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ノート:小田原の役/小田原の役2

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他のページでの表記揺れを統一する

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過去ログ化し、現状維持(小田原の役)となったわけですから、豊臣秀吉などのページの「小田原征伐」は、順次小田原の役に改名します。--蚯蚓 2009年2月5日 (木) 13:25 (UTC)

(私は記事名に対しては「小田原の役」派でしたが)一般的な用語ではそうかも知れませんが、文脈や用法で秀吉視点の「小田原征伐」を表現している場合もありますので、他記事の文中に於ける用法についてはある程度は柔軟な対応でよいと思います。--yasumi 2009年2月28日 (土) 00:26 (UTC)
過去ログを拝見致しましたところ、小田原征伐の改名理由が、征伐が差別用語にあたる、また秀吉視点であると、いまいちよく分からない理由でしたので、当の秀吉のページの書き換えは必要ないと思われますが。--118.1.47.48 2010年5月16日 (日) 14:41 (UTC)
個人的には「征伐が差別用語にあたる、また秀吉視点である」とは思いません。ノート:長州征討でもお分かりの通り長州征討でも同様の理由で改名が提案され、「征討は差別用語ではない」という理由で却下されています。--プリズム11 2010年10月4日 (月) 13:08 (UTC)
>「征討は差別用語ではない」という理由で却下されています。
主な理由はそうではないと思いますが……。あれは三階菱さんの根拠のない主張と賛同者がいなかったことじゃないですか……?
秀吉視点のページでの征伐変更はとりあえず凍結します。そんな小さなことではなくて記事全体を広げたほうがいいですしね。--蚯蚓 2011年1月10日 (月) 09:05 (UTC)
コメント 「長州征討」が改名にいたらなかったのは、賛同者がいない以前に「征伐や征討は差別用語である」そして「言い換えが正当である」という根拠が示せなかったからでしょう。「征伐」から「攻め」「役」に変更されたどの記事の改名議論も、その時点での根拠は実は充たしておらず、改名時の合意は投票等により形成しているとはいえ、際立って優勢であったわけでもなく、三階菱さんの主張と同じく体感的な意見と、別の理由からの合意であったようですが。--ジャムリン 2011年1月10日 (月) 10:00 (UTC)
コメント 長大な議論があったようですのですでに指摘されていることかもしれませんが、「小田原征伐」は正確にいえば秀吉視点ではなく、「豊臣政権論」視点ということではないでしょうか?対して「小田原の役」は「戦役」の略でしょうから、なんとなく軍事史・合戦史的な視点の印象があります。つまりこれは秀吉側・北条氏側という視点ではなく、研究史的なアプローチの違いであるような気がします。戦前・・かどうかわかりませんけど、おそらく昔はこの合戦を政治史的よりも合戦史として捉える向きが強かったと思いますし、戦後に実証史学・戦国期研究が出てきて、豊臣政権論においてはおそらく「征伐」か類する表現が文書においてもなされているでしょうし、織田家臣であった秀吉が東国大名を「征伐」できる地位になったことは、政治史的にも注目されることであろうと思いますし、そうした豊臣政権の確立過程での小田原戦役、という印象があります。
つまりは「の役」「征伐」は研究史の変遷を意味しているのではないでしょうか。
私が多少なりとも知っているつもりなのは武田研究ですが、武田研究の範疇では「武田征伐」という用語は用いられません。信長の甲斐侵攻は「武田氏の滅亡」という用語を使わない形で語られてる印象がありますが、信濃侵攻から川中島、西上野侵攻、駿河侵攻、遠江・三河侵攻、西上・・と武田氏のそれまでの合戦に比べて、武田滅亡については重要視されていないわけではないのですが、専論は少ない印象があります。
なぜかと考えると、武田研究の一貫した研究テーマは武田氏の大名領国の確立過程と構造の解明であると思いますから、上記の一連の合戦は大名領国の確立過程として注目されるのですよね。対して武田氏の滅亡というのは、そこからなにかしかの論を導きにくいように思えますし、それよりは織田政権の確率過程という枠組みで捉えられるほうが大きいのだと思います。
おそらく後北条氏研究においても同様なのではないでしょうか。--でここ 2011年1月11日 (火) 06:22 (UTC)
やはりどこかで「征伐」「征討」は差別用語かを議論するべきですね。現在はノート:九州の役で論争が起きているほか、以前議論されたいくつかの中でも相互間がリンクしていない気がします。なにかいたちごっこになっているので、プロジェクト日本史などでこういった種類の記事名をどうつけるか決めるべきですね。--蚯蚓 2011年1月11日 (火) 09:13 (UTC)

そういえば戦国時代史の若手研究者中心に編集された別冊太陽「戦国大名」では秀吉の地方統一はすべて「平定」で統一されていましたね。執筆は戸谷穂高さんというおそらくこの分野の若手研究者さんでしょうけど。--でここ 2011年1月11日 (火) 10:26 (UTC)

これだけ表記が揺れているから「一般的な呼称」として記事名を確定できないんですね。
やはりルール作りが必要ではないかと。--蚯蚓 2011年1月11日 (火) 11:03 (UTC)
「出典」の元となっている外部での統一がなされていない状態での、統一且つ確定的なルール作りには無理があると思われます。戦争は戦国時代だけにあったわけでもありませんし。表記の揺れの大体は記事中で説明されております。揺れがあることが学界を含めた現状であるなら、その反映たるwikipediaも揺れがあっておかしくはないと思われます。例えば、これは個人サイトですが、このような理解の仕方をしている人も居ます。「[1]」。ルールの基準をどこに定めるかで一般的な名称から離れることもありえますし、時間の経過によって定めたはずの記事名が、すぐに不適当になる場合も考えられます。記事ごとに、時々に議論を重ねて決めていくしかないと思います。確定されたものでないのだから、確定できないのは当たり前とも言えます。--ジャムリン 2011年1月11日 (火) 11:33 (UTC)
別冊太陽「戦国大名」でも全ての地方平定戦全てを「平定」で統一しているわけではなく、文中においては執筆担当の研究者によっては「合戦」(小田原合戦)、「出兵」(四国出兵)等も使われています。また、同書の中でも触れられていましたが、四国・九州と違い、後北条氏に関しては、秀吉は既に臣従しているものとの認識で、政権内部の事件として見られたために戦後処理における違いが出たとの見解・説があります。政権外勢力との戦争を「役」を呼ぶと定義した場合には「小田原の役」では不適切ということにもなりかねません。そして、後北条氏を含めた研究においても、その観点で「誅伐」という言葉が使われていることがあります。--ジャムリン 2011年1月11日 (火) 22:22 (UTC)

>プリズ氏・ジャムリン氏 「小田原征伐」などの差別的な用語を今更になって、項目名にしようという考えには歓心しません。戦役として「●●の役」というが一般的ですし、過去のWikipedia議論でもそうでした。蒸し返さないでいただきたい。--三階菱 2011年1月12日 (水) 15:00 (UTC)

今回もですが、何回も言いますが、他の幾人の方々も三階菱さんにはお願いしてますが、どの記事の議論でも求められていましたが、ご自身の意見や主張の根拠となる出典持ってきてから出直していただければ幸いです。今回も出典や根拠なしに議論を疲弊させるだけでしたら、改めてコメント依頼、その他を提出させていただきます。--ジャムリン 2011年1月12日 (水) 15:55 (UTC) 
それともう一点、相変わらず他者のコメントをご自分都合と理解の及ぶ範囲内のみで曲解なされているようなので、念のため付け加えますが、「小田原の役」という該当項名を「小田原征伐」に改名した方が良いなどと主張しておりませんし、するつもりもございません。しかしその理由は「差別的な言語だから」という根拠も示せないような理由ではありません。--ジャムリン 2011年1月12日 (水) 17:05 (UTC)
三階菱さんはコメント依頼/三階菱にちゃんと対応できるまで、他の場所に書かないで頂ければと思います。--プリズム11 2011年1月17日 (月) 22:21 (UTC)

指摘

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[注文・他意なし] ・武田征伐に参加する→参戦する ・「こととなった」→乱発しているーと思う。 (近い文章間で重複しない統辞の原則=高校で習います。) ・条件の一つとして行われている→挙(あ)げられている。 なお「行う」は正しくは「行なう」と書く。 ・宛てがわれている→当てがわれている(でしょう) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ◆動詞を多く名詞(インデイアン語)化しているため素人 (専門家でない)には読みにくい。推敲し流麗なStil にしていただきたい。斉藤S氏や阿部Y氏(歴代古案)も 文章の達人ではないが、これよりマシ。(皆んな見ていま すよ!)=竹俣莞爾--114.164.81.229 2009年12月4日 (金) 08:12 (UTC) (書き込みで書式が破壊されたので修正、及び書込を移設)

改名提案

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本ページ名を「小田原の役」から「小田原征伐」へ改名することを提案します。理由は以下の2点です。

  • 「小田原征伐」から「小田原の役」への改名の際、議論も行われずに「中立的な呼称」という意図不明な理由で勝手に移動された。
  • グーグルの書籍検索でも「小田原の役」の倍以上のヒット数なので、「認知度が高い」「見つけやすい」に当てはまります。--小判キング 2011年5月7日 (土) 14:29 (UTC)
  • 賛成--プリズム11 2011年5月7日 (土) 17:02 (UTC)
  • (質問)お2人に質問。もし、掲げられた2つの理由が事実でない場合はどうなさいますか。--Chokorin 2011年5月7日 (土) 21:12 (UTC)
  • (質問)過去ログを読んだ限りでは、移動後に充分な議論がなされて「小田原の役」に確定したかにみえますが、その議論は無視すべきと考えますか。また、グーグルの書籍検索の結果はどのようなものだったか数値をあげてくだされば幸いです。それから、この記事に加筆することは歓迎されていますか、それとも歓迎されていないのでしょうか。--Chokorin 2011年5月8日 (日) 10:50 (UTC)

説明を[求められたので説明します。前回の改名ですが、再確認と言いつつ周知されていなかった(最終確認の際、改名を強行した人から説明も無かったほどです)ようですし、根拠も曖昧なままだったように思います。関白となって政権を確立した秀吉が北条氏を攻めたことを「征伐」ということに庇護はないです。なにより事前協議すべきことを事後協議にしてしまったことが大きいミスだったと思います。ノート:征伐でも批判があったようです。別にChokorinさんの加筆についてはとくにコメントはありませんが、できれば大幅な加筆は改名議論終了後にしてもらいたいです。内容によっては小田原城の戦いに総論として加筆しても良いんじゃないでしょうか?検索数についてはGoogleのダブルクォーテーション検索結果で、小田原征伐が約1300件、小田原の役が約600件です--小判キング 2011年5月10日 (火) 01:10 (UTC)

コメント「庇護」という言葉が適切かどうか疑問でしたが、「関白となって政権を確立した秀吉が北条氏を攻めたことを「征伐」ということに問題はない」という意味でしょうか。それについては、まさにおっしゃるような理由でかつて「小田原征伐」の語が定着し、多用されていたことは間違いないと思います。ただ、個人的には、最近の学者の書いたもので「小田原征伐」の語を使用している例には出会ったことがないです。その意味で、現代において一般的に使用される「認知度の高い」語であるかどうかは、やはり精細な文献調査によって確かめる必要があると思います。--Chokorin 2011年5月10日 (火) 20:17 (UTC)
小田原征伐という呼び方は最近でも使われていると思いますが、一番多いかどうかは調査して無いのでわかりません。しかし、小田原の役よりは多いでしょうし、小田原の役がこんにち最も多く使われているというわけでもありませんよね。小田原城の戦いですとか小田原平定ですとか、そういった名称にしたり、あるいは一部分を移すようなことを議論するのも良いかも知れないですね、ただし全体のバランスを考えた上で--小判キング 2011年5月11日 (水) 13:48 (UTC)
  • 賛成 提案自体には賛成です。しかし、ノート:征伐のほうの議論は完結したと言えますでしょうか?他の記事に波及する可能性もあるので、今後もあちらで議論を続けてもいい気がします。--貫鉄 2011年5月13日 (金) 05:10 (UTC)
コメント最近多く使用されている「認知度の高い」語を見出しにすることには賛成です。しかし、「小田原征伐」の語を歴史学の文献で見かけるでしょうか。「小田原征討」ならば見かけることはありますが、「小田原征伐」はついぞ見かけることがありません。むしろ、「小田原の役」の方が使用頻度が高い印象があります。「小田原平定」なども含め、やはり、実際の使用状況を文献調査によって確かめる必要があるのではないでしょうか。--Chokorin 2011年5月13日 (金) 10:25 (UTC)

(報告) 慎重論もありましたが、一週間のうち、ハッキリした反対意見が無かったため、小田原征伐に暫定的に改名(以前の項目名に戻し)しました。ただし、Chokorinさんから小田原平定小田原征討なども検討すべきだという意見もあったので、それも含めてノートのの議論は続けましょう。ちなみに書籍検索で小田原平定は52件、小田原征討は82件です。--小判キング 2011年5月14日 (土) 15:06 (UTC)

今後の議論

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わたしはGogle書籍検索で小田原平定は52件、小田原の役は604件、小田原征討は82件だったので、小田原征伐で良いと思います。みなさんはどう思いますか?--小判キング 2011年5月14日 (土) 15:06 (UTC)

合意が形成されていないので差し戻しておきます。Google書籍検索では「小田原征伐」と並んで「小田原攻め」も多いようです。ただし、この検索では最近の用語の使用状況がわかりません。「小田原の役」は学術的な書籍では比較的多く用いられている印象がありますので、記事名として特に不適切だとは思いません。現状では「小田原征伐」への改名に反対です。--Chokorin 2011年5月15日 (日) 12:02 (UTC)
「小田原征伐」の語が「差別的」であるかどうかについてですが、個人的には決して差別語ではないと思っています。「征伐」というのは、
  • 「罪のある者や反逆者などを攻め討つこと。征討」(『大辞泉』)
  • 「罪ある者や反逆する者を攻め討つこと。征討。討伐。退治」(『日本国語大辞典』)
  • 「反逆者や悪者を攻め討つこと。征討」(『明鏡国語辞典』)
  • 「攻めて行って反逆者や悪者などを討つこと」(『大辞林』)
という意味ですから、北条氏を「悪者」「罪人」または「反逆者」であると決めつけることではありますが、そこに差別しよう、見下そうという意図は含まれていないものと判断できます。次に、北条氏は秀吉に服従しなかったために戦争になったということですので、「征伐」の語は純粋に秀吉の視点に立つ限りは問題ありません。秀吉の立場からすれば、北条氏は「反逆者」ということになるでしょう。さらに、関白となって政権を確立した秀吉が北条氏を攻めたのだから、一種の国家反逆罪に相当するので「征伐」と称するべきであるという見方もありえます。国家の論理からみれば確かにその通りであり、それゆえ戦前の国家主義的な歴史観あるいは皇国史観からすれば、それで何の問題も生じなかったわけです。むしろ推奨されるべき用語だったといってよいでしょう。ただ、今までとは別の観点、たとえば「伝統的な武家社会の習い」というものからすれば、北条氏はもっぱら「逆徒」「謀反人」として扱われなければならないのかという疑問の生じるところです。この戦役に先だって北条氏が秀吉とのあいだに主従関係を結んだ、そして、いったんは臣従したにもかかわらず反逆におよんだというのであれば、誰の目からみても「逆徒」「謀反人」ということになり、秀吉のやったことは「謀反人征伐」であったと言い切れるでしょう。しかし、これはそもそも臣従を拒否しておこったことですから、明智光秀が主君に対して謀反を起こしたとか、徳川家に忠誠を誓っていたはずの長州藩が公然と反逆したというケースとは全然違う話です。それをひたすら「謀反」として扱うのはおかしいじゃないか、公平さを欠くんじゃないかという意見は当然ありえます。現代の歴史学においては「国家の論理」はすべてではないという見解が主流であり、むしろそれを相対化して歴史事象をとらえようという研究姿勢が優勢です。そういう意味で、「小田原征伐」の用語には、論者や立場によっては瑕疵がありうるわけです。もともと「小田原の役」や「小田原攻め」の用語にはそういう意味での瑕疵はないのですから、「不適ではないこと(瑕疵がないこと)」と「最適であること(見出しとして選択されること)」は直結するものではありません。したがって、「瑕疵がないことをもってただちに見出し語として採用する」ということに合意することはできません。--Chokorin 2011年5月17日 (火) 01:37 (UTC)

コメント 私見ですが、「小田原の役」というのはあまり使われていない呼び方であると思います。「小田原征伐」や「小田原攻め」の方がよく使用されていると思いますので、こういった使用状況を踏まえると、いずれかに改名することが合理的だと思います。--明銘 2011年5月17日 (火) 12:12 (UTC)

コメント「小田原攻め」への改名については反対いたしません。「小田原征伐」については、個人的には近年あまり見かけない表記ですので、もし、最近発行された日本史学者の著書や論文で、「小田原攻め」や「小田原の役」よりも多用され、「認知度が高い」ということが示されたら有力な改名先候補になると考えます。--Chokorin 2011年5月18日 (水) 12:10 (UTC)

コメント Googleの検索も参考にはなると思いますが、改名に当たっては専門家の著書や事典などにおける使用状況を大まかに確認する必要もあると思います。--秋田城之介 2011年5月20日 (金) 03:07 (UTC)

コメント戦前において、国家主義の影響や参謀本部の影響で「小田原征伐」や「小田原の役」が多かったのは自明のことなので、ここ30年程度の文献でよいと思います。これは、古い文献を軽視するのではなく、新しい文献を重視するためです。したがって、専門家の著書や事典などにおける使用状況を大まかに確認するという秋田城之介さんの御意見には賛同いたします。わたしはある意味、表記揺れのある記事名の場合は「流行語大賞でよい」と思っているので、個人的には「瑕疵がありうる」と指摘したにもかかわらず、現代においても学者によって「小田原征伐」の語が他の用語より多用されているということが確認されたのであれば、「小田原征伐」への改名提案に反対しません。--Chokorin 2011年5月21日 (土) 04:53 (UTC)

コメント 各種事典を簡単に調査してみました。

  • 日本全史        講談社    1991 小田原征伐
  • 日本大百科全書10    小学館    1995 小田原征伐
  • 平凡社マイペディア   平凡社    1995 小田原征伐
  • 角川新版日本史事典   角川書店   1997 小田原攻め
  • 大辞泉         小学館    1998 小田原征伐
  • 岩波日本史事典     岩波書店   1999 関東平定 
  • 日本歴史大事典     小学館    2000 小田原攻め
  • 日本史事典       旺文社    2000 小田原征討
  • 日本史小事典      山川出版   2001 小田原攻め
  • 詳解日本史用語事典   三省堂    2003 小田原攻め
  • 最新日本史教授資料   明成社    2003 小田原征伐
  • 朝日百科日本の歴史   朝日新聞社  2005 小田原攻め
  • 大辞林         小学館    2006 小田原征伐
  • 豊臣秀吉事典      新人物往来社 2007 北条氏征伐
  • 日本中世史事典     朝倉書店   2008 小田原攻め

一応、90年代以降のものに限定しましたが、「小田原攻め」と「小田原征伐」が多いようです。--秋田城之介 2011年5月21日 (土) 12:37 (UTC)

コメントとりあえず、手元にあるものだけで調べてみました。
〔教科書〕
  • 石井進・児玉幸多ほか『詳説日本史』山川出版社、2002。…太字で「小田原攻め」(p.155)
〔年代記〕
  • 『クロニック戦国全史』講談社、1995。…「小田原攻め(北条氏滅亡)」(p.491)
〔専門家による著作〕
  • 熱田公『日本の歴史11 天下一統』集英社、1992。…「小田原攻め」(p.269)
  • 神田千里『日本の中世11 戦国乱世を生きる力』中央公論新社、2002。…「北条氏討伐」(p.272)
  • 池享「天下統一と朝鮮侵略」『日本の時代史13 天下統一と朝鮮侵略』吉川弘文館、2003。…「小田原攻め」(p.73)
  • 中野等「唐入りと兵站補給体制」『日本の時代史13 天下統一と朝鮮侵略』吉川弘文館、2003。…「小田原の役」(p.195)
  • 小和田哲男『戦争の日本史15 秀吉の天下統一戦争』吉川弘文館、2006。…「小田原攻め」(p.215)
  • 小和田哲男『名城と合戦の日本史』新潮社、2007。…「小田原城攻め」(p.142)「小田原攻め」(p.145)
  • 山本博文『天下人の一級史料』柏書房、2009。…「小田原攻め」(p.219)
  • 堀新『日本中世の歴史7 天下統一から鎖国へ』吉川弘文館、2010。…「小田原攻め」(p.88)「小田原城攻め」(p.132)
以上のように、「小田原攻め」が優勢なようです。
また、手元にはありませんが、
〔事典〕
  • 『戦国武将・合戦事典』吉川弘文館、2005。…「小田原攻め」
〔図録〕
  • 『99秋季特別展 秀吉と日本三大水攻め』和歌山市立博物館、1999。…「小田原の役」
を確認しています(なお、和歌山市博の図録では「紀州征伐」については「紀州攻め」の用語が使われています)。
上に掲げた著作には、「北条氏は秀吉に対して特に反抗的な態度をとったわけではない」と書いたものがあって、その観点からすれば「小田原征伐」はやや違和感ののこるところです。また、惣無事令研究の影響だと思いますが、神田千里は、むしろ秀吉の側から「秀吉のやったことは単に天下人による武力征服一辺倒ではなかった」、池上裕子も同様に「征伐と呼べるようなものではなかった」と主張していたはずです。そのようなことからすれば、改名するとすれば「小田原攻め」が無難かなと思います。--Chokorin 2011年5月22日 (日) 02:01 (UTC)
武力征服一辺倒でなかったから、あるいは秀吉に対して反抗的な態度をとったわけではないから「征伐」が不適というのは、私からすると、直接的な理由になっていないか、もしくは論理が飛躍しているか、というふうにしか取れません。『池上裕子も同様に「征伐と呼べるようなものではなかった」と主張していた』とのことですが、前後の文章が無いと意味が汲み取れないかと思います。--秋田城之介 2011年7月20日 (水) 16:10 (UTC)

なぜChokorinさんは改名を差し戻したのでしょうか?秋田城之介さんの調査にせよ、Chokorinさんの調査にせよ信用性は薄いと思います。現に調査結果はそれぞれかなり違うでしょう。改名先が「小田原攻め」では初めの議論の差し戻しの意味もないじゃないですか--小判キング 2011年5月31日 (火) 17:32 (UTC)

利用者による調査を決め手にする必要も無いですが、あくまで参考にはなると思います。少なくとも無意味ではないと考えます。--秋田城之介 2011年6月11日 (土) 01:26 (UTC)

コメント 「小田原征伐」の方が「小田原攻め」より適切だと考え始めています。なぜかと言うと、「小田原攻め」は文献によると「上杉謙信の小田原攻め」を指す場合もあり、より限定的な意味の「小田原征伐」のほうが曖昧でないからです。現時点では「小田原征伐」を支持します。--秋田城之介 2011年6月11日 (土) 01:26 (UTC)

移動には合意の形成が必要なので差し戻されたのでしょう。 さて、「小田原征伐」は、代名詞「豊臣と後北条氏の戦争」でない原義「秀吉の征伐行為」を示す名称用例が多いようであり曖昧です。また、非秀吉勢力(敵対した後北条氏、第三局)からの表現が困難であるため、現状名称より改悪であると考え、前述通り反対です。本記事と同じく戦争を主題とし、公刊戦史にタイトルもあり、戦争名称「小田原の役」に「小田原征伐」は優越しないでしょう。--Yasumi 2011年6月12日 (日) 21:11 (UTC)
「小田原の役」なんて使用はあまりされていないでしょう。大した理由もなしに改名しておいて無責任ではありませんか。--小判キング 2011年6月15日 (水) 01:32 (UTC)

コメント >Yasumi氏 公刊戦史にタイトルがあるというだけでは優越性は確保できません。また、「秀吉の小田原(北条)に対する征伐行為」がどのように曖昧だというのでしょうか?また、「征伐」だと非秀吉勢力からの表現が困難というのは根拠の無い発言であると思います。どこがどう困難だと言われるのでしょうか?なお、前回のコメントの補足として、小田原攻めだと出典状況としては問題なくても、上杉氏によるものを指す場合も多く、結果として不適切になると考えています。--秋田城之介 2011年6月15日 (水) 04:32 (UTC)

