ウー伯
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ウー伯(仏:Comte d'Eu)は、フランスのノルマンディー地方のウーを統治していた貴族の称号。
歴代ウー伯
[編集]ノルマンディー家
[編集]初期のウー伯についてははっきりしない。
- ジョフロワ・ド・ブリオンヌ(996年以降 - 1015年/18年) - 1023年以降没、ノルマンディー公リシャール1世の庶子
- ジルベール・ド・ブリオンヌ(1000年 - 1040年) - 1040年直後没、ブリオンヌ伯、ジョフロワの子
- ギヨーム1世(1015年/18年 - ?) - 1054年頃没、ノルマンディー公リシャール1世の庶子
- ギヨーム・ビュザック - 1077年死去、ギヨーム1世の子、ソワソン伯
- ロベール(1053年以降 - 1091/93年) - ヘイスティングス領主、ギヨーム1世の子
- ギヨーム2世(1091/93年 - 1096年) - ヘイスティングス領主、ロベールの子
- アンリ1世(1096年 - 1140年) - ヘイスティングス領主、ギヨーム2世の子
- ジャン1世(1140年 - 1170年) - ヘイスティングス領主、アンリ1世の子
- アンリ2世(1170年 - 1191年) - ヘイスティングス領主、ジャン1世の子
- アリックス(アエリス)(1191年 - 1246年) - アンリ2世の娘、1191年にラウル1世・ド・リュジニャン(1219年没、エクソダン[3](ドゥー=セーヴル)、メレ、シゼ、シブレーおよびラ・モット=サン=テレ(en)の領主、結婚によりウー伯)と結婚[4]。
リュジニャン家
[編集]- ラウル1世(1191年 - 1219年) - 1191年以降ウーでラウルのシールが確認できる[5].
- ラウル2世(1219年 - 1246年) - ラウル1世の子
- マリー(1246年 - 1260年) - ラウル2世の娘、アルフォンス・ド・ブリエンヌ(1227年 - 1270年、ジャン・ド・ブリエンヌの子)と結婚
ブリエンヌ家
[編集]出典[6]
- アルフォンス・ド・ブリエンヌ(1260年 - 1270年) - ジャン・ド・ブリエンヌの子、マリー・ド・リュジニャンと結婚。
- ジャン2世(1270年 - 1294年) - アルフォンスの子
- ジャン3世(1294年 - 1302年) - ギーヌ伯、フランス軍総司令官(Connétable de France)、ジャン2世の子
- ラウル1世(1302年 - 1344年) - 1290年頃生、ギーヌ伯、ジャルナック領主、フランス軍総司令官、ジャン3世の子
- ラウル2世(1344年 - 1350年) - ギーヌ伯、ジャルナック領主、フランス軍総司令官
1350年、ラウル2世は反逆罪で告発され、伯領は没収されジャン・ダルトワに与えられた。
アルトワ家
[編集]- ジャン・ダルトワ(1350年 - 1387年) - サン=ヴァレリー領主
- ロベール4世(1387年 - 1387年) - 毒殺
- フィリップ(1387年 - 1397年) - フランス軍総司令官
- シャルル(1397年 - 1472年) - サン=ヴァレリーおよびウデン領主、子孫なし
バウチャー家
[編集]- ウィリアム・バウチャー(1419年 - 1420年) - ヘンリー5世により創設、シャルル・ダルトワの対立伯
- ヘンリー・バウチャー(1420年 - 1483年) - 初代エセックス伯
- ヘンリー・バウチャー(1483年 - 1540年) - 第2代エセックス伯
ブルゴーニュ=ヌヴェール家
[編集]- ジャン・ド・ブルゴーニュ(1472年 - 1477年) - ヌヴェール伯、シャルル・ダルトワの甥
1477年、ブルゴーニュ公シャルルがウー伯領を獲得したが、その後すぐ死去した。フランス王ルイ11世は伯領を併合したが、その後、ジャンの女系子孫にあたるクレーフェ公家が伯位を継承した。
クレーフェ公家
[編集]- アンジルベール(1491年 - 1506年) - ヌヴェール伯、オセール伯、エタンプ伯、ルテル伯。1486年にフランスに帰化。1506年にPairie de France。ジャン・ド・ブルゴーニュの孫。
- シャルル(1506年 - 1521年) - ルテル伯、ヌヴェール伯、アンジルベールの子
- フランソワ1世(1521年 - 1561年)
- カトリーヌ(1561年 - 1633年) - シャトー=ルノー女公(princesse de Château-Renault)、ポルシアン公アントワーヌ・ド・クロイ(1567年没)と結婚、のちギーズ公アンリ1世と結婚。
ギーズ家
[編集]1657年、アンリ2世はアンヌ・マリー・ルイーズ・ドルレアンに伯領を売却した。
ブルボン家
[編集]- アンヌ・マリー・ルイーズ・ドルレアン(1657年 - 1693年) - モンパンシエ女公、オルレアン公ガストンの娘
アンヌ・マリーはメーヌ公に伯領を遺贈した。
- ルイ・オーギュスト・ド・ブルボン(1693年 - 1736年) - メーヌ公、フランス王ルイ14世の庶子
- ルイ・オーギュスト・ド・ブルボン(1736年 - 1755年) - ドンブ公
- ルイ・シャルル・ド・ブルボン(1755年 - 1775年)
- ルイ・ジャン・マリー・ド・ブルボン(1775年 - 1793年) - パンティエーヴル公、ルイ・シャルルの従弟
- ルイーズ・マリー・ド・ブルボン=パンティエーヴル(1793年 - 1821年) - オルレアン公ルイ・フィリップ2世と結婚
- ルイ・フィリップ(1821年 - 1830年) - 後にフランス王
伯位はフランス王が保持した。
オルレアン家
[編集]7月王政時
[編集]- ガスタン・デ・オルレアンス - ヌムール公ルイ・シャルルの子、フランス王ルイ・フィリップの孫
儀礼称号
[編集]脚注
[編集]- ^ Anselme de Sainte-Marie (1625-1694 ; augustin déchaussé), Histoire généalogique et chronologique de la maison royale de France, des pairs, grands officiers de la Couronne, de la Maison du Roy et des anciens barons du royaume... (3e éd. rev., corr. et augm...), continued by M. Du Fourny, a compagnie des libraires (Paris), t.2 p.496
- ^ Victor Hippolyte Berry, Études et recherches historiques sur les monnaies de France, Dumoulin, 1852, v.1, p.469.
- ^ École des Chartes Chronologie historique des comtes d'Eu、イスーダンとエクソダンとの混乱を説明している。
- ^ Généalogie de Raoul d'Exoudun, Medieval Landsのサイト
- ^ 1191年の特許状 (ル=トレポールの宗教的贈り物(religious gifts))、シールNo.36(Germain Demay, Inventaire des sceaux de la Normandie recueillis dans les dépôts d'archives, musées et collections particulières de Normandie, Imprimerie nationale, Paris, 1881)
- ^ Les comtes d'Eu (Brienne) sur le site de la Fondation pour la généalogie médiévale
参考文献
[編集]- Louis Estancelin, Histoire des comtes d'Eu, Rouen, impr. de Mogard père, 1828.