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スリュムの歌

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
嫁入り姿を装ったトール神
トールの女装を、花嫁付添人英語版の姿のロキが手伝う―
カール・ラーション画・グンナー・フォシェッルスウェーデン語版刻。Fredrik Sander 編スウェーデン語版『詩のエッダ』(1893 年)

スリュムの歌』(スリュムのうた、古ノルド語: Þrymskviða)は、『詩のエッダ』に収められる一編の詩。 トール神が鎚を巨人(スリュム)に奪われ、その身代としてフレイヤ女神を妻に差し出せと要求されるが、トールが女神になりすまして奪還を果たす話。北欧神話の逸話として、スカンジナビアでは19世紀まで人気の衰えない題材として、語り継がれ、謳われてきた。

粗筋[編集]

『スリュムの歌』のあらましは次の通りである。ある日のこと、トールが目覚めてみると破壊鎚ミョッルニルがなくなっていた。トールはまずロキにこのことを打ち明け、鎚が盗まれたことはまだ誰も知らぬ、と告げる。二人はフレイヤの宮廷にいき[注 1]、女神の羽衣を借りたいと談判し、女神は、たとえ黄金や銀のものとても貸してしんぜましょう、と答え、ロキが羽衣を着て風切り音を立てて[注 2]神界を離れ、巨人界(ヨートゥンヘイム)を訪れる。

そこには巨人の王スリュムが丘(墳丘墓)に座り、犬用の黄金の首飾りを編み、馬のたてがみを切りそろえていた。ロキが、トールが鎚を紛失した話を振ると、スリュムは自分が奪い、地下8マイル[注 3]に埋めたという。もし返還を望むなら、フレイヤを自分の嫁に差し出せ、と要求する。ロキは羽衣をまとって神界に戻る。

トールは、ロキが空に舞うまま、すぐさま次第を語れと要求する(「座した者は話を抜かし、横臥した者はでたらめをほざく」ゆえ、だという)[4]。ロキは苦労なれど、成果ありといい、スリュムが鎚を持っており、フレイヤの婚姻がならねば手放さない所存だと報告した。二人してフレイヤに花嫁衣裳を来て巨人国へ連れて行く、と告げると、女神は大いに憤慨し、アース神殿が震え、ブリーシンガメン(「ブリーシンガルの首飾り」[1][注 4] が飛んだ[注 5]。フレイヤは、もし巨人に嫁ごうものならば、自分は最大級の男狂いとなってしまうではないか、と縁談をにべもなく拒否[注 6]

そこで神々は会合(シング)を開き[注 7]、打開策を検討。ヘイムダルが、トールに花嫁衣装を着せ、 ブリーシンガメンの首飾り(ネックレス[8]またはネック=リング[11])をつけさせて[注 8]、(偽フレイヤとして)送り出そう、と提案。トールは、そんなことしたら「女々しい」呼ばわりされてしまう[17])と渋るが、ロキ(「ラウヴェイの息子ロキ」という母称形で呼ばれる)がとりなし、なんとか鎚を取り返さないと、神界は巨人に乗っ取られてしまう[18]、といい、自分も侍女に扮して付き添うから、と説得した。

トールが御すヤギの牽く戦車に二人は乗り込み[20]、巨人国ヨートゥンヘイムにやって来た。スリュムは配下の巨人たちに命じて、(広間の)ベンチに藁を敷かせた[21]。スリュムは、自分が多くの家畜や財宝、多くの首飾り[注 9]を所有するが、フレイヤこそが欠けていたものなり、と演説ぶる。

女装した二人の男神(偽フレイヤのトールと偽侍女のロキ)は、饗応でもてなされるが、トールの暴食と鯨飲があまりなので(牡牛まる1頭、鮭8匹、珍味、蜂蜜酒3樽)、怪しまれるが、ずる賢い侍女さながら[22] のロキが、「花嫁は巨人国へ来たさあまりに、8日間も断食したのです」、などとうまく言い訳した。するとスリュムは、花嫁のヴェールをめくりあげてキスしようとしたが、後ずさり、「なんて恐ろしい目をしているんだ、まるで炎が燃えているようだぞ」と仰天した。これもまた侍女ロキが待ち焦がれて8日間、一睡もしなかったせいです、とごまかした。