北条のしたことが小田原征伐に含まれるのですか?この戦争に関与した非征伐側(後北条氏ほか、第三極)の行動も小田原征伐なんですか?違いますよね?例えば「北条氏直は小田原征伐の準備のために領国に大動員をかけた」の表現が成り立ちますか?お答え願います。
本記事名の「小田原の役」が個人によって耳遠いのは「豊臣と後北条の戦争」を呼ぶケース自体が少なく、本戦争についての出典を読まれていないからではないでしょうか。 また「小田原征伐」の用例を見ても「豊臣と後北条の戦争」のことでなく、「秀吉が小田原を征伐した事」を指している場合が殆どのようです。本記事を指していない用例が多いことは、Wikipedia:記事名の付け方の「曖昧でない」に反するので改名上の劣点です。 なお公刊戦史について、「小田原征伐」と言うタイトルの研究はないようです、同じく記事主題を研究した単行本も論文もない様です。この点についての優越性を認めていただきありがとうございます。--Yasumi 2011年6月19日 (日) 21:24 (UTC)
Yasumiさんは「小田原征伐」が曖昧だと言いますが、項目名にするに当たっては許容範囲内だと思います。あと、私は公刊戦史にタイトルがあるというだけでは優越性は確保できませんと言っているだけで優越性は認めていません。質問にお答えしますが、北条のしたことが小田原征伐に含まれる必要はありません。「北条氏直は小田原征伐の準備のために領国に大動員をかけた」という表現も不適当でしょう。だからといって項目名に小田原征伐が不適だというわけではありません。「北条氏直は小田原征伐に対する準備のために領国に大動員をかけた」という表現をすれば良いのです。長州征討でも、「長州は回答を引き延ばして迎撃の準備を行う」という表現があります。項目名によって一方の行動が記述できなくなるなんてことはありえないですから、当たり前ですが。--秋田城之介 2011年6月28日 (火) 02:13 (UTC)
6月28日の意見に関してコメントされないようですが、これに関しては異論無しということで理解しますがよろしいですか?--秋田城之介 2011年7月14日 (木) 12:54 (UTC)
6月28日の意見に関して、従前の主張通りです。改名には同意できません。これはWikipedia:記事名の付け方の冒頭文を適用すれば、「小田原征伐」の大半の用例が現記事「豊臣と後北条の戦争」ではなく、「(戦争の一角を形成する敵方や第三極の行為を含まない)秀吉の政治目的や行為」の意味で使用されていることから読者に少数例の意味で捉えて貰う必要があることから、「もっとも曖昧でない」「最も理解しやすい」「リンクを作成しやすい」に反します。秋田城之介さんの解釈には同意できません。戦争記事には戦争名をつけるという根本的なことを考慮願います。「小田原の役」と比較して、表現を工夫しなければ使えない「小田原征伐」は記事名に適していません。--Yasumi 2011年7月20日 (水) 21:31 (UTC)
表現を工夫しなければ使えないというのはどういうことでしょうか?私の6月28日のコメントを見てなお、主張されるのであれば具体的な問題点を挙げてください。「小田原征伐」は「秀吉の政治目的や行為」だけでなく「戦役自体」も含む場合が多くあり、少数例の意味であるという意見には同意できません。また、それらは歴史学に関する書籍や事典で見られる表現の「ゆらぎ」であり、その記事の内容を曖昧さなく見分けるのに必要な程度に的確な名称であると断言いたします。また、「認知度が高い」「見つけやすい」においても「小田原の役」より「小田原征伐」のほうが適切です。これは2011年5月21日 (土) 12:37 (UTC)の私の調査および2011年5月22日 (日) 02:01 (UTC)のChokorin氏の調査で「小田原の役」がごく少数であることからも明らかです。--秋田城之介 2011年8月2日 (火) 02:45 (UTC)
「表現を工夫しなければ使えない」とは、まさしく秋田城之介さんが6月28日でコメントした通りの事例です。具体的な問題点は以前から申し上げている通りですので繰り返しません。今のところ、現状を変更するための説明責任がある秋田城之介さんの主張には首肯しかねます。--Yasumi 2011年8月3日 (水) 10:34 (UTC)
ではYasumiさんは「小田原征伐の準備」を「小田原征伐に対する準備」にするのが工夫で、その工夫が必要というのは減点事項だと言われるのですね?ハッキリ申しあげますとそれはほとんどの方に理解を得られない主張だと思います。それでは長州征伐も承久の乱も、同じ理屈で改名できてしまうのではないですか?--秋田城之介 2011年8月8日 (月) 06:39 (UTC)
「Yasumiさんは「小田原征伐の準備」を「小田原征伐に対する準備」にするのが工夫で、その工夫が必要というのは減点事項だと言われるのですね?」 >要点を矮小化されては困りますし、それのみで言っている訳ではありません。九州の役のノートにも書きましたが、記述上で「豊臣・島津戦争」の意味で表現したい記述に「九州征伐」を使用した場合、
  1. 「戦争」の意味でなく「征伐」という一方の「プロパガンダ」や「行為」の意味として表現されてしまう
  2. 被征伐側が「征伐」をしたかのような表現になってしまい、言い換えが必要
  3. 「九州の役」は戦争名なので、「九州征伐」のような代名詞を使うデメリットがない
と言っているのです。「戦争」を表現したいのに「征伐」の意味で表現されてしまうのは問題でしょう。
「それでは長州征伐も承久の乱も、同じ理屈で改名できてしまうのではないですか?」 >「長州征伐」と「承久の乱」の記事に、「小田原の役」と共通する出典や背景がどれだけあるのか存じませんので、秋田城之助さんの言っていることが理解できません。前提を整えてから、もっと分かりやすく説明ください。--Yasumi 2011年8月12日 (金) 19:58 (UTC)
1.プロパガンダではありません。当時の中央政権たる秀吉軍主観のタイトルでも問題ないはずです。
2.攻め手と受け手による言い換えは改名を妨げる理由にはならないと思います。
3.事典や書籍などの使用頻度では「小田原の役」は「小田原攻め」や「小田原征伐」に対して劣っており、単著も参謀本部の本のみ(しかもかなり古い)です。このことは十分改名理由になります。--秋田城之介 2011年8月15日 (月) 15:07 (UTC)
以前からの意見の繰り返しであり、それでは改名には同意できません。それに『小田原征伐』には古い本さえ存在しない訳で、劣点です。 なお「長州征伐(現状、記事名でない)」と「承久の乱」の話は議論とどんな関係があるのですか?議論に不要なコメントでなければ、ちゃんとした説明をお願いします。--Yasumi 2011年8月20日 (土) 00:50 (UTC)

コメント改名に賛成するものではありませんが、書名タイトルとして優位性は「小田原合戦」でしょうし、最近の史学というのであれば、100年以上前の予算も少なく、フィールドワークすることもなく、当時集められた史料を史料批判も不十分のまま、纏め上げただけとも言われる前体制官製の戦史書をもって優位とするわけにもいかないでしょう。また政権としてあり、太政大臣であった秀吉の裁定を北条氏も、その政権の発した法令に従ったあとの法令による裁定不履行を理由とした合戦ですし、敗者の最高代表たる氏政が処刑としての切腹・晒し首、家督を継いでいた氏直の追放、家中解体と全領国の召し上げという徹底した処断をされていて、これが征伐でなくて何が征伐だという結果に終わっていることは考慮してもいいのではないかと思います。--ジャムリン 2011年8月29日 (月) 13:25 (UTC)

報告 コメント依頼に出して新節を追加しました。--秋田城之介 2011年8月8日 (月) 06:39 (UTC)

コメント改名系はあまり手を出す気はないのですが、小田原征伐や小田原征伐の方が遥かに「前体制官製史観」であり、幕府を追い出した日本帝国やその後継の日本国にとって問題のある呼称であったのでは?ジャムリンさんの仰る官製云々もそれを持ち出すとPOVの匂いがしてしまう部分はありますしChokorinさんの30年基準はその根拠が問題外です。とは言え、幕府や北条家などの当事者はどう呼んでいたのかもポイントであるとは思います。岩見浩造 ◆Pazz3kzZyM 2011年9月17日 (土) 11:25 (UTC)

改名争点に対するコメント依頼

[編集]

改名議論で浮かび上がった以下の3点に関してコメントを募集します。--秋田城之介 2011年8月8日 (月) 06:39 (UTC)

  • 「小田原征伐」は戦役名として不適格か否か?
  • 公刊戦史「小田原の役」に優越性は有るのか?
  • 「小田原征伐」記事内に、北条氏側の対応を記述すべきでないのか?

今までの議論を踏まえた比較先が明示されていないので、上記のコメント依頼の設問には誘導を感じます。
  1. この議論の「間違ってはいない」改名候補としては適格であり、元々候補からは排除されていません。しかし記事名としての優劣比較では、「戦争名としての固有名詞・小田原の役」と「戦争名としての代名詞・小田原征伐(原義「秀吉が後北条氏を征伐したこと」の用例が圧倒的)」では前者が優越します。
  2. 記事主題と一致する公刊戦史『小田原の役』の存在に対して、公刊戦史「小田原征伐」が存在しないという点において、前者が優越します。
  3. 記事の内容が戦争である前提で、仮に記事名を「戦争の意味での九州征伐」にしても、文中に使われる「九州征伐」の殆どは秋田城之介さんも明言した非征伐方の行動を排除した「征伐の意味での九州征伐」となり読者を混乱させるでしょう。
--Yasumi 2011年8月12日 (金) 19:58 (UTC)
1.優越するかどうかは、細かい定義論よりも「認知度が高い」を優先すべきです。
2.その点が改名において優越性が有るのかどうかを、上記でコメント依頼しています。私は無いと思います。
3.九州の役とゴッチャになっていませんか?--秋田城之介 2011年8月15日 (月) 15:07 (UTC)
1.議論対象が間違っていたら議論になりません。秋田城之介さんはこの記事を改名する提案をしているのではなかったのですか?それに都合により任意に方針群から取捨選択するという御意見には首肯しかねます。
2.私の意見とは異なるようですね。
3.「小田原征伐」の文献における用例も「征伐の意味」で使われている場合が殆どです。出典や関連書籍はお読みになられていないのですか?
提案者としてどういう展望を以て、改名の合意を得るつもりなのかお示し下さい。--Yasumi 2011年8月20日 (土) 00:50 (UTC)
この記事は元々「小田原征伐」だったわけです。そして現在まで定義変更などの議論もなく「小田原の役」という項目名になっていますから、若干の定義変更を伴った改名を否定する理由は無いはずです。また「小田原征伐」という言葉は何度も言うように戦役的意味合いも含まれて居ます。私は当初の改名提案者ではありませんが、改名すべきだと思いますし、必要な意見は言っているつもりです。--秋田城之介 2011年8月29日 (月) 03:20 (UTC)

報告 こちらでの議論だけでは停滞するばかりですので、複数のノートにまたがる問題として井戸端で提起しました。--秋田城之介 2011年8月29日 (月) 03:20 (UTC)修正--秋田城之介 2011年8月29日 (月) 03:22 (UTC)

「若干の定義変更を伴った改名」 >「若干の定義変更」とは具体的に何ですか?従来の改名提案を捨てて、別の提案をするのであれば、提案者としてちゃんと説明願います。納得のいく提案説明が無ければ、当然賛成もしかねます。
「戦役的意味合いも含まれて居ます」 >「戦役的」ということは本記事と異なり、「戦役そのものではない」のでね? 「も含まれて」ということは本記事と異なり「戦争(戦役)」の意味は副次的なのでしょう?Wikipedia:ページの改名の要件と異なり、本記事と異なる定義の「小田原征伐」という別記事が書きたいのであれば、『小田原征伐』という名の信頼できる出典群から別途「小田原征伐」記事を書いてみればよいと思います。もっとも、今日日は史学的な分野で「小田原征伐」を見掛けることは少ないわけですが。--Yasumi 2011年8月29日 (月) 11:54 (UTC)

報告 Wikipedia:井戸端/subj/政権側が起こした戦役・事象の改名について を含めた今までの議論を元にWikipedia:コメント依頼/九州の役・小田原の役の改名についてを作成しました。--秋田城之介 2011年10月28日 (金) 16:32 (UTC)

提案 既に二ヶ月以上も提案が滞っています。「議論への注力>加筆への注力」であれば、プロジェクトに取ってマイナスであり、改名提案側から建設的な推進がないことから、議論を一旦クローズ、または一年ぐらい棚上げして記事を発展させることに注力することを提案します。--Yasumi 2011年11月13日 (日) 09:32 (UTC)

賛成 Yasumiさんの意見に賛成します。提案者らは議論を停滞させ加筆を妨げているといえます。--三階菱 2011年11月15日 (火) 16:07 (UTC)

報告 NHKのテレビ番組『さかのぼり日本史』では、「小田原攻め」「大阪の陣」表記でした。参考までに。--Kurz 2011年11月15日 (火) 13:25 (UTC)

報告 NHK・BSプレミアムのテレビ番組『BS歴史館』では、加来耕三氏が「小田原征伐」と言っておられました。参考までに。--ジャムリン 2011年11月15日 (火) 14:54 (UTC)

それが信頼できる情報源なのか、記事とどういう関係なのか、が明かされていませんが。その用法は本記事の主題「豊臣と北条の戦争」と異なる「秀吉が征伐した事」の用例であり。つまり改名候補が記事名と別の主題を表しており、記事名に相応しくないことを示した事例ですね。それに今までの議論の繰り返しです。--Yasumi 2011年11月16日 (水) 12:06 (UTC)

コメント 九州の方でもコメントしましたが私はWikipedia:コメント依頼/九州の役・小田原の役の改名についてを提出し議論を推進しているつもりですのでYasumiさんの提案には反対です。クローズにせよ棚上げにせよ議論の混乱と長期化を招くだけで、そうなってしまうことの方がよほどマイナスだといえます。--秋田城之介 2011年11月16日 (水) 01:33 (UTC)

しかし、秋田城之介さんの上記コメントも含めて議論は全然推進されていません。すでに議論の混乱と長期化は招かれているのが現状ですし、提案者が合意に向けた推進をしないため、プロジェクトの本義に則り、議論より記事の充実を優先すべきです。--Yasumi 2011年11月16日 (水) 12:06 (UTC)
した、されたで双方に掛かる用語であるので何の問題もありませんね。--ジャムリン 2011年11月16日 (水) 12:13 (UTC)
つまり、本記事の主題は「秀吉が征伐した事」でも「秀吉に征伐された事」でもないため、「小田原征伐」は記事名に相応しくないと言うことがここでも立証されましたね。また既出ですが、征伐の成立が前提の記事名であることも問題点です。--Yasumi 2011年11月16日 (水) 12:33 (UTC)
いいえ?正にそういう事象を解説する記事です。今までの議論で上がった色々な面を鑑みると、どれも一長一短ありますが、総合的に見て一番最適かと思われます。--ジャムリン 2011年11月16日 (水) 12:54 (UTC)修正--ジャムリン 2011年11月17日 (木) 01:49 (UTC)
コメント この記事は元々「小田原征伐」です。「小田原征伐」→「小田原の役」は相応しくて「小田原の役」→「小田原征伐」が相応しくないというのは矛盾しています。また「小田原征伐」は「戦役」と定義されることも「征伐という政治事象」と定義されることもありますから、Yasumiさんの「記事名に相応しくない」という指摘は適切ではありません。--秋田城之介 2011年11月18日 (金) 02:43 (UTC)
いいえ。そうではないです。本記事の主題は「中立的な観点から豊臣と北条の戦争」であり、『小田原の役』と同主題で記述されています。ジャムリンさんの言われる「豊臣が北条を征伐する行為」は戦争の一部を別の観点から記述したものであり、厳密に言えば戦争と異なる主題です。突き詰めれば、別記事としての立項が可能でしょう。また奇異に感じますが、記事の定義変更が前提なのに同定義のまま改名するかのような灰色な提案をつるおつもりでしょうか?
秋田城之介さんの言われることもおかしいです。本記事は現時点で「小田原の役」です。秋田城之介さんも含めて、改名から相当期間の容認されています。現状の記事に対して改名が提案されているのであって、過去の記事に対して改名はできません。征伐表現が「戦争」であり「征伐行為」であるとのことですが、ガイドラインWikipedia:記事名の付け方の通り、意味の曖昧な表現は記事名に相応しくないと判断されます。また、一度は九州征伐より九州の役が優先された経緯を以て、「おっしゃられる矛盾」が何のことか理解できかねますので、ちゃんと解説ください。--Yasumi 2011年11月23日 (水) 20:10 (UTC)

インデント戻します)Yasumiさんのおっしゃられていることの方が逆ではないかと思われます。「豊臣が北条を征伐する行為」が戦争の目的や原因さえも包括しているわけですから。--ジャムリン 2011年11月24日 (木) 15:16 (UTC)

コメント 過去の記事に対して改名しろとは言っていませんが、過去の改名時に「定義の揺れ」が容認されている以上、今回それを認めない理由が無いということです。また小田原征伐への改名はWikipedia:記事名の付け方の「曖昧」には当たりません。事典などで戦役として定義されることもある、というのは曖昧でも何でもなく、比較的広義だということです。このような議論は以前もしたのですが、また堂々巡りにされるおつもりでしょうか?また「九州征伐より九州の役が優先された経緯を以て」とはどこに対しての言及でしょうか?--秋田城之介 2011年11月24日 (木) 16:11 (UTC)

残念ながら、ジャムリンさんの言われる「「豊臣が北条を征伐する行為」が戦争の目的や原因さえも包括している」が理解できません、行為が主題であるなら目的や原因は付随する前後関係であり、厳密には別主題です。やはりジャムリンさんの主張は改名ではなく、主題を「秀吉の征伐行為」に変更することのようです。これでは改名提案として賛成できかねます。だいたい、改名提案者同士の提案内容が異なっている以上、改名理由なんてどうでも良いという意見があるのかもしれませんが、改名提案者間の調整が必要なのでは?
私には「曖昧でない」という秋田城之介さんの意見には首肯できません。まず、『「小田原征伐」には複数の意味の用例があり、その用例の中には「本義かつ圧倒的用例の征伐行為の意味」と「戦争の代名詞かつ圧倒的少数用例の戦争の意味」という客観的状況がある』ことについて合意できますか?--Yasumi 2011年11月27日 (日) 00:57 (UTC)
こちらこそYasumiさんの言われることは残念であると思います。付随していることすら包括するもので主題なのです。--ジャムリン 2011年11月29日 (火) 16:47 (UTC)
(ジャムリンさんへ)「付随」と「包括」では異なる概念ですよね。例えば「北条の豊臣攻撃」記事は「小田原の役」の戦争概念に包括された一部です。「小田原征伐」の概念から見れば主題を異にする付随記事ではないのですか?
(秋田城之介さんへ)本記事の変更は基本的に記事のノート、つまり本ノートで議論した上の合意で決定されます(Wikipedia:ノートページのガイドライン#記事のノートページの使い方)。議事はルール通り進めて下さい。--Yasumi 2011年12月2日 (金) 22:49 (UTC)
議論に根本的なズレを感じます。歴史的な事件については「出来る限り一般的に知られており通用しやすい名称を使用する。」というガイドラインがあり、それが最優先だと思います。その点で言えば現在の記事名は不適格であり、使用例が多い「小田原征伐」か「小田原攻め」に改名するべきでしょう。「曖昧でない」と言う観点を加味すると、謙信の小田原攻めと混同されないという点で「小田原征伐」が最も有力だと思います。--babel5330 2011年12月8日 (木) 12:56 (UTC)
「小田原の役」「小田原征伐」「小田原攻め」「小田原合戦」「小田原出兵」「小田原の陣」…「どの候補がベストか」ということで議論されていますが、そもそも、どの候補にも一長一短があるのではないでしょうか。「どの候補がベストか」ではなく「どの候補だったら許容できるか」「どの候補なら無難か」を軸にして話し合った方がいいと思います。「小田原合戦」で合意がとれるのなら、それでいいでしょうし、「後北条氏が滅亡した戦い」で合意がとれるのなら、それでもいいでしょう。ただし、後者の場合はむしろ「後北条氏」に統合してしまった方がよいと思います。曖昧さに関しては、otherusesタグを用いて、
"この項目では、豊臣秀吉の小田原攻め(小田原出兵)について記述しています。上杉謙信の関東出兵は「上杉謙信#関東出兵」、武田信玄と北条氏との戦争は「三増峠の戦い」を御覧ください"
という処理を施せばよいだけの話であって、記事名によって曖昧さを回避することは考慮する必要がないと考えます。「出来る限り一般的に知られており通用しやすい名称」で、あらかたの人が「許容できる名称」であれば、それでよいと思います。「どの候補がベストか」で話し合っている限り、決着は付かないでしょうし、投票で決着を付けても一定の人びとが「許容できない」と思う候補に決まったら、結局は、同じことの繰り返しにしかならないでしょう。--Chokorin 2011年12月8日 (木) 14:07 (UTC)
ガイドラインの前提にある通り、使用例の比較以前に記事名は記事を表さなければなりません。この記事の主題は「戦争」であり、「戦争」には色々な「側面(豊臣の北条攻撃、北条の豊臣攻撃、外交交渉、第三局の動き等)」や「評価(平定戦、抵抗戦など)」がありますが、出典を検証したところ「小田原征伐」や「小田原攻め」は記事全体を示す概念ではなく、豊臣方の行為や大義名分の側面のみに使われ、例えば北条方の主体的行為を「小田原征伐」「小田原攻め」で表現していません。もちろん代名詞として戦争概念に使用される例がないではありませんが、それはとても少数事例です。--Yasumi 2011年12月8日 (木) 21:28 (UTC)
「戦争概念に使用される例がないではありません」ということであれば、「小田原征伐」も「小田原攻め」も全然問題ないでしょう。あとは「出来る限り一般的に知られており通用しやすい名称」かどうかを確認するだけだと思います。--Chokorin 2011年12月9日 (金) 00:11 (UTC)
Wikipediaは学術書でも思想書でもなく百科事典です。ゆえに歴史的な事件については「出来る限り一般的に知られており通用しやすい名称を使用する。」という明確なガイドラインが定められており、世間がこの事件をどう呼称しているのかという一点に尽きます。そして世間で広く通用しているのが「小田原征伐」か「小田原攻め」である以上、これらを使わない理由は無いと考えます。--babel5330 2011年12月9日 (金) 01:49 (UTC)

コメント Chokorinさんの「出来る限り一般的に知られており通用しやすい名称で、あらかたの人が許容できる名称であれば、それでよいと思います」という意見に賛成です。投票準備を進行するためにも、Wikipedia:コメント依頼/九州の役・小田原の役の改名についてでの議論、また「小田原の役」や「小田原攻め」を推す方はこちらの投票節の論旨へそれぞれの長所の書き込みをお願いします。--秋田城之介 2011年12月9日 (金) 02:36 (UTC)

戦争の意味で使われることが極めて希で、殆どの用例が秀吉の主体的行為である呼称を記事ということは名が体を表さないことになり、非常に問題がありますよ。記事名は記事を表さねばなりません。記事に一方的な評価のみを押しつけることが、果たして百科事典の役割でしょうか?
本記事の改変についてであれば、基本的に本ノートによる合意が必要です。最優先される「議論による合意」を打ち切って次善策の「投票による合意」を目指すのであれば、まずは本ノートによる合意を構築下さい。それをしないまま、継続中の議論を進めるのであれば、いつまでも議論が優先されるでしょう。
それから秋田城之介さんはコメント依頼という場違いな場所で密議をせず、合意はノートで進めて下さい。なぜ、記事の変更議論をノートから隠したいのですか?--Yasumi 2011年12月11日 (日) 23:45 (UTC)
井戸端での議論で両項目について投票を実施すべきという意見が多数で、なおかつ同時に準備をし、ある程度共通化した条件整備をすることによって議論の時間的コストが抑えられますし、最終的な「決定場所=投票場所」はここですので問題はないと考えていました。--秋田城之介 2011年12月15日 (木) 05:26 (UTC)
三階菱さんによりWikipedia:コメント依頼/九州の役・小田原の役の改名についてが無効として白紙化されましたが不適切ですので、ログへのリンクを行いました。議論の場が拡散したままではキリがないのでリバートではなく、ログ化としたことをお知らせします。--Tiyoringo 2011年12月14日 (水) 15:14 (UTC)
そうですか。しかしWikipedia:コメント依頼/九州の役・小田原の役の改名については秋田城之介氏の勝手な進行によって決まったものなのであそこで勝手に決定していたことは全て白紙にすることが条件です。そして議論の棚上げが規定路線ですね--三階菱 2011年12月14日 (水) 15:19 (UTC)
当該コメント依頼は多数の方からコメントを頂いており、「勝手な決定」というのは非常に心外です。--秋田城之介 2011年12月15日 (木) 05:26 (UTC)

報告三階菱さんは、上記で指摘されている「Wikipedia:コメント依頼/九州の役・小田原の役の改名について‎」における議論による合意を得ない白紙化により荒らしとして、KMTさんにより2011年12月14日 (水) 22:54 から1年の投稿ブロックとなりました。--ジャムリン 2011年12月19日 (月) 05:51 (UTC)


今まで述べてきたように、「小田原征伐」への改名は依然として反対です。なぜ反対であるかについては2011年10月22日 (土) 22:01 (UTC)の書き込みで充分にその理由を申し上げていますので、繰り返しません。「小田原の役」の記事名については、長期的にみれば、避けた方がよいと思っています。Yasumiさんの理屈だと、記事「旅順口攻撃」は「旅順口海戦」のような名前に改めるか、逆に「旅順口攻撃」の記事名のままにしておくとすれば、ロシア側の「主体的な行動」はすべて削除しなければならないことになります。これがいかにナンセンスな主張であるかは当人が一番よく御存知であろうと思います。「元寇」は何としても「日元戦争」に、「真珠湾攻撃」は何としても「真珠湾の戦い」に直さなければならないのでしょうか。「四国攻め」の場合では「四国の役」に改めるか、さもなくば、長宗我部の主体的な活動はすべて排除しなくてはならない理屈になりますが、実に馬鹿げた主張だと思います。「旅順口攻撃」はほかならぬYasumiさん御自身が立項した記事であり、「四国攻め」もまたYasumiさんが主導して改名を推し進めてきた記事です。後者では、そのためにYasumiさんはわざわざCU依頼までなさったわけです。そこには整合性のかけらもありませんし、本ノートにおけるYasumiさんの主張は「反対のための反対」と言わざるを得ません。次に、「小田原の役」は、決して記事名としては優れてはいないことを指摘しておきます。単純に認知度が低いというだけではありません。そもそも日本史分野では「役」なる語は夫役、労役、軍役、兵役、懲役、役目などきわめて多義的に用いられているのであり、読み方にも「ヤク」「エキ」2通りあります。あるいはYasumiさんならば御存知かもしれませんが、尾藤正英氏などは中世日本の「職の体系」に対して近世日本について「役の体系」ということを指摘しているほどなのであり、知識のある人はかえって「小田原の役」と聞けば「小田原藩の武士・庶民の生業」のようなことを連想するかもしれません。逆に、歴史に疎い人だと、単に「小田原の役」といえば、「小田原という俳優が演じる役」とかというふうに理解する人がいるかもしれません。要するに、「小田原の役」という字面だけを見て、それが即座に「小田原戦争」「豊臣北条戦争」の意であるとは理解されない怖れがあります。極端な話では、それが日本史にかかわる話題であるとか、あるいは戦争にかかわる記事であるということにすら気づかない可能性があるわけです。これは、何もわからない人が検索しようという場合、きわめて大きな「劣点」になります。しかし、百科事典というのは、既に知識が充分にあって他人にそのあらましを説明できるような人が利用するのではなく、何の予備知識もない人が一から調べごとをするときに用いるもののはずです。そうした場合、現在中高生が使う歴史教科書に載っていないような用語、また、概説書や事典類であまり使用していないような用語を見出し語として用いるべきではありません。ましてや、即座にその内容を把握したり、類推できないような名称は用いるべきではありません。あるいは、国民の二大義務のうちのひとつが兵役であったような時代にあっては、「役=戦」という図式はむしろ常識だったのかもしれませんが、わたしも含めて戦後世代には「役=戦」という図式それ自体が縁遠いものになってしまっており、それよりなら、よほど「小田原攻め」「北条攻め」「小田原合戦」などの方が戦争記事であることがただちに読者に伝わる点で数段すぐれているでしょう。--Chokorin 2011年12月18日 (日) 15:31 (UTC)

