フルク1世 (アンジュー伯)
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フルク1世 Foulques I | |
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アンジュー伯 | |
在位 | 929/30年 - 942年 |
称号 | アンジェ副伯 |
出生 |
870年ごろ |
死去 |
942年 西フランク王国、トゥール |
配偶者 | ロシーユ・ド・ロシュ |
子女 |
ギー フルク2世 ロシーユ |
家名 | アンジェルジェ家 |
父親 | アンジェルジェ |
母親 | アドレース・ド・ビュザンセ |
フルク1世(フランス語:Foulques I, 870年ごろ - 942年)は、898年ごろよりアンジェ副伯、のちアンジュー伯(在位:929/30年 - 942年)。赤毛伯(le Roux)といわれる。
生涯
[編集]フルク1世はアンジェルジェとアドレース・ド・ビュザンセの間に[1]、870年ごろに生まれた[2]。898年ごろよりアンジェ副伯となり、899年にトゥール副伯、905年にトゥール伯、900年から918年の間にナント伯となった[1]。アンジェ副伯時代に領地を拡大させ、929年ごろにアンジュー伯と名乗った。フルク1世はしばしばノルマン人やブリトン人と戦った。また、907年にナント伯領を占領したが、919年にブリトン人に引き渡した。フルク1世は942年ごろに死去した[1]。
家族
[編集]フルク1世は、ロシュおよびヴィラントロワの領主ガルニエの娘ロシーユ・ド・ロシュと結婚し[1]、以下の子女をもうけた。
- ギー(970年没) - ソワソン司教[1][3]
- フルク2世(905年頃 - 960年) - アンジュー伯(942年 - 960年)[1]
- ロシーユ(906年 - 948年) - ブルターニュ公アラン2世と結婚
脚注
[編集]- ^ a b c d e f Schwennicke, Detlev, ed (1984). “Tafel 116”. Europäische Stammtafeln: Stammtafeln zur Geschichte der Europäischen Staaten, Neue Folge. III. Marburg: J. A. Stargardt
- ^ Keats-Rohan, K. S. B. (1997). Family Trees and the Root of Politics; A Prosopography of Britain and France from the Tenth to the Twelfth Century. Woodbridge: Boydell Press. p. 255
- ^ The Annals of Flodoard of Reims, 919–966. Toronto: University of Toronto Press. (2011). p. 30
参考文献
[編集]- Seward, Desmond (2014). The Demon's Brood: A history of the Plantagent Dynasty. Pegasus Books. ISBN 978-1101606285
- Jones, Dan (2012). The Plantagenets: The Warrior Kings and Queens Who Made England. London: HarperPress. ISBN 978-0-00-721392-4
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