ここにスリュムの姉が現れ、花嫁から贈物として赤い腕輪(金無垢の腕輪)をいくつか、ねだった[23]。するとスリュムは、「花嫁を祝福するために鎚を持ってこい、ミョッルニルをその膝に置くのだ。ヴァール(契りの神)の手のもとに、(皆ども)(われら夫婦を)一緒に祝福せよ」と命じた[24]。トール[注 10]は鎚を見とがめて[26]内心笑わずにおれなかった[28]。そして(鎚を手に取り)、スリュムを打ち(討ち)、巨人族をことごとく殴り(殺し)、姉も打(討)った[30]。かくしてオージンの息子は鎚をとりもどした、と締めくくられる[31][32][33][34][1]

年代特定[編集]

『スリュムの歌』の成立時期については、これまで学究の意見が割れている。一部の専門家は、『スリュムの歌』を最古級のエッダ詩で、多神教時代、西暦900年ごろの産物としてきたが[35][36][37]、これは今では少数意見である[38]

多くの学者は、これを13世紀前半成立の新しい詩作としているが[39]、その根拠はそれぞれ違っている(大まかに4種の理由が挙げられる)[40]。 なかでもヤン・デ・フリースはキリスト教化時代に書かれたゲルマン神格のパロディ作品と位置づけている[41][42]

古い作品と思われたひとつの理由は古風な言葉づかいで、特に不変化詞 "of/af" を多用する様式がそうであり[43]、古い年代の否定者(スウェーデンのピーター・ハルベリスウェーデン語版)は、この点をないがしろにして反論すらしていない、と指摘される[44]フィンヌル・ヨウンスソンも、古作の論者であり、多神教時代の風習が描かれていると指摘し、たとえば胸に宝石が垂れ下がるような首飾りは、キリスト教時代にはすたれていた、と論じた[注 11][13]

分析[編集]

この粗筋は、民話型のATU分類 1198b "雷器の盗難 The Theft of the Thunder-Instrument" (または単に"雷の器物 Thunder's Instrument")に該当する典型例である[45][注 12]

バラッド[編集]

スカンジナビア各地では中世か近世に成立した古謡(バラッド)のかたちで、この物語が歌い継がれている[47][48][50]。これらのバラッドは、総じてThe Types of the Scandinavian Medieval Ballad(TSB)上 E 126 型に分類されている[51]。すなわちデンマーク語のの「海宮(ハウスゴー)のトード」 (Tord af HavsgaardDgF 1、 § デンマーク版参照)、スウェーデン語の「トールの鎚回収」("Tors hammarhämmtning"、(SMB 212)、ノルウェー語の「トーレカル」(TorekallNMB 188)[51]、およびアイスランド語のリーマÞrymlur」(1350–1450)である[注 13][46]

デンマーク版[編集]

デンマーク語のバラッド、「海宮(ハウスゴー[注 14])のトード」 (Tord af HavsgårdDgF 1)は、幾つかの稿本があり、1A B Ca–c本に分類される[54]

A本の英訳は、プライアー英語版が「Thor of Asgard」(1860年)、E・M・スミス=ダンピアが「Thord of Hafsgaard」(1914年)を発表している[51]。1A本では、主人公のトードが緑の草原を馬で駆けており、その黄金の鎚はしばらく失われていた。第1連の最後には、「よってある男は、烈婦を勝ちえることとなる」という文句が掲げられるが、これはトード自身(あるいは「老父」[55])が、新婦に仮装する展開を示唆している、と考察されている[57][60]

トードは兄弟のロッケ・ライマン( Lokke Leymand 「道化師ロッケ」の意[注 15][注 16]に語りかけ、ノーレフィェルNørrefjeld(「北の台地」[注 18]。巨人の長は、鎚を地中 55 ファゾム (15と40)の深くに埋めてしまった、返してほしければ、妹フライエンスボーグ(原文 Fredens-borgh、改訂 Freiensborg) を嫁にさしだせと要求。ロッケが帰って報告すると、気位高い彼女はベンチから飛び上がり、「キリスト教者に嫁がせておくれ、醜いトロルなどでなく」と言った[注 19]、提案として「我らの老父」の髪をくしけずって、娘に仕立て上げ、北の台地に送りだせばよい、と提案する[注 20]。ここで「我らが老父」は意外で、ふつうなら「我らが兄」というはずであるが、解説によれば、「老父」というのは「雷神」の呼称なので[注 21]、結局、嫁入りの女装をしたトードのことを指している[64][53]。宴がひらかれ、エッダ詩とおなじく、偽嫁はすさまじい食欲で牡牛まる1頭や他の食べ物を暴食する[66][注 22]。大食いで巨人の不審を買い、ロッケがやはり(エッダ詩とほぼ同一の言い訳で)言い繕う。この頃合いで、8人の勇者が木にのせて鎚を担いで来て、偽嫁の膝に載せた。トードは鎚をふるい、巨人の長を殺した[67][68][53][69]