私が論じていたのは「小田原の役」の用例と意味でした。同じく論じるなら例「役」ではなく「小田原の役」の用例と意味のなるはずですが、Chokorinさんの独自解釈で「小田原の役」の役の意味を論じられても困ります。 各個の内心なら、勝手に色々想像できますものね。旅順口攻撃の記事定義は日本海軍による攻撃とされているわけですが、小田原の役は豊臣と北条の戦争とされています。
「わたしも含めて戦後世代には「役=戦」という図式それ自体が縁遠いものになってしまっており」 >これだけ議論しているのに、見識を疑います。近世以前の戦争名に「役」を使用している例はいくつもあるはずですが? それよりも、今度も特に新しい論旨と思えない堂々巡りの議論を展開して投票への手続きを遅らせるつもりなんですか?--Yasumi 2011年12月18日 (日) 21:01 (UTC)
読者の目線に立てば「小田原の役」が必ずしもわかりやすい言葉でもありませんよね。投票者は、そうしたことも含めて判断すべきでしょう。--Chokorin 2011年12月18日 (日) 22:16 (UTC)
「小田原攻め」は「小田原征伐」より数的に他事項(上杉謙信、武田信玄、北条早雲)との混同の現状に開きがありますし、上杉謙信と武田信玄に至っては「攻め」はしても「征伐」できなかったのですから、「小田原征伐」の方がより確定的に該当記事事項を示してします。NET辞書でも「小田原征伐」はあっても「小田原攻め」はなく、外部誘導や引用でしかありません。まだ「小田原攻め」よりは「小田原合戦」の方が書籍名や公共機関主催や地元展覧会で使われていることとも含め、曖昧さがなく相応しいかと思われます。--ジャムリン 2011年12月19日 (月) 05:37 (UTC)
コメント NET辞書だけを典拠を記事を立項したり、加筆したりするような人が果たしているんでしょうか。「小田原征伐」については、研究者のなかにも「秀吉がやったことは征伐とはいえない(北条は惣無事令に違背していない)」「北条は当初から秀吉に臣従していたのではなく臣従を拒否して攻められた(だから、「征伐」にはあたらない)」というような意見や記述があるので、それを記事名にすることは「征伐」使用に賛成か反対かによらず、単純に「不便」です。ジャムリンさんが「征伐」使用に賛成だというのであれば、それはそれで結構なことで、個人の自由ですから私から申し上げることは何もありませんが、しかし、そういう主張は、研究者相手に雑誌等のメディアで議論すべき事柄なのであって、別にウィキペディアの項目の見出し語を決めるためだけのために、ここでそんなに頑張る必要はないんじゃないでしょうか。それに対し、「小田原攻め」が「他事項(上杉謙信、武田信玄、北条早雲)との混同」をきたしていることは、むしろ「言葉の劣点」などというものではなく、Otherusesタグと冒頭文を工夫すれば、
  • 歴史上、『小田原攻め』と称されるべき歴史事象は何回もあったこと
  • そのなかでも秀吉の『小田原攻め』が最も著名であり、歴史的意義も大きいこと
  • 北条氏を反逆者・悪人とみて『小田原征伐』と称する見方もあること
  • 諸大名・武士にとって「公用の勤」であることを重視し、"戦=役"の用語法から『小田原の役』と称される場合も多いこと
  • 上杉・武田・北条については他記事を参照すべきこと(それぞれ「上杉謙信#関東出兵」「三増峠の戦い」「北条早雲」を参照すべきこと)
がいっぺん同時に説明できるので、たいへん「便利」ですし、「つぶしが効く」のです。「執筆者が執筆しやすい」「読者が検索しやすい」「他のことを調べたい人は他に移動しやすい」というふうに三拍子そろっていて、一番いいと思います。単純に単語を並べて優劣を競うという発想ではなく、執筆者や読者の便利を最優先に考えて、記事と他記事との連携も含めて全体を見通して、より妥当で便利なものを選ぶべきではないでしょうか。そのためにも、実績のある執筆者の意見をうかがいたいものです。--Chokorin 2011年12月20日 (火) 01:51 (UTC)
NET辞書の事例は、記事名ガイドラインになる「より一般的」であるという事例として提示しました。「つぶしが効く」よりは「より確実に事象を示す」名称の方が百科事典においては優先された方が良いと考えます。時代的に先の三事象とは性質が違う(それによって攻められた方が制圧されて天下統一がなされた)という意味合いにおいても纏めることは乱暴ですし、そういった「潰しの良さ」は曖昧さ回避の役割でしかありません。--ジャムリン 2011年12月21日 (水) 19:56 (UTC)
コメント私の意見は「小田原攻め」の方が、冒頭部分を工夫すれば、他候補よりもむしろ「より確実に事象を示す」ことができるということです。その意味で「つぶしが効く」わけです。前段部分については、いかがですか。研究者のなかに「秀吉がやったことは征伐とはいえない(北条は惣無事令に違背していない)」「北条は当初から秀吉に臣従していたのではなく臣従を拒否して攻められた(だから、「征伐」にはあたらない)」というような意見や記述があることは、無視すべきなのですか。--Chokorin 2011年12月21日 (水) 20:28 (UTC)
コメント実際問題として他事象を示している事例の多いことも無視できませんし、臣従の意志は上洛返答で表されていたという近年研究も無視すべきではないでしょう。--ジャムリン 2011年12月21日 (水) 21:56 (UTC)

コメント執筆者の発想に立てば「実際問題として他事象を示している事例の多いこと」は何らデメリットにはなりませんし、そのことをむしろ「より確実に事象を示す」ことに、それこそ「確実に」持っていけるということです。字面だけで「より確実に事象を示す」ことを実現しようというのだったら、「小田原征伐」よりも「小田原の役」の方がよほどマシということになるでしょう。そういう手法や発想はナンセンスだと申し上げております。臣従の意志云々に関しては、議論のあるところは、より中立的な記事の書ける方を選択すべきでしょう。ということであれば、「小田原征伐」という名前だと不便であり、「小田原攻め」の方が、研究者の多様な意見を反映させることが容易であり、便利ということになります。ともあれ、グーグル書籍検索では「小田原攻め」の方が「小田原征伐」「小田原の役」よりも多かったのであり、高校日本史教科書では、57.5%と最もシェアが高い、

  • 石井進・児玉幸多ほか『詳説日本史』山川出版社、2002。では、本文中太字で「小田原攻め」(p.155)

であり、シェア第4位の実教出版『日本史B』(6.1%)、第5位の山川出版社『高校日本史』、シェア第6位の清水書院『高等学校日本史B』(4.2%)でも「小田原攻め」 でした。シェア第2位の実教出版(7.0%)の『高校日本史B』だけは「小田原攻略」でしたが、要するに、「豊臣・北条戦争」のことを、最も一般的には「小田原攻め」と学界も教育界も呼称しているわけです。「小田原の役」でも「小田原征伐」でもありません。それを無理やり「小田原の役」がいい、「小田原征伐」がいいと頑強に主張する人がいるから、改名議論がつづいているだけの話ではないでしょうか。--Chokorin 2011年12月21日 (水) 22:42 (UTC)

端的に事象を表す単語が他にあるのに、ブレのある単語を選択する優先性はないと思われます。児玉幸多氏監修の吉川弘文の日本史年表では今年度発刷でも「小田原征伐」になっています。--ジャムリン 2011年12月21日 (水) 22:46 (UTC)
そういう話題がしたければ、教科書会社に対して抗議すべきなのであって、現状、史学界でも日本史教育においても、最も一般的で認知度が高いのは「小田原攻め」なわけです。一例を以て一般性をくつがえすことはできません。そんなことより、あなたは文献調査には反対されていたんじゃなかったのですか。文献調査をおこない、それにしたがうというのであれば、文献調査の実施を提唱なさればよかったのではないですか。--Chokorin 2011年12月21日 (水) 23:43 (UTC)
教科書については学習世代によってブレがあり、現在の一般的なNET辞書で「小田原征伐」なのですから、「小田原攻め」が一般的に認知度が高いとは、とてもいえませんし、また現在でも「小田原攻め(小田原征伐)」つまり「小田原攻め」の中のどの事象に当たるかを提示する方法として(小田原征伐)と併記してあるような文献や学習要領もあるわけですから、他の三例にも一般的に使われ混同の激しい「小田原攻め」は不向きであることに代わりはありません。--ジャムリン 2011年12月22日 (木) 00:00 (UTC)
学習世代によるブレの発生に関しては「小田原征伐」を「小田原攻め」にリダイレクト処理することで解決可能です。それによって、年配の方々に対しても、現在の高校教科書などでは、一般的には「小田原攻め」が多用されているという現状が示せるのでたいへん好都合といえます。それが逆だと、若い読者に対し「『小田原攻め』と教科書に書かれていることは、本当は適切ではなく『小田原征伐』と呼ぶべきなのだ」というメッセージを発することになり、一定の主張・立場の押しつけることになりますから、きわめて不適切であり、絶対に避けるべきでしょう。ウィキペディアは言葉狩りの道具ではありません。現実には、いまの教科書では「小田原攻め」が使われているのであり、それを素直に読者に伝えるべきでしょう。また、研究者のなかにある「秀吉がやったことは征伐とはいえない(北条は惣無事令に違背していない)」「北条は当初から秀吉に臣従していたのではなく臣従を拒否して攻められた(だから、「征伐」にはあたらない)」という意見も「小田原攻め」のタイトルならば、排除せずに公平に扱えるので、どちらかを選ばなくてはならないとしたら「小田原攻め」を選んだ方がよいことになります。要するに、「小田原攻め」の方が記事の公平性・中立性を確保するうえでも、記事の発展を促し、記事の質を高めるうえでも適しており、若い読者を排除しない点でも格段に理にかなっているでしょう。「小田原の役」「小田原征伐」の用法については、「小田原攻め」と名づけられた記事のなかで的確に表現していけばよいのであって、何も記事名を無理やり「小田原征伐」にしなくてはならない理由はありません。そこを公正に記述することによって「私は『小田原の役』を用いたい」「僕は『小田原征伐』の言い方を支持する」というふうに、個人個人が判断する材料が提供できればいいのであって、執筆者が逐一判断する必要はありません。問題解決に御協力くださいますよう、お願いします。--Chokorin 2011年12月22日 (木) 00:46 (UTC)
学習世代のブレも一般的条件の考慮の範疇ではあるということですね。かつ余計な説明の要らない単語のあるというのに、わざわざ単語自体のブレが認められる単語を選択する優先性も緊急性も感じられないということです。しかも「小田原攻め」は同時代中に認められ、それそれ違う意義と結果を持つ事象ですので、「潰し」などどいう怠惰かつ曖昧混同な語句を記事名とすることが不親切だということは利用者としても意見でもあります。--ジャムリン 2011年12月22日 (木) 00:56 (UTC)

コメント 私にも存ずることはありますが、既に平行した意見であり、議論による合意形成は不可能だと思います。投票への準備にご協力ください。--秋田城之介 2011年12月22日 (木) 03:05 (UTC)

コメント 議論による合意形成は可能ではないかと思いますが、いかがでしょうか。少なくとも、議論による合意形成の芽をつぶすことには反対です。ジャムリンさんは、私の申し上げることが理解できない人ではないと思います。冷静になっていただければ、わかっていただけるはずです。投票反対の意見がある以上、こちらの議論も継続すべきでしょう。--Chokorin 2011年12月22日 (木) 04:10 (UTC)
コメント 私にはChokorinさんが私の申し上げることを理解していただけるのか否かの現段階での判断はできませんし、現に平行線で同じ内容の主張・意見のループには入っているようには思われます。少なくとも投票結果以外で私が現段階で出されている意見・データの内容から「小田原攻め」に合意したり、そこに妥協点を見出すことはありません。投票も準備を整える段に入ってから根拠の明確でない基準を出されている方がいて、その根拠の回答が来ていない段階ですので、どちらも進めながらで良いのではないでしょうか。--ジャムリン 2011年12月22日 (木) 04:33 (UTC)
コメント ジャムリンさんのおっしゃっていることはよく理解していますよ。もっとも、「怠惰」というのだけは、よくわかりませんでしたが。ジャムリンさんは「一般的に使用されている用語」「認知度の高い用語」を重視されているのでしょう。であるならば、それに沿うのは「小田原征伐」ではなくて「小田原攻め」の方だということです。これは、データとして明らかなわけですから、まずはそれにしたがうべきでしょう。最初から「一般性」「認知度」を無視していいという御意見だったのなら「小田原の役」の方が「小田原征伐」よりも格段にマシだということになりますね。そして次に、秀吉の「小田原攻め」と他の小田原攻めとの曖昧さ回避をどうするのかということが御心配なわけですね。「小田原征伐」の記事名はジャムリンさんによれば曖昧さ解消法のひとつの手段ということなのでしょう。しかし、私が申し上げているのは、上で示したとおり、otherusesタグと冒頭文を工夫すれば、そういう御心配は全く無用であり、杞憂だということです。かえって、「小田原攻め」の方が確実に曖昧さを回避できるなど、さまざまな点で好都合であるということです。上で私が示した案で、具体的にどこが御心配なのでしょうか。どうしても御心配だというのならば、実際に「小田原攻め」の記事を立ててさしあげましょう。私が申し上げているのは、曖昧さ回避のようなことを命名の絶対的な根拠にするのは、まったくナンセンスであって、そんなものを絶対的な基準にすれば、ウィキペディアはしまいにはマイナーで意味の通らない記事名だけになってしまうということです。otherusesタグという便利なものがあるのなら、それを最大限有効に使うことに意を用いるべきではないですか。そして、また、何度も申し上げているように、研究者のなかに「秀吉がやったことは征伐とはいえない(北条は惣無事令に違背していない)」「北条は当初から秀吉に臣従していたのではなく臣従を拒否して攻められた(だから、「征伐」にはあたらない)」という意見がある以上、「小田原征伐」のタイトルは不便で使えないということです。ウィキペディアの三大方針Wikipedia:中立的な観点Wikipedia:検証可能性Wikipedia:出典を明記するを御存知でしょうか。たかが曖昧さ回避のために、「中立的な観点」や「検証可能性」といった記事内容の質を保証する方針が守られなくなることこそ、ゆゆしき問題といえるでしょう。いくら同調者を多数集めようが、方針が守られなくなるような記事名には反対です。--Chokorin 2011年12月22日 (木) 07:39 (UTC)
端的に事象を指し示す言葉で、かつ一般的な記事名のどこが不適当なことなのか判りません。「北条は当初から秀吉に臣従していたのではなく臣従を拒否して攻められた(だから、「征伐」にはあたらない)」は中立性の別説併記で充分で、「小田原征伐」は、現在形でNET辞書や公共博物館展や自治体HPでも使用されている以上、「マイナーで意味の通らない」語句という指摘には全くあたりません。これらのことは関連議論の場でも提示しておりますので、Wikipedia:中立的な観点Wikipedia:検証可能性Wikipedia:出典を明記するから逸脱するものでもありません。--ジャムリン 2011年12月22日 (木) 07:55 (UTC)
私の理解には間違いがなかったということでよいのでしょうか。「小田原征伐」が「端的に事象を指し示す言葉」かどうかというと、そうではないというのが、前回、「小田原征伐」から「小田原の役」への改名議論の際の結論でした。要するに、北条氏を「悪人」とみなす「意見をもとにした命名」ということであり、「小田原の役」「小田原攻め」「小田原合戦」などのような「事実をもとにした命名」とは異なるということでしたね。そのこと自体は揺るがないことなので、まずは、それを踏まえなければいけません。記事名を「小田原征伐」としたのでは、「北条は当初から秀吉に臣従していたのではなく臣従を拒否して攻められた(だから、「征伐」にはあたらない)」「秀吉がやったことは征伐とはいえない(北条は惣無事令に違背していない)」という最近の研究者の重要な指摘を加筆することができません。書けば、記事名と記事内容が齟齬をきたすことになります。「中立性の別説併記で充分」というのは、研究者の文献を典拠に執筆していこうと考える人間の立場をまったく考慮に入れないお考えであり、そこはたいへん残念です。「小田原征伐」を「マイナーで意味の通らない」語句であると申し上げたつもりはなく、そこはジャムリンさんの誤読です。記事名を曖昧さ回避の道具にしてはならないというのが真意です。--Chokorin 2011年12月23日 (金) 00:50 (UTC)
前回改名はwikipedia方針の「中立性」の曲解からと理解しております。征伐にかかる悪人・犯罪者は当時の法律や規範からどう見られていたかであり、全世界全時代にわたる恒久性な善悪を基準にしたものではないと考えますので、用語としてはは真っ当に機能していると思います。また曖昧さ回避によらない一般的にも認知された用語があるにも関わらず、曖昧な用語を使うことこそが本末転倒だと思います。--ジャムリン 2011年12月23日 (金) 01:18 (UTC)
「小田原征伐」が一般的に認知された語であるかというと、そうではないと思います。少なくとも、中高生の使う教科書で採用されている語は「小田原攻め」なわけです。「小田原征伐」ではありません。つまりは、現状で初学者が豊臣・北条戦争の名称として最初に出会うのが「小田原攻め」ということです。そして、「秀吉がやったことは征伐とはいえない(北条は惣無事令に違背していない)」という意見の学者は、「小田原征伐」の語を「認知」してはいません。この事実を踏まえるならば、「小田原征伐」を記事名に採用するのは不適切だと言わざるを得ません。--Chokorin 2011年12月23日 (金) 01:53 (UTC)
先日も提示しましたが、今年度学習参考書では併記で使用していたり、今年発刷の年表でも使用されていますし、何より、近年教科書優先という記事名指標のガイドラインがありません。色々な説の中で、近年の研究による一部の研究者が認めていない説による名称を使用できないというガイドラインも然りです。--ジャムリン 2011年12月23日 (金) 02:04 (UTC)
Wikipedia:記事名の付け方の「歴史的事件」では、「出来る限り一般的に知られており通用しやすい名称を使用する」とあり、その意味で、中高生の用いる教科書で圧倒的に「小田原攻め」の語が使用されているということは、豊臣・北条戦争を初めて学習する人でさえ「小田原攻め」の語は知っているということですから「出来る限り一般的に知られており通用しやすい」という条件にピッタリと合致します。逆に、若い世代では「小田原征伐」の語を知らないという事態が考えられますので、「記事名の付け方」の方針からは外れていると言えるのではないでしょうか。ジャムリンさんのように「小田原征伐」の方がしっくり来るという人もいるでしょうが、そのために転送機能が用意されているのであり、さしあたって「小田原征伐」固有の話題で新規立項するというのでない限り、リダイレクト処理にするということで、この問題を解決してゆけばよいのではないでしょうか。--Chokorin 2011年12月23日 (金) 02:43 (UTC)
用語の年代的な認知度は世代として逆のことも言えるわけです。一般的なネットや書物では「小田原征伐」の頻繁に使われていますし、上にも書きましたが現行のテレビ番組においても発せられているので、Chokorinさんの懸念は杞憂と申せましょう。「小田原攻め」の用法の方がブレが大きいので、そちらを曖昧回避した方が理に適っているというものです。それと議論と投票準備は平行して行われた方が良いと思われますので、出来ましたら、そちらの回答もお願いしたいと思います。--ジャムリン 2011年12月23日 (金) 03:11 (UTC)
2点伺いますが、ジャムリンさんが「小田原攻め」よりも「小田原征伐」を推す理由は、「小田原征伐」の方が「小田原攻め」にくらべて、曖昧さ回避がしやすいということだけですか。2点目、テレビ番組や無記名のネット辞書など典拠にならないようなものを殊更えらんで例示される真意は何ですか。--Chokorin 2011年12月23日 (金) 03:37 (UTC)
ネットについての検索結果を提示して改名の参考となされたのはChokorinさんになっても同じであることを、まずお断りしておきます。文献については随時私を含めた他の方も出されていることです。文献の中でも、当時として「征伐」の意をもって起った事象であり、社会的にも当時その認識で行動があったということもあります。今の研究での正当性の有無も、その中で解説する事項であるとも考えております。文献による根拠や曖昧さ回避や一般的認知という観点では「小田原合戦」も考慮のうちだとも考えております。--ジャムリン 2011年12月23日 (金) 04:03 (UTC)
御返答ありがとうございます。「小田原の役」を推すYasumiさんと改名提案者である小判キングさんが「小田原合戦」で合意できるというのであれば、私もそれに合意することは可能です。--Chokorin 2011年12月23日 (金) 04:14 (UTC)
合意に向けての議論を進めると共に、投票準備も進めた方が良いとも思います。--ジャムリン 2011年12月23日 (金) 04:24 (UTC)
「小田原合戦」で合意できるのなら、投票は不要だと思います。1年間は「小田原合戦」のまま改名議論は蒸し返さない方がいいでしょう。--Chokorin 2011年12月23日 (金) 04:29 (UTC)
合意できれば何よりですが、議論に参加している方の中には編集インターバルの長い方もおり、合意できるか否は私たちが予測できることでも、すべきことでもないので平行して準備は必要だと思います。投票基準については他の方のご意見もあったことですし。--ジャムリン 2011年12月23日 (金) 04:48 (UTC)

コメント 「小田原合戦」は現行よりはマシだと思いますし、これで落着するならアリかもしれませんが、Yasumiさんが賛成しないと思うので、私も反対しておきます。投票のときに候補に入れるべきではないでしょうか?というか今にでもいれるべきでは?誰も入れないのであればそのままで良いと思いますけど。

私も小田原合戦での合意には反対します。投票候補の一つとすることには賛成です。--秋田城之介 2011年12月26日 (月) 03:13 (UTC)

投票への最終調整

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報告 Wikipedia:コメント依頼/九州の役・小田原の役の改名についてにおいて投票条件に関する以下の概要が固まりました。

  • 改名候補 - 小田原の役、小田原攻め、小田原征伐。
  • 投票者の資格 - 投票要綱決定時に標準名前空間の編集回数50回以上・初投稿から1ヶ月以上、投票要綱決定時から直近1ヶ月に全名前空間で5回以上の編集を行ったログインユーザー。
  • 投票場所 - 各ノート。
  • 投票期間 - 2週間。
  • 再提案の提出 - 制限しない。
  • CU特別条件 - 投票後に投票者全員へのチェックユーザー提案があっても、投票者はこれに反対しない。

以上のような条件下で投票を行うかどうか、こちらで最終確認を行いたいと思います。最終的な決定ののち、数日後の投票開始となるかと思います。--秋田城之介 2011年12月15日 (木) 05:26 (UTC)

賛成 この条件での投票に賛成しますが、一つ確認です。同数があった場合の決戦投票はしないという認識でよろしいでしょうか?--貫鉄 2011年12月17日 (土) 06:21 (UTC)

  • 条件付反対(条件:投票による解決に移る前に、対話による合意ができなかったことを確認すべき)
  1. (条件付賛成でも良かったのですが、順を追う・隙を見せないために、あえて)九州の役と同様に解決が図られているため、こちらでも同様に。私は投票による解決は方向としては良いと思います。しかし、ガイドラインでは投票による合意よりも、対話による合意が優先されています。投票準備途上で新参加者・新提案等が次々と対話による解決が仕掛けられては困るのです。議論が蒸し返されないために「Wikipedia:論争の解決#ステップ3: 第三者を交えて議論する」が解決できなかったことを合意した上で、「ステップ4: 投票」による改名合意へ移るべきです。
  2. もう一点はその前に、直近で提案されている妥協案について答えを出さねばなりません。反対なら反対が居ることを確認して対話による合意が不成立であることを合意しましょう。 具体的にはTiyoringoさんより「後北条氏が滅んだ戦い」が提出されています。私としては、主題の「中立的に豊臣と北条の戦争」を描写した記事に付けるにはちょっと違うため、反対です。特に議論が続かないのであれば、この案では対話による合意ができなかったと確認したいと思います。また、ノート:九州の役で朝に弱い姫さんから「豊臣と島津の戦い」が妥協案として提出されており、同路線で記事主題と同種の「豊臣と北条の戦争」などについては一考の余地があると思います。ただし、1.妥協案として支持される見込みがあるのか?。2.出典による裏付けがあるのか?の二点が気になります。優先される対話を続けるのか、あるいは対話による合意をクローズして投票による合意へ移行するのか、確認が必要です。
  3. (投票条件の整備について)以前からの意見も踏まえて下記の提案と共に、条件の改善を求めます。
  • 投票者の資格 >既に改名議論への干渉事例が複数あることから、多重アカウントによる工作を予防するためにも、活動実体を反映するような条件の引き上げを求めます。特に現在の条件では投票用に速成栽培・維持されたアカウントの投入が容易に想定されるので不満です。投票者はCU提出の場合に支持をする旨の条件も振り落とされています。
  • 投票期間 >1週間で充分だと思います。
  • 再提案の提出 >投票直後の再提案を制限しないのであれば、投票解決の甲斐なく本末転倒です。再提案条件を付けて、少なくとも1年は改名を凍結したら良いと思います。
  • 改名候補 >投票候補エントリーのプロセス・条件について、次を提案します。投票による改名合意が確認された後、第一週中に賛成者による記事名候補のエントリーとp点(肯定的意見)の編集。第二週中にn点(批判的意見)の編集。第三週で投票。なお、投票に先立って記事の定義について提案者同士でもブレがあるため、再確認の必要があると思います。如何でしょうか?
  • 最多票が同点の場合 >貫鉄さんと同じ疑問です。最多票が同点の場合はどうするのですか?
--Yasumi 2011年12月18日 (日) 10:15 (UTC)
  • 条件付賛成投票による解決に移ってよいと思います。「投票者の資格」についてはYasumiさんと同意見であり、1年以上前からの利用者ならば信用が置けると思いますし、人文科学および社会科学の記事を10項目以上立項した経験があるか、あるいは、つねづね典拠をもとに歴史記事を加筆されている方ならば信頼できると思います。「再提案の提出」についても、1年間の凍結に合意します。「投票期間」については、1週間でよいと思いますが、まずは「小田原の役」のままでよいか、改名を必要とするかで一端決をとったらどうかと思います。「小田原の役」のままでよいということに決まったら1年凍結でよいでしょう。改名が必要であるという意見が多数を占めたら、「小田原征伐」「小田原攻め」「後北条氏が滅んだ戦い」の3者、あるいはそれ以外の候補も含めて再投票とすべきでしょう。改名先候補のエントリー期間は、1回目の改名是非の投票と同じ期間を設定すれば、手間は省けるでしょう。--Chokorin 2011年12月19日 (月) 01:27 (UTC)

