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マイク・ローウェル

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マイク・ローウェル
Mike Lowell
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 プエルトリコの旗 プエルトリコ自治連邦区サンフアン
生年月日 (1974-02-24) 1974年2月24日(50歳)
身長
体重
6' 4" =約193 cm
210 lb =約95.3 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 三塁手
プロ入り 1995年 MLBドラフト20巡目(全体562位)でニューヨーク・ヤンキースから指名
初出場 1998年9月13日
最終出場 2010年10月2日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

マイケル・アベレット・ローウェルMichael Averett Lowell, 1974年2月24日 - )は、プエルトリコサンフアン出身の元プロ野球選手三塁手)。右投右打。

経歴

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プロ入りとヤンキース時代

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1995年MLBドラフトニューヨーク・ヤンキースから20巡目(全体562位)指名され、入団。

1998年9月13日にメジャーデビューし、8試合に出場する。ヤンキースでは将来を嘱望された若手有望株だった[1]

マーリンズ時代

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1999年2月1日にエド・ヤーナルらとのトレードでフロリダ・マーリンズへ移籍。ケビン・オーリーと三塁のレギュラーを争うと見られていたが、スプリング・トレーニング期間中に行われた身体検査で睾丸ガンが発覚[1]。放射線による治療を受けリハビリに専念し、5月29日にメジャー復帰を果たす。この年は97試合に出場して打率.253、12本塁打、47打点を記録、シーズン終了後には、難病や逆境を克服した選手に贈られる「トニー・コニグリアロ賞」を受賞した。

2001年に自身初の100打点を記録。

2002年には44二塁打(リーグ2位)を記録し、初めてのオールスター出場も果たした。

2003年には本塁打と打点で自己最高を記録。チームはワールドシリーズに進出し、球団2度目となるワールドシリーズ優勝に貢献し、自身もシルバースラッガー賞を受賞した。シーズン終了後には「2004年11月までに新球場建設プランが固まっていない場合はチームを出てもよい」という条項を入れ[2]、4年総額3200万ドルの契約に合意[3]

2004年は27本塁打、85打点と前年より悪化したが、打率.293は自己最高を更新。7月27日のフィリーズ戦では通算130本塁打を記録し、デレク・リーの球団記録を更新[4]。シーズン終了後、新球場の計画が暗礁に乗り上げていたが、4年契約の際に盛り込んだ新球場の条項をなくし、新たに3年総額2550万ドルで契約延長[3]2005年は打撃面で序盤からスランプに陥り、規定打席到達者の中ではリーグワーストの打率.236に終わったが、守備面は高く評価されてゴールドグラブ賞を受賞した。

レッドソックス時代

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2004年シーズン終了後、マーリンズは年俸総額削減のため主力選手の多くを放出し、ローウェルもジョシュ・ベケットとともにボストン・レッドソックスへトレードされた。若い先発投手を獲得して常勝球団を築くことを目論んでいたレッドソックスが欲しかったのは当時25歳のベケットであり[5]、前年不調に陥っていたベテランのローウェルはマーリンズが「抱き合わせ」としてレッドソックスに押し付けたようなものだった[6]

それでも2006年から、ローウェルはレッドソックスで正三塁手としてプレイ。普通の球場だったら本塁打だった左翼方向ライナー性の打球が本拠地のフェンウェイ・パークではグリーン・モンスターに当たり二塁打となった[7]。47二塁打(リーグ3位)を記録し、前年の不振から復活。

2007年デビッド・オルティーズらを上回るチーム最多・リーグ5位の120打点を記録した。またポストシーズンでも活躍し、ワールドシリーズでは打率.400を記録してレッドソックスのワールドシリーズ優勝に貢献し、シリーズMVPを受賞した。シーズン終了後にローウェルはフリーエージェント(FA)となった。このとき、レギュラーシーズンでMVPを受賞した同じ三塁手のアレックス・ロドリゲスもFAとなっていた。しかしボストンでは、ロドリゲスの獲得は見送ってローウェルと再契約すべきだ、という声が大きかった[8]。ローウェルのもとにはフィリーズドジャースから4年総額5500万ドルから6000万ドル規模のオファーが来ていたというが[9]、ローウェルはレッドソックスと3年総額3750万ドルで新たに契約し残留した[10]

2008年はレギュラー定着後ワーストの113試合の出場に終わり、タンパベイ・レイズとのアメリカンリーグチャンピオンシップシリーズを欠場している。

2009年も119試合にしか出場せず、2年連続で規定打席に到達しなかったが、同じく2年連続で17本塁打を放ち、打率と打点は共に2008年を上回る.290、75打点という数字を残した。

2010年は同じ三塁手のエイドリアン・ベルトレの加入で出番が激減、6月にはAAAポータケットに下がっていたが、8月にケビン・ユーキリスの故障で再昇格し一塁手として出場した。しかしローウェルはこの年限りでの引退を決意[11]。10月2日のフェンウェイ・パークでの対ヤンキース戦の試合前に引退セレモニーが行われた。