スウェーデン版[編集]

スウェーデン版のバラッドは、17世紀には口碑が採集されている[72]。スウェーデン版(Ab本、標準化綴り)では、トール神らしきはTorkar[注 23]、ロキにあたるのがLocke Lewe[注 24]。フレイヤ女神にあたるのがFrojenborgで、スリュム相当が Trolletramである[77][注 25]

デンマーク語版では、3柱の神に相当する任物らは兄弟(兄妹)関係だと明言されるが、こちらのスウェーデン語版では血縁ではないような言い回しに変っている。すなわち Torkar は Locke のことを「雇われた使用人」( "legodrängen min"、第2連)と呼び[79][注 26][注 27]。そして敵から嫁にもらうと強要されるのは「乙女フロイェンボリ」(仮カナ表記、原文jungfru Frojenborg)であって[82]、デンマーク版で「お前らの妹」(デンマーク語: jer søster、C本第7連)を求められる[83]のと異なる。

Trolletram は、Torkar の鎚を、やはり「15と40ファゾム」[注 28]地中に埋めており、Locke に"やつの鎚は取り戻せないぞ/やつが乙女のFrojenborgをよこすまで"という返事を伝えるように云う[84]

ノルウェー版[編集]

ノルウェー版「Torekall」も[注 29]、英訳("Thorekarl of Asgarth")が刊行されている[86]

オペラ[編集]

アイスランド語初のフル・オペラ作品が、ヨウン・アウスゲイルソンアイスランド語版作の『Þrymskviða』で、初演は1974年、アイスランド国立劇場でおこなわれた。台本は『スリュムの歌』が土台となっているが、他のエッダ詩の内容も継ぎ足されている[87]

銅像[編集]

トール神をかたどるエイラルランド像英語版 (10世紀、アイスランドで出土)

坐するトール神をかたどる高さ 6.4 cm 程の銅像が、アイスランドのアークレイリ近郊の出土現場の農場名にちなんで「エイラルランド豆像デンマーク語版」と呼ばれる。推定1000年ごろの作。アイスランド国立博物館に展示される。トールはミョッルニルの鎚(アイスランドの作風として十字架のような形)を持つ。一説によれば、『スリュムの歌』の話にある、婚姻式の場でトールが座って、鎚を両手でつかむ場面を描写したものだという[88]

注釈[編集]