コメント >貫鉄さん 同数であった場合は現状維持となり、必要であれば「再議論」のうえ再提案するしかないと思います。再提案に制限をかける場合でも、同数の場合は例外にすべきではないでしょうか。
>Yasumiさんの1.について、既にコメント依頼や井戸端で意見を募り、それでもなお投票すべきという意見が多かったので、それらによる「議論解決」はできなかったという認識は私にもあります。
2.について、妥協案たる「豊臣と北条の戦争」ですがこれもTiyoringoさんの案同様、出典による具体的な補強がないのでこのままであればクローズということになるでしょう。
3.投票者CUについては私の記載ミスで、既にこれは不正投票対策として合意事項だと思っています。
投票者の資格に関しては、私がこの節で掲示した条件はコメント依頼で合意を得たものですので、これを変更するには同様な合意が必要です。個人的には一部変更は可能だと思いますが。しかし「既に改名議論への干渉事例が複数ある」というのは何をさしているのでしょうか?
投票期間にしても最終的には多数決で決めざるをえないかと思います。
記事エントリーと肯定否定点の編集に時間を割くのは賛成ですが、エントリー・肯定・否定全て一週で済ませるべきだと私は思います。
再提案に関しては半年~1年間程度であれば私は合意できますがその場合は、同数であった場合は例外として(再議論のうえ)数ヶ月後の再投票を認めるかたちにすれば良いと思います。
> Chokorinさん 立項経験や、「1年以上前からの利用」というのは平常の投票より遥かに高い条件であり、またどこまでが人文科学および社会科学の記事を呼べるのか、という基準作りも難しいと思います。「小田原征伐」「小田原攻め」以外の案でも、具体的な出典や使用状況があれば具体案としてと扱えますが、現時点では難しいでしょう。エントリーに対しては反対しません。--秋田城之介 2011年12月19日 (月) 02:47 (UTC)修正--秋田城之介 2011年12月19日 (月) 03:01 (UTC)

コメント私も管理者立候補やブロック等の投票基準より高めに設定することや、議論の参加している利用者を恣意的に排除する(提案者はクリアしている)条件には反対します。あまりにも作為的です。また、過去にはYasumiさん、Chokorinさん提案の条件内でもCUにて多重アカウント判定のあった利用者も存在した覚えがありますので、どこが信用できる条件であるのかの根拠に欠けると考えます。参加者はCU提案があった場合に反対しないという条件で充分でしょう。また複数案が出て同数になった場合、提案があった場合は上位ニ件による決戦投票があっても良いのではないかと思います。--ジャムリン 2011年12月19日 (月) 05:37 (UTC)

私としては、かなり緩い条件だと思ったので、秋田城之介さんの御意見やジャムリンさんの御意見は意外でした。私の提示した条件でもCUで多重アカウント判定のあった利用者も存在したというのであれば、もっと厳しい条件を課してもよいのではないでしょうか。記事を書かないような目的外利用者の投票で執筆者が拘束されるのは、本末転倒だと思います。多重アカウントだけではなく、ミートパペット防止策についても検討すべきと思いますが、いかがでしょうか。--Chokorin 2011年12月19日 (月) 11:59 (UTC)
執筆者が重要なのはわかりますが、「新規執筆」のみがWikipediaへの貢献ではありませんし、「人文・社会科学記事」の定義も難しい以上、そういった縛りに実行性があるのか非常に疑問です。ミートパペット防止策としては、特定の候補への投票呼びかけなど「勧誘行為」をした利用者に対し投票権を付与しない、ぐらいしか思いつきませんね。--秋田城之介 2011年12月19日 (月) 14:02 (UTC)
私が提示した条件は実際にwikipediaの投票で行われている中でも条件の厳しいものという前提があるのですが、chokorinさんの条件の有効性と、その根拠が不明確です。通常空間における編集投稿という参加でなしに、新規記事を一定数書かないものが、イコール目的外利用者という基準の方針がガイドラインは寡聞して存じ上げませんので、存在するのでいたら、提示していただければ幸いです。--ジャムリン 2011年12月19日 (月) 18:16 (UTC)

コメント 拝見するところ議論は長期化しており、投票において議論の終結を図るというのは順当だと思われます。ただ、Wikipedia:調査投票の方法で「多数派が一つの方向で一致したとしても、かなりの少数派がそれに反対しているならば、できるだけ多くの人が受け入れるような解決策を求めるよう努力してください」と記述があるように、投票後も票差次第で「合意形成」の余地をできる限り残すことが望ましいと思います(条件に必須ではないと思います)。投票者資格については、過去のかなりの数の投票において「ある時点で編集回数が50回以上のログインユーザー」といった条件が採用されていたようなので、秋田城之介さんの「報告」にある条件で妥当だと思います。なお、2011年8月の「新しい利用者グループの作成」に対する投票では「初投稿から1ヶ月以上、編集回数150回以上のログインユーザー」という条件も提示されていましたので、参考に値するかもしれません。--馬屋橋 2011年12月21日 (水) 16:33 (UTC)


確認 先日のYasumiさんの意見にもありましたが、2点確認したいと思います。

  • 第三者を交えての議論で論争を解決できなかった点
  • 「豊臣と北条の戦い」などでの妥協の不成立
私は上記2点について賛成します。--秋田城之介 2011年12月22日 (木) 02:55 (UTC)
現在も対話が続いており、とても投票に移行できる環境では無いことを確認しました。
次に秋田城之介さんのコメントからすれば「豊臣と北条の戦争」妥協案は出典があれば賛成すると言うことでしょうか?お答え下さい。 他の方からも妥協案に反対意見はないようですが、如何ですか?ご確認願います。
なお、新たに「小田原合戦」案が提出されていますが、この名称の第一義は「小田原周辺の局地戦」を表す戦闘レベルの用語ではないのでしょうか?にわかには賛成できかねます。また、相田二郎『小田原合戦』については、原題「小田原役」であり、著者の死後に単行本化した小田原市が付け直しています。この文中の戦争名称表現は「小田原役」が使用されていますし、更に言えば単行本化のために杉山博「解説・小田原平定について」が付け加えられており、杉山氏も戦争名称に「小田原役」を使用しています。
投票資格について、厳格化して投票用に促成栽培され、投票後に使い捨てられるような事例を繰り返さない為の条件整備が必須です。低いハードルであること、想定されるハードルであること、この二点に問題があります。--Yasumi 2011年12月25日 (日) 02:58 (UTC)
下山氏の『小田原合戦』は始めから、「小田原合戦」です。内容的にも発端や背景、過程、他地域戦闘、事後処理も網羅し、小田原周辺の事象だけに限定されておりません。また相田氏の「小田原役」は元々は編書である『大日本戦史』の中の一章であり、それを杉山博氏が相田氏の研究を敷衍する目的で書かれたという自稿である「小田原平定」を付録として同書内に掲載し、相田氏の「小田原合戦」解題なれば幸いとの旨、後書きとして置かれている本のタイトル、つまり専門分野の研究者が監修した上での『小田原合戦』であるのですから、『小田原合戦』という書名タイトルとして考慮することに問題はありません。相田氏の書の内容においては「小田原征伐」「東国征伐」、他事象についても「九州征伐」と記された上で、研究を披瀝・解説なされています。また該当記事の参考文献としてあげられている『戦国時代の終焉 「北条の夢」と秀吉の天下統一』の中では「小田原合戦」と記されています。小和田哲男氏の『北条早雲とその子孫』でも該当記事事象は「小田原合戦」として章題や帯惹句に表記されております。--ジャムリン 2011年12月25日 (日) 12:57 (UTC)
投票についてですが、現時点で提示されている投票条件に問題があるとなれば、問題点の妥当性、解決への条件とその根拠、有効性を示していただきたいと思います。それは現行のwikipeia内で行われている投票、例えばYasumiさんも管理者立候補などで参加されている投票との条件との相違としてはっきりしていただけないことには納得できるものではありません。異議なり、ハードル設定の条件を求めるのであれば、立候補投票で納得して参加されている投票条件と、今回の議案に於ける投票方法に求めるハードルの信頼性と有効性の相違点の根拠を明確に願います。--ジャムリン 2011年12月25日 (日) 12:57 (UTC)
投票の条件については私もジャムリンさんと同意見です。ノート:九州の役でもそうでしたが、Yasumiさんは突飛な案や実現が難しい案を出して、意図的に投票を遅らせようとしているのではないですか?Wikipedia:コメント依頼/九州の役・小田原の役の改名についてで、ある程度決まったものに対して、Yasumiさんのちゃぶ台返しで全て振り出しに戻るのでしたら、まったくの暴挙です。--小判キング 2011年12月25日 (日) 16:49 (UTC)
コメント 「小田原合戦」での妥協は既に、小判キングさんが反対しており、合意形成の見込みは薄いでしょう。「豊臣と北条の戦争」には反対ですが出典次第では投票候補に入れても良いと思います。
投票者条件についてですが、Yasumiさんがどのような条件を希望しているのか具体案とその根拠を示すべきではないでしょうか?まずそれを提示しないことには、前に進まないと思います。提示されれば、コミュニティとして「選択」の机上に上がり、議論が前に進むでしょう。提示されないのであれば、Yasumiさんが何を主張しているか、ますますわからなくなります。--秋田城之介 2011年12月26日 (月) 02:55 (UTC)コメント修正--秋田城之介 2011年12月26日 (月) 02:59 (UTC)
ジャムリンさんは「小田原征伐」改名案に反対して「小田原合戦」改名案を推進されるおつもりなのでしょうか?「小田原役」を主要構成著作に、戦争呼称を「小田原役」としている本やその他について、今後も議論を進めるのであれば投票などできないわけですが、議論を優先して投票を後回しにするつもりであるのか?旗幟を明らかにして欲しいです。
投票資格について、例えば管理者投票であれば立候補によって投票が見込まれた時点から遡って1ヶ月間の活動実体について条件付けされていますよね?もっとも議論期間から監視状況からなんやらかんやら、管理者投票とはかなり前提条件が異なっていると思いますが?投票条件をクリアするためだけに作られ投票後に遺棄される様なアカウントの投票によって結果が左右されては堪らない、と言うことです。
小判キングさんへ。趣旨は既に述べています。今も議論が続いており、投票へ移行できません。小判キングさんも議論を続けて投票を先延ばししてきたお一人であるわけで、ノートで合意を取って投票へ移るのであれば、まずは議論の打ち切りを確認することから初めては如何ですか?
秋田城之介さんへ、投票資格の厳格化については事前提案のタイミングは難しく、ノート:四国攻め/Log1の時のようにハードル的に標準条件のまま進めば前提として想定される編集50回越えの最短ルートを取った後に投票、活動停止となることが見込まれます。ですから、内容のある活動アカウントによる投票にしたいと思うのですが、まずは趣旨について賛同願えますか?--Yasumi 2011年12月31日 (土) 22:56 (UTC)
「小田原合戦」については「小田原の役」や「小田原攻め」より記事名として妥当だとは思います。私自身は改名候補にあげるつもりは今のところはありませんが、候補に上げることに反対はしません。合意についての議論があっても良いとは思います。
投票についての条件提案については、wikipediaで行われている投票の条件に即したものと既に理由を述べています。Yasumiさんのおっしゃる管理者投票との条件付託の前提より厳しくなさっている監視状況に関する提起は、YasumiさんやChokorinさんからか、その意を受けてのことで今はおふたりに、その根拠と優位性を示していただきたいという質問の返答をお願いしている状況です。監視条件に関してはCUがあった場合には賛成するという条件が投票における条件に準じたものであると理解しております。--ジャムリン 2012年1月1日 (日) 02:57 (UTC)
まずノート:四国攻め/Log1の投票についてはソックパペットやミートパペットについて、疑われるような特徴が指摘されたのは事実ですが、確実に疑えるという合意が取れていませんでしたので、それを前提にすべきとは一概には言えないでしょう。「内容のある活動」というのもかなり曖昧であり、「内容のある活動」と聞いても各利用者が思い浮かぶ基準がバラバラになるでしょう。投票基準(編集50回など)のハードルを引き上げるという点については、具体的な案が提示されれば、案によっては私も賛同できるでしょう。まずそういった案を提示されないことには、検証も条件面のすり合わせも難しいでしょう。--秋田城之介 2012年1月1日 (日) 05:36 (UTC)
この段階で「小田原合戦」について、賛成はしないが議論を続けることに意義があるのか非常に疑問です。 「対話による合意」を続けるのであれば当然「投票による合意」へ移ることもできません。どうするおつもりでしょうか?私が言うよりは、投票を推進している秋田城之介さんからの説得が待たれます。  投票条件について、中身のある活動をしていれば自然とクリアできる条件に投票資格を厳しくすれば、投票資格の保持のみを前提としたアカウントは参加しにくくなるのは当然です。--Yasumi 2012年1月9日 (月) 12:23 (UTC)
「小田原の役」のみに拘る意見は長い議論の末、今となっては、おひとりしかおりませんが、「小田原合戦」はまだ俎上に上げられた時期からいっても、合意点についてはまだ検討に足る余地が残っていると思います。
投票資格については、Yasumiさんの上げられた条件を当然考慮した上に、管理者信任の条件があると思いますので、それ以上の条件を厳しくする根拠にはなり得ないでしょう。厳格性の求められる相違についての有効論拠についてお願いします。--ジャムリン 2012年1月9日 (月) 12:35 (UTC)
>Yasumiさん 小田原合戦で無投票の合意形成をすることは難しく、すでに議論が停止していますから、それも含めた上で確認を行いましょう。その上で、投票条件に関しては具体的な基準と根拠の提示を願います。
>ジャムリンさん 「投票候補に小田原合戦を入れる」という条件で、改名議論へ進む合意を頂けないでしょうか。小田原合戦でChokorinさんとジャムリンさんの合意があっても、それ以外の利用者も含めた合意形成が無いと前進しないのが現状だと思います。他の選択肢を含め改名投票の候補とするのが効率的だと考えられないでしょうか。--秋田城之介 2012年1月12日 (木) 02:42 (UTC)
ジャムリンさんが「私自身は改名候補にあげるつもりは今のところはありません」と言われる「小田原合戦」改名妥協案について「検討に足る余地が残っている」と対話による合意を続けるのであれば如何ともし難いのです。
私より提出した「豊臣と北条の戦争」改名妥協案について、秋田城之介さんに反対されたため、対話による合意の余地はないと思われます。対話による合意の段階がクローズしたと確認し、投票による合意を優先させることに賛同します。--Yasumi 2012年1月15日 (日) 05:36 (UTC)

インデント戻します)「小田原合戦」の合意の議論に関しては相手のいることです。Chokorinさんが「合意できれば投票の要なし」と意見されたままですので、お返事如何ということになります。Chokorinさんが議論の切り上げに賛成するか、このまま議論に参加しないのであれば、議論停止で良いと思います。別途、提案された投票条件の有効性と正当性の根拠については、YasumiさんとChokorinさんには、よろしくお答え願いたいところです。「小田原合戦」の投票候補に関しては、今のところ、自ら上げるつもりはありません。他の方が候補に入れる分には反対しません。--ジャムリン 2012年1月17日 (火) 02:25 (UTC)

このノートのChokorinさんによる最後のコメントは一ヶ月近く前であり、その件については事実上、議論停止というように私はとっていますが、そのような見解で問題ないということでしょうか。--秋田城之介 2012年1月20日 (金) 02:46 (UTC)
正確にはまだ一ヶ月は経過しておりませんが、その間もwikipediaの編集には参加されているようですし、私も投票に移行すること自体には反対してはおりませんので、一ヶ月以上「小田原合戦」への対話に参加されないのであれば、「小田原合戦」の合意に向けての議論が事実上停止したと判断することに異議はありません。--ジャムリン 2012年1月20日 (金) 17:32 (UTC)

「対話による合意」から「投票による合意」へ移行する確認

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確認 対話から投票へ完全移行するための同意について、今一度賛否をお願いします。--秋田城之介 2012年1月12日 (木) 02:54 (UTC)


  • 提案 上記では言葉が足りないように思いますので、再提案します。改名議論について、2011年5月7日 (土) 14:29 (UTC) の小判キングさんの提起から対話が始まりましたが長らく解決を見ないため、ここに「対話による合意」を一旦棚上げし、「投票による合意」を優先することを提案します(ガイドラインWikipedia:論争の解決#ステップ4: 投票による解決へ移行する確認、投票条件は移行後に整備)。合意に向けた方針提案について賛否を表明下さい。

終了 一週間以上経ちましたが、賛成意見のみでしたので「投票へ完全移行」が合意されたとして確認を終了します。--秋田城之介 2012年1月20日 (金) 02:46 (UTC)

    • 反対 ちょっと待ってください。見るに見かねてアカウントをとってコメントします。これだけ時間をかけているのに早急な決定に反対です。最後についた意見からまだ三日しかたっていません。
    • ウィキペディアは多数決主義ではありませんWikipedia:投票は議論の代用とはならないも参照してください。それに秋田城之介さんはノート:四国攻め/Log1やここの議論で議決投票に反対してきた事実があります。突然今になって多数決に宗旨替えをすることは非常に疑問ですし相当に説得力のある説明が必要ですし、強くそれを求めます。
    • それに秋田城之介さんは征伐に改名して一方からの政治的意義と戦争の両方の意味がある記事に改変するそうですが、この提案は改名の範囲を超えており記事そのものの改変です。改名といいつつ改変するのは誤魔化しです。改名のふりをして黙って記事を変質することに強く反対します。提案に隠された議論が尽くされていないのですから、提案に伴う責務として、これらの疑問に答える説明責任を果たさない限り私は議論が尽くされたとは思いません。現段階で議決投票をすることに明確に反対を表明します。
    • それ以外にも秋田城之介さんの議事進行は公正でない点が多く見られます。たとえば投票条件についてノート外部で話した内容を前提に強引に議事を進めるなど顕著です。それともまさか投票条件を達成した多重アカウントの準備ができたから急に投票に転じたのではないでしょうね?投票条件を低めにしたがる態度と一致するので心配です。不正のない議論をお願いします。Tenseki 2012年1月21日 (土) 01:48 (UTC)
他者に対して、いきなり証拠も根拠もなく「それともまさか投票条件を達成した多重アカウントの準備ができたから急に投票に転じた」などという悪意のある視点に立った言葉を投げかけながらの議論への参加が、wikipediaで推奨されている礼儀に適うとも正当とも公平とも不正のない参加姿勢とは、思えません。個人攻撃か暴言にあたると判断されかねないコメントに思います。--ジャムリン 2012年1月21日 (土) 10:23 (UTC)
コメント 提起から一週間以上賛成意見のみであれば、合意とみなされてもしかたないと思います。Tensekiさんの『反対理由』も適切ではないです。現状定義変更については既に議論の中で触れていますし、四国攻めの投票でも最終的に私は投票に賛成しています。他にもあなたの虚偽のコメントについて言いたいことはありますが、逸れるので会話ページに書きます。現状のままではあなたのコメントを聞き入れようとは誰も思わないでしょう。--秋田城之介 2012年1月24日 (火) 02:45 (UTC)
いいえ私の疑問の根拠は述べられています。それに私の疑問形発言を断定形で引用するのはやめてもらえませんか。本題の改名提案に隠された秋田城之介さんの真意から話題をそらしてはいけません。問い合わせには応じてもらわねばなりません。Wikipedia:論争の解決#ステップ2: 論争の相手と話し合うWikipedia:説明責任を果たさないのは大きな問題です。欠陥のある提案をしているのに説明しないまま議論を打ち切る合理的な理由がありません。それとですね。相手の態度が無礼だと主観で独自に解釈をして対話拒否をするほうがWikipedia:個人攻撃はしないにあてはまりますよ。誰が言ったかは重要ではないはずです。口に苦い発言だったかもしれませんが対話者の口封じをするようなことはせず、何を言ったのかを良く配慮いただきたい。Tenseki 2012年1月24日 (火) 06:28 (UTC)

コメント たまたま目についたここにコメントします。ジャムリンさんや秋田城之介さんは、Chokorinさんの「『征伐』を使っている現役の研究者はいるか?」などいくつかの問いに答えていませんね。ご自分の考えに反する意見には「それは独自研究です」と即答されますが、答えられない不利な質問を無視するケースが多すぎます。対話拒否と考えてよろしいでしょうか。ご回答ののちに投票に入られますようお願いします。--60.33.185.41 2012年1月28日 (土) 12:07 (UTC)

近年上記にて「日本史年表」吉川弘文館 の単独監修書籍で故児玉幸多氏が生前現役の2000年代まで使われていたことをお答えしています。この年表は現在2011年刷版でも「小田原征伐」です。存命中は杉山博氏も使用していました。上記過去議論ではTV番組解説における加来耕三氏の使用例にも触れていますし、歴史家の外川淳氏も歴史用語辞典や解説書の近年著作で「小田原征伐」を使用しています。また資料・史料の議論における有効性を、年代で区切る根拠に対しては別の議論参加者の方に疑問を呈されていることも付け加えておきますので、前後の質疑議論の兼ね合いも合わせて、良くお読みいただきたく存じます。 
尚、後北条氏研究が専門中分野である黒田基樹氏、小和田哲男氏、下山治久氏などは「小田原合戦」を単独執筆書では使用しています。黒田基樹氏は2012年1月刊行書で「小田原合戦」を章題文中共に使用されています。--ジャムリン 2012年1月28日 (土) 15:10 (UTC)追記--ジャムリン 2012年1月28日 (土) 16:05 (UTC)追記--ジャムリン 2012年1月28日 (土) 19:24 (UTC)追記--ジャムリン 2012年1月28日 (土) 19:33 (UTC)
さらに「たまたま目についたここに」と言っておられますが意味不明です。この場の議論では私も秋田城之介さんも「独自研究」という言葉は使用していません。近似の記事名の改名議論で井戸端やコメント依頼で、それぞれの記事の内容や意義や経緯は別として、それぞれページで議論することになった経緯があり、他の議論ページであれば、そのページでお願いします。そしてその場であっても、議題に関する議論でなく、利用者の行為のみ一方的な見方で言及するコメント質問しかできないのであれば、ふさわしいものではないでしょう。
以上お答えしましたとおり、「対話拒否」はしておりませんので、意見内容に一定の同傾向にある相手に対しのみ「対話拒否」「口封じ」という単語を頻繁に使用されるTensekiさんと同じ読み違えか、議論またはルールの不理解をされているように思いますので、良く読みこまれますよう、お願いします。--ジャムリン 2012年1月28日 (土) 16:05 (UTC)
前にも出た話題ですが、征伐が役にリダイレクトされていることを秋田城之介さんが「齟齬」であり「意味が異なる」と断定されるなら、それは「征伐」が「役」と異なり独立記事になりえるということになります。(「征伐」呼称を使った出典から征伐の独立記事を立てれば良いという話は以前にも出ましたよね?「如何に正当性を持った征伐であったか」という意味合いの新記事は惣無事令などと絡めて出典を基に新規立項可能と・・・私と確かChokorinさんは判断しました)
それに認識に相違があるようですが、事実として前回の「征伐→役」へ改名された経緯では、記事の主題と定義はあくまでも「戦争」を意味するものでした。それは今でも変わっていません。だから定義を変えないままの改名だったのです。少なくとも前回の改名議論では、戦争名称としては役が優れていると議論で判断されて改名が実施されました。
しかし、今回は異なります。秋田城之介さんの提案では九州征伐に改名したうえで「戦争」の意味に加えて「正義の豊臣秀吉が反逆者の島津を討ったこと」が盛り込まれています。しかも、今まで提示されました出典を読んだ限りでは征伐の用例で「戦争」を意味するものは僅かであり、殆どの用例は「正義の豊臣秀吉が反逆者の島津を討ったこと」です。更に更に後者の意味合いが占めているために「征伐の用例では、被征伐側の動きについて表現されない」という状況があります。
Tensekiさんも出した話題ですが、「秀吉の征伐行為」を「役」で表現している用例はないのですから、言葉を借りれば、改名ならぬ改題に伴う変更は事前に提出すべきでしょう。公正な提案であるなら、黙って変更することは不都合です。ですから、
「定義上の細かい問題を解決するには本文の冒頭で、説明すれば良い話しだと思います。」について、少なくとも投票前に明らかにすべきです。どんな定義文の変更を加えるつもりですか? もちろん私の提案通り、投票前の比較表に訂正予告版の定義文を入れて相互に投票者に比較していただくという案でも妥協します。(定義を変えるのに改名提案で公開しないことがマイナスに働くという考え方もあるかとは思いますが)
私の追加したい具体的条件は今までのような議論による合意方針を打ち切り、投票による合意方針にシフトしてから提示したいと思っています。 1.秋田城之介さんがTensekiさんの質問に回答するか?(差分の提示で解決?) 2.Tensekiさんが質問を取り下げるか? 3.私の妥協案である比較表へ盛り込むことで解決するか?早く投票に合意をお願いします。よろしくお願いします。--Yasumi 2012年2月4日 (土) 23:50 (UTC)
「投票による合意」を優先することに合意しているにも関わらず、なぜ今なお「定義論」を持ち出すのでしょうか?投票による合意を優先するというのは嘘だったのでしょうか?そういった論法は不適切なものです。また、当ノートは九州の役のノートではありません。小田原の役は当初「差別的な表現である」との理由だけで改名されたはずです。そして今になって記事の「主題」「範囲」を持ち出されているのはYasumiさんとTensekiさんのみです。そして私はTensekiさんの質問にも答えています。--秋田城之介 2012年2月7日 (火) 02:04 (UTC)

コメント インデント戻します。60.33.185.41です。アカウントを取得しました。一連の秀吉の統一戦争に関する議論は、投票が行われた四国以来すべて読んでおり、全参加者の編集履歴にも目を通しました。場合によっては投稿記録の一覧だけではなく内容も確認し、2008年くらいまでさかのぼって見ました。「たまたま目についた」はあちこちのノートページを見ていてというつもりでしたが、理解不能な表現でした。また確かにこのページではジャムリンさん、秋田城之介さんともに「独自研究」という言葉は使っておられませんでした。あわせてお詫び申し上げます。

本題に入ります。「『征伐』を使っている現役の研究者はいるか?」という質問に対し、ジャムリンさんは児玉氏、杉山氏をあげられました。リンクを参照すればわかるように、両氏ともすでに亡くなっておられます。「現役」と申しているのに物故者だけお答えになるのはなぜでしょうか。また、同じくおあげになった加来氏・外川氏は、職歴・著作から基本的に「歴史作家」の範疇に属すると考えます。作家の方を軽視するわけではありませんが、両氏とも「研究者」とはいえず、大学のレポートレベルでも参考文献にあげるのは厳しいのではないでしょうか。したがって、私はジャムリンさんのおっしゃる4氏は「現役の研究者」に該当しないと考えます。一方こちらからお尋ねしたわけではありませんが、ジャムリンさんは「小田原合戦」の使用者として黒田・小和田・下山氏をあげられます。異論の余地はありますが、この3氏なら「現役の研究者」として大方が納得するでしょう。以前にYasumiさんも指摘されましたが、ジャムリンさんが把握しておられる「征伐」「合戦」の使用者から考えるならば、傍からはジャムリンさんは「合戦」を支持する方が妥当に見えます。なぜ「合戦」より「征伐」を主張されるのでしょうか。--流れ木 2012年2月7日 (火) 12:26 (UTC)

