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Wikipedia:井戸端/subj/存命人物の掲載拒否権

存命人物の掲載拒否権

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存命人物の掲載拒否権みたいなルールがあってもいいと思い、皆さんがどう思われるか伺いたく議題提起いたしました。おそらくWP:CENSORと対立する概念だと思うので、元々の要件を厳しくしてあります。今のところ考えているのはざっくりですがこんな感じです。

  • 存命人物本人(以下依頼者)からのみ申請できる
  • 依頼者は、ノートとその他自分の発信できるメディア、あるいは編集者とのメールによって、依頼者が掲載されている本人であることを証明する必要がある
  • できるのは「全掲載拒否」のみ(WP:NOTADVERTISINGなど)
  • 基本的にWikipediaのルールに則って削除する。ルールを無視して編集を続ける、注意してもやめない、掲載拒否に非協力的などあまりに悪意的だと判断できる場合、対処する編集者は対処そのものを拒否できる(個々の基準はもう少し細かく、ただしある程度融通が利くようにする)
  • その他はWikipedia:存命人物の伝記Wikipedia:五本の柱などに従う
  • 依頼者が死亡した場合権利は失効する
  • 適応できるのは私人のみ
  • 依頼者、執筆者、編集者お互いを尊重する議論を心掛ける
  • 依頼者は具体的に理由を明記する。内容に不備がある場合、対処する編集者は対処そのものを拒否できる
  • 一度申請すると、改めて申請できるのは対処された日から3年後となる。ただ、あまりに対処者の対処に不備がある場合、一度だけ依頼者は不備申し立てを可能とする
  • 対処する側は被依頼者、対処者、確認者を設置し、お互いに判断や行動が適切かチェックする。うち一人は管理者権限を持つものとする
  • 後の存命人物の要件が変わった場合、編集者は再審査を申し出ることができる

管理者が現在少ないため負担が大きいとは思いますが、まあ一度考えてみてもいいのではないかと思っています。ひとまずお互いの考えを否定せず、①賛否②理由③その他提案④質問などが伺えるといいなと思っています(ブレインストーミングみたいなイメージで)。関連する話題などをご存知の方はそちらもお知らせください。宜しければ皆さんの意見をお聞かせください。--遡雨祈胡会話2017年2月18日 (土) 03:10 (UTC)[返信]

  • コメント 1番目のコメントですが、賛否としては否定的です。「私人のみ」適用可能という基準をWP:PERSON基準に考えるとして(別なところにラインを引く前提ならお知らせください)、ライン以上であれば本人依頼による掲載拒否は結局できない、逆にライン未満であればこのルールがなくてもWP:DEL#Eで削除すべきものとなる、ということで、結局「ルールが増えただけでやるべきことはほぼ変わらない」という、無用の長物にしかならないと考えます(WP:DEL#Eに「WP:PERSONを満たさない本人からの依頼」というように付け加えておく程度であれば、そこまで気にするほどでもないと思いますが)。--Jkr2255 2017年2月18日 (土) 03:23 (UTC)[返信]
    • 返信 すみません、説明不足でした。一応私の考える公人は「公務についている/ついていた方」という定義です。私人はそれ以外の方のつもりで書いています。じゃあみなし公人はどうなるんだ、という点についてはまだ細かく定義しておりません。--遡雨祈胡会話2017年2月18日 (土) 03:34 (UTC)[返信]
  • コメントまだ新参の身で僭越ながら。私もどちらかと言えば否定的です。理由はRabit gtiさんが下の(1)で述べられている様に、(WP:NOTADVERTISINGも含めて)ガイドラインに沿った情報であれば、本人にとってwikipediaからだけ削除するメリットは気分的なものでしかなく、閲覧者のデメリットだけが残ってしまうように思います。後日(同様に依頼なさった結果)出典から削除された場合はどうなのかという話は残りますが。またそれ以前の問題として(2)にも同意します。実際問題として厳しいでしょうね。--Hiroes会話2017年2月18日 (土) 06:12 (UTC)[返信]
    • 返信 (Hiroesさん宛) 別に新しくユーザー取得された方といっても、議論に参加してはいけないというルールがある訳でもありませんし、当方としてはご意見を伺えてうれしく思っております。一度意見をまとめたので、議論については下方をご確認いただければ幸いです。--遡雨祈胡会話2017年2月25日 (土) 14:30 (UTC)[返信]

