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ウェイン・ショーター

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ウェイン・ショーター
Wayne Shorter
1980年撮影
基本情報
生誕 (1933-08-25) 1933年8月25日
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ニュージャージー州ニューアーク
死没 (2023-03-02) 2023年3月2日(89歳没)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
カリフォルニア州ロサンゼルス
ジャンル モード・ジャズ、クロスオーヴァー・ジャズ、プログレッシヴ・ジャズ、ポスト・バップハード・バップフュージョン
職業 作曲者バンドリーダー、サックス奏者
担当楽器 テナー・サクソフォーンソプラノ・サクソフォーン
活動期間 1959年 - 2021年
レーベル ヴィージェイブルーノートコロムビアヴァーヴ
共同作業者 アート・ブレイキーマイルス・デイヴィスウェザー・リポートダニーロ・ペレスジョン・パティトゥッチブライアン・ブレイド

ウェイン・ショーター英語: Wayne Shorter1933年8月25日2023年3月2日)は、ジャズテナー・サクソフォーンおよびソプラノ・サクソフォーン奏者、作曲家である。アメリカ合衆国ニュージャージー州ニューアーク生まれ。ジャズ・メッセンジャーズのメンバーとして活躍し、作曲も担当した。1960年代にはマイルス・デイヴィスのクインテットに参加した後、ジョー・ザヴィヌルとともにウェザー・リポートを結成した。

演奏家としての活躍もさることながら、作曲家としても高く評価されており、スタンダードとして広く演奏されている楽曲もある[1][2]。「ニューヨーク・タイムズ」のベン・ラトリフ英語版は最も偉大なジャズ作曲家、最も偉大な即興演奏家の一人と評した[3]。2022年現在、グラミー賞に21回ノミネートされ11回受賞している[4]。2017年にはポーラー音楽賞を受賞した[5]。日本での人気も高く、『スイングジャーナル』誌の人気投票ソプラノ・サックス海外部門において、1973年から少なくとも2001年まで29年連続1位に輝いている。

経歴

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幼少期からデビューまで

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ショーターはニュージャージー州ニューアークに生まれ[6]、アイアンバウンド地区で育った[7][8]。幼少期は絵を描くことや映画を好んだ。12歳のときに市の美術展で優勝し[9]、15歳で長編漫画を描きあげた。教師の勧めによりニューアークアーツ高校英語版へ進学した[8]。同校はアメリカ合衆国初の公立芸術高校である[10]。無断欠席で問題を起こし、アキレス・ダミーコが教える音楽理論のクラスに出席することとなった[8]。ダミーコは最初の授業で「音楽は3つの方向に進む」と宣言し、それを説明するためにペルーの歌手イマ・スマックのレコード、イーゴリ・ストラヴィンスキーの『春の祭典』、そしてチャーリー・パーカーのレコードを見せ、ショーターにインスピレーションを与えた[11]

ショーターはクラリネットのレッスンを受けていたが、テナー・サックスに転向しトランペット奏者の兄アランらとともに演奏を始めた。グループはボヘミアン的な感性を重視した。フロントマンはジャッキー・ブランドというフットボール選手で、楽器は弾けなかったが、ディジー・ガレスピーのような恰好をして演奏を盛り上げた。しわくちゃの服を着て、楽譜の代わりに新聞を立てかけて演奏するなど、突拍子もない行動に誇りを持っていた[11]

1952年、ニューヨーク大学に進学した。大学在学中、ジョン・コルトレーンと練習を共にする機会があり影響を受けた[1]。1956年に音楽教育の学位を得て卒業すると、ジョニー・イートン英語版率いるプリンストニアンズで短期間活動し、そのテナーサックスのスピードとテクニックから「ニューアークの閃光」と呼ばれるようになった[11][12]

大学卒業後、ホレス・シルヴァーととも演奏していたが、徴兵のため2年間アメリカ陸軍に在籍した[1]。陸軍では狙撃の名手と評価され軍に残るよう説得されたが退役し[13]メイナード・ファーガソンのバンドに参加した。ここで将来の共同作業者であるジョー・ザヴィヌルと出会った。

ジャズ・メッセンジャーズ

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ジャズ・メッセンジャーズ時代 (1959年)

翌1959年にはアート・ブレイキーのジャズ・メッセンジャーズに参加した[14]。音楽監督の役割も担い、作曲も多く担当した。ショーターの在籍中に録音されたアルバムは1961年の『チュニジアの夜』、1962年の『モザイク』、1963年『キャラヴァン』『ウゲツ』をはじめ評価の高いものが多く、リー・モーガンフレディ・ハバードらが在籍したこの時期はジャズ・メッセンジャーズの黄金期の一つに数えられている[14]。アメリカ国内だけでなくヨーロッパや日本へのツアーにも参加し、才能ある若きサックス奏者としてその名を確立した[15]

