カワサキ・KR (ロードレーサー)
カワサキ・KR(ケイアール)はかつて川崎重工業が製造したオートバイで、ロードレース用の競技専用車である。
モデル一覧
[編集]KR250
[編集]KR250(ケイアールにひゃくごじゅう)は、2ストロークタンデムツイン(2気筒)エンジンを搭載した[1]WGP250ccクラス用ロードレーサー(競技用オートバイ)である。1975年のデイトナでデビューし[2]、ロードレース世界選手権250ccクラスでは、コーク・バリントンが1978年と1979年に、アントン・マンクが1980年と1981年に世界チャンピオンとなった[3]。
- 1975年型の仕様[2]
- 1977年型の仕様[1]
KR350
[編集](本節は、特記以外『究極のレーサー』(p193 - p198)を参考文献とする)
KR350(ケイアールさんびゃくごじゅう)は、WGP350ccクラス用ロードレーサー(競技用バイク)である。エンジンは2ストロークタンデムツイン(2気筒)。ロードレース世界選手権(WGP)350ccクラスでは、コーク・バリントンが1978年と1979年に、アントン・マンクが1981年と1982年に世界チャンピオンとなった[3]。WGPの350ccクラスは1982年を最後に廃止されたので、KR350は350ccクラス最後のチャンピオンマシンとなった。
KR350は、KR250と同じフレームと酷似した動力装置を持つ、KR250の排気量拡大版である。 KR350は左側にロータリーバルブを配置し、エアインテークには直径36mmのミクニのキャブレターを2基装備。 クーラントは、普通の2ストロークエンジンのようにクランクケース[4]には送らず、シリンダーヘッドに送られるようになっており、冷えているクーラントで5ポートシリンダーのツインエキゾーストポート周囲の最も熱い部分を最初に冷却できるようになっている。このエンジンの最適運転温度は70℃である。 フレームは、当時としては標準的なクロムモリブデン鋼のチューブラースチール製である。 リアサスペンション[5]は、ヤマハのようなカンチレバーモノショックではなく、「ユニトラック」と呼ばれるロッカーアーム機構を採用した。
KR350のフレームの設計は、1970年代のロードレーサーに見られたハンドリングに癖があってライディングが難しいフレームから、よりハンドリングが良くなった1980年代のアルミニウム製フレームへ移り変わる過渡期のものであった。
フロントブレーキは、他のロードレーサーがダブルディスク[6]を採用していたのに対し、KR350は乾燥重量を104kgに抑えることができたため、ブレーキディスクを1枚(シングルディスク)にすることができた。
KR350の成功には3つの理由がある。
- 他の日本のワークスチームがWGP350ccクラスに本格的に参戦しなかった。
- 優れた信頼性を備え、メンテナンスが容易であった。
- WGPの歴史において、最も優秀なミドルクラス(250ccクラス、350ccクラス)のライダーに入るコーク・バリントンとアントン・マンクをワークスライダーとして迎え入れることができた。
1980年型の仕様
- エンジン - 2ストローク水冷タンデムツイン(2気筒、ロータリーバルブ)
- 内径×行程 - 64 mm×54.5 mm
- 排気量 - 349.89cc
- 出力 - 75bhp[7]/11,800rpm
- キャブレター - 36mm ミクニ x 2
- イグニッション[8] - 国産電機 CDI
- トランスミッション - 6段
- クラッチ - 乾式多板
- フレーム - チューブラースチール・ダブルクレードル
- サスペンション
- ブレーキ
- 車重(乾燥)- 104kg
- 最高速度 - 160mph(257.49km/h)
- 製造年 - 1980年
タンデムツイン
[編集]1975年、エンジンのシリンダーの配置は、前面投影面積を小さくするために、シリンダーを前後に配置し、トランスミッションをその後ろに置くタンデムツインを採用した。前後に置かれた2本のクランクシャフトは歯車によって連動し、クランクの高速回転によるジャイロ効果を低減させるために、前後のクランクは互いに逆回転し、180度の位相でエンジンを点火するように設計された。しかし、この180度クランクは問題を抱えており、KR350を駆るライダーは疲労し、エンジンやフレームには振動を与えた。
1976年は、レースではエンジンの仕様を変えず、その間、カワサキはエンジンの設計をやり直していた。 新設計のエンジンは同年シーズンの終盤のレースに250cc(KR250)で登場した。
1977年になると350ccのタンデムツインは本格的にレースに復帰し、ミック・グラントがシーズン中盤のオランダグランプリでKR350に初勝利をもたらし、さらに、後半のスウェーデングランプリでも優勝した。1978年と1979年にはコーク・バリントンが、1981年と1982年にはアントン・マンクが世界チャンピオンとなった[3]。
KR500
[編集]KR500(ケイアールごひゃく)は、250ccクラスで実績を積んだタンデムツインを2個合わせた様な水冷2ストロークスクエア4気筒500ccエンジンを、特異な構造のアルミモノコックフレームに搭載したワークスマシンのロードレーサーである(→写真)。250ccクラスでチャンピオンに輝いたコーク・バリントンのライディングで、1980年から1982年まで僅か3年間のGP500ccクラスへの挑戦に終わった。
KR750
[編集](本節は、特記以外『究極のレーサー』(p168 - p173)を参考文献とする)