60.33.185.41さんですね。まず物故といっても、児玉氏はほんの数年前まで存命していた方でもあるわけで、しかも著作の現行発行物の語句改訂がないという現実もありますが、ここ数年の事情による現役の方の言に限らなければならない理由が、wikipediaのWikipedia:記事名の付け方にないからです。現役どころかそもそも根拠となる出典発行年度を区切る考えについて「2011年9月17日 (土) 11:26時点における版」では「30年基準はその根拠が問題外です」という意見も出ています。そしてWikipedia:記事名の付け方の歴史事件の記事名の着け方については、「出来る限り一般的に知られており通用しやすい名称を使用する。」というガイドラインにあります。専門ではなく一般です。そしてその学術専門家にしても「正式な名称」としての統一見解がない状態です。専門家用語重視として、流れ木さんのあげられた3名の現役の研究者の方を尊重すれば「小田原合戦」以外は有り得なくなり話は早いのですが、ここで議論されてきた争点や論点はそればかりではないからで、私も現時点の状況において総合的に判断したからです。流れ木さんが「小田原合戦」の合意形勢の議論を再開したいというのでしたら、状況が変わったことにもなるので参加させていただきますし、投票になった場合に候補に挙げられることに反対はしませんが、私が合戦でなく征伐を主張することが議論の妨げになってでもいない限り、議論上の問題はないと思われますが?--ジャムリン 2012年2月7日 (火) 15:10 (UTC)脱字修正--ジャムリン 2012年2月14日 (火) 15:07 (UTC)

インデントをもどします。ジャムリンさんと一対一ではなく、他の方からもコメントをいただきたいからです。無用のことかも知れませんが。 さて、ジャムリンさんからは丁寧なお返事をいただきました。ありがとうございます。一点遺憾に思うことがありますが、行論上の支障はありませんので、とりあえず置いておきます。

さて、現役の研究者で「征伐」の使用者はいないこと、(過剰解釈かも知れませんが反論がありませんでしたので)歴史作家は情報源としては慎重な取り扱いを要することについては、合意できたと判断いたします。関連して、最初に確認しておくべきでしたが、この記事は学術に関するものであり、議論も学術的な観点に基づいて進めるべきであるとしてよろしいですか。もちろん、だからと言って「現役」に直接つながるわけではありませんが。

短い本論に入ります。「30年基準はその根拠が問題外」の発言については、当時以下の2点で驚いたことをよく覚えております。①これに対し何の反論もなかったこと、②「改名系はあまり手を出す気はない」とおっしゃりつつ、1文目と最後の文で事実に反することをお書きになるような方がコメントされたこと、です。もちろん確かに「30年」という数字そのものには、学術的にもウィキペディアの方針等の上でも何の根拠もありません。そしてChokorinさんや秋田城之介さんがしてくださった文献調査は、そのご努力にはもちろん感謝しますが、1970年代以前は手薄と思われます。従ってあの一覧からでは、もともと「征伐」「攻め」が拮抗していたのか、あるいは「攻め」から「征伐」への転換がみられるのか、はたまたその逆か、判断ができません。さらに文献を精査する必要があると思いますが、いかがお考えでしょうか。見通しを示すならば、顕著に「征伐」から「攻め」への移行が看取できると考えておりますが、ここでは深入りは避けておきます。

なお、おっしゃるように「小田原合戦」の議論を提起したい気もしております。これについて議論が尽くされたとは思っておりません。ただ九州など他の戦いでは、管見の限り使用例が無いと思われますので、躊躇されます。ついでに申しますと、こちらも丁寧に調べたわけではないので深入りは避けますが、「役」については「前九年・後三年」が学界・教育の場で「合戦」で定着しつつあるなど、元寇と秀吉の朝鮮出兵以外は使用されなくなっているような印象を受けますので、やはり躊躇されます。--流れ木 2012年2月10日 (金) 16:07 (UTC)

小田原合戦を改名の候補に追加したり、他の案を追加する件については、投票条件を合意する過程で確認すればいいと思います。--多賀城佐 2012年2月11日 (土) 04:35 (UTC)
掲示された投票要綱によれば、現在は投票候補の追加が可能な期間だと思います。--馬屋橋 2012年2月12日 (日) 12:47 (UTC)

再び投票への条件について

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Wikipedia:コメント依頼/九州の役・小田原の役の改名についてで固められた条件に対する修正、エントリー期間に対する意見がYasumiさんから出ました。比較・検討するために、総合的な具体案の提示をお願いします。--秋田城之介 2012年1月20日 (金) 02:46 (UTC)

上に書いてあるとおり、投票に合意できません。秋田城之介さんは投票に移る前に提案の説明責任を果たしてください。通常ではなく異常に長い議論ですから合意形成には慎重になってもらわないと困りますね。最後の意見から僅か二日で締め切るつもりだったんですか?締め切りも告知していないのに。今投票へ移ることに反対です。Tenseki 2012年1月24日 (火) 06:29 (UTC)
期間としての規定は正しく取っています。提案の説明もありますし、議論はそれ以上に長期間に渡り慎重に進行されました。Tensekiさんが長らくアカウントを未使用であったことは、Tensekiさんの事情にすぎません。Tensekiさんが今ここにきて「慎重に」と訴えることは、上記議論の内容を把握した上でのこととは到底思えません。またここでは議論の経緯と内容を把握したとは思えないような「投票は慎重に」と言っておきながら、議論が半年以上前に停止しているノート:紀州征伐においては「ノート:紀州征伐#投票で解決するなら」と投票フューズに移行することを提案するなど言動に一貫性がなく、議論妨害かと疑われても仕方の無い行動をされていることを、ご自覚願います。--ジャムリン 2012年1月24日 (火) 10:32 (UTC)
コメント いわゆる改名候補の認定期間と実際の投票期間においては、主張がYasumiさんと秋田城之介さんで異なっているようですので、この2点においては双方どちらかが譲りあったほうが望ましいかと思います。また提案の再提出についての制限はYasumiさんから具体案が出ていますが、そちらのほうも考慮した上で結論を出すべきではないでしょうか。それ以外については元の条件に準じて良いと思います。また、Tensekiさんには真摯な態度で議論に参加して頂くようお願いします。--馬屋橋 2012年1月26日 (木) 13:57 (UTC)
個人攻撃で発言を封じようとするのはいただけないですね。合意形成期間が規定どおりとはどおゆうことですか?通常の場合でないので対話拒否をせずに議論を尽くすべきです。秋田城之介さんは対話拒否などなさらずに私の質問に回答して議論を尽くしてください。Tenseki 2012年1月27日 (金) 05:01 (UTC)
対話拒否していない相手にむかって対話拒否と言いつのっって個人攻撃していらっしゃるのは、Tensekiさんの方であることを、どうぞご自覚ねがいます。--ジャムリン 2012年1月27日 (金) 07:14 (UTC)
報告 Wikipedia:コメント依頼/Tensekiを提出させていただきました。--秋田城之介 2012年1月27日 (金) 08:58 (UTC)

コメント 馬屋橋さんがコメントされた「改名候補の認定期間と実際の投票期間」についてですが、双方を一週間ずつとすることを提案します。改名候補の認定期間中に表中の長短所や出典の書き込みを行うようにすれば良いと思います。
再提案に関しては、1年という意見と設けないという意見がありましたので、それらを折衷した「半年間」を提案します。それ以外はWikipedia:コメント依頼/九州の役・小田原の役の改名についてで固められた条件を踏襲、という形でいかがでしょうか?--秋田城之介 2012年1月27日 (金) 08:58 (UTC) 追記:同数の場合の再提案は、上記議論に準じてここでは決めておりません。--秋田城之介 2012年2月1日 (水) 02:11 (UTC)

具体な対案が出ない以上それで良いと思います。再提案に関してはあまり気が進みませんが、半年ぐらいであれば強制でもいいでしょうね。--小判キング 2012年1月28日 (土) 16:59 (UTC)
賛成 投票者CUも含め、投票条件に賛成いたします。--貫鉄 2012年1月29日 (日) 09:30 (UTC)

終了 投票条件案を出して一週間、「具体的な反対・対論」がありませんでしたので、この条件で投票準備を行います。本日(投票要綱決定日)から一週間は、投票候補のエントリー及び単長所記入の期間となります。--秋田城之介 2012年2月8日 (水) 02:21 (UTC)

  • 改名候補 - 小田原の役、小田原攻め、小田原征伐。
  • 投票者の資格 - 投票要綱決定時に標準名前空間の編集回数50回以上・初投稿から1ヶ月以上、投票要綱決定時から直近1ヶ月に全名前空間で5回以上の編集を行ったログインユーザー。
  • 投票場所 - 各ノート。
  • 候補の論旨編集期間 - 1週間。
  • 投票期間 - 1週間。
  • 再提案の提出 - 投票終了から半年間(投票で同数の場合除く)。

反対 ここまで非道いとさすがに僕でも異論を提出するしかありません。僕は征伐派だし投票決着論者ですが、秋田城之介さんの強引なやり方で議決投票をすることに反対します。
議決投票で合意するかについて、反対論がすでにあるのに一方的に一週間が経過したから反対論は無効で無視という意見で切り捨てる態度は議論を優先するウィキペディアの合意形成にふさわしくないと思います。まず投票で決着するという合意をグレーな状態のままとせず白黒つけてから投票をしてほしいです。でないと議論でも出ていたような投票無効論が噴出して結論が混乱します。
投票条件についても合意がありません。特にYasumiさんが提出した今まで出た投票条件案と新たに提出された投票条件案を無視しています。通常優先される議論を超越して議決投票をするのですから、投票条件を秋田城之介さんが勝手に決断してはなりません。あまりにも強引で急ぎすぎだと思います。納得ずくめの合意を目指してください。--多賀城佐 2012年2月8日 (水) 11:51 (UTC)
2012年1月27日 (金) 08:58 (UTC)から12日間(追記時点から7日間)、賛成意見のみで反対意見はありませんでした。その間、Yasumiさんや多賀城佐さんは何をしていましたか?「Tensekiさんの質問に答えてください」と回答済みのことについて固執したり、私が「要望があれば今の段階でコメント下さい」と言っていたにも関わらず、案に対する賛否をせずに、今まで出た案の断片を羅列しただけ。それで「納得していない」という理屈は通りません。--秋田城之介 2012年2月8日 (水) 13:33 (UTC)
コメント 多賀城佐さんのコメントで少し気になったのですが、「議決投票で合意するかについて、反対論がすでにある」とのことですが、そういった性質の投票をやることは合意であったように思えます。残るのは条件面だと思いますが、秋田城之介さんの提案に対して、それに修正を求めるような意見が無かったことも事実ではないでしょうか。私は今回の終了判断について異を唱えませんが、どのような基準をとっても多賀城佐さんが投票資格を得るのは難しいかと思います。--馬屋橋 2012年2月8日 (水) 17:19 (UTC)

僕も常識的に知名度のある征伐を選ぶべきだと思います。早く投票をしましょう。秋田城之介さんはtensekiさんの質問に回答ならさっさと過去ログを示して投票をしましょう。反対ポイントはそれだけなんでしょう?それとお願いですが私のような初心者も投票できるように投票権を付与してください。一般読者の目線が不足しているんじゃないですか?--多賀城佐 2012年1月29日 (日) 04:16 (UTC)

wikipediaの編集・運営に当たっては、コミュニティー内のルールや合意によって進行します。多賀城佐さんの主張される常識も一般読者の目もその中に包括されながら、これまで形成されてきたものです。参加を希望するのであれば、それを理解し、遵守することからはじめて下さいますことを強く願いします。--ジャムリン 2012年1月29日 (日) 04:32 (UTC)

tensekiさんも秋田城之介さんもジャムリンさんの言葉を借りれば一方で投票に賛成しておきながら一方で反対して一貫性がありません。どちらも投票で決めればいいじゃないですか?投票ができない理由があるなら回答を与えるなり非を明らかにして送球に障害を取り除いて投票をしてください。--多賀城佐 2012年1月29日 (日) 04:30 (UTC)

お願いですから私の問い合わせについて提案の説明責任を果たしてください。コメント依頼にも書きましたが秋田城之介さんは自候補が改名されるとともに記事の主題を正義の豊臣秀吉が悪の北条を征伐したという意味合いに変えると言っています。これは改名だけの問題ではなく記事の範囲が変わってしまう提案が含まれます。例えば北条氏の能動的作戦は小田原征伐の主題に含まれるのか?北条氏の抵抗戦争という視点は記事から排除されるのか?改名と改題で排除された概念については分割して独立記事となるのか?これらの確認が必要です。特に最終局面でChokorinさんが新記事九州攻めを立てることを予告しているため秋田城之介さんの改名と改題の提案によって重複記事となるのか説明責任があると思いました。ですから私は記事の範囲ではなく、記事の主題の範囲をどう変えるつもりか説明を求めました。しかし対話は拒否されて説明はなされず、沈黙したまま私を排除しようとしています。議論済みとの門前払いで差分も示さない対応は不当で不誠実です。Tenseki 2012年1月30日 (月) 01:41 (UTC)

もう一度簡潔に書いておきます。私の問い合わせは話済みの改名後の記事に含めるか含めないかという話ではないのです。Chokorinさんが最終段階で事実上の分割提案を予告している状況で征伐の主題に含めるのかは独立記事が乱立するかどうかの分かれ目ですし、確認がなければ改名直後にまた議論の混乱が予想されます。改題によって今後独立記事を認めるのか認めないのか、投票前に改題による主題範囲に入っているのかいないのかの確認が必要です。そおゆうことです。Tenseki 2012年1月30日 (月) 01:50 (UTC)

今投票に移る解決策は、Tensekiさんが質問を取り下げるか、秋田城之介さんが回答するか、の二つのようです。今までの議論に回答があるなら、それを見せればすぐに投票できるのでは?早く解決して投票に移ってください。--多賀城佐 2012年1月30日 (月) 11:12 (UTC)
Tensekiさんの会話ページで返答しました。--秋田城之介 2012年2月1日 (水) 01:42 (UTC)
私としても対話による合意から投票による合意へ早くシフトして欲しいです。Tensekiさんの主題と定義の確認の問い合わせは投票前の候補の比較表の整備に繰り入れることを条件に投票に合意いただけないでしょうか?Tensekiさんがノート:武田征伐の調査投票準備で比較表に追加された項目をこちらにも追加すれば解決するように思います。
私も問題点だと思っているのですが、秋田城之介さんは征伐の場合の定義に現状の「1.戦争」に加えて「2.朝廷権威を根拠に反逆者を征伐した行為」を付加するとのことです。これでは仮に征伐に改名した場合に後段の名称問題で「戦争定義の征伐=の役、攻め、平定の別称」は良いかもしれませんが、少なくとも「役」には「行為の征伐の意味」はないので「征伐=役の別称」とは書けません。他にもいろいろ修正が伴うでしょう。同定義のまま純粋に改名するのと違って主題の範囲を投票前に確認する必要があると思います。
投票条件についての提示は、既にいくつかなされていますが、投票による合意をすることが確認されてからしたいと思います(ハードルが設定されれば克服され易くなるため)。--Yasumi 2012年2月1日 (水) 12:06 (UTC)
コメント 九州・小田原双方で言えることですが、「征伐→役」と改名された経緯、「征伐」が「役」に転送されている事実を見れば、現状で既に「征伐=役の別称」となっていると言えます。とはいえ征伐へ戻すということは厳密に言えば、記事の範囲が「戦役・政治事象になること」を意味するので現実的には「征伐≒役」となりますから、定義上の細かい問題を解決するには本文の冒頭で、説明すれば良い話しだと思います。
ところで細かい定義の不一致については今まで議論してきたことであり、「征伐」が「役」に転送されている現状を鑑みれば、現時点で発生している齟齬だといえます。つまり、投票条件制定に当たっては優先条件ではありません。投票条件について個人的な要望があれば今の段階でコメント下さい。2月1日に提案追記もしております。--秋田城之介 2012年2月3日 (金) 02:41 (UTC)
今まで出た投票条件に、少し追記して羅列してみました。投票移行が確認されたら、合意し易そうな点から決めた方が良いと思います。--Yasumi 2012年2月4日 (土) 23:50 (UTC)
投票は早くすべきと思いますが、秋田城之介さんがTensekiさんのコメント依頼を出したまま投票を強行するのはまずいです。秋田城之介さんが過去ログを示してTensekiさんの質問に答えるか、Tenswkiさんが質問を取り下げるかしないと灰色のままの投票決着では混乱を生むと僕は思います。--多賀城佐 2012年2月5日 (日) 10:17 (UTC)
コメント案に対し賛否も示さずに条件候補を列挙されるのは順序がおかしいのでは?提案に賛成するのか反対するのか、反対するとしたらどの点についてなのか?がわからないといけません。
先日の繰り返しになりますが、2月1日に追記された条件(コメント依頼で既に何人かの賛成を得ているものがベース)について、Yasumiさんの意見を述べてくださるようお願いします。--秋田城之介 2012年2月7日 (火) 02:04 (UTC)
秋田城之介さんの提出されたブロック依頼を審議したまま投票を進めるのは問題があります。同じ征伐論者であるなら公正な投票をするために問題点をクリアにしてから投票を進めてください。このままでは汚点を残したままの投票になってしまいます。--多賀城佐 2012年2月7日 (火) 12:16 (UTC)
私の改題確認の質問が議論済みなら、なぜ差分の提示され不可能なのでしょうか?本当に議論済なら即座に解決する問題のはずです。議論されていないから差分がないわけですよね?なぜ対話を拒否されるのでしょう。Tenseki 2012年2月6日 (月) 06
06 (UTC)
九州のノートで『日本の歴史学上では平定などの統一事業そのものと、それにまつわる戦役自体の区別がハッキリされておらず、それはあまり改名反対の理由にはならない』というコメントをしていますし、そこはChokorinさんに同意をもらっており、Yasumiさんからも反対されていません。それは六月のことです。日本の歴史学上でハッキリ区別されていないものをWikipediaでハッキリ区別させるのは無理があり、またこれを今になって主議題にするのは間違っています。--秋田城之介 2012年2月8日 (水) 02:28 (UTC)
私の質問はそのようなことではありません。戦争定義の戦争名称の記事の定義を改変して正義の秀吉が悪を征伐をした定義を付加するというのが秋田城之介さんの改名提案です。今の主題から九州の役と九州征伐を入れ替えたときに、役には悪を討つ正義の行為という意味はないのですから「役とも呼ばれる」とはならず、別の定義文章の改正が必要となります。記事を変えるのですからガイドラインに従って説明責任は提案側にあるわけです。改名のあかつきには、記事にどんな改変を加えるのか?提案者の秋田城之介さんは説明する必要があります。投票条件についても、複数の参加者から異論が提出されていますが、それらを黙殺して合意することにも反対します。対話を重視しましょう。
反対 もう一度投票への移行に反対を表明します。投票への移行の前に下記の要件を満たしてください。ウィキペディアのルールでは説明責任は記事を変更する側にあります。
1.征伐改名の場合の冒頭定義文の事前公開。
2.改名以前の記事が戦争主題であるのに対し、征伐改名でどのような主題変更をするのか?記事の主題内容の事前公開。(付け加えて複数の主題を盛り込むのか?複数の主題とするのか?)
3.複数の主題を盛り込むのなら、別称問題にどのような対応をするのか?(正義の秀吉が悪の反乱分子を征伐したことを主題に加えるのなら、その主題の別称は「役」や「攻め」「平定」ではないので切り分けや説明が必要)
4.複数の主題を盛り込むのなら、主題の範囲の重複しない部分をどうするのか?(征伐された側の主体的攻撃や抵抗などは、戦争主題なら主題範囲内だが、征伐主題では主題範囲外となるため)
Tenseki 2012年2月9日 (木) 07:08 (UTC)
私もTensekiさんの懸念と同じような懸念を持っています。秋田城之介さんはごまかさずに答えてください。また、秋田城之介さんの独断で決定した投票要綱も直しておきました。投票要綱は議論で決定しましょう。--Yayoinokoe 2012年2月9日 (木) 08:09 (UTC)

投票条件の合意がありません。秋田城之介さんは投票をあせりすぎているように思います。ブロック依頼を収集しないまま投票を進めたり、Yasumiさんの提案した投票条件を独断で消してしまったり、投票結果について合意を強制する投票ですので皆が納得行くように合意形成を明確にしてください。このような進行の仕方では、秋田城之介さんも異議を唱えたような投票不備で結果が覆されてしまうような投票になりかねません。私も投票資格が欲しいので、今後に合意が形成される投票資格にはぜひ盛り込んでいただきたいと思います。--多賀城佐 2012年2月10日 (金) 11:08 (UTC)

もう一度言います。小判キングさんがYasumiさんに「独断と偏見で投票資格者を決めないようにお願いします」と意見を言っているように、同じことがすべての提案者に言えると思います。結果を議決に結び付ける強制力のある決定的投票をするのですから投票条件を独断することは許されません。
議論でなく、多数決の結果に合意すると取り決めて初めて議決投票が実施可能です。だから、合意できる投票条件を決める合意を成立させる努力が必要です。今までも投票無効論は何度も蒸し返されてきました。注意が必要です。
できれば同じ征伐派の僕としては、投票を時期や条件を焦って決めたがるように見える秋田城之介さんよりも、同じ征伐派のジャムリンさんに議事進行の旗振り役をしていただいたほうが投票決着への早道のような気がします。--多賀城佐 2012年2月11日 (土) 04:33 (UTC)
コメント コメント依頼でまとまった条件をここで修正して提案し、一週間以上経っても賛成のみで反対が無かったため終了した、この経緯のどのあたりが「秋田城之介の独断」なのですか?あなたは「征伐派」と自称しておられますが、実際にはそういうことはどうでもよく、ただ投票実施を止めたいだけなのではないですか?投票よりも議論で解決することがより良い道ですが、議論が長期に渡ったために、コメント依頼や本ノートにおいて投票で解決する合意があります。--秋田城之介 2012年2月12日 (日) 03:55 (UTC)
コメント 参加の皆さんがそれぞれどの改名候補を支持しているかということとは別に、秋田城之介さんが投票準備に移るまでの進行は、wikipediaの方針・ガイドラインに照らしても私には瑕疵が見つけられませんので、例え私が進行していても同じことかと思われます。それは議論参加者から異議が出ていないことや、コメントやブロック依頼や不満参加者の行った編集に対する議論外の方々の意見や編集から見ても明らかでしょう。秋田城之介さんの進行に対する不満は、多賀城佐さんにしても今回のことでブロックを受けた方たちにしても、問題は他者の行いではなく、ご自身のwikipediaの決まり事への理解不足と、共同作業姿勢の欠如であると思われますので、ご自身の会話ページで管理者の方からいただいた言葉を良く理解し、実行することから始められることを強くお奨めします。--ジャムリン 2012年2月12日 (日) 05:43 (UTC)

コメント 秋田城之介さんが終了裁定をされたことについて多賀城佐さん・Tensekiさんは認可されていない、という認識でよろしいでしょうか。しかし、一ヶ月以上の履歴や編集50回というのは削除依頼などでも適用されているもので、よくよく考えても妥当なものだと思います。これ以上条件を下げたりしてしまうと、それなりの理由付けも必要になるかと思います。ですから私も賛成したんですが、やはり投票する直前の段階から議論に参加頂いた方に対する投票権は、残念ながら必ず保障されるようなものではないと思います。ただしそこには、新規利用者を除外するような意図は無いと思います。そういう意図があったら(意図を感じていたら)私も反対していたと思います。--貫鉄 2012年2月11日 (土) 08:05 (UTC)

  • ここで焦って決めるよりも、いちゃもんがつかないように投票の合意内容と合意形成期間を再確認して合意成立宣言を出したほうがいいんじゃないですか?--Danbukuro 2012年2月12日 (日) 06:28 (UTC)
投票資格について対案が提出された中で、協議もなく削除されたことが問題だし、ルールにも色々穴がありそうなので慎重に協議していただきたかったのですが、もう反対はしません。ただ、書かれているルールについて不明瞭な部分があるので確認します。--多賀城佐 2012年2月13日 (月) 10:59 (UTC)
  • 「役」と「攻め」について、過去に表が作られてから全然整理されていません、賛成者の姿も見れないことから「候補選定・表整理:2012年2月8日 (水) 02:19 (UTC) - 2012年2月15日 (水) 02:19 (UTC)」のルールを根拠に投票先から一旦削除してもいいでしょうか?賛成者もいないのに候補があるのはおかしなことです。もちろん期間までに賛成者がいたり整備が進むのであれば尊重して投票候補からの削除はしませんし、「合戦」などの候補が賛成者によって追加されることも歓迎いたします。(それとも、投票資格の無い者は整理も資格なしですか?)
  • 「候補選定・表整理」の肯定意見や否定意見が自己主張に都合の良い表現に書き換えられる恐れがあると思いますが、締め切りの時点でロックされるということでしょうか?「遅い者勝ち」の今のルールではちょっと恐ろしい気がします。削除も含めて比較表の編集には優先権はないのでしょうか?
  • 上の質問に関係しますが、乱立を防ぐルールがないようです。大丈夫でしょうか?
  • 「投票要綱決定時」のルールがありますが、具体的にいつでしょうか?後で混乱するといけないので確認をお願いします。
  • 「投票者全員へのチェックユーザー規定有り。」のルールについて、この表現では意味がわかりません。投票者は全員CUされるのですか?それとも整理者もCUされてしまうのですか?
私は「攻め」についてこのような[2]編集を追加しましたので、少なくとも「編集が無い」というのは事実ではありません、ご確認お願いします。また、投票がなされるまでは賛成者が居るかどうかということもわからないと思います。今までの議論の中で出てきた候補のようですので、削除するのは控えていただいたほうがよろしいかと思います。--馬屋橋 2012年2月13日 (月) 13:55 (UTC)
コメント >多賀城佐さん
「賛成者もいないのに候補がある」というケースをご懸念のようですが、もし投票条件を満たさない方が候補の追加をしたい場合は、投票条件を満たす方の同意を得た方が混乱は防げると思います。もちろんこれは決まりごとではありませんが、配慮頂いたほうが良いと思います。--馬屋橋 2012年2月14日 (火) 16:55 (UTC)
コメント まず「賛成者の姿も見れない」というのがよくわかりません。
肯定意見や否定意見の書き換えについては、編集合戦を招くようなやり方は慎むべきでしょう。基本的には列挙形式で、一つのポイントについて長短所一個ずつしか書けない、というわけではありませんので。
乱立を防ぐルールとしては、「候補追加の際は出典を付けなければならない」ので、独自研究的な候補を追加することはできません。
「投票要綱決定時」は2012年2月8日 (水) 02:21 (UTC)です。--秋田城之介 2012年2月13日 (月) 16:59 (UTC)
投票そのものとは関係ありませんが、投票所節にコメント欄がありません。過去に実施された投票ではコメント欄がある場合が多いので、今回の件でも設けてみてはいかがでしょうか?--馬屋橋 2012年2月14日 (火) 18:24 (UTC)
とりあえずコメント欄を新設しました。--秋田城之介 2012年2月15日 (水) 02:54 (UTC)