関連する話題

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コメント忘れられる権利のような概念とは思いますが、個人的には必要性が無く、却って有害かと思います。上記「関連する話題」などで多数の議論もありますが、(1)Wikipedaは信頼できる出典から、特筆性ある対象のみを記載しており、個人情報などは記載されない。仮にそのガイド通りであれば、既に世間に周知の情報を、プライバシーに問題ない範囲で記載しており、問題あるものは対応されている。(2)Wikipediaは誰でも自由に参加できる百科事典で、言語別はあるが国別でもなく、案のような運用が、良くも悪くも、そもそも実現可能性がほとんど無い (3)日本や海外の、国家指導者、政治家、政党、宗教関係者、著作家などから申請されれば、事実上の検閲になる。(4)そもそも「本人」確認が困難。弁護士など代理でも良いのか、仮に本人でも自由意思なのか(それらの判断基準も各国でも異なる)。(5)まずはWikipediaとは何かを先に議論した方が良いのではないでしょうか。--Rabit gti会話2017年2月18日 (土) 03:31 (UTC)[返信]

返信 お返事ありがとうございます。1に関しては前提としてはそうだけど、実際全てそれで上手く行っているわけではない、という気がします。2については日本語版Wikipediaに関してだけとりあえず考えていました。3は上にも書きましたが「日本や海外の、国家指導者、政治家、政党」は公人は「公務についている/ついていた方」に該当すると思います。後者二つは……該当しますから、検閲になる可能性が高いですね。思慮が足りませんでした。4は確かにどこまで、なので(やるのであれば)基準はこちらで設定してしまっていいと思います。5はすみません、膨大過ぎてどう繋げるのかが今ひとつピンときていません。当方はひとまずこういう考えでおります。--遡雨祈胡会話2017年2月18日 (土) 05:40 (UTC)[返信]

(コメント)存命人物の意思やプライバシーをできるだけ尊重したい派の人間ですが、このルールは無理筋ではと思います。極論ですけど、存命中のマイケル・ジャクソンでさえも、掲載拒否の意思が示されれば削除するということですよね。もう一方の権利である表現の自由や知る権利を抑制し過ぎる結果に繋がる恐れがあります。それよりも、存命人物の記事立項に対しては特筆性(記事作成目安)を――ガイドライン策定時においても実運用時においても――シビアに吟味していくことが大事だと思いますし、そっちの方が現実的に思います。例えば、存命人物の記事に対しては、方針・ガイドライン上において「特筆性がないようなら削除依頼することもできるよ」ではなく「特筆性がないようなら削除依頼してください」ぐらいの方向へ舵を切ってもいいと思います。問題投稿の可能性を下げるために、前に井戸端で見かけたアイデアの「存命人物記事は全て半保護運用」ぐらいやっても妥当かなと思います。--Yapparina会話2017年2月25日 (土) 13:59 (UTC)[返信]

コメントすみません、一旦内容を確認を兼ねて纏めてみました。間違いがあればご連絡下さい。

1. まず全体的にこのルールじゃ運用は現実的ではないので反対
→とりあえずこの点から当方の提案内容では難しそうなので、この話はこれで打ち切りでいいと思っております。考えが足りずすみません。
2. ただ、存命人物のプライバシーについては「なんとかしたほうがいいのでは?」という方と「いやいや、表現の自由が大事でしょう」という方に分かれる。
3. 2のプライバシー尊重派の意見としては「WP:DEL#Eに「WP:PERSONを満たさない本人からの依頼」に追加(Jkr2255さん)、「特筆性がないようなら削除依頼するよう文面を変更」「存命人物記事は全て半保護運用(関連する話題:Wikipedia:井戸端/subj/「査読」「公開」システム導入の提案のNami-jaさんのコメントと想定)」(Yapparinaさん)など、いくつかアイデアがある

当方の認識としては以上になります。それで、もしよければ2や3についてお話しした方が有意義になるかと考えているのですが如何でしょうか。何かコメントを頂けると幸いです。--遡雨祈胡会話) 2017年2月25日 (土) 14:30 (UTC)細部修正。--遡雨祈胡会話2017年2月25日 (土) 14:31 (UTC)[返信]