KR750(ケイアールななひゃくごじゅう)は、F750選手権用ロードレーサー(競技用バイク)である(→写真)。エンジンは2ストローク水冷直列3気筒。初期型のKR750は不安定なハンドリングとカワサキのワークスカラーであるライムグリーンに掛けて「グリーンミーニー」(green meanie - 意訳「緑の意地悪な奴」)と呼ばれた。
FIMがF750の最低ホモロゲーション台数を25台に減らし、さらに、どのようなバイクでもよい、という決定をしたので、KR750が誕生した。
1975年、KR750デビュー
1975年型KR750のエンジンは、120度の2ストローク直列3気筒のピストンポートで、1気筒あたり4つの掃気ポートを持ち、内径×行程は68 mm×68mmのスクエアである。出力は120bhp[7]/9,500rpmである。ただ、6,000rpm付近で出力曲線に折れがあり、スイッチが入ったかのような出力特性を持っている。この特性はとても扱い難いものである。 スピードはとても速く、ミック・グラントはKR750を駆り、マイク・ヘイルウッドが持っていたマン島TTレースのラップ・レコードを塗り替えた。
ミック・グラントと彼のチームメイトのバリー・ディッチバーンは、1975年のイギリス・スーパーバイク・シリーズでバリー・シーン(スズキ)を破り、1位と2位を獲得した。もう一人のKR750ライダー、イヴォン・デュハメルは、FIM750シリーズのオランダのレースで2ヒートとも優勝し、総合優勝をカワサキにもたらした。
1976年、アーヴ・カネモトとギャリー・ニクソンの活躍
1976年、KR750はチャンピオン・シップに手が掛かった。アーヴ・カネモトがチューニングした3気筒エンジンは10,000rpmまで回り、また、レース・シーズン中盤から使い始めた特製フレームによって、このKR750を駆るギャリー・ニクソンはポイント・リーダーとなった。しかし、レース・シーズン終了後、FIMは、ギャリー・ニクソンが勝っていたはずの第2戦ベネズエラの結果を破棄したため、ギャリー・ニクソンとKR750はチャンピオンになれなかった。
KR750の終焉
カワサキは1976年をもってF750クラスのレースから撤退し、KR250とKR350でWGPに力を注ぐことにした。 KR750が残した結果は、1975年のイギリスの1シーズンと、グレッグ・ハンスフォードとマレー・セイルがネビル・ドイル・チューンのKR750を駆って圧勝したオーストラリアの1戦だけに終わった。ヤマハTZ750のほうが良いロードレーサーだった。
1976年型の仕様
- エンジン - 2ストローク水冷ピストンポート直列3気筒
- 内径×行程 - 68 mm×68 mm
- 排気量 - 747cc
- 出力 - 120bhp[7]/9,500rpm
- キャブレター - 36mm ミクニ x 3
- イグニッション[8] - カワサキ CDI
- トランスミッション - 6段
- クラッチ - 乾式多板
- フレーム - チューブラースチール・ダブルクレードル
- サスペンション
- フロントサスペンション - 直径36mm カヤバ テレスコピック
- リアサスペンション - 角断面スイングアーム + フォックス・ツインショック(2本サス)
- ブレーキ
- ホイールベース - 1,365mm
- 車重(乾燥)- 140kg
- 最高速度 - 180mph(289.7km/h)
- 製造年度 - 1976年
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b 『究極のレーサー』(p196)より。
- ^ a b 『浅間から世界GPへの道』(p124)より。
- ^ a b c 『Motocourse: 50 Years of Moto Grand Prix』(p197 - 199)より。
- ^ バイクのエンジンを構成する大きな部品の一つで、シリンダーの下部に配置されている --『図解雑学 バイクのしくみ』(p32)より。
- ^ 強力なコイルスプリングとダンパーで構成された、バイクの後輪用サスペンションのこと --『図解雑学 バイクのしくみ』(p182)より。
- ^ 車輪の左右にブレーキディスクを取り付けたブレーキ装置 --『図解雑学 バイクのしくみ』(p166)より。
- ^ a b c brake horsepower。ブレーキ馬力のこと --『ジーニアス英和辞典 第3版』より。
- ^ a b エンジンの点火装置のこと --『ジーニアス英和辞典 第3版』より。
参考文献
[編集]- 『浅間から世界GPへの道 - 昭和二輪レース史1950-1980』八重洲出版〈ヤエスメディアムック 212〉、2008年12月29日 発行。ISBN 978-4861441158。
- 神谷忠 監修 編『図解雑学 バイクのしくみ』ナツメ社、2005年3月8日 発行。ISBN 978-4816338700。
- Noyes, Dennis; Scott, Michael, eds. (October 1999), Motocourse: 50 Years of Moto Grand Prix, Hazleton Pub Ltd, ISBN 978-1874557838
- アラン・カスカート『究極のレーサー』(初版)山海堂、1994年7月30日 第1刷発行。ISBN 978-4381076830。
- 『ジーニアス英和辞典』(第3版)大修館書店〈シャープ電子辞書 PW-9600 収録〉、2002年。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 写真掲載ウェブサイト
- KR500のストリップ写真 - Conti, KR500のこと 2010年1月5日(火)閲覧。
- KR750の写真 - 大田区蓮沼 MACH III Racing.com, Chucky KR750 2010年1月5日(火)閲覧。