 | 51 | 8 |
指導歴
[編集]ボルシア・ドルトムント ヘッドコーチ 2000
ボルシア・ドルトムント 監督 2000-2004
VfBシュトゥットガルト 監督 2004-2005
ドイツ・サッカー協会 スポーツディレクター 2006-2012
FCバイエルン・ミュンヘン 取締役 2012-2016
獲得タイトル
[編集]代表
[編集]- UEFA欧州選手権1996優勝 (ドイツ)
- UEFA欧州選手権1992準優勝 (ドイツ)
- U18ヨーロッパ選手権1986年大会 優勝 (東ドイツ)
- U20ワールドカップ1987年大会 3位 (東ドイツ)
クラブ
[編集]- UEFAチャンピオンズリーグ優勝 : 1996-97
- ドイツ・ブンデスリーガ優勝 3回 : 1991-92, 1994-95, 1995-96)
- DDRオーバーリーガ優勝 2回 : (1988-89, 1989-90)
- DDRポカール優勝 : 1989-90
個人タイトル
[編集]- 欧州年間最優秀選手(1996)
- ドイツ年間最優秀選手賞(1995, 1996)
- 20世紀の偉大なサッカー選手100人 92位(ワールドサッカー誌選出 1999)
監督として
[編集]- ドイツ・ブンデスリーガ優勝 : 2001-02
- UEFAカップ準優勝 : 2001-02
脚注
[編集]- ^ “元ドイツ代表ザマー氏、東ドイツ時代に秘密警察所属の衝撃過去を告白”. football-tribe. 2018年4月28日閲覧。
- ^ サッカーダイジェスト1993/1/7日号 p.76
- ^ Sammer, il pallone d'oro allergico all'Italia-Tutto Calcio,web 2013年4月2日
- ^ “ヒッツフェルト流「勝利の作法」で欧州を制したドルトムント◎サッカー世界遺産第29回”. soccermagazine. 17 October 2020閲覧。
- ^ ワールドサッカーダイジェスト 1996年3月号 no.17 p.58-59 日本スポーツ企画出版社
- ^ Euro 1996 Legends: Matthias Sammer-Goal.com
- ^ a b マティアス・ザマー - National-Football-Teams.com
外部リンク
[編集]- マティアス・ザマー - National-Football-Teams.com
- マティアス・ザマー - FootballDatabase.eu
- マティアス・ザマー - WorldFootball.net
- マティアス・ザマー - Transfermarkt.comによる選手データ
- マティアス・ザマー - Transfermarkt.comによる指導者データ
- マティアス・ザマー - FIFA主催大会成績
- マティアス・ザマー - UEFA
- マティアス・ザマー - レキップ
- マティアス・ザマー - Fussballdaten.de
- マティアス・ザマー - Munzinger Sports Archives