1959年、ショーターはヴィージェイ・レコードからリーダー・アルバム『イントロデューシング・ウェイン・ショーター』を発表した。以後、コンスタントにリーダー・アルバムを制作してゆくこととなる。

マイルス・デイヴィス・クインテット

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マイルス・デイヴィスは、以前からショーターの引き抜きを試みていたが[1]、1964年夏、ついにショーターを自分のクインテットに加えることに成功した。ハービー・ハンコックロン・カータートニー・ウィリアムスらとともに世代を超えて大きな影響を与え、セカンド・グレート・クインテット英語版と呼ばれた。

デイヴィスは「ウェインは本物の作曲家だ。彼が望むサウンドとなるように皆のパートを書く。ウェインはまた、音楽的なルールというものに対する探究心のようなものを持ち込んできた。ルールがうまくいかなければ壊してしまうんだ。音楽において自由になるために、ルールを知ったうえで、自分らしい表現のためにルールを曲げてしまう。それを彼は理解していた」と述べた[16]

ハンコックは「あのグループの中で、私にとっての最高の作曲者だった。今でも最高だ。マイルスに曲を持って行って変更を加えられなかった数少ない人物の一人だった」と語った[17][18]

ショーターとデイヴィスはよく話した。デイヴィスは「俺の左足、どこか悪いんだ」と体の調子について話す一方、「ウェイン、音楽のように聞こえる音楽を演奏することに飽きたことはないか?」と尋ね、ショーターが答える前に「言いたいことはわかる」と言った。このやりとりについてショーターは「自分の質問に自分で答えているんだ。研究の成果のように聞こえる音楽も通用はするだろう。しかし本当に意外なもの、未知の世界のものを目指すとしたら? そういう挑戦なのだ。本当に恐れることなく、未知のもの、予想外のものと向き合っていくことが必要な時代。見たこともない状況と向き合わなければならないのだ」と語った[19]

音楽家で『ラフガイド』の著者でもあるイアン・カーは、「ブレイキーのハードでストレートアヘッドなリズムはショーターのテナー演奏の筋肉質な部分を引き出していたが、デイヴィスのリズム・セクションの自由度の高さによって、ショーターは新しい感情と技術の次元を探求することができた」と述べた[20]

マイルス・デイヴィス大事典』著者の小川隆夫は、ショーターの加入の影響について「同じ曲をやってもマイルスのプレイが全然変わってるんです。マイルスがショーターに触発されたことがよくわかる」「音の出し方も、つんのめってる。アイディアが湧き出すんだけど指が追いつかない、そんな感じの吹き方なんですね。その後にスタジオ・アルバムの『ESP』を作るんだけど、そっちは落ち着いてる。ところがライブは嬉々としてやっているのがよくわかる」と述べた[21]

1970年まで在籍したショーターは、このクインテットで最も多作な作曲家となり、「E.S.P.」「ピノキオ」「ネフェルティティ」「サンクチュアリ」「フットプリンツ」「フォール」「プリンス・オブ・ダークネス」などの楽曲を提供した。マイルスのルーズなポスト・バップ・アコースティック・ジャズからエレクトロニック・ジャズ・ロックへの移行期の1968年末、ショーターはソプラノサックスを演奏するようになった[1]

並行するソロ活動

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この時期のショーターはソロ活動を並行して行い、ハードバップから無調のアバンギャルド、さらにはジャズ・ロックまでその領域を広げていた[1]。アルバムとして1964年の『ジュジュ』、1966年の『スピーク・ノー・イーヴル』、1967年の『アダムス・アップル』、1969年の『スキッツォフリーニア』 『スーパー・ノヴァ』といったすぐれた作品を立て続けに発表した。オールミュージックは『スピーク・ノー・イーヴル』について「ショーターは非常に独創的で珍しい作曲をしているにもかかわらず、ただのコルトレーンの弟子という不当な烙印を押されていたが、ついに本領を発揮した」と述べた[22]。さらに『アダムス・アップル』について「ショーターが最も充実していた時期に発表した作品の中で最高の作品。ショーターはすでに独自の演奏スタイル、卓越した作曲スタイル、サイドメンとの完璧なバランスのとれた関係を築きあげている」と評価した[23]

ウェザー・リポート

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ウェザー・リポート時代 (1981年)