  1. ^ 第3連。谷口の要約では「フレイヤのところ」とし[1]、これは古い英訳(Thrope)の"dwelling"「住居・住処」とおおよそ合致するが、ラリングトン英訳(新)では"Court"とあるのでこれに準ずる。原文の単語はtúnで'town' や 'hedged enclosure, homestead'と定義されるのだが[2]、両の英訳者は第5連の「アース神族のgarðrと同義ととらえているようである(後者をそれぞれ"Æsir's dwellings", "courts of the Æsir")。
  2. ^ 原文はdunði >dynjaで、'of air quivering and earth quaking'、つまり空気や地の振動を(振動音)を出す、振りまく、などの意である。ラリングトン訳では"whistled"、ソープ訳では"rattled"。
  3. ^ 原文はröstで、'比喩的な mile'の意とされる[3](マイルの定義(数値)は英国とスカンジナビア各地では歴史的に異なる)。
  4. ^ 原文は、Finnur ed. (1926) st. 13, " men Brísinga"; Larrington (1999), st. 13, "necklace of the Brisings"とあり、その巻末注によれば、フレイヤにまつわる首飾りであるが、それ以上のことはあまり知れない、とする。
  5. ^ 原文は、Finnur ed. (1926) st. 13, "stökk>stökkva" でC-V辞典は 'leap, spring'と定義 。谷口も「飛んだ」とする。
  6. ^ 谷口は「色気狂」とし、ラリングトン訳の "the most sex-crazed of women"[5]と合致するが、原文は Finnur ed. (1926) st. 18 verða vergjarnastaで、verr 「男」や gjarn 「意欲的」などの複合語であり、「最も男狂い」[6]との解釈が直訳ととれる。
  7. ^ Finnur ed. (1926) st. 14, " allir á Þingi"; Larrington (1999), st. 14, "came to the Assembly".
  8. ^ フィンヌル・ヨウンスソンは、ブリーシンガメンの首飾り(メン men)はあくまで首まわりの装飾品であるから、この詩の次連で"en a brjósti / breiða steina"「胸に広がる宝石/広い宝石を置く」等とあるのは、また別の首飾りを身に着けたことを意味する、と主張し、明言はされないが、それはメノウやガラスビーズを通したステインセルヴィ(steinsörvi、参:sörvi[12])と呼ばれた型の宝飾品だと力説した[13]。しかしこの説は必ずしも支持されておらず、言語学者ロバータ・フランク英語版は、この詩からブリーシンガメンが、ステインセルヴィ型のネックレスだったことが証明される、と逆の立場をとっている[14]
  9. ^ Finnur ed. (1926) st. 24 menjamenの複数形で、既に説明したとおり、首輪(チョーカー)のような装飾品。オーチャード英訳も"neck-ring"とする[9][10]
  10. ^ この箇所でトールはHlórriðiという異名で呼ばれる
  11. ^ 上述したようにフィンヌル説では、この胸の首飾りはブリーシンガメンとは別のもの。
  12. ^ また ATU分類 403c "身代わりの花嫁 The Substituted Bride"の話型の要素もとりこんでいる[46]
  13. ^ Syndergaard (1995)は、英訳済みのバラッドの資料なので、当時未訳のアイスランド語版は記載されない。Colwill と Haukur Þorgeirsson の編訳本の出版は2020年である。[52][46]
  14. ^ "Havsgård"は「海宮」 "Sea-Court"と解することが出来る[53]
  15. ^ 異表記では"Lokke Leimand" だが、このデンマーク語の"Leimand/Lejmand"は、ラテン語で "joculator vel musicus"(英語で"jester"、「宮廷道化師」) の意であると、フィンヌル・マグヌースソン編訳エッダで解説される[61]。英文書評者(カイトリー)もLejmandの意味を"Juggler"としているが[56]、すなわちジョングルール(昔は主な芸は吟遊詩人や演奏者だが、ジャグリングとかの大道芸も嗜んだことは知られている)。
