コンテンツにスキップ

ウード3世 (ブルゴーニュ公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ウード3世
Eudes III
ブルゴーニュ
ウード3世のシール
在位 1192年 - 1218年

出生 1166年
死去 1218年7月6日
リヨン
埋葬 ブルゴーニュ公国サン=ニコラ=レ=シトー、シトー修道院
配偶者 テレサ・デ・ポルトゥガル
  アリックス・ド・ヴェルジー
子女 ジャンヌ
アリックス
ユーグ4世
ベアトリス
家名 ブルゴーニュ家
父親 ブルゴーニュ公ユーグ3世
母親 アリックス・ド・ロレーヌ
テンプレートを表示

ウード3世フランス語Eudes III, 1166年 - 1218年7月6日)は、ブルゴーニュ(在位:1192年 - 1218年)[1]ユーグ3世の長男。母は父の最初の妻であったロレーヌ公マチュー1世の娘アリックス。

生涯

[編集]

ウード3世は父親と異なり、イングランドジョン神聖ローマ皇帝オットー4世と争っていたフランスフィリップ2世を支援した。1214年7月27日ブーヴィーヌの戦いにも兵を率いて参加し、年代記によれば騎乗していた馬2頭を失うほどの勇戦ぶりを見せたという。また、ウード3世は1209年アルビジョア十字軍でも重要な役割を演じた[2]。深入りすることを嫌ったフィリップ2世に代わり、ウード3世が前線の指揮を執った[2]

子女

[編集]

1194年、ポルトガルアフォンソ1世の王女テレサフランドル伯フィリップ寡婦)と結婚したが、子女なく1195年に結婚を解消した[3]

次いで1199年、ヴェルジー領主ユーグとジレット・ド・トライネルの娘アリックスと結婚し[3]、以下の子女をもうけた。

  • ジャンヌ(1200年 - 1223年) - ウー伯ラウル2世と結婚[4]
  • アリックス(1204年 - 1266年) - クレルモン伯およびオーヴェルニュのドーファン、ロベール1世(1262年没)と結婚[4]
  • ユーグ4世(1213年 - 1271年) - ブルゴーニュ公(1218年 - 1271年)[3]
  • ベアトリス(1216年 - ?) - アンベール3世・ド・トワール(1279年没)と結婚

脚注

[編集]
  1. ^ Bouchard 1988, p. 459.
  2. ^ a b Barber 2000, p. 110.
  3. ^ a b c Bouchard 1988, p. 261.
  4. ^ a b Adamo 2014, p. 60.

参考文献

[編集]
  • Adamo, Phillip C. (2014). New Monks in Old Habits: The Formation of the Caulite Monastic Order, 1193-1267. Pontifical Institute of Mediaeval Studies 
  • Barber, Malcolm (2000). The Cathars: Dualist Heretics in Languedoc in the High Middle Ages. Pearson Education Limited 
  • Bouchard, Constance Brittain (1988). Sword, Miter, and Cloister: Nobility and the Church in Burgundy, 980-1198. Cornell University Press 
  • Schenk, Jochen (2012). Templar Families: Landowning Families and the Order of the Temple in France, c. 1120-1307. Cambridge University Press 
先代
ユーグ3世
ブルゴーニュ公
1192年 - 1218年
次代
ユーグ4世