アクセスできなかった間に投票に進展してしまったようですね。投票資格について今まで出た意見をまとめて更に私の具体案も提案し、厳格化をお願いしたのに、検討されなかっのでしょうか?まずは不在中のログを読んで追いつきたいと思います。--Yasumi 2012年2月19日 (日) 00:02 (UTC)

過去に提示された投票条件案

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新しい提案ではありませんが、以前に提案した「投票条件の提案と纏め」[3]が除去されてしまっているので復活させます。知らない間に提案自体が他者の独断で削除され、「投票条件の提案と纏め」が無かったとにされたくないため。--Yasumi 2012年2月26日 (日) 00:03 (UTC)

<議論中>今まで出た投票条件案

  1. 改名候補の選定
    1. 制限しない。
    2. 九州:九州の役、九州攻め、九州征伐。小田原:小田原の役、小田原攻め、小田原征伐。(攻め案については提案があった場合)
    3. 学術的な出典のある候補。
    4. 投票前の比較表整備期間に賛成投票者がエントリーする(乱立防止のため)。
    5.  
  2. 投票者の資格
    1. 禁止された多重アカウントによる投票は禁止。
    2. 投票要綱決定時に標準名前空間の編集回数50回以上。
    3. 投票要綱決定時に標準名前空間の編集回数150回以上。
    4. 初投稿から1ヶ月以上。
    5. 初投稿から1年以上。
    6. 投票提案から1ヶ月以上前に編集活動を開始したユーザー。
    7. 投票要綱決定時から直近1ヶ月に全名前空間で5回以上の編集を行ったログインユーザー。
    8. 人文科学・社会科学の記事を10項目以上立項or出典付き歴史記事を加筆した実績。
    9. 史学系記事における出典付3Kバイト以上の加筆実績を投票時に自己申告。
    10. 特定の候補への投票呼びかけなど「勧誘行為」をした利用者に対し投票権を付与しない。
    11.  
  3. 投票場所
    1. 各ノート。
    2.  
  4. 投票期間
    1. 2週間。
    2. 1週間。
    3.  
  5. 再提案の制限
    1. 制限しない。
    2. 議決後半年間は改名提案凍結
    3. 議決後1年間は改名提案凍結
    4. 改名提案提出から妥結までと同期間は凍結。
    5.  
  6. 最多票が同点の場合
    1. 現状維持。
    2. 決選投票を実施。
    3.  
  7. CUへの対応
    1. 投票者はCU提出の場合にCU実施を支持。
    2. 参加者はCU提案があった場合に反対しない。
    3.  
  8. 投票までの比較表整備
    1. 投票による改名合意が確認された後、第一週中に賛成者による記事名候補のエントリーとp点(肯定的意見)の編集。第二週中にn点(批判的意見)の編集。第三週から投票開始。比較表には記事定義の確認欄を設ける。
    2. 上記案の変形で、エントリー・肯定・否定を全て一週で済ませて投票を開始する。
    3.  
(参考:管理者の先行投票の投票条件)
  • 立候補のスタートを起点に
    • 初編集から1か月以上の時間経過。(活動開始がスタート以前)
    • 標準名前空間(記事名前空間)の50回以上の編集実績。(今までの活動実績の条件)
    • 直近1か月間の標準名前空間の編集回数が5回以上。(最近の活動実態がある)

改名投票

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投票要綱の案

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投票要綱

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投票の主題 現「小田原の役」の改名
投票場所 ノート:小田原の役
投票に先立つ議論
投票者の資格 投票要綱決定時に標準名前空間の編集回数50回以上・初投稿から1ヶ月以上、投票要綱決定時から直近1ヶ月に全名前空間で5回以上の編集を行ったログインユーザー。
投票期間 候補選定・表整理:2012年2月8日 (水) 02:21 (UTC) - 2012年2月15日 (水) 02:21 (UTC)
投票期間:2012年2月15日 (水) 02:21 (UTC) - 2012年2月22日 (水) 02:21 (UTC)
投票のルール
  • 改名候補 - 小田原の役、小田原攻め、小田原征伐。候補追加は一週間以内。
  • 再提案の提出 - 投票終了から半年間(投票で同数の場合除く)。
  • 投票者全員へのチェックユーザー規定有り。

各候補論旨

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改名候補比較表  (p=:肯定的意見、n=批判的意見)
番号 評価要素 A.小田原の役 B.小田原攻め C.小田原征伐
11 日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの[1] (→他項へ統合)
12 その記事へのリンクを作成しやすいもの[2] (→下22項へ統合)
21 認知度が高い[3]
(出典で最も一般的か)
  • (p)1.史学的な書籍名・論文名に採用されている。記事主題を表す場合に多用されている。
  • (n)1.書籍・事典類での使用例が少ない。
  • (p)1.書籍・事典類での使用例が最も多い。
  • (n)1.記事主題でなく、主体者の行為の意味で多用されている。主題を表現する史学的な書籍名・論文名に採用されていない。
  • (p)1.書籍・事典類で多用されている。
  • (n)1.一方の政治主張が盛り込まれた表現であるため、主題の意味での使用は史学的に避けられている。主題を表現する史学的な書籍名・論文名に採用されていない。
22 見つけやすい[4]
(リンクしやすい)
  • (p)1.主題と同じ戦争名称なので各勢力からのリンクに制約なし。
  • (n)1.
  • (p)1.
  • (n)1.披攻撃側・第三極の行動表現でのリンクに不適。
  • (p)1.各勢力からのリンクに制約なし。
  • (n)1.被征伐側・第三極の行動表現でのリンクに不適。
23 曖昧でない[5]
(的確である)
  • (p)1.公刊戦史で命名された固有名詞である。
  • (n)1.慶応戊辰小田原戦役がある。
  • (p)1.
  • (n)1.上杉謙信、武田信玄、北条早雲のものなど複数の「小田原攻め」がある。
  • (p)1.
  • (n)1.戦争名称とともに政治宣伝の意味合いを持っている。上杉謙信など複数の「小田原征伐」がある。
24 簡潔[6]
(短く要点を突いている)
  • (p)1.固有名詞であり簡潔である。
  • (n)1.
  • (p)1.簡潔である。
  • (n)1.用例の多くは「豊臣秀吉の」や「豊臣政権の」の主体者の主語が省略された略語である。
  • (p)1.簡潔である。
  • (n)1.用例の多くは「豊臣秀吉の」や「豊臣政権の」の主体者の主語が省略された略語である。
25 首尾一貫している[7]
(類似記事の傾向)
  • (p)1.現状、三韓征伐武田征伐紀州征伐会津征伐がある。
  • (n)1.現状の非採用として「奥州征伐」、「四国征伐」、「九州征伐」、「朝鮮征伐」、「琉球征伐」、「長州征伐」がある。
31 信頼できる情報源における慣例[8] (→他項へ統合)
32 正式な名称を使うこと[9]
  • (p)1.公刊戦史によって命名された戦争名称。[10]
  • (n)1.
  • (p)1.高校教科書の多くが使用する名称。
  • (n)1.ただし、戦争名称でなく秀吉の行為としての用例が殆ど。
  • (p)1.
  • (n)1.最近の書籍・事典・教科書では使用しない傾向。戦争名称でなく秀吉の行為としての用例が殆ど。
41 出来る限り一般的に知られており通用しやすい(歴史的事件の慣例)[11] (→他項へ統合)
51 中立的な用語[12]
  • (p)1.
  • (n)1.一方視点の用語。
  • (p)1.
  • (n)1.後北条氏を悪人・逆賊と定める視点が前面に出ている。一方視点の用語。
番号 出典、その他 A.小田原の役 B.小田原攻め C.小田原征伐
61 主題の専門書名
  • 1.『日本戦史 小田原役』参謀本部編、元真社、1914年大正3
  • 2.『日本戦史1 小田原役』参謀本部編、村田書店、1977年(1の復刻版)
  • 3.『日本の戦史4 小牧・九州・小田原の役』旧参謀本部編 徳間書店、1965年(1の現代語訳版)
  • 1.
  • 2.
  • 3.
  • 1.『小田原征伐』神田伯龍[13]講談神田派の名人の著作であり、娯楽作品。史学分野の専門書籍ではない)
  • 2.
  • 3.
62 主題の論文・専門書小題
  • 1.相田二郎「小田原の役」[14]
  • 2.伊礼正雄「小田原役に於ける後北条氏の城郭体制」[15]
  • 1.
  • 2.
  • 3.
  • 1.第26章 小田原征伐の前後―秀吉の計略三 『動く日本史』社会教育会[16]
  • 2.第六節 小田原征伐『織田豊臣時代史』牧野信之助[17]
  • 3.第二編第十二章 小田原及び奥州征伐『日本時代史 第8巻』渡辺世祐[18]
63 主題の辞典類項目
  • 『新編 日本史辞典』京大日本史辞典編纂会編、東京創元社、H2年6月
71 その他1
  • (p)1.
  • (n)1.
  • (p)1.
  • (n)1.
  • (p)1.
  • (n)1.
  1. ^ Wikipedia:記事名の付け方
  2. ^ Wikipedia:記事名の付け方
  3. ^ Wikipedia:記事名の付け方#記事名を付けるには
  4. ^ Wikipedia:記事名の付け方#記事名を付けるには
  5. ^ Wikipedia:記事名の付け方#記事名を付けるには
  6. ^ Wikipedia:記事名の付け方#記事名を付けるには
  7. ^ Wikipedia:記事名の付け方#記事名を付けるには
  8. ^ Wikipedia:記事名の付け方#記事名を付けるには
  9. ^ Wikipedia:記事名の付け方#一般的な指針
  10. ^ 「参謀本部はドイツの戦史に倣い、初めて「戦史」と称し編纂取組みを始めている。」「『日本戦史』編纂の特徴は、教育的価値を重視し、戦役の批判的研究による考察・叙述が試みられている点にあった。そのため、戦史編纂の対象は「兵学を学ぶ人」とし、軍人だけでなく一般の読者も含めている。また、わが国で最初の公刊戦史の編纂取組み(Public-Work)となり、東京日本橋の丸善商社、東京神田の有斐閣など、全国48の書店で販売された。」(「旧陸軍における戦史編纂 -軍事組織による戦史への取組みの課題と限界-」塚本隆彦)
  11. ^ Wikipedia:記事名の付け方#歴史的事件
  12. ^ Wikipedia:ウィキプロジェクト 軍事史#記事名
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  15. ^ 『戦国の兵士と農民』杉山博先生還暦記念会編、角川書店、1978年
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  18. ^ 早稲田大学出版部、1926年
  19. ^ 『』、年月
  20. ^ 『』、年月

投票所

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投票要綱を確認の上、適切だと思う候補の下に一行ずつ署名を入れてください。

  • 小田原の役に賛成
  1. --Jaszmars 2012年2月15日 (水) 03:37 (UTC)
  2. --Yasumi 2012年2月19日 (日) 08:20 (UTC)
  3. --miya 2012年2月19日 (日) 11:45 (UTC)
  4. --КОЛЯ 会話 2012年2月20日 (月) 14:28 (UTC)
  5. --sergei 2012年2月20日 (月) 14:50 (UTC)
  6. --Tiyoringo 2012年2月21日 (火) 12:05 (UTC)
  7. --Ashtray 2012年2月21日 (火) 14:15 (UTC)
  • 小田原攻めに賛成
  1. --miya 2012年2月19日 (日) 11:45 (UTC)
  2. --Pesokun 2012年2月19日 (日) 16:16 (UTC)
  3. --なんじゃたい 2012年2月20日 (月) 09:01 (UTC)
  4. --Tiyoringo 2012年2月21日 (火) 12:05 (UTC)
  5. --泉州大夫惟宗朝臣 2012年2月22日 (水) 01:48 (UTC)
  • 小田原征伐に賛成
  1. --秋田城之介 2012年2月15日 (水) 03:00 (UTC)
  2. --貫鉄 2012年2月15日 (水) 08:54 (UTC)
  3. --明銘 2012年2月16日 (木) 09:23 (UTC)
  4. --小判キング 2012年2月17日 (金) 14:42 (UTC)
  5. --小田急多摩之介 2012年2月18日 (土) 09:31 (UTC)
  6. --まっとん 2012年2月19日 (日) 08:32 (UTC)
  7. --YOMIHO 2012年2月20日 (月) 07:43 (UTC)
  8. --なんじゃたい 2012年2月20日 (月) 09:01 (UTC)
  9. --高幡不働 2012年2月21日 (火) 02:29 (UTC)
  10. --Historical rox 2012年2月21日 (火) 14:33 (UTC)
  11. --ジャムリン 2012年2月22日 (水) 01:38 (UTC)

コメント

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  • 個人的には、豊臣姓を名乗る前後で豊臣政権の正当性が増し、九州攻めとは差をつけざるを得ないと感じました。--貫鉄 2012年2月15日 (水) 08:54 (UTC)
  • 僕には投票権がないので、投票結果を尊重したいと思います。--多賀城佐 2012年2月15日 (水) 11:44 (UTC)
  • 色々考えましたが、この歴史事象の記事は戦争という単位で扱うのが良いと思い小田原の役に投票しました。プロジェクトの趣旨にも合致した名前だと思います。私の読む歴史研究文献でも征伐史観を語る他は征伐は積極的に使われていないようです。--Jaszmars 2012年2月17日 (金) 03:28 (UTC)(追加コメント)戦争には色々な見方があると思いますが、呼称が特定の政治的側面を支持し、その他の見解を排除する呼称よりは、各種の歴史見解も包括して語ることのできる単純な戦争呼称を記事名にしたほうが、読者のためになると思います。--Jaszmars 2012年2月17日 (金) 03:38 (UTC)
  • 古い表現にも見えますが、浸透しているほうを支持します。--まっとん 2012年2月19日 (日) 08:32 (UTC)
  • 「征伐」は中立的でない印象を受けるので、山川が採用している「小田原攻め」と公刊戦史で命名されたという「小田原の役」に賛成します。--miya 2012年2月19日 (日) 11:45 (UTC)
  • 九州の駅と同じ理由です。--YOMIHO 2012年2月20日 (月) 07:43 (UTC)
  • 近年の歴史学の文献での使用例の多い「小田原の役」を支持します。--sergei 2012年2月20日 (月) 14:50 (UTC)
  • 一覧表のようなものがありますが、正直見づらかったです。私は中立的かどうかはあまり問題ではないと思います。なぜなら、そういうのを突き詰めていくと「蝦夷」や「南蛮」といった言葉も使えなくなってしまうからです。--高幡不働 2012年2月21日 (火) 02:29 (UTC)
  • 文脈により「攻め」「征伐」「役」を使い分けるべきですが、記事名は、Wikipediaの三大方針たる「中立的な観点」に鑑み、「役」がもっとも相応しい(マシ)と考えます。--Ashtray 2012年2月21日 (火) 14:15 (UTC)
  • コメント 日本語表現というのは難しいですが、ここでいう「征伐」というのは差別的であるとかそういった意味合いをあまり感じません。単に豊臣秀吉側から見た軍事作戦といいますか統一事業といったものの名称が普及したものだと思います。そういった意味合いを踏まえた上で、辞典でもたしかに「小田原征伐」等が多かったように感じられるのでそのように投票しました。--Historical rox 2012年2月21日 (火) 14:33 (UTC)
  • まずは投票の開始された後の「ノート:小田原の役 2012年2月17日 (金) 02:45」において、期限切れにも関わらず各候補論旨に加筆してしまいましたことをお詫びします。申し訳ありませんでした。幸い直後にJaszmarsさんのよって訂正していただきました。Jaszmarsさんには、改めて御礼申し上げます。ありがとうございました。Jaszmarsさんからは、私の会話ページにおいて「比較表以外のところで参照可能にする等の方策」との提案をいただきましたが、「投票における合意」も規定の期限により進行されておりますので、加筆分の「ノート:小田原の役 2012年2月17日 (金) 02:45」版からの内容は、あくまで投票理由のコメントとして述べさせていただきます。小田原征伐に投票いたしました理由としては、
  1. 当時の政治状況・勢力状況を端的に表している。つまり臣従の意志を示し、秀吉の裁定を承諾してのちの裁定違反による討伐戦であるという歴史上の位置づけを表している用語としての判りやすさ。
  2. NET上でも検索できる国語辞書『大辞泉』や百科事典『日本大百科全書、ニッポニカ・プラス(小学館)』では項目名が現在でも「小田原征伐」であって「役」や「攻め」は外部誘導になっていることや([4])、1990年代から現在に至るまでの辞書や歴史辞典や日本史年表の項目名としても存在し続けているという点があります。(■1.『新装版 日本史辞典』数研出版 初1957 新装版5改訂20刷1995■2.『日本史小辞典』山川出版社 初1975 8版45刷1995。■3.『第二版 日本史辞典』角川書店 初1953 第2版26刷1995<編集:高柳光寿、竹内理三>。■4.『日本史用語大辞典』新人物往来社 第1刷1995■5.『日本史年表ハンドブック』PHP研究所 1995<監修:小和田哲男>。■6.『日本大百科全書10』小学館 1995■7.『平凡社マイペディア』平凡社 1995●8.『大辞泉』小学館 1998●9.『最新日本史教授資料』明成社 2003■10.『大辞林』小学館 2006)。■10.『標準日本史年表』吉川弘文館 2011刷。●は他の方による調査)などが有り辞典や事典の項目名として多く採用されている実績があること。最も1990年半ば頃に改訂された版から「小田原攻め」に切り替わっている出版社も数社(角川、山川など)か有りましたが、そのような場合には監修・編集代表研究者の交代のあるものも見られました。
  3. 地元自治体のHPでは■『小田原市|小田原合戦』の文脈の中ではありますが、「小田原征伐」が確認されています。
  4. 2000年代発表の論文や研究書では、分野としては狭い事象を扱っているものの、節題・章題として■本間清利 (略歴)『家康政権と伊奈忠次 』(目次)2001年。と、法制史としてではありますが、■名城大学[5])法制史 谷口昭([6])ゼミナール2002WEB卒論集([7])「豊臣政権の奉行制度に関する考察 第二章4.([8])」と使用されております。他に研究会等のHPとして■『財団法人 日本城郭協会』「中央大学史蹟研究会の発行する歴史と文化第三四号」掲載論文一部改定の「堅固な城の条件~後北条氏の城郭から([9])2002-2004」で使用が確認できました。
  5. 「小田原攻め」に関しましては、比較表のとおりに近年の使用度は高いものの、固有名詞として「小田原征伐」より曖昧であることと、同じく曖昧とされる上杉謙信の「小田原征伐」は完遂された事象ではないことを理由に反対いたします。
  6. 「小田原の役」は「役」という字には史学的にも多義があり、歴史に馴染みがない利用者への配慮といった点や、旧参謀本部の『日本戦史』は当時の公刊書とはいえ、100年以上前の前政体の今は無い機関の発行物であり、故高柳光寿氏はじめ、近年では研究者や歴史愛好者からの、内容の誤謬、編纂目的・歴史書として実証的ではないという研究姿勢の問題点の指摘や批判もある文献です。しかも同叢書の他タイトルも、wikipediaでは現在使用例が少なく、馴染みがないことから謂っても記事名としては不向きのように思われます。(例:「長篠役(長篠の戦い)」、「桶狭間役(桶狭間の戦い)」、「小牧役(小牧・長久手の戦い)」、「三方原役(三方ヶ原の戦い)」、「姉川役(姉川の戦い)」、「柳瀬役(賤ヶ岳の戦い)」「山崎役(山崎の戦い))。また、幾名かの方の言われるところの「中立性」につきましても、東京外国語大教授の西谷修氏は戦争に関する著述で、明治以前、近世までの日本国内の歴史的武力衝突の呼ばれ方について、「『役』は中央政権が反抗勢力を征討・征服・鎮撫するような場合に使用する」と分析して区分されており、その場合『役』自体に「征討」の意が含まれるのですから、必ずしも中立性は担保されるものではないと考えられますし、現代史における別の用語の言い換えを例に、横並びにして政治的側面を封じ込める事で、歴史的脈絡を隠蔽されてしまうことの危惧を表明されており、このような学問としての多角的な側面からも、判りやすい歴史用語として不適であると考えました。
以上、総合的に見て、三項の候補の中では、wikipediaの歴史事件記事名の付け方としての「出来る限り一般的に知られており通用しやすい」を鑑み「小田原征伐」に投票いたしました。--ジャムリン 2012年2月22日 (水) 02:09 (UTC)編集内容の要約追記--ジャムリン 2012年2月22日 (水) 02:49 (UTC)