1970年11月、ショーターは旧知の仲であったジョー・ザヴィヌル、ミロスラフ・ヴィトウスと組んでウェザー・リポートを結成した[1]。最初期はザヴィヌルの志向する実験的電子音楽の色彩が強かったが、頻繁なメンバー交代とともに音楽性も様々に変化した。ショーターはその中で15年にわたって在籍し、ザヴィヌルとともにグループを支えた。ショーターは1972年ごろから再びテナー・サックスを演奏するようになった。1970年代の最も創造的で影響力のあるバンドとして、世界中で絶大な人気を得た[24]。ウェザー・リポートは商業的にも成功し、『ダウン・ビート』誌の「ベスト・アルバム賞」を5回連続で受賞するなど、批評家の評価も高かった。

アルバム『ネイティヴ・ダンサー』

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ウェザー・リポート在籍中はソロ活動をほとんど行わなかったが、この期間の数少ないリーダー・アルバムの一つが1975年に発表した『ネイティヴ・ダンサー』であった。ブラジルのスターであるミルトン・ナシメントと組んだこのアルバムは、ハービー・ハンコックがアコースティックピアノとエレクトリックキーボードを担当、パーカッショニストのアイアート・モレイラが参加し、ブラジリアン・ジャズ・フュージョンの傑作となった[25]。ラテン・ジャズ・ネットワークは「ブラジル音楽とジャズのコラボレーションはこれ以前にも以後にも存在するが、これほど見事な構成と音楽性を持つものはない」と高く評価した[26]

1976年から1979年にかけてハービー・ハンコック、フレディ・ハバード、ロン・カーター、トニー・ウィリアムスらとV.S.O.P.クインテットとしてライブ活動を行った[1]

また、ジョニ・ミッチェルスティーリー・ダンカルロス・サンタナらとのレコーディング活動も行った。

リーダーバンド期

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ウェザー・リポートは1985年に実質的な解散となった[27]。この年、10年ぶりのリーダー・アルバム『アトランティス』を発表し、意欲的なツアーを行った。続く『ファントム・ナビゲーター』『ジョイ・ライダー』とソロ・アルバムを発表した後は再びセッション活動等に重点を置き、1989年には、元イーグルスドン・ヘンリーのヒット曲「The End of the Innocence」に参加し全米8位となった。

1995年、7年振りとなるリーダー作『ハイ・ライフ』を発表し、第39回グラミー賞において、ベスト・コンテンポラリー・ジャズ・パフォーマンス賞を受賞した[28]

1996年、ツアー中に、トランス・ワールド航空800便墜落事故により妻を亡くした。夫を驚かせるために、訪ねることを事前に伝えずに搭乗したという。ショーターは1985年、重度の脳性小児マヒであった娘を亡くしている。

1997年、ローリング・ストーンズの『ブリッジズ・トゥ・バビロン』に参加。1998年にはハービー・ハンコックの『ガーシュウィン・ワールド』にゲスト参加した。

2001年、ハンコックの『フューチャー・2・フューチャー』とマーカス・ミラーの『M²』に再び参加した。

アコースティック・カルテットから晩年

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2000年、ダニーロ・ペレスジョン・パティトゥッチブライアン・ブレイドと共に新生アコースティック・カルテットを結成しライブ活動を行った。2002年にはこのグループ初のアルバム『フットプリンツ〜ベスト・ライヴ!』を発表した。

2003年、『アレグリア』は高い評価を受け[29][30][31]、2004年の第46回グラミー賞において最優秀ジャズ・インストゥルメンタル・アルバム賞および最優秀インストゥルメンタル・コンポジション賞(「Sacajawea」)を受賞した[32][33]

近年のショーター (2006年)

2005年、『ビヨンド・ザ・サウンド・バリアー』は2002年から2004年にかけてヨーロッパ、アメリカ、アジアの3大陸で行われたライブを収録した。第48回グラミー賞最優秀ジャズ・インストゥルメンタル・アルバム賞を受賞した[34]

2013年、『ウィズアウト・ア・ネット』は、1971年の『オデッセイ・オブ・イスカ』以来、43年ぶりにブルーノートからのアルバムとなった。「Orbits」で第56回グラミー賞の最優秀インプロヴァイズド・ジャズ・ソロ賞を受賞した[35]

2018年、『エマノン』は、2013年にオルフェウス室内管弦楽団と共演した4部構成の組曲と、2016年に行われたライブを収録した2枚の計3枚組の作品となった。第61回グラミー賞最優秀ジャズ・インストゥルメンタル・アルバム賞を受賞した[36]