  16. ^ Bugge&Moeの1A本の改訂テキストでは、 Lokke Leimand"(第3, 9, 23連)を採用するが、Gruntvig編では 1Aa本 "liden Locke"を底本とし、1Ab本 "Lochy Leymandt"が脚注されているところを、後者を取ったということである。この"Lokke Leimand"は"Laufeyar sonr"(「ラウヴェイの息子」)と呼ばれることの転訛とされる[62][53]
  17. ^ デンマーク語{lang
  18. ^ 英訳 "Norrefield", "Northland" 等)に行って鎚の行方を探ってこいと言いつけた。ロッケは羽衣をフレイヤから借りて、「巨人の長」("tossegreven"[注 17]は、古ノルド語 þurs(=ヨートゥン、巨人)と同源語である[53]そして;grev>greveは直訳すると「伯爵」だが、この複合語は=Troldkongen「トロルの王」の意であるとも注釈されている[55]
  19. ^ デンマーク語 led 「きもちわるい、みにくい、おぞましい」は、英語"loath"と同源語。Smith-Dampier は "goblin grim"と英訳するが、Schweitzer はみたところ端折っている(「怪物」といえば、あえて言わずもがなということか)。
  20. ^ A本の第13連4行目は "for en saa stalt iomfru" だが、それだと脚韻が踏めてないとしてC本の "for [en sa væn en mår]" にBugge & Moe の復刻では差し替えている。このmårは「貂(マツテン)」の意味である[63]
  21. ^ ブッゲによれば、イェムトランド地方 では「トーレン父さん(Fader Toren)」といえば、雷神トールの言及だという(以下、スウェーデン版の"Torkar"、ノルウェー版の"Torekall"の注釈も参照) 。 北ヨーロッパ圏のエストニア、ラトヴィア、フィンランドにも同様な呼びならわしが認められるという。
  22. ^ 偽嫁はさらに 30個(異本:15個) の塩豚(ドイツ訳ではシュペック英語版)、700個のパン、12樽のエール酒も平らげた。 料理の描写は第16、17連だが、いささか冗長的になっていて、 シュヴァイツァー独訳は第16連を割愛している。
  23. ^ スウェーデン語"Tor-kar"は「トール老人」(デンマーク語: "Tor-gubben"[73]、英訳 "Oldman-Thor"[74])と解することが出来る。この "kar" 「老人」という語彙はデンマークになさそうなので、スウェーデンの伝承がデンマーク版に影響したとも考えられる[62]
  24. ^ このLeweというのは古アイスランド語 lævísi (lævíss) 「ずる賢い、狡猾」の転訛であろうとフィンヌル・マグヌースソン英語版のデンマーク訳の『エッダ』で指摘される[61][75]
  25. ^ Aa 本では、人物名の綴りがいささか異なり、"Tårckar"、"Locke Loye"、 "Floyenborg";敵は同じく "Trolletram"である[70]。これは、カイトリー(Foreign Quarterly Review)が抜粋英訳しているスウェーデン語版バラッドの人名に近いが("Tår-Kar"、"Lockë"、"Fröyenborg"、"Trollë-Tram")[56]、上述したようにこれはフィンヌル・マグヌースソン編本の考察[78]を紹介している。
  26. ^ デンマーク版A本(第2連) ではトードは「[自分]の兄弟」(デンマーク語: broder sin )のロッケに語りかける、とある[80]
  27. ^ この Locke を「使用人」呼ばわりするのは、他の古い文学例(「Þrymlur」や「Lokrur」らリーマや、「ソルリの話」)でロキのことを「オーディンの使用人」と呼ぶことの名残りである、と解説されている.[81]
  28. ^ 原文はスウェーデン語: femton famnar och fyratio (st. 5)であるが、"fyratio"は"fyrtio" 「40」の古形であり、英訳の"fifteen fathoms and fourteen"[56]は誤訳。
  29. ^ このノルウェー版の名も、古ノルド語"Þórr karl"すなわち「トールおっさん(おやじ)」の如き意味である[85]