投票結果

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  • 公平中立な第三者な私が票数を確定させていただきます。小田原の役7、九州攻め5、小田原征伐10です。今回の投票わあくまで調査投票で、過半数以上の票が無く、要綱にも最多投票を記事名にするとは一言も書いてないですので、投票した人に対するチェックユーザーののち、これらの結果参考にして議論を再開していただきます。--Yayoinokoe 2012年2月22日 (水) 08:47 (UTC)
まず投票数は7, 5, 10ではなく、7, 5, 11です。秋田城之介さんがブロックされたことで除外してよいと考えているのかもしれませんが、多重アカウントの不正使用でブロックされたわけではありません。Wikipedia:投票/リストでの誤った操作をされている初心者ユーザーのYayoinokoeさんが今後について、しきることは不適切です。--Tiyoringo 2012年2月22日 (水) 09:14 (UTC)
ノート:九州の役でほぼ同じことを申し上げましたが、投票された方が全く同じなのでこちらでも申し上げます。私が確認した限り投票された方々は全員「投票要綱決定時に標準名前空間の編集回数50回以上・初投稿から1ヶ月以上、投票要綱決定時から直近1ヶ月に全名前空間で5回以上の編集を行ったログインユーザー。」という要件を満たしておられるように思います(誤認があったらすいません。)。「投票者の資格」には「投票結果発表まで投稿ブロックされないこと」という要件は書かれておりませんので、投票後に投稿ブロックとなった秋田城之介さんの票は有効票だと思います。チェックユーザーの結果何らかの不正が発覚しない限り小田原の役7票/小田原攻め5票/小田原征伐11票という投票結果でよいと思います。--Henares 2012年2月22日 (水) 12:46 (UTC)
数が判りやすいように各投票インデントをマークアップしてみました。これを重大な違反改竄と判断された場合は修正願います。
Henaresさん確認おつかれさまです。ありがとうございました。ですが「九州攻めに賛成」票2番の[[特別:投稿記録/Pesokun|Pesokun]}さんですが、現在時点(下記署名時間参照)で編集カウンターは57回と出るのですが、履歴編集回数が実際には55回で、規定の2月8日以前の投稿記録が「全名前空間編集50回、利用者名前空間1回、標準名前空間編集49回」になってしまうのですが、規定内判断ということで良いでしょうか?--ジャムリン 2012年2月22日 (水) 13:28 (UTC)
誤差2回分は、もしかすると版が削除されたことによるものかもしれないですね。投票要綱決定時点以降の編集が削除されたのなら当然アウトです。また私個人としては氏が投票した時点で、氏の編集した版が削除されていたのだとしたら無効票と見てよいように思います。投票時点では用件を満たしていたが、その後編集が削除された場合などですと、無効票としていいか微妙な感じがします。編集カウンターが誤作動しているのか、氏が編集した版が削除されたのかは、管理者や削除者の方であれば確認が可能です。またいつ削除されたかもわかるでしょう。--Tiyoringo 2012年2月22日 (水) 13:46 (UTC)
ジャムリンさんのご指摘の通り誤りがあったようです。申し訳ありませんでした。投票要綱決定後の編集をカウントしてしまったという私のケアレスミスです。Pesokunさんによる投票要綱決定前の標準名前空間編集は確かに49回です[10]。Pesokunさんの票を無効票とするなら小田原の役7票/小田原攻め4票/小田原征伐11票になりますね。--Henares 2012年2月22日 (水) 14:36 (UTC)
コメント Pesokunさんの票の扱いについては、削除ページの関係でまだ確定していないとみてよろしいでしょうか?投票者によって投じた候補数が異なるので、支持・不支持の観点から集計してみました。
総投票数23票、総投票者数20人
「小田原の役」を支持した投票者7人、「小田原の役」を支持しなかった投票者13人、支持率35.0%
「小田原攻め」を支持した投票者5人、「小田原攻め」を支持しなかった投票者15人、支持率25.0%
「小田原征伐」を支持した投票者11人、「小田原征伐」を支持しなかった投票者9人、支持率55.0%
全票が有効だと仮定して、以上のような結果になりました。計算ミスなどの誤りがありましたらご指摘下さい。--馬屋橋 2012年2月22日 (水) 15:10 (UTC)
これだけ解釈に余地があることは、投票条件の設定そのものに問題があったと言わざるを得ません。
投票結果については、特に複数投票を妨げない条件で投票を行っていることから、素直に得票数/投票総数で支持率を計上してみました。
小田原の役/攻め/征伐について、得票7/5/11票、計23票。支持率30%/22%/48%
(ただしPesokunさんの投票資格が満たされていない場合は、
 得票7/4/11票、計22票。支持率32%/18%/50%
過半数の支持率を獲得した候補はないようです(過半数だとしても、最多票に改名するという条件というか投票目的が合意内容になかったようですが。一番肝心なところでは?)。不透明な幕引きは誰しも望んでいないでしょう。1位2位で決選投票を同等の投票条件で行うか、もう一度必要な投票条件を整えて仕切りなおしたほうが良いと思います。特に複数投票の可否については事前に公知されていなかったために、解釈する人によって選択肢が変動されてしまいフェアではなかったように思えます。禁止するなら禁止する、許可するなら許可するという合意を採るべきです。
ガイドラインに従って、Wikipedia:調査投票の方法#調査投票の手順のように、「もっとも優先すべき記事名に投票する」「一人一票とする」「最多得票候補に改名する」「最多票が同点の場合は・・・」等を合意で定めてから投票すべきでしょう。やるならやるで適正にやりましょう。--Jaszmars 2012年2月23日 (木) 01:22 (UTC)
コメント 複数投票になったこと自体はそれほど支障ではありませんが、単純に得票数だけで支持率を集計するのは公平性を欠くと思います。単純な得票だけで率を計算すると、複数に票を入れたmiyaさん・なんじゃたいさん・Tiyoringoさんに対して有利な結果になってしまいます。第三者からみてこれは公平であるとは言えません。--馬屋橋 2012年2月23日 (木) 02:08 (UTC)
コメント 私は逆に単数票を入れたり複数票を入れる選択肢がある中で、結果に複数票を計上しないという評価を後付けすることが公平性に欠けると思います。私の評価は案に対する得票/総票数であり母数100%における支持率です。投票なので票を読んだのですが、馬屋橋さんの評価は人を読んでいるのが違うようです。--Jaszmars 2012年2月23日 (木) 02:26 (UTC)
もちろん「得票数」には全ての票を計上すべきです。しかし、全投票者数に対する割合を求めれば、必然的に複数票は除外されてしまいます。Jaszmarsさんの手法で行きますと、例えば「小田原の役」の支持7/不支持16(合計23)の両方にTiyoringoさんやmiyaさんの票が入っていることになります。これは「Tiyoringoさんやmiyaさんが、支持者であり不支者である」という状態にあることになります。なんだか哲学みたいですが、こういった考え方で集計してしまうと矛盾を生むという一例です。決戦投票など行うとしても、私やHenaresさんが判断を下すというわけにはいかないでしょうから、今後の処置については投票者のみなさんでお決めください。ただ、こういった集計には注意を払うようにお願いいたします。--馬屋橋 2012年2月23日 (木) 16:34 (UTC)
三択複数投票でABに賛成した投票者はABを支持、Cを不支持ということになり、A案に対して不支持ではないとおもいます。従ってその矛盾が何の矛盾か良くわかりません。三択以上の場合に複数票を認めないと票が割れて全体で見れば小数派が選出されてしまうという事態が起こりえます。このため、候補選出の段階で対立候補Aを分裂させるような候補A’を立てることは日本の選挙でも良く見られます。これを防ぐために複数票を認めることが有効な手段となります。そして複数票を前提とした場合に判定基準は多数の候補の中で最も得票した候補となります。逆に私が矛盾を感じるのは「支持率」を語る上で母数を100%としない点にあります。それは支持率ではなく「別のある支持指数」ですよね?別の評価が存在するということは認めるとしてもです。--Jaszmars 2012年2月24日 (金) 01:35 (UTC)
Henaresさん、馬屋橋さん、ありがとうございます。
複数投票になったことに支障がないのであれば、単に最多得票数か最多支持率で決定して支障は無いしょう。規定の期限に質問や確認をされずに投票に参加し、複数投票を是と理解し、そうは理解されていない方に対して「ルールどおりにお願いします」としていらしたにも関わらず、結果の出た今になって条件に物申している方は、どういうつもりで投票に参加してのか、全くもって不可解です。複数候補が不可とされていないなら可と理解されて参加されているくらいですから、同数になった場合以外の規定が無いとなれば最多と理解することとして然るべきです。公平でないというのは、得票数でも支持率でも結果はTOP候補が同じであり、ご自身が投票された候補に対する複数投票された時点でそれを是としながら、支持候補が得票数・支持率においてTOPが取れなかった今になって、「適正」でなかったと言い出している方たちの存在であるように感じます。複数候補可の結果はどの改名候補にもかかっていますし、複数選択可によって一番不利になった候補が最多。そう出た結果です。投票行われ、参加し、結果が出ました。これで再改名提案でないやり直しなどするようであれば、敗退候補支持者が支持候補に有利なように「過半数得票、過半数支持率をもって」という条件に拘ることは目に見えていますし、逆の場合も同じで、それこそ公平ではありません。--ジャムリン 2012年2月23日 (木) 03:02 (UTC)
それはジャムリンさんによる見解の押し付けですよね?合意が確認されているのは次の2件です。
  1. 「対話による合意」から「投票による合意」へ移行すること。
  2. 今回の投票はノート:小田原の役#投票要綱で実施されること。
ジャムリンさんが今になって持ち出された「単に最多得票数か最多支持率で決定」することがノートのどこで合意されているのか、私には確認できなかったので差分を提示してください。もちろん事前に投票条件として確認された合意事項であれば納得いたします。
最近の改名投票を多少拝見しましたが、それぞれ投票結果を集計する条件は整備されているようですよ。ノート:F-2 (航空機)#本ページの項目名の多数決(F-2 (航空機)/F-2戦闘機)「多数決の結果を以って採用とする。」ノート:四国攻め/Log1#四国征伐の(記事名)改名について「投票は下記選択肢へ一人一票までとし、多数意見を記事名に反映させる。」
誤解があるようですが、私自身はそれほど投票条件にはこだわりがありません。今回のものに「最多票の獲得候補を改名対象とする」に「一人一票」あるいは「複数投票可」を付け加える程度でも合意するつもりです。ここで見解を押し付けあって議論するよりは、改善案を提出して一週間、投票に一週間、所要二週間で解決できるのでは?ジャムリンさんの比較票表追加についても対応を盛り込めそうですし。要はちゃんと合意した手段によって解決しましょうという単純なことです。決め付けで押し切っても後日の批判材料になるだけです。--Jaszmars 2012年2月23日 (木) 05:33 (UTC)
押し付けではなく、実情を指摘した上で、先の議論や合意への懸念としての意見です。私の意見が押し付けなら複数投票可も押し付けであったでしょう。投票前の条件の合意については、意見募集期間を設けた上で、反対の出ていないものを選択しています。期限通りです。--ジャムリン 2012年2月23日 (木) 05:42 (UTC)
他の話題を出す前に、本件の対話の中枢質問を避けないでください「ジャムリンさんが今になって持ち出された「単に最多得票数か最多支持率で決定」することがノートのどこで合意されているのか、私には確認できなかったので差分を提示してください。」私の確認どおりに「そんな合意はなかった」と言うことでよろしいですか?
現時点で不足かつ必要な合意であるなら今からでも遅くないので、「最多得票の候補に改名する」という条件を加えて再投票すべきだと思います。それほど困難な修正を求めているわけではありません。(禁止されなかった複数投票可が押し付けであるというロジックは理解できませんでした。逆に複数投票不可を押し付けて投票を除去した秋田城之介さんはブロックされているようです。)--Jaszmars 2012年2月23日 (木) 07:18 (UTC)

インデント戻します)では、どういうつもりで投票に参加されたのでしょうか?投票とは何のためであったかを考えれば、投票数の優劣で決定するのでは無いのでしょうか?書いてないなら複数投票可能という判断よりも最多得票なり最高支持率で決定と判断する方が投票の性質から見て当然であると思います。不可ではないという点については、投票中、他の方からは異存がなく、その条件に準じた方についても同じであったことで判然としています。当のブロックされた方についてもご自身のコメントアウトが戻された後も異存が出ていませんが。--ジャムリン 2012年2月23日 (木) 07:36 (UTC)

コメント 最多票を選んで問題ないか?ですとか支持率はどうなのか?といった点は第三者であるHenaresさんや馬屋橋さんにお任せするべきではないでしょうか?自分やJaszmarsさんやジャムリンさんなど投票者でこれをやってしまえば、必ずどこからか反対が来ると思うので。--YOMIHO 2012年2月23日 (木) 08:07 (UTC)

少し前までは投票時期に異様に拘っていた秋田城之介さんが焦って投票を進めているように見えたのですが、今度はジャムリンさんに同じ兆候が見えます。まずは落ち着きましょう。合意がなければことは進められません。今回の投票だって、皆が合意するという前提でやったはずです。何度やっても征伐は多数になると思います。もう一度仕切りなおして決めなければならないことは全て決めてから再投票をしましょう。--多賀城佐 2012年2月23日 (木) 10:40 (UTC)
まず、Pesokunさんは投票要綱決定時点で「標準名前空間の編集回数50回以上」という投票資格を満たしていなかったことは確かだと思います。削除された編集があるのなら履歴には削除された版の訂正線つき日時が表示されるはずですが、Pesokunさんの履歴を再度見てみてもそれは確認できません。従ってPesokunさんの票を無効票として扱うことに差し支えはないと思います。私の誤認によって皆様にご迷惑をおかけしましたことを再度お詫びします。
YOMIHOさんがおっしゃる「最多票を選んで問題ないか?ですとか支持率はどうなのか?」といったことについての取決めは、投票要綱に書かれていません。これはあくまで改名議論に無関心な部外者の個人的意見ですが、こうした事項は基本的に私のような部外者ではなく当事者の皆さま方の合議(多数決ではなく)によって決められるべき事項だと思います。
例えば「最多得票数or最多得票率or過半数を得た候補に改名することを決定する」などと言った、投票結果が具体的にどのような効果をこの改名議論にもたらすのかということもまた、投票要綱には書かれていません。しかし投票要綱に書かれていなくてもWikipedia:調査投票の方法Wikipedia:投票は議論の代用とはならないWikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは多数決主義ではありませんなどといった関連文書に明記されている事項の中には、この投票結果の扱い方に関して参考になるものが非常に多く含まれているように思います(個人的にはWikipedia:調査投票の方法#調査投票が役に立つにはにこの点に関するピンポイントの回答が書かれているように思いますが・・・)。投票要綱に不明な点があるのであれば可能な限りこうした関連文書に従う、という態度が最もフェアな投票結果の扱い方だと思います。
再度投票することが必要なのであれば投票するための合意を再びいちからやり直す必要があると思います。しかし、何度も同一の事項に関する投票をすること自体、はたして適切なのでしょうか。再投票に賛成も反対もするつもりはありませんが、仮に再度投票を実施なさるのであればよほど慎重な提案・議論・合意を行わなければ、投票のメリットは回数を増すにつれて減少していくと思います。
先日のような誤認が発覚しない限り私からの発言はこれで最後にさせていただこうかと考えています。この投票が皆様をいたずらに疲弊されるような結果にならないことを願っています。--Henares 2012年2月23日 (木) 12:11 (UTC)
Henaresさん、多賀城佐さん、ご意見ありがとうございます。他の類似案件の場でもあった多賀城佐さんの誤解を解いておきますが、私が投票に積極的であったことはありません。上記の投票に関する議論や意見期間でも強い賛意を出していません。投票に賛成した当時の議論の中(コメント依頼や井戸端を含め)で、それまで共に議論してきた他の方の投票への意志や、第三者の方の奨めに添ったまでです。投票条件に関する意見交換も「投票が避けられないのであれば」という前提に立ったものです。今回は複数投票は認めないと規定されていなかったように、最多結果を改名に反映しない投票だという合意もなされていなかったことは指摘しておきます。そしてこの結果をどう処理するのであれ、現状でのコミュニティーの意見の反映であったことも併せて指摘させていただきます。
この先についてですが、一からの仕切り直しは、現在の合意の内容としてある「再投票の提案は半年後」に反しますが、決戦投票についての規定は明記されていないようですので、二つの候補による投票なら可能かとも考えられることが出来るかと思います。ニ候補での投票であったのなら、複数選択も何もないと思われますし。そして再提案ではない以上、投票資格については「投票すること自体が決定した時である2月8日」という現行条件期限のままの引継ぎになると思います。
そしてこれは個人的にはですが、ご自身の支持候補と同候補を選択された方の複数投票行為に対する投票中の異論を堂々と「ルール通り」に進んでいると理解して下し、自らは他に何の異議も発せぬままに参加進行された方が(投稿ブロック相当行為を差し戻したことは正当であったと理解しています)、その方の支持候補が投票下位になった結果の出た今になって、そのことを含め異議を申し立てているという矛盾した言動と参加態度に、いささかの不信さを感じることは禁じえません。
Pesokunさんの投票資格の有無についてですが、版指定や特定版削除の場合は投稿記録は打ち消し線が入った状態で履歴されますが、記事そのものの削除であったのなら、投稿記録自体が履歴から消えてしまうと思いますので、Pesokunさんに事情をお訊きしてから、どういう手順で進めるのか今は判りませんが、回答によっては手続き方法を調査して管理者の方に確認をお願いしなければならないと思います。--ジャムリン 2012年2月23日 (木) 14:37 (UTC)
どちらにしろ性急だったり反対を押しつぶしては禍根が残ります。不具合は修正すればいいのですから合意できる線で解決に向けて努力しましょう。--多賀城佐 2012年2月23日 (木) 21:53 (UTC)
何をどうしたら、反対を押しつぶせるとでも言うのでしょうか?私が強引に、例えばCU依頼をするとか、改名のための移動を強行したとかしましたか?解決のための具体案も示さず、ステップを進むことも無くして反対だけしているわけでもなく、Pesokunさんの投票資格にしても、会話ページに報告に確認のための行ったりと、解決に向けての努力として、こうして対話を続行しているのですが。--ジャムリン 2012年2月23日 (木) 22:31 (UTC)

報告 投票資格について疑問のあったPesokunさんの履歴について管理者の方が「Wikipedia:利用案内#ある利用者による削除記事の編集履歴の確認について」にて御回答下さいましたので、一応報告致します。

隠された履歴は期限前で、標準名前空間が2回です。
  • 2012-01-31T13:51:55 m
  • 2012-01-31T13:49:47
該当記事」の削除記録は2012年2月8日 (水) 00:23で、期限の「2012年2月8日(水)02:21 (UTC)」以前、投票開始「2012年2月15日(水)02:21 (UTC)」とPesokunさんの投票時間「2012年2月19日(日)16:16」以前でした。以上報告致しまします。--ジャムリン 2012年2月26日 (日) 03:44 (UTC)

今回の投票では絶対多数となる候補は無かったようですね。次は決選投票へ移るのでしょうか?今度の投票には是非参加したいです。
強制的に除去されましたが、僕は次のステップに非常に重要な指摘であると思ったため、掲載します。変更は合意確認しながら実施する必要があります。--多賀城佐 2012年2月22日 (水) 11:32 (UTC)

(引用開始) Veton 2012年2月21日 (火) 11:06 (UTC) (引用ここまで)Wikipedia:投稿ブロックの方針3.3.5により、コメントアウト。--伏儀 2012年2月22日 (水) 16:08 (UTC)


意見をお持ちなら、わざわざ多重アカウント使用が禁止される行為を復旧させたりせずに、ご自分の言葉で意見を主張してください。
この投票は確定しています。絶対多数にならない場合は決選投票に移るという合意は形成されていません。また、この投票は調査投票であるという合意もありません。今回の投票結果がお気に召さない方は、ご自分で合意形成を図ってください。--伏儀 2012年2月22日 (水) 16:08 (UTC)
では僕のほうから投票条件に次の合意が無かったことの確認をしたいと思います。--多賀城佐 2012年2月23日 (木) 10:39 (UTC)
  • 得票結果を改名候補の選択に結びつける合意がありませんでした。投票には最多得票を得た候補に改名する等の条件が必要でした。
  • 複数投票の禁止が合意されていませんでした。一人一票等の条件が必要でした。
  • 改名に連動する定義変更(改題)の合意がありませんでした。
    • 投票は今の定義「戦役」を継承した単純改名となり、改題をする場合は別の合意が必要となります。
    • 今の定義「戦役」に追加して「征伐」を投票結果で追加するには投票条件の追加が必要です。
  • 投票条件「投票者全員へのチェックユーザー規定有り。」が詳細不明です。投票に伴う何の条件でしょうか?

まずは投票ご苦労さまでした。今後不透明な点については再投票で解消する方針に賛成します。--Yasumi 2012年2月24日 (金) 21:06 (UTC)


良かれと思って再投票の準備をしてしまいましたが、再投票については批判があるようなので考え直すべきかもしれません。もちろん再投票をやらずに正常終了したと判断するという選択肢もあり得ると考えます。今まで蓄積された合意に従って正常終了とする場合は下記となると思います。

  • 改名提案に対して、議論による合意よりも、投票による合意を優先させる合意
  • 投票要綱の決定
    • ノート:小田原の役#投票要綱 で確認。(2012年1月20日 (金) 02:46 (UTC)に秋田城之介さんより提案、2012年2月8日 (水) 02:21 (UTC)に秋田城之介さんにより確認宣言。ただし2012年2月8日 (水) 11:51 (UTC) に多賀城佐さんより異議あり)
  • 投票結果
    • ノート:小田原の役#投票所で確認。(小田原の役7票/小田原攻め5票/小田原征伐11票または小田原の役7票/小田原攻め6票/小田原征伐11票)
  • 以上より、投票結果に対する合意が発動。
  • 投票要綱によりコミュニティを拘束する条件は下記の通り
    • 再提案の提出制限は投票終了の2012年2月22日 (水) 02:21 (UTC)から半年間は凍結される。
    • 「投票者全員へのチェックユーザー規定有り。」を根拠にCU提案の提出が可能。
  • 合意が確認されていない事項(コミュニティが拘束されない事項)
    • ある得票基準を根拠に改名を実施する件。
    • 記事の定義を変えること。
    • 複数投票が禁止されていたこと。
    • 投票のやり直しまたは決戦投票をするか否か。
    • その他、投票結果を受けてコミュニティを拘束する事項

私が確認したところでは、投票結果に合意してコミュニティが拘束される事項は2012年8月22日 (水) 02:21 (UTC)まで改名提案が凍結されるということです。これで先の合意による投票と、投票による合意が完了したと判断・確認して正常終了ということでよろしいでしょうか?これは合意事項ですので、合意を覆す合意が必要な事項です。投票のやり直しを検討しましたが、出過ぎた真似だったかもしれません。約束された合意事項を尊重し、投票を終わらせるのであれば合意したルール通りに終わらせるしかありません。私が確認できなかったコミュニティを拘束する合意事項があれば提示をお願いします。あくまでも合意に従いたいと思います。(決選投票よりは投票のやり直しで必要な条件を付加する方向がまとまりやすいと考えたのですが・・・)--Jaszmars 2012年2月27日 (月) 03:42 (UTC)

提案 投票を推進してきた秋田城之介さんのブロック期間も満了したようです。唐突な印象もあるようなので、合意が先、実施は後。合意のための対話を重視しつつ解決を目指したいと思います。色々な意見がある中で、形成された合意から現状の我々の立ち位置を確認し、今後の方針について今一度整理と確認をしたいと思います。--Jaszmars (会話) 2012年3月1日 (木) 11:21 (UTC)

第一回投票の合意内容の確認

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第一に既に合意形成の内容と結果の確認(この点はあまり異議はないと思われますが)
  • 対話による合意が困難なので、投票の結果に合意を行うことが合意形成された。
  • 合意された投票要綱に基づいて投票が実施された。
  • 確定した得票は、「小田原の役」7票、「小田原攻め」7票、「小田原征伐」11票であった。
  • コミュニティを拘束する合意の発効として、提案は半年後まで凍結される。
  • 「投票者全員へのチェックユーザー規定有り。」を根拠にCU提案の提出が可能。
  • 以上の合意があることを確認
  • 以上の合意事項に疑問
第二に今後の処置について
  • 合意事項のみ処理してクローズ(いわば約束されていた合意)
  • 合意事項を覆す新たな合意形成を希望(以下に署名と指摘)
    • Jaszmars (会話) 2012年3月1日 (木) 11:21 (UTC) クローズ案に多数の支持が集まるようであれば、こちらの提案は取り下げようと思います。一回目の投票要綱は整備が不足しており投票後の処理に混乱があることを認めます。これを収拾するため基本的に一回目の投票要綱を踏まえて足りない条件を加えることで第二回目の投票を行って改名提案の議論をクローズすることを提案します。ご賛同次第ですが、試案として第二回目の投票要綱には次の拘束力を付加したいと思います。1.候補3案のまま複数票の投票可を明記(単数投票と勘違いしていた人が居たため)。2.最多得票の候補へ改名、最多同数の場合は決選投票(集計の仕方が定められていなかったため)。3.定義は変えない改名であることを明記、逆に投票が改題を伴う場合には定義変更内容を明記(投票対象や投票後の変更が不明のため)。その他、個人的希望と異なりますが「投票資格」「投票期間」等は基本的に前回準拠で微修正をするのが比較的合意しやすい条件であると考えます。
  • --秋田城之介会話2012年3月4日 (日) 16:42 (UTC) 投票結果の反映(=投票の結果に合意を行う)は合意事項を覆すものではないですが、ここに書かせていただきます。決戦投票には賛成しますが、しないのであれば記事移動の準備をすべきです。
  • ○○署名、意見~
  • その他のコメント

コメント まずはじめに、投票条件に細かい条件が無く、混乱を招いたことに対してみなさんにお詫びいたします。
Jaszmarsさんの提案に対しては、記事の改名を伴わない終結であるようなので反対します。投票結果を記事に全く反映せず、議論の終結だけを臨むというのは、最多得票候補以外に投票した方々にとってあまりにも都合の良い幕引きであり、コミュニティの意志を無視するやり方であると感じます。--秋田城之介 (会話) 2012年3月1日 (木) 17:13 (UTC)

秋田城之介さんも上の合意形成に協力ください。
クローズ案はコミュニティの合意の通りのことを支持が多い場合という条件付き賛成です。今までの進行に問題があった分、半年間の冷却期間はある意味良いかもと思いましたが、消極的賛成と明記します。
秋田城之介さんのコメント「最多得票候補以外に投票した方々にとってあまりにも都合の良い幕引きであり、コミュニティの意志を無視するやり方」は私の第一希望と異なるため。現状確認と善後策について、よくよく読んでご確認をお願いします。--Jaszmars (会話) 2012年3月2日 (金) 12:06 (UTC)
言いたいことはたくさんありますが、もう少し考えてコメントしたいと思います。--Yasumi会話2012年3月4日 (日) 10:30 (UTC)

移動の是非に関して

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コメント Jaszmarsさん・Yasumiさんなど、征伐呼称への移動に反対する方々に以下の疑問があります。

  • (1) 投票合意を優先するのであれば、「多数票をコミュニティの意見とする」べきではないか?
  • (2) 「最多数票をコミュニティの意見とする」を採用しないのであれば、それはなぜなのか?
    • (2)に関してですが、「過半数の支持率を獲得した候補はない」というJaszmarsさんのコメントが既にありました。「最多数票をコミュニティの意見とする」という明記はありませんでしたが、投票結果を反映させるという意味では、「現状維持」というのはコミュニティの意志に反しており、また「過半数の支持率を獲得しなければ、採用しない」という決まりもないはずです。そういう点を踏まえた上でコメントください。--秋田城之介 (会話) 2012年3月1日 (木) 17:13 (UTC)
秋田城之介さんがブロックされる原因となった複数票の可否問題と同じく、この疑問による解決は忖度が過ぎるように思います。合意で形成された拘束条件はコミュニティを縛りますが、合意を主導した秋田城之介さんご自身も逃れることはできません。コミュニティが形成した合意は尊重し、変える必要がある合意点については合意を覆す合意を形成する必要があります。現時点での合意を確認し、変えるべきところは変えて解決に向かおうという方針に反対なのでしょうか?(1)・(2)のどちらも合意事項にないことを確認しました。投票に先立って合意された投票要綱では集計方法が未整備でした。過去の投票に対して、有利な自己集計条件を後付することに反対です。a.集計方法未整備問題の他にも、b.複数票の可否問題、c.単純改名なのか改題前提なのか?などの投票条件の整備が当初合意に不足していたことを指摘します。これらは一部事前の指摘がありましたが、秋田城之介さんなどが性急に投票へ向かってしまったので顕在化した疑問点であり、解決すべき問題です。合意を受けて一回目の投票条件を尊重・補完しつつ、投票をやり直すのが一番良いと考えます。--Jaszmars (会話) 2012年3月2日 (金) 12:06 (UTC)
私のコメントに対する回答としてはややズレがあると思うのですが、私は「有利な自己集計条件を後付する」なんてことはしていません。私の質問、とくに2番に関して回答頂けていませんが、投票結果を元に議論を続けるのであれば凍結は見送られるべきですし、凍結するのであれば投票結果を反映すべきだと思います、そこは二者択一でしょう。
再投票案に関しては個人的には反対の構えでしたが、不備は私の責任もありますし、2候補による決戦投票であると思えば、妥協できます。ただし投票要綱中の主題に関して、現状では「豊臣秀吉が大義名分によって反逆した後北条氏を征伐した歴史事象」と書かれていますが、事典によっては戦役としての定義もありますので、「豊臣秀吉が大義名分によって後北条氏を征伐し、降した歴史事象・戦役」という包括的な内容にすべきであると考えます。その点を留意してもらえば再投票に賛成します。--秋田城之介会話) 2012年3月2日 (金) 16:42 (UTC)一部改め--秋田城之介会話2012年3月2日 (金) 17:29 (UTC)
  • 回答はずれていません。どちらの質問の回答も秋田城之介さんが主導して形成したコミュニティを拘束する合意でないから投票が終わった今になって後付で決めることに反対です。投票の結果をどうするか、何が拘束されるかは一度取り決められています。すでに行われた合意を無視することはできません、合意軽視です。#第一回投票の合意内容の確認で合意内容を確認して署名してください。
  • 投票条件に不備があったと認められましたが、「このままクローズ」よりも「決戦投票」よりも、「投票のやり直し」の形をとったほうがフェアではありませんか?投票条件については一から仕切りなおすなら私にも色々言いたいことがあります。そこを妥協して第一回目の条件をあまり変えない形で不足分のみ付加するという妥協をしている事を認めてください。
  • 定義について、ようやく投票の条件に明示する提案に賛成をいただいてありがとうございます。これがあるのとないのでは投票者の判断が大きく左右される点だと思います。ところで、その定義変更は他の征伐支持者と共有されたものであると確認できますか?必要があるなら調整をお願いします。--Jaszmars会話2012年3月2日 (金) 20:48 (UTC)
一番目に関しては、再投票をするなら本題からそれますし、長くなるのであなたの会話ページに書かせていただきます。
二番目に関しては、投票要綱2の条件に対しては基本的に賛成です。ただ、候補を絞っている以上、それが実質的な決戦投票であると私個人が考えているだけです。
三番目に関しては、そもそも「豊臣秀吉が大義名分によって反逆した北条を征伐した歴史事象」という定義が、そもそも合意を得ているか疑わしいものです。征伐呼称を支持する方々の中で調整するにしても、調整する場合はこのノートですべきですので、異論が出なければ私の案で良いということになるでしょう。しかし定義文自体は、改名後に明瞭な出典付きで編集されれば、それを止める手立てはありませんから、大筋の方向性を決めることは有効かもしれませんが、それ以上のものではないと思っています。あらかじめ合意しておくに越したことはありませんが。--秋田城之介会話2012年3月3日 (土) 13:17 (UTC)
そもそも、秋田城之介さんはご自身がリードして定めた投票の合意条件による議論クローズについて尊重するつもりがあるのでしょうか?例えば改名のクローズがあっても、改題の議論が続くようでは論争の解決とは呼べないと思います。私は投票による合意条件に盛り込まれていなかったので、改題はしない前提の投票であると認識していました。--Yasumi会話2012年3月4日 (日) 10:43 (UTC)
定めた投票の合意条件による議論クローズについてはもちろん尊重します。今後すべきことは、投票結果の反映(=投票の結果に合意を行う)、提案の半年間凍結、CU依頼提出の3点であろうかと思います。私は今回の改名に関しては小田原の役≒小田原征伐であるという認識です。イコールではありませんが、元々小田原征伐という記事だったわけですから、改題が必須というわけではないと思います。しかし再投票における定義文変更の半年間の制限には賛成します。Yasumiさんのおっしゃるように改題の議論がいつまでも続くのは本望ではありません。--秋田城之介会話) 2012年3月4日 (日) 16:50 (UTC)追記--秋田城之介会話2012年3月4日 (日) 17:05 (UTC)
誤解されないように書いておきますが、私は2候補による再投票には基本的に賛成です。上のコメントはあくまで、投票の合意条件による議論クローズに拘るのであれば、そうすべきということです。--秋田城之介会話2012年3月4日 (日) 17:05 (UTC)
一回目の投票を素直に処理すれば、得票を集計しないまま半年間の提案凍結期間に突入するという合意があったことは共通理解かと思います。投票条件の不備を補完し、全般の解決のために合意を覆す合意を形成して二回目投票で解決したいと思います。合意にご協力をお願いします。--Jaszmars会話2012年3月5日 (月) 04:09 (UTC)
一つ確認、先日もふれましたが、征伐=「豊臣秀吉が大義名分によって後北条氏を征伐し、降した歴史事象・戦役」という定義文に書き換えてもよろしいですか?--秋田城之介会話2012年3月5日 (月) 06:31 (UTC)
それが投票を終わらす、提案の条件であるなら征伐の項目を書き換えてください。--Jaszmars会話2012年3月5日 (月) 06:35 (UTC)

