オルコックアラビアン
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オルコックアラビアン | |
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品種 | アラブ種 |
性別 | 牡 |
毛色 | 芦毛 |
生誕 | 1700年ごろ? |
死没 | 不明 |
父 | 不明 |
母 | 不明 |
生国 | オスマン帝国? |
生産者 | 不明 |
馬主 |
ロバート・サットン →オルコック氏 →第2代アンカスター公 |
競走成績 | |
生涯成績 | 不出走 |
オルコックアラビアン(Alcock Arabian)とは、サラブレッドの始祖の一頭である。父系子孫としてダービー馬[1]を出すなど三大始祖以外では最も有力な父系の一つを形成した。芦毛の始祖としても知られる[2]。なお、ペラムズグレイアラブ(Pelham's Grey Arab)など別名とされるものが複数存在する[3]。
オルコックアラビアンが登場するのは、ジェネラルスタッドブック第1巻第4部。ここには三大始祖を含む102頭の輸入種牡馬群が記載されている。通説ではこの馬は、1700年代にロバート・サットンによってコンスタンティノープルから輸入された純血アラブとする。また、実はイギリス生まれで、カーウェンズベイバルブ(Curwen's Bay Barb)の産駒であるとの説も根強い。ともかく1720年代にリンカンシャー州で供用されていた事が記録に残っている。1722年にはバストメア(Basto mare)との間にクラブ(Crab)を産み、1728年には産駒の勝ち数がイギリス最多を記録した。プライアーのメモには、1723年に死亡したと書かれているが、1726年生まれの仔の存在する事と矛盾しており、死亡日は不明である。
インドハイデラバード州では、本馬を記念するオルコックバルブステークス(IND-G3)が行われている[4]。また、セガ(後のセガ・インタラクティブ)のメダルゲームのSTARHORSEシリーズに大逃げ馬として登場する。
サイアーライン
[編集]- 比較的重要と思われる馬のみ。(f)は牝馬
- Alcock Arabian 1700,3,4頃生?、1709イギリス輸入?
- Alcock's Spot 1722
- Gentleman 1723
- Crab 1722
- Blossom(f) 不明、現在に芦毛を継承
- Crab Mare(f) 1750、現在に芦毛を継承
- Rib 1736
- Bustard 1741
- Gamahoe
- Cromaboo 1774
- Lennox 1776
- Gamahoe
- Othello 1743
- Creeping Polly(f) 1756、キングファーガスの母
- Oroonoko 1745
- Quick's Brunswick 1759
- Skipwith's Conway's 1772
- Cassius 1778
- Skipwith's Conway's 1772
- Quick's Brunswick 1759
- Othelo 1746
- Shepherd's Crab 1747
- Lath 1763
- Tippoo Saib 1780
- Lath 1763
- Brilliant 1750
- Bellario 1763
- Spectator 1749
- Sister to Juno(f) 1763、ダイオメドの母
- Mark Anthony 1767
- Aimwell 1782、Epsom Derby
- Mark Anthony Mare IV(f) 1788-1808?
脚注
[編集]- ^ 1785年の英ダービー馬エイムウェル。
- ^ ただし、芦毛馬の祖先を遡っていくと、両親共に芦毛馬の箇所が3箇所あるため、ブラウンローターク(Brownlow Turk)及びフェアファックスモロッコバルブ(Fairfax Morocco Barb)にも芦毛の始祖の可能性がある。ブラウンロータークをオルコックアラビアンの別名としても、オルコックアラビアンが遺伝上芦毛の始祖である確率は計算上87.5%にしかならない(ブラウンロータークの12.5%を含む)
- ^ ウェントワース夫人は、Pelham's Grey Arabian、Acaster Turk、Ancaster Arabian、Holderness Turk、Sutton Arabian、Honeywood Arabian、Brownlow Turkなどは、全てオルコックアラビアンの別名と説明している。
- ^ ゴドルフィンバルブステークス、ダーレイアラビアンステークス、バイアリータークステークスもある。