出典[編集]

脚注
  1. ^ a b c 谷口 1976(案内書)、「トールの槌取りもどし」、pp. 44–46
  2. ^ Cleasby-Vigfusson, "tún"
  3. ^ Cleasby-Vigfusson, s.v. "röst"
  4. ^ Larrington (1999), st. 10: "tales often escape a sitting man, and the man lying down often barks out lies"
  5. ^ Larrington (1999), st. 13
  6. ^ Clunies Ross (2002), pp. 193 (endnote 6)
  7. ^ Cleasby-Vigfusson, s.v. "men"
  8. ^ Finnur ed. (1926) st. 19 "meni Brísinga"はmenの与格で"necklace"と定義[7]、ラリングトン英訳は"necklace of the Brisings"。
  9. ^ a b Orchard, Andrew (2022). "Thor". Dictionary of Norse Myth & Legend. Orion. ISBN 9781399601429
  10. ^ a b Orchard, Andrew (Trans.) (2013). “Song of Thrym”. The Elder Edda. Penguin UK. ISBN 9780141393735. https://books.google.com/books?id=uVV5AAAAQBAJ&q=neck-ring 
  11. ^ オーチャード英訳では"Brisings' neck-ring" と "broad gems sitting on his chest" (胸に置かれた広い宝石群).[9][10]
  12. ^ Cleasby-Vigfusson, Icelandic-English Dictionary, s.v. "sörvi"
  13. ^ a b Finnur Jónsson (1920), p. 166.
  14. ^ Frank, Roberta (1970). “Onomastic play in Kormakr’s verse: The name Steingerðr”. Mediaeval Scandinavia 3: 26n36. https://books.google.com/books?id=ja&id=erbgAAAAMAAJ&q=steina. 
  15. ^ Cleasby-Vigfusson, s.v. "argr"
  16. ^ Clunies Ross (2002), pp. 194 (endnote 16)
  17. ^ 谷口は「女みたい」とする。原文はFinnur ed. (1926) st. 17 "argan">argr" で「巨勢された、女っぽい」の意[15]。ラリングトンは「変態」("pervert")と英訳しているが、この点マーガレット・クルーニーズ・ロスの論文では「男すたれ」("unmanly")とも「性的変態」("sexually perverse")ともしており、後者は即ち同棲者の「女役」の意だとしている[16]
  18. ^ Finnur ed. (1926) st. 18; Larrington (1999), st. 18.
  19. ^ Cleasby-Vigfusson, s.v. "hafr"
  20. ^ Finnur ed. (1926) st. 22. hafrarhafrの複数形)、「牡の山羊」[19]とあり、二頭のヤギたちの名前まではここでは言明されない。
  21. ^ Finnur ed. (1926) st. 22. stráiðstrá「藁」の定形で、bekkibekkr「ベンチ」の複数対角である。ラリングトン訳は"spread straw on the benches"だが、谷口は「広間に藁を敷け」とする。
  22. ^ Finnur ed. (1926) st. 28 "alsnotra ambótt (ambátt)"; Larrington (1999), st. 26.
  23. ^ 谷口は「赤い腕輪」とし、原文通りだが、Finnur ed. (1926) st. 31 "hringa rauðahringrの複数対格である。 Larrington (1999), st. 29 は "red-gold rings"と複数形であり、「赤金」すなわち「純金」と解釈する。
  24. ^ 谷口は「花嫁を浄める」と訳し、後段も「ヴァールの手で俺たち二人は浄めてもらうのだ」とするが、原文はFinnur ed. (1926) st. 32 "vígja"とその複数命令形である"vígið"「祝福する」("to consecrate")が使われている。よってラリングトン訳"consecrate us together by the hand of Var!"に準ずる。
  25. ^ Cleasby-Vigfusson, s.v. "þekkja"
  26. ^ 谷口は「鎚の柄を手にしたとき心が躍った」とするが、Finnur ed. (1926) st. 33にはþekkði"とあり、これは不定詞þekkjaの "to perceive, know"の過去形 "espied"とされる[25]
  27. ^ Cleasby-Vigfusson, s.v. "þekkja"
  28. ^ 谷口は「鎚の柄を手にしたとき心が躍った」とするが、Finnur ed. (1926) st. 33にはþekkði"とあり、これは不定詞þekkjaの "to perceive, know"と定義、過去形例は "espied"が充てられる[27]
  29. ^ Cleasby-Vigfusson, s.v. "drepa"
  30. ^ 谷口は「スリュムを討ち、..一族を..打ち殺した..姉も殺した」とする。ただし原文(Finnur ed. (1926) st. 33, 34)ではスリュムと姉に対する動詞はdrap>drepaであり、これは「打つ」の意も、比ゆ的に「殺す」の意もある[29]。ソープ英訳は「殺す(slew)」で統一するが、ラリングトンはなぜか"struck Thrym"と"killed the old sister"と違えている。一族の動詞はlamði>lemjaで「こっぴどく(叩いた)」の意味なので、鏖殺(みなごろし)はしていない(ラリングトンは"battered"、ソープは"crushed"を充てる)。
  31. ^ 原文:Finnur ed. (1926), pp. 131–140 34 st.(34連)
  32. ^ 新英訳:Larrington, Carolyne (Trans.) (1999). “Thrym's Poem”. The Poetic Edda. Oxford World's Classics. pp. 97–101. ISBN 0-19-283946-2  In 32 st.
  33. ^ 旧英訳:Thorpe, Benjamin (Trans.) (1906). “The Lay of Thrym, or the Hammer Recovered”. In Anderson, Rasmus B.; Buel, J. W.. The Elder Eddas of Saemund Sigfusson. New York: Norrœna Society. pp. 53–57. https://books.google.com/books?id=JcYLAAAAIAAJ&pg=PA53  In 39 st.
