イアン・カー
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イアン・カー Ian Carr | |
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生誕 | 1933年4月21日 |
出身地 | イギリス スコットランド、ダンフリーズ |
死没 | 2009年2月25日(75歳没) |
ジャンル | ハード・バップ、ジャズ・ロック(ジャズ・プログレッシヴ・ロック) |
職業 | ミュージシャン、作曲家、著作家 |
担当楽器 | トランペット、フリューゲルホルン |
共同作業者 |
ニュークリアス ユナイテッド・ジャズ+ロック・アンサンブル |
イアン・カー(Ian Carr、1933年4月21日 - 2009年2月25日 )は、スコットランド・ダンフリーズ出身のジャズ・トランペット、フリューゲルホルン、キーボード奏者。
経歴
[編集]17歳から独学でトランペットを吹き始めた。大学英文学専攻、卒業後、1960年から1962年にかけて弟マイク・カー等が組んでいたニューカッスルのバンド、エムシー・ファイヴ(EmCee Five)に加入し音楽活動を開始。ロンドン進出後の1963年、サキソフォン奏者のドン・レンデルと双頭クインテット、ドン・レンデル&イアン・カー・クインテットを結成した。それから6年の間にグループは『ダスク・ファイア』等、5枚のアルバムを吹き込んだ。 1960年代、ニール・アードレイ指揮のニュー・ジャズ・オーケストラと共演したり、アルト・サックス奏者のジョー・ハリオットとアルバムを録音した。
1969年、クインテット解散後にジャズ・ロック・グループのニュークリアスを結成。革新的なジャズ・ロックサウンドで一世を風靡した。メンバーにはカール・ジェンキンス、ブライアン・スミス、クリス・スペディング、ジョン・マーシャル等が在籍した。ニュークリアスは12枚のアルバム(バンド名義のものもあれば、カー名義のものもある)を発表し、国際的にキャリアを認められていった。デビューした年にはモントルー・ジャズ・フェスティバルで初の賞を受賞し、ファースト・アルバム『エラスティック・ロック』をリリース、ニューポート・ジャズ・フェスティバルやヴィレッジ・ゲート・ジャズ・クラブで演奏した。その他にもジョン・マクラフリン、マイケル・ガーリック等と共演。1975年からはユナイテッド・ジャズ+ロック・アンサンブルに参加、約30年間活動する。演奏テクニックはハイレベルでスタイルはマイルス・デイヴィスに影響を受けたハード・バップが基本だが、共演者やその作品に対し柔軟に呼応する。
レーベルはコロムビア等に録音を残している。
またカーは、セッション・ミュージシャンとしてニコ、No-Man、フォルトラインなどジャズ以外のフィールドで仕事することもあった。
ミュージシャンとしてだけではなく文筆家としても知られており、マイルス・デイヴィス、キース・ジャレットをはじめとしたジャズに関する著作を数多く残している。
2009年2月25日死去。75歳。
ディスコグラフィ
[編集]エムシー・ファイヴ
[編集]- Let's Take Five (1961年)
- 『ビバップ・フロム・ジ・イースト・コースト』 - Bebop from the East Coast (1962年)
ドン・レンデル&イアン・カー・クインテット
[編集]- 『シェイズ・オブ・ブルー』 - Shades of Blue (1964年)
- 『ダスク・ファイア』 - Dusk Fire (1966年)
- 『フェイズ・スリー』 - Phase III (1968年)
- 『チェンジ・イズ』 - Change Is (1969年)
- 『ライヴ』 - Live (1969年)
- Live in London (2003年) ※1965年録音
- Original 1964-68 Recordings/Live from the Antibes Jazz Festival (2007年)
- 『ライヴ・アット・ザ・ユニオン1966』 - Live at the Union 1966 (2010年)
ニュー・ジャズ・オーケストラ
[編集]- Western Reunion (1965年)
- Le Dejeuner sur L'Herbe (1966年)
ニュークリアス
[編集]参考文献
[編集]- ジャズ批評編集部編 編『JAZZトランペット』松坂〈ジャズ批評ブックス〉、2001年、64-65頁。ISBN 491555709X。
- 『季刊ジャズ批評別冊 ヨーロッパのジャズ・ディスク1800』、松坂、1998年、87-88頁。