インデント戻します)結果としてですが、「小田原攻め」をもって改名とならなかった場合、「小田原攻め」を「小田原攻め」という記事が立項される等の状況になるまでは、当記事へのリダイレクトではなく「曖昧さ回避」にしたいと思います。--ジャムリン会話2012年3月5日 (月) 07:21 (UTC)

改名投票2

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投票要綱2の調整所

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  • 前回の投票要綱を基本に必要と思われる事項を追加しました。太字が変更部となります。3択なので前回同様に複数投票かとしました。もし征伐と役の2択で投票をやり直すのであれば、投票条件は多少シンプルになると思います。攻めを支持した方の同意が取れれば決選投票でも良いと思います。合意できそうな条件に配慮したつもりですが、これでいかがでしょうか。--Jaszmars 2012年2月24日 (金) 01:02 (UTC)
やり直しは前要綱欄にある「再提案は半年後」という合意点に反するのですが、合意のない点について疑問を呈されている方が合意されている点まで無視されるのでしょうか?
またこちらもご自分の支持候補に都合の良いように無視していらっしゃいますが、「改名のみ実施し、定義変更(改題)はしない。」で「役(戦役)」以外の改名候補を封じ込めているおつもりかも知れませんが、現行記事には「攻略戦、戦役」以外の「前史」「準備」記事が含まれ、元々の定義文に齟齬があることも忘れないでいただきたく、この場合、「役」以外に定まったのなら「改題」ではなく「本来の記事の内容の示すところに訂正」しなければなりません。前改名の時点で含まれていた記事内容でもあります。この二点をもって訂正していただくことが合意に足る条件です。--ジャムリン 2012年2月24日 (金) 03:35 (UTC)
コメントに少なからずショックを受けました。私は、改名提案は今回の物で前回の投票が拘束力を発揮しない条件で実施されために、二度目の投票条件には拘束力を発揮させて終了させるつもりで提案を行っています(なお再提案の制限を投票終了後から改名完了後に変えたのはその方が妥当だと思ったからです)。つまり今回の改名提案はまで継続しているという認識です。
しかしジャムリンさんのコメントからは前回の投票が正常終了して改名提案も終結し、「再提案は半年後」という合意が発効すると認識されているようです。しかし、投票が正常終了して「投票の結果によって合意する」となれば、今回の投票は拘束力を持たないものであったため、改名ができないまま投票結果だけ拝見して提案終了に合意してしまうのですか?投票だけやって改名提案を終結してしまうのは本意ではないと思って提案しているのですが、それでも本件を拘束力を持たない投票だけやって終了させるおつものですか?それよりは、私は投票条件を合意し直して拘束力のある投票で改名提案を締めくくった方が良いと考えます。提案した投票条件はなるたけ現状条件を尊重しつつ不足点や不明点を補足したつもりです。
「改名のみ実施し、定義変更(改題)はしない。」の項目が不満のようですが、これを明示しなければやはり投票結果による合意・拘束項目ではないため、もし記事変更(改題)をするには別の合意が必要となります(投票条件が拘束する事項にないため)。これは前回投票と同じ条件であり、削除したとしても改題が投票で解決しない(拘束力を持たせられない)のは同じことです。逆に「「本来の記事の内容の示すところに訂正」しなければなりません。」を望むのであれば、投票結果に定義変更の拘束力を盛り込むべきでは?投票条件にないことを変更する場合には「それは合意項目ではない」「投票結果で拘束されていない」と批判にさらされる覚悟をしなければなりません。前にシャムリンさんにお問い合わせして確認できなかった「ジャムリンさんが今になって持ち出された「単に最多得票数か最多支持率で決定」することがノートのどこで合意されているのか、私には確認できなかったので差分を提示してください。」と同じく「前回の投票で合意した事項のどこに、記事の定義変更を決定・拘束する条件があるのか?」についてお問い合わせします。合意がなければ変更はできません。
三択とするか、征伐と役の二択とするか、については私はどちらでも良いと思いますが、外された候補を支持した人の合意が得られそうですか?
以上、ジャムリンさんの懸念「敗退候補支持者が支持候補に有利なように「過半数得票、過半数支持率をもって」という条件に拘ることは目に見えています」を取り払うように既定路線の延長線上で不足を補い、不明のないように配慮したつもりです。ご賢察を承りたく存じます。--Jaszmars 2012年2月24日 (金) 08:35 (UTC)
私も記事をちゃんと読んでおられないのかと、驚きました。記事内容を正確に表していない定義文の誤りを訂正することは改名しても、しなくても合意が必要なことであることとは思えませんが。むしろ今の定義文のままで行くのでしたら、前史部分を削らなくてはなりません。定義文にも内容にも偽りありになってしまいますから。こちらは九州の役とまた内容も事情も違います。むしろ今の記事のままでしたら「戦役」などでなく「征伐」というより包括的な歴史事件・事象・事業に相応しい内容となっています。
ひとり一票とするのでしたら、三択でも私としては構いません。
報告それとは別に投票しながら、投票資格を充たす履歴をお持ちで無いPesokun さんに関しましては、会話ページにて履歴確認のため呼びかけをして参りましたことをご報告いたします。--ジャムリン 2012年2月24日 (金) 09:12 (UTC)修正--ジャムリン 2012年2月24日 (金) 09:19 (UTC)
今のところ反対はないようなので、ご両名の意見を集約する形で二者による決選投票として調整してみました。内容についてはご確認後に投票準備中へ告知をお願いします。主題については投票結果に伴って変更する(投票による強制力を持たせる)とのことですので、両案に対して投票条件として確認項目を設けました。なお、同数の場合は現状維持としましたが他に良い案があればご提案下さい。念のため、意見調整後に反対がなければ一週間の合意形成確認期間を以て再投票へ移るとも提案します。--Yasumi 2012年2月24日 (金) 21:06 (UTC)
(反対意見ではないのですが)改名とは基本的に記事はそのままで記事名だけ変えることです。ふと思ったのですが記事の定義を変える方が主眼なら、履歴継承をして征伐視点でも征伐史観でも独立記事を立てればこの問題は解決するのではないですか?何が駄目(この解決法では、どこに問題が?)なのでしょう?--Jaszmars 2012年2月25日 (土) 09:49 (UTC)
それは別項目の記事を立てる人次第でしょう。私はあくまでも現記事を改名する提案では「豊臣と北条の戦争」を主題とする記事名には「小田原の役」が相応しいと考えています。別テーマなら別記事にしても良いと思います。--Yasumi 2012年2月26日 (日) 00:01 (UTC)

二回目の投票へ向けた合意形成

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それでは、以下について合意の形成をしたいと思います。一週間の間に特段の異議が無ければ合意形成として二回目投票を執り行いたいと思います。ご確認ください。--Jaszmars会話2012年3月5日 (月) 03:51 (UTC) (2012年3月9日 (金) 06:59 (UTC)修正内容の盛り込み)

  • 集計方法の合意が無かったため一回目の投票による移動・改名は行わない。(合意に無かった条件の確認)
  • 一回目の投票を中断し、次の二回目の投票の結果に合意して議論を終結する。(以下、合意を覆す合意を形成する)二回目の投票条件は一回目の投票条件を基本とし、以下の条件を付加する。
    • 候補は「小田原の役」と「小田原征伐」の二択とする。(「小田原攻め」は外す)
    • 一人一票を支持する候補に投票する。
    • 最多得票をした候補を記事名とする。(現状維持、または改名を実施する条件)
    • 改題を行う場合は投票条件に明記する。(改題による新たな議論は行わない)
    • 投票時期は第二回投票要綱の合意形成後、一週間。
    • (比較表は一回目投票と同じとする)
    • (投票条件は一回目投票と同じ条件)
    • (改名・改題に関する提案凍結期間は一回目投票と同じ条件)
賛成 (提案者)第二回目投票による解決に合意します。--Jaszmars会話2012年3月5日 (月) 03:51 (UTC)
賛成 --秋田城之介会話2012年3月10日 (土) 06:17 (UTC)
賛成 なぜ一回目の投票結果の反映(=投票の結果に合意を行う=半年間の議論や投票の停止)を優先しないのか、冷却期間や投票資格の引き上げないのか、などなど色々不満もありますが次の投票で議論を終わらせることに同意します。--Yasumi会話2012年3月10日 (土) 22:43 (UTC)
賛成 --多賀城佐会話2012年3月13日 (火) 09:38 (UTC)今もっともベターな解決方法だと思います。第二回目投票でいいと思います。
確認前回合意では議論凍結によってコミュニティが拘束される条件等がありましたが、「この前回合意を覆す新合意の形成」は投票要綱2の最終版2012年3月9日 (金) 06:59 (UTC)修正内容の盛り込み[11]以降、確認をしていますが反対がないため、今のところ一週間経過の2012年3月16日 (金) 06:59 (UTC)の時点で合意形成を確認して再投票へ移行する見込みです。もし修正動議を提出して、衆議に図って調整を行うのであれば早めにお願いします。特に利用者‐会話:ジャムリンにてジャムリンさんが比較票の整備からやり直すべきという意見を開陳しており、本当に修正動議が出れば賛成や反対によって条件整備のために再投票が延びる恐れがあります。--Jaszmars会話2012年3月14日 (水) 07:28 (UTC)
賛成5名、反対0名、提案修正から一週間を経過して合意が形成されたとし、再投票へ移行します。--Jaszmars会話) 2012年3月16日 (金) 07
00 (UTC)

投票要綱2

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投票の主題 現「小田原の役」の改名
投票場所 ノート:小田原の役#投票所2
投票に先立つ議論
投票者の資格 2012年2月8日 (水) 02:21 (UTC)を基点に、標準名前空間の編集回数50回以上・初投稿から1ヶ月以上経過、直近1ヶ月に全名前空間で5回以上の編集を行ったログインユーザー。
投票期間 各候補論旨:#改名提案の各論比較参照。
投票期間:2012年3月16日 (金) 06:59 (UTC)から一週間、2012年3月23日 (金) 06:59 (UTC)まで
投票のルール
  • 改名候補は次の2候補とする。「小田原の役」、「小田原征伐」
  • 支持する候補に一人一票を投票する。複数候補への投票は不可とする。
  • 最多得票を獲得した候補に改名する。同数の場合は現状維持とする。
  • 再提案の提出 - 改名実施から半年間は改名・改題の提案を禁止する。
  • 投票者全員へのチェックユーザー提案があっても、投票者はこれに反対しない。

投票所2

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投票要綱2を確認の上、適切だと思う候補の下に一行ずつ署名を入れてください。

  • 「小田原の役」に賛成
  1. --Jaszmars会話2012年3月17日 (土) 01:02 (UTC)
  2. --Yasumi会話2012年3月22日 (木) 21:08 (UTC)
  • 「小田原征伐」に賛成
  1. --小田急多摩之介会話2012年3月16日 (金) 10:00 (UTC)
  2. --秋田城之介会話2012年3月16日 (金) 15:42 (UTC)
  3. --ジャムリン会話2012年3月17日 (土) 01:20 (UTC)
  4. --YOMIHO会話2012年3月18日 (日) 06:20 (UTC)
  5. --なんじゃたい会話2012年3月18日 (日) 07:24 (UTC)
  6. --まっとん会話2012年3月18日 (日) 09:17 (UTC)
  7. --貫鉄会話2012年3月20日 (火) 06:51 (UTC)
  8. --明銘会話2012年3月20日 (火) 08:53 (UTC)
  9. --小判キング会話2012年3月22日 (木) 14:30 (UTC)
  • 無効票
  1. Gamlin会話) 2012年3月17日 (土) 06:54 (UTC)利用者:Gamlin会話 / 投稿記録さんは2012年3月17日が初投稿であり投票資格を満たしません。--Tiyoringo会話2012年3月17日 (土) 07:22 (UTC)

コメント2

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  • コメント「小田原征伐」に投票した理由は「2012年2月22日 (水) 02:09」で述べましたが、今の二候補のもう片方である「小田原の役」については、現代で規定する「役」の意が「『役』は中央政権が反抗勢力を征討・征服・鎮撫するような場合に使用する」(西谷修)という分析が、一部の方が選択理由にあげられている「中立性」には元から欠けていることに加え、別に「『役』とは外国、異民族との戦いという意味である。故に現代では『前九後三の役』については『前九後三合戦』に書き換えが進んでいる(入間田宣夫氏「2012年2月4日付日本経済新聞夕刊東京版・電子版<"復興は地域の目線で">」、井沢元彦『『井沢式「日本史入門」講座 5 』)となっていることから、「小田原の役」は当記事名として不適当と判断しました。山川出版社の刊行物についても『改訂版 日本史B用語集』 (2009年おそらく最新版)で、「小田原征伐」は「小田原攻め」と括弧内併記の形で解説されており、索引にもありますが「小田原の役」は使用されていません。--ジャムリン会話) 2012年3月17日 (土) 01:45 (UTC)修正--ジャムリン会話) 2012年3月17日 (土) 17:33 (UTC)再修正追記--ジャムリン会話2012年3月22日 (木) 16:16 (UTC)
僕には投票権はありませんが、参考意見として今の記事は小田原征伐に改名するほうが良いと思います。
それとは別の重大な疑問が浮かび上がりました。同時進行をしていたノート:九州の役で、再投票の準備中に「九州征伐に改名した場合は、九州の役に改名する直前の過去の版に戻す」という意図が隠されていたそうです。今回のこちらの投票条件にも書かれていないことですが、「もしこちらでも前回改名の直前の版[12]に戻すような提案があるなら、それに反対」です。記事は今のままで加筆していけば良いと思います。改名しても紛糾しそうなことは止めてください。--多賀城佐会話2012年3月17日 (土) 22:45 (UTC)
  • コメント多賀城佐さんのご懸念については、今回の投票要綱の「小田原征伐が優勢な場合」に合意として明記されています。投票権がないといっても、事前にあなたも今の要綱による投票に賛成なさっているのですから、コメントするからには要綱だけでなく、議論経過を理解されたからコメント願います。--ジャムリン会話2012年3月17日 (土) 23:00 (UTC)
  • 失礼しました。ジャムリンさんの言うとうりでした。「記事で扱う範囲は概ね変更しない。」が合意の条件になっていますから今回の投票結果を根拠に記事の巻き戻しはできないということになりますね。--多賀城佐会話2012年3月18日 (日) 06:37 (UTC)
  • コメント小田原の役に投票した理由は、基本的に前回[13]と同じですが、すこし追記したいと思います。
「小田原征伐」の根拠とされている唯一の単行本は講談神田派の名人神田伯龍の公演速記録で、庶民向け娯楽作品であり、史学的根拠ではありません。サブカル重視との意見が前回投票でありましたが、この記事はあくまでも史学的研究成果を反映した歴史記事です。単行本のタイトルになるような史学研究の成果には小田原征伐はないようです。
語源と原義は違うと思います。「役」の語源が動員にあるとしても現在用例では「近代以前の戦争」を示す概念です。さまざまな批判に晒されても、なおかつ「文禄・慶長の役」が顕在であるように、現在も使用されている用語です。一方、研究書や論文を色々読んでも征伐を戦争の意味で使用する例は役よりも見かけません。征伐の用法の殆どは「秀吉が島津を征伐した行為あるいは大義名分」という片方の行為・戦争の一面のみを示す概念で使用されており、征伐の用法の殆どは必ずしも戦争を示す用語ではありません
「役」を古い表現と感じている人もいるようですが、史学的用語として現役で使われているので紹介します。
  • 小田原の役における両軍の編成」下村治久(p96、『戦略戦術兵器大全 【日本戦国編】歴史群像シリーズ』学研、2011年7月) :俗っぽいムック本ですが参考までに。なお下山氏(1942年 - )は『小田原合戦』1996年の著者で史学者。
  • 『織田・徳川同盟と王権』小林正信(岩田書院、2005年6月) :論文で形成された歴史研究書、文中に戦争名称として小田原の役があり。小林氏(1962年 - )は史学者。
なお、議論中に「小田原合戦」の用例で引き合いに出された史学者の杉山博(1918年 - 1988年)氏も、相田二郎「小田原の役」(『大日本戦史』三教書院、1942年)を再録した『小田原合戦』の同書中でこの戦争を示した箇所に「小田原の役」の使用例があります。--Jaszmars会話2012年3月18日 (日) 08:39 (UTC)
  • 相田氏の原文では「征伐」の使用頻度も高いですね。というより「役」よりよっぽど多いです。何より再編監修の杉山氏は『小田原の役』であった書籍の再版の書題に「小田原の役」を採らなかったがことが、少なくとも「小田原の役」は相応しくないとの判断でしょう。むしろ比較表の「小田原の役」にあげられている論文の執筆者の方は城郭研究家で、扱われている範囲も戦争技術的ことメインの極々限定的は範囲にすぎず事象事件としての論文ではありません。役を戦役として考えても戦争限定にすぎず、現在扱っている記事範囲の解説の題にはふさわしくありません。--ジャムリン会話) 2012年3月18日 (日) 09:01 (UTC)追加修正--ジャムリン会話2012年3月18日 (日) 09:11 (UTC)
  • どちらがどれだけ多いのかについては統計を取っていませんが、「征伐」の使用例は戦争を意味しない場合ばかりですから、その本に限らず使い分けされていますよね。ですから「征伐」使用例では披征伐側の防衛戦、抵抗戦、反抗戦、侵攻戦などの概念も包括していません(それどころか、排他的でさえある?)。つまり「征伐」は本記事の概念と異なる用語例であり、記事名として妥当ではないでしょう。「小田原の役」を命名したのは相田二郎氏ですが、その原稿を採録した本のタイトルを決めたのは地方視点で市史を編纂している小田原市じゃないんですか?ジャムリンさんは杉山博氏が選んだような論調のコメントですが、根拠があるのでしょうか?推測ですよね?少なくとも『小田原合戦』にはそのようなことは書いません。そして『小田原の役』以上に避けられていて、他に史学的単行本が一冊もない『小田原征伐』は問題外なんじゃないですか?あるのは『講談太閤記 [第13冊]小田原征伐』だけなのですから。--Jaszmars会話2012年3月20日 (火) 07:14 (UTC)
  • 杉山氏監修再発行版で「小田原の役」が書題不採用になっているのは、考察するまでもない、まぎれもない現実で事実です。旧政体公刊「小田原の役」も現代において徳間書店による再発行版の監修担当のおひとりは専門の史学教育を受けられていない歴史小説家の方です。旧法制・旧教育・旧政体下の公刊物が重視されるのであれば、例えば江戸幕府公刊史料も同様になってしまいます。--ジャムリン会話2012年3月22日 (木) 16:16 (UTC)
  • コメント欄で議論が白熱してますね。私は単行本のタイトルで適切かどうかを決めるのは間違っていないとは思いますが、それは数ある要素の一つでしかないと思っています。そして「小田原の役」という言葉は漠然としていると思います。--明銘会話2012年3月20日 (火) 08:53 (UTC)

投票結果2

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「小田原の役」2票、「小田原征伐」9票で、今回の投票者は全員、投票1においても投票していますので、投票権は有していると考えられます。よって合意されたルール通り本項目を、多数支持候補の「小田原征伐」へ移動いたします。--秋田城之介会話2012年3月23日 (金) 07:42 (UTC)

移動作業を終了しました。--秋田城之介会話2012年3月23日 (金) 07:57 (UTC)

議論凍結について

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本投票の付帯ルールにおいて、半年間の議論凍結というものが合意されています。よって、同種の議論は2012年9月23日 (金) 06:59 (UTC)まで凍結されますので、各自で確認をお願いします。--秋田城之介会話2012年3月23日 (金) 07:57 (UTC)

CU依頼について

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本投票では不正防止の観点から投票者全員へのCU依頼に対して、投票者が反対を表明できないルールとなっています。CU依頼提出の仕方(誰が主導するのか、無効票者を入れるのか、など)についてみなさんの意見を募集します。意見が無ければ、私のほうから「日本語版でのチェックユーザー情報公開規定」第三項に基づく、無効票者を含めた投票者全員へのチェックユーザー依頼を、できれば一週間を目処に提出するつもりです。--秋田城之介会話2012年3月23日 (金) 07:57 (UTC)

  • ちよっと性急だとおもいましたが、小田原征伐への移動を確認しました。論理、論拠、判定基準、コメント・・・色々思うところはありますが、これがjaWPの今日なのでしょう。何はともあれ議論が解決して目出度いことです。チェックユーザー依頼については秋田城之介さんのリードを支持します。--Yasumi会話2012年3月24日 (土) 02:16 (UTC)
確認改名したことを確認しました。ご苦労様です。決着がついてよかったですね。--Jaszmars会話2012年3月25日 (日) 23:37 (UTC)
報告移動お疲れ様です。特に反対が無かったので「小田原攻め」は曖昧さ回避に変更いたしました。
提案 CU決行後も結果が変わらないようでしたら、合意内容の告知を残して改名までのログを過去ログ化を提案します。--ジャムリン会話2012年3月26日 (月) 15:25 (UTC)
提案 ある程度の期間をおいてから過去ログ化したほうがいいと思います。移動も早すぎたという意見がありましたし。過去ログ化は移動の一ヶ月後にすることを提案します。--多賀城佐会話) 2012年3月27日 (火) 10:05 (UTC) 僕は議論の隠蔽などという批判を受けたくないからです。--多賀城佐会話2012年3月27日 (火) 10:06 (UTC)
期間については、多賀城佐さんの提案でも構わないと思いますが、また早とちりの誤解があるのかも知れないので、一応言っておきますと、過去ログ化しても閲覧できなくなるわけではありませんし、議論の結果としての合意告知をするのですから、隠蔽のしようがありません。既に橘光満さんという改名後の新規アカウント登録の方が定義文を編集をされているところなどを踏まえますと、合意事項が長大な議論から見つけにくいかも知れない現在の形より、過去ログに改名議論があったことを案内して、可読性の良い形でノートに合意事項を残した方が良いかとも思います。合意についてはテンプレを貼っておきました。--ジャムリン会話2012年3月27日 (火) 10:56 (UTC)
過去ログにしても閲覧可能であるのはわかりますが、一段奥になって醜くなるので、だから落ち着いてからの過去ログ化がいいと思います。--多賀城佐会話2012年3月27日 (火) 22:02 (UTC)
ではCUも済んで後の改名移動から一ヶ月後に誘導の上過去ログ化ということでいいですね。見づらさから言えばクリックの手間より今の長大状態の方が見づらいと思いますが、これは個人的な感覚の差でしょう。可読性の問題ならば隠蔽などと誤解を招く表現しないでも良かったのでは?とは思います。--ジャムリン会話2012年3月28日 (水) 07:56 (UTC)
はい了解です。合意ですね。改名直後に確認に訪れる人も多いでしょうからしばらくこのままにしましょう。--多賀城佐会話2012年3月28日 (水) 10:06 (UTC)
しばらくとは、移動後の一ヶ月後でいいんですね。ログ化しても案内すれば確認はできるんですけどね。--ジャムリン会話2012年3月28日 (水) 10:46 (UTC)
はい一ヶ月で合意します。--多賀城佐会話2012年3月28日 (水) 23:27 (UTC)

落着しましたね。CUはやったほうが正当性に箔がつくので。秋田城之介さん、お願いします。--多賀城佐会話2012年3月26日 (月) 09:52 (UTC)

提案 以下の要領でCU依頼を提出しようと思います。--秋田城之介会話2012年3月27日 (火) 17:39 (UTC)

チェックユーザー情報公開規定の第3項に基づく、投票者全員への公平な調査として以下のように申請します。

事前合意形成場所 ノート:小田原征伐
調査対象者
チェック後の対処
  • 対象の中に、同一IPからの接続があれば報告もしくは対処。
  • 対象の中に、不正なIPからの接続があれば報告もしくは対処。
  • 対象の中で、ブロック逃れの疑いが強い利用者がいれば、可能な限り報告。
  • 対象の中で、地域やプロバイダ・使用環境など、共通性があれば可能な限り報告。
  • その他、CU係として必要かつ公表が可能とみられる情報の公開。
賛成 --多賀城佐会話2012年3月28日 (水) 23:30 (UTC) 大体これでいいと思います。多少の修正があっても僕は賛成します。

報告 反対意見がありませんでしたので、チェックユーザー依頼を提出いたしました。--秋田城之介会話2012年4月4日 (水) 13:49 (UTC)

反対 --理由はWikipedia:チェックユーザー依頼/ノート:小田原征伐改名投票者でコメントしたとうりです。チェックユーザーの合意は通常よりも強い合意を必要とします。現時点では賛成できない状態なので不足を補った十分な準備をお願いします。--Gamlin会話2012年4月5日 (木) 11:49 (UTC)
報告 Gamlinさんは多重アカウントの疑いでCU管理者によって無期限ブロックされました。--秋田城之介会話2012年4月22日 (日) 04:53 (UTC)