選手としての特徴

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詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1998 NYY 8 15 15 1 4 0 0 0 4 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .267 .267 .267 .534
1999 FLA 97 344 308 32 78 15 0 12 129 47 0 0 0 5 26 1 5 69 8 .253 .317 .419 .736
2000 140 582 508 73 137 38 0 22 241 91 4 0 0 11 54 4 9 75 4 .270 .344 .474 .818
2001 146 614 551 65 156 37 0 18 247 100 1 2 0 10 43 3 10 79 9 .283 .340 .448 .788
2002 160 677 597 88 165 44 0 24 281 92 4 3 0 11 65 5 4 92 16 .276 .346 .471 .817
2003 130 557 492 76 136 27 1 32 261 105 3 1 0 6 56 6 3 78 14 .276 .350 .530 .880
2004 158 671 598 87 175 44 1 27 302 85 5 1 0 3 64 8 6 77 17 .293 .365 .505 .870
2005 150 558 500 56 118 36 1 8 180 58 4 0 1 9 46 1 2 58 14 .236 .298 .360 .658
2006 BOS 153 631 573 79 163 47 1 20 272 80 2 2 0 7 47 5 4 61 22 .284 .339 .475 .814
2007 154 653 589 79 191 37 2 21 295 120 3 2 0 8 53 4 3 71 19 .324 .378 .501 .879
2008 113 468 419 58 115 27 0 17 193 73 2 2 0 6 38 2 5 61 14 .274 .338 .461 .799
2009 119 484 445 54 129 29 1 17 211 75 2 1 0 5 33 5 1 61 24 .290 .337 .474 .811
2010 73 244 218 23 52 13 0 5 80 26 0 0 0 3 23 1 0 34 9 .239 .307 .367 .674
MLB:13年 1601 6498 5813 771 1619 394 7 223 2696 952 30 14 1 84 548 45 52 817 170 .279 .342 .464 .805
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績

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三塁(3B) 一塁(1B) 二塁(2B)




































1998 NYY 7 2 5 0 1 1.000 - -
1999 FLA 83 59 143 4 12 .981 - -
2000 136 102 260 12 19 .968 - -
2001 144 107 261 9 35 .976 - -
2002 159 150 286 14 36 .969 - -
2003 128 84 243 9 27 .973 - -
2004 154 117 272 7 30 .982 - -
2005 135 107 243 6 34 .983 - 8 18 13 1 3 .969
2006 BOS 153 143 314 6 39 .987 - -
2007 154 105 264 15 34 .961 - -
2008 110 80 217 10 20 .967 - -
2009 107 82 174 9 14 .966 - -
2010 4 2 6 0 1 1.000 43 310 24 2 35 .994 -
MLB 1474 1140 2688 101 302 .974 43 310 24 2 35 .994 8 18 13 1 3 .969

表彰

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記録

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背番号

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  • 60(1998年)
  • 28(1999年)
  • 19(2000年 - 2005年)
  • 25(2006年 - 2010年)

脚注

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  1. ^ a b 「各球団マンスリー・リポート フロリダ・マーリンズ」『月刊メジャー・リーグ』1999年5月号、ベースボールマガジン社、1999年、雑誌 08625-5、78頁。
  2. ^ 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2005』廣済堂出版、2005年、260頁頁。ISBN 978-4-331-51093-3 
  3. ^ a b Associated Press (2004年10月29日). “3B will stay with team regardless of stadium deal” (英語). ESPN.com. 2009年7月14日閲覧。
  4. ^ Frisaro, Joe (2004年7月27日). “Marlins battle back to .500” (英語). MLB.com. 2009年7月14日閲覧。
  5. ^ 出野哲也 「レッドソックスの野望──松坂大輔、ジョシュ・ベケット、ジョナサン・パペルボン 若き3人のエースたち」 『月刊スラッガー』2007年3月号、日本スポーツ企画出版社、2007年、雑誌15509-3、6-9頁。
  6. ^ 三尾圭 「ポストシーズン・シリーズ別詳報 WS ワールドシリーズ 必然の勝利」 『月刊スラッガー』2008年1月号、日本スポーツ企画出版社、2007年、雑誌15509-1、10-13頁。
  7. ^ 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2007』廣済堂出版、2007年、76頁頁。ISBN 978-4-331-51213-5 
  8. ^ ナガオ勝司 「第一特集 連覇への課題[レッドソックス特集] 打撃陣/その他の主力打者」 『月刊メジャー・リーグ』2008年4月号、ベースボール・マガジン社、2008年、雑誌08625-4、10頁。
  9. ^ 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2008』廣済堂出版、2008年、45頁頁。ISBN 978-4-331-51300-2 
  10. ^ Ian Browne / MLB.com, "Lowell, Sox relationship continues / Boston re-signs veteran third baseman to three-year contract," The Official Site of The Boston Red Sox, November 20, 2007. 2008年1月15日閲覧。
  11. ^ It’s official: Lowell’s retiring BostonHerald.com 2010年9月11日

関連項目

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外部リンク

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