2023年3月2日ロサンゼルスにて死去[37]。89歳没。

ディスコグラフィ

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リーダー・アルバム

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録音年 発表年 タイトル レーベル 備考
1959 1960 イントロデューシング・ウェイン・ショーター
Introducing Wayne Shorter
Vee-Jay
1960 1974 セカンド・ジェネシス
Second Genesis
Vee-Jay
1961 1962 ウェイニング・モーメンツ
Wayning Moments
Vee-Jay
1964 1964 ナイト・ドリーマー
Night Dreamer
Blue Note
1964 1965 ジュジュ
JuJu
Blue Note
1964 1966 スピーク・ノー・イーヴル
Speak No Evil
Blue Note
1965 1979 ザ・スースセイヤー (予言者)
The Soothsayer
Blue Note
1965 1966 エトセトラ
Etcetera
Blue Note
1965 1966 ジ・オール・シーイング・アイ
The All Seeing Eye
Blue Note
1966 1967 アダムス・アップル
Adam's Apple
Blue Note
1967 1969 スキッツォフリーニア
Schizophrenia
Blue Note
1969 1969 スーパー・ノヴァ
Super Nova
Blue Note
1970 1974 モト・グロッソ・フェイオ (アマゾン河)
Moto Grosso Feio
Blue Note
1970 1971 オデッセイ・オブ・イスカ
Odyssey of Iska
Blue Note
1974 1975 ネイティヴ・ダンサー
Native Dancer
Columbia ミルトン・ナシメントと共演
1985 1985 アトランティス
Atlantis
Columbia
1987 1987 ファントム・ナビゲーター
Phantom Navigator
Columbia
1988 1988 ジョイ・ライダー
Joy Ryder
Columbia
1988 2007 モントルー・ジャズ・フェスティバル 1988
Live at the Montreux Jazz Festival 1988
Image Entertainment カルロス・サンタナと共演
1995 1995 ハイ・ライフ
High Life
Verve 第39回グラミー賞dagger
1997 1997 1+1
1+1
Verve ハービー・ハンコックと共演
2002 2002 フットプリンツ〜ベスト・ライヴ!
Footprints Live!
Verve
2003 2003 アレグリア
Alegría
Verve 第46回グラミー賞double-dagger
2002–2004 2005 ビヨンド・ザ・サウンド・バリアー
Beyond the Sound Barrier
Verve 第48回グラミー賞double-dagger
2010 2013 ウィズアウト・ア・ネット
Without a Net
Blue Note
2016 2018 エマノン
Emanon
Blue Note 第61回グラミー賞double-dagger

dagger最優秀コンテンポラリー・ジャズ・パフォーマンス

double-dagger最優秀ジャズ・インストゥルメンタル・アルバム

受賞歴

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グラミー賞

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作品 備考
1979 22 8:30[38] 最優秀ジャズ・フュージョン・パフォーマンス ウェザー・リポートとして受賞
1987 30 Call Sheet Blues[39] 最優秀インストゥルメンタル作曲賞 ロン・カーター、ハービー・ハンコック、ビリー・ヒギンズとともに受賞
1994 37 A Tribute To Miles[40] 最優秀ジャズ・インストゥルメンタル・パフォーマンス ロン・カーター、ハービー・ハンコック、ウォレス・ルーニートニー・ウィリアムスとともに受賞
1996 39 ハイ・ライフ[28] 最優秀コンテンポラリー・ジャズ・パフォーマンス
1997 40 Aung San Suu Kyi[41] 最優秀インストゥルメンタル作曲賞 『1+1』収録、ハービー・ハンコックとともに受賞
1999 42 In Walked Wayne[42] 最優秀ジャズ・インストゥルメンタル・ソロ J・J・ジョンソン『Heroes』収録
2003 46 アレグリア 最優秀ジャズ・インストゥルメンタル・アルバム
2003 46 Sacajawea[33] 最優秀インストゥルメンタル作曲賞 アレグリア』収録
2005 48 ビヨンド・ザ・サウンド・バリアー 最優秀ジャズ・インストゥルメンタル・アルバム
2013 56 Orbits 最優秀インプロヴァイズド・ジャズ・ソロ 『Without a Net』収録
2018 61 Emanon 最優秀ジャズ・インストゥルメンタル・アルバム

その他受賞

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1996年:モントリオール国際ジャズフェスティバル・マイルス・デイヴィス賞[43]

1998年:NEAジャズ・マスターズ[44]

1999年:バークリー音楽大学名誉音楽博士号[45]

2014年:アカデミー・オブ・アチーブメントのゴールデン・プレート賞[46][47]

2017年:ポーラー音楽賞英語版[48]

2017年:ショック賞音楽芸術部門[49]

2018年:ケネディ・センター名誉賞[50][51]

2021年:ドリス・デューク・パフォーミング・アーティスト賞[52][53]

出典

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