  34. ^ デンマーク語解説:Finnur Jónsson (1920), pp. 162–163
  35. ^ Gordon, E. V. (1957) An Introduction to Old Norse, p. 135 apud Barnes (1999), p. 111
  36. ^ Finnur Jónsson (1920), p. 166 は 875年より後、とする。
  37. ^ より近年ではエイナル・オウラーヴル・スヴェインソン英語版ヨウナス・クリスティアンソンが挙げられる(McKinnell (2014), p. 200)
  38. ^ Barnes (1999), p. 111: ""Few scholars would now accept E.V. Gordon's view.. [it was] 'composed about 900'"
  39. ^ デ・フリースハルベリスウェーデン語版(1954)、マーゲロイノルウェー語版 (1958)、 レイナート・クヴィルルド(Reinert Kvillerud、1965)や アルフレド・ヤコブセンノルウェー語版(1984)を、McKinnell (2014), p. 200が挙げている。
  40. ^ McKinnell (2014), pp. 200ff.
  41. ^ De Vries, Jan (2008). Boon-de Vries, Aleid; Huisman, J. A.. eds. Edda - Goden- en heldenliederen uit de Germaanse oudheid. Deventer, Netherlands: Ankh-Hermes bv. pp. 101–102. ISBN 978-90-202-4878-4 
  42. ^ Clunies Ross (2002), pp. 182–184も参照。トール神をコミカルに(バーレスク風やパロディ風)に扱うのはキリスト教時代の産物に違いないという論調はもっともらしいが、もとよりスカルド詩などにもそうしたコミカルな扱いは見られたのであり、キリスト教時代にコミカル化が増加したことは確か(とMcKinnelも指摘するが)、そのことから13世紀の何者かのキリスト教作者が作詩したと断じるのはいかがなものか、と疑問を呈している。
  43. ^ McKinnell (2014), p. 200.
  44. ^ Hallberg, Peter (1954). "Om Þrymskviða" Arkiv för nordisk filologi 69. pp. 51–77, apud Barnes (1999), p. 113
  45. ^ Frog (2018), pp. 137, 147.
  46. ^ a b c McGillivray, Andrew (2023). “(Review) The Bearded Bride: A Critical Edition of Þrymlur. 2020. Edited and translated by Lee Colwill and Haukur Þorgeirsson. Viking Society for Northern Research, University College”. Scandinavian-Canadian Studies 30: 1–4. https://scancan.net/index.php/scancan/article/view/220/481. 
  47. ^ Larrington (1999), p. 97はデンマークとスウェーデンのみを挙げている。
  48. ^ Bugge & Moe (1897), pp. 16–25 は、 ノルウェー語、スウェーデン語、デンマーク語A本、デンマーク語C本のテキストを対照表で復刻している(綴りは正表記に直されている)。
  49. ^ a b Arwidsson, Adolf Iwar, ed (1834). “1. Hammar-Hemtningen”. Svenska fornsånger. 1. Stockholm: P. A. Norsted & Söner. pp. 3–6, 7–9. https://books.google.com/books?id=FG4CAAAAQAAJ&pg=PA3 
  50. ^ Finnur Jónsson (1920), p. 166の見解では、『スリュムの歌』はアイスランドで書かれたはずはなく、ノルウェーで成立した作品で、中世のころにすでにノルウェー語版のバラッドがあったとしている。各地のバラッドとしてはノルウェーの「トーレ・カルの歌謡」("Tore Kals vise")、デンマークの「海宮(ハウスゴー)のトード」 (Tord af Havsgård)を挙げ、スウェーデン版はアドルフ・イヴァール・アルヴィドソン英語版が刊行したと記述[49]。またアイスランド語の''Þrymlur(1400年ごろ成立)からスウェーデン語版が派生したとするブッゲら( Bugge & Moe (1897), p. 78)の結論付けたことについて、フィンヌルは異を唱えている。
  51. ^ a b c Syndergaard, Larry E. (1995). “Tord von Hassgardt”. English Translations of the Scandinavian Medieval Ballads: An Analytical Guide and Bibliography. Nordic Institute of Folklore. ISBN 9529724160 
  52. ^ Colwill, Lee; Haukur Þorgeirsson (2020). The Bearded Bride: a critical edition of Þrymlur. London: Viking Society for Northern Research, University College London 
  53. ^ a b c d e f Schweitzer, Philipp (1888). Geschichte der skandinavischen Litteratur: Geschichte der Skandinavischen Litteratur von der Reformation bis auf die skandinavische Renaissance im 18. Jahrhundert. 2. Leipzig: Wilhelm Friedrich. pp. 31–32. https://books.google.com/books?id=13Ewam7vCocC&pg=PA31 
  54. ^ Grundtvig, Svend (1976) Danmarks gamle folkeviser 12: 40。第1巻では1A Bのみを収録(Grundtvig (1853), 1:1–7、それぞれ全23連(スタンザ)、全27連のテキストとなっている)。第4巻に補遺として C 本が追加された(Grundtvig & Olrik (1883), 4:580–582、全25連)。
  55. ^ a b Bugge & Moe (1897), p. 3.
  56. ^ a b c d e f Anonymous (attr. Thomas Keightley) (1829 ). “Om några underarter av ljóðaháttr: bidrag till den fornnorsk-fornisländska [Scandinavian Mythology]”. The Foreign Quarterly Review 4: 118–120. https://books.google.com/books?id=UGI7AQAAMAAJ&pg=PA118. 
  57. ^ 最初の3連は、Foregin Quarterly Review 4 (1829), p. 119に英訳されている[56]。署名はないものの、トマス・カイトリー訳であると Syndergaard の参考書(英訳リスト)に記載され、"近しい"訳出とされている。
  58. ^ Bugge & Moe (1897), pp. 99–100.
  59. ^ Recke (1927), p. 3.
  60. ^ 第1連のしめくくり文句は改訂を要するとされ、読み替えた単語"sverken"は古アイスランド語 svarkr 「攻撃的な女性」の借用語であるとしている[58][59]。しかしテキストの劣化で、原文通りだと「-スウェーデンを勝ちえる」に見えてしまう(C本はそう読めるままに据えてある)。シュヴァイツァー独訳では "Die Stolze" すなわち「高慢な[女]」と訳される[53]。しかしスミス=ダンピア英訳、プライヤー英訳、カイトリー英訳(Foreign Quarterly Review誌掲載)ではいずれも初連・末連のリフレイン自体が読み飛ばされている。
  61. ^ a b ブッゲ("Sofus Bugge"〔ママ〕と署名、デンマーク版バラッド 1b 註解(じっさいは 1Ab/1Aの亜本b)、Grundtvig & Olrik (1883), 4:579; Bugge & Moe (1897), p. 92, n1。
  62. ^ a b Bugge & Moe (1897), p. 91.
  63. ^ Bugge & Moe (1897), p. 32.
  64. ^ Bugge & Moe (1897), p. 90.
  65. ^ Läffler, Leopold Fredrik Alexander (1913). “Om några underarter av ljóðaháttr: bidrag till den fornnorsk-fornisländska”. Studier i nordisk filologi 5: vi. https://books.google.com/books?id=CY5JAQAAMAAJ&pg=RA1-PR6. 
  66. ^ 牡牛1頭(デンマーク語A本)は、エッダ詩やノルウェー版と合致するが、異本(デンマーク語C本、 Bugge&Moeが改訂復刻)では牡牛7頭[65] 、B本(Vedel編の古い刊行本)では牡牛15頭であり、シュヴァイツァー独訳やはこれを採用する。
  67. ^ デンマーク語原文は DgF 1A(Aa)を底本に、原文ママの綴りでGrundtvig (1853), '1:3–4 所収;1A と 1C の校訂版は、対比表にて Bugge & Moe (1897), pp. 17, 19, 21, 23, 25に復刻。Recke (1927), pp. 3–6の復刻も参照。
  68. ^ Smith-Dampier, E. M., tr. (1914). “Thord of Hafsgaard”. More Ballads from the Danish and Original Verses. Andrew Melrose. pp. 8–11. https://books.google.com/books?id=YuQrAQAAMAAJ&pg=PA8 
  69. ^ 末の5連の英訳も、前述Foregin Quarterly Reviewに掲載[56]、トマス・カイトリー訳とされる。
  70. ^ a b Jonsson, Jersild & Jansson (2001), p. 85.
  71. ^ Jonsson (1967), p. 278.
  72. ^ 写本に収められるが、歌い手は農家の主婦インゲルド・グンナルズドティル英語版(1601/1602年生–1686年没)で、1670年代に書き留められたとされる[70]。この人物は、じつは300もの英雄的バラッドを知っていたとされるが、彼女から伝わったバラッドは58編とされる[71]
  73. ^ Bugge & Moe (1897), pp. 90, 89.
  74. ^ Keightley (1829), p. 119.
  75. ^ Magnusen (1822), p. 99n.
  76. ^ Jonsson, Jersild & Jansson (2001), pp. 85–86.
  77. ^ いずれも標準に改訂された綴り(Bugge & Moe (1897), pp. 16–25記載されたバラッド文に拠る)。原文は、アルヴィドソン英語版編のそれで、現代の分類集成(SMB)では第212番バラッドのAb 本に相当する。写本(スウェーデン国立図書館蔵なのでKBのV写本などと略される)には、2つの異本(Aa と Ab)が収められている。SMBでは四折り本英語版(4º)だとしているが[76]、アルヴィドソンは、四折り本と、より年代の新しい八折り本が書写されているとしており、後者を底本とし、四折り本のほうは"QM"と付記して異読みを脚注している[49]。SMB はあべこべに、Aa を底本とし、 Ab の異読みを脚注する。
  78. ^ cf. Magnusen (1822), pp. 98–99, 123–128
  79. ^ Bugge & Moe (1897), p. 92: "{lang-da|lejet tjener}}"
  80. ^ Bugge & Moe (1897), p. 17.
  81. ^ Bugge & Moe (1897), p. 92.
  82. ^ Bugge & Moe (1897), p. 18.
  83. ^ Bugge & Moe (1897), p. 16.
  84. ^ 英訳は "His hammer he ne'er will see, / Until he sends may Fröyenborg.. to me"[56]
  85. ^ Bugge & Moe (1897), p. 89.
  86. ^ Colbert, D. (tr.) in Sven H. Rossel>!--Sven Hakon Rossel--> (1982) Scandinavian Ballads, apud Syndergaard (1995)
  87. ^ Nagy, Peter; Rouyer, Phillippe; Rubin, Don (2013). World Encyclopedia of Contemporary Theatre: Volume 1: Europe. Routledge. pp. 461. ISBN 9781136402968 
  88. ^ Clunies Ross (2002), pp. 188–189.
参照文献
(一次資料)
(二次資料)
  • 谷口幸男『エッダとサガ 北欧古典への案内』〈新潮選書〉1976年。 

外部リンク[編集]