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Wikipedia:井戸端/subj/「ニュース速報ではありません」はどこから出てきた概念なのか?

『ニュース速報ではありません』というのはいったいどこから出てきた概念なのか?

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「ニュース速報ではありません」という日本語版条文の検証

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Wikipedia:ウィキペディアは何でないかの「ウィキペディアは単なる知識ベースではありません」

5 ニュース・ニュース速報の場所ではありません。ウィキペディアでは、突発的な出来事の報告をするべきではありません。ニュースに採り上げられる速報的な話題はしばしば誤っていたり情報不足だったりしますし、またしばしば十分な考察や多面的な視点を欠くものです。最新の出来事についての速報はウィキニュースの領分です。しかし、現在ニュースの話題になっている事柄に関し、百科事典的な記述として記事を作ることは良いことです。いくつかの例をPortal:最近の出来事で見てください。現在起きている出来事を歴史的視点から見た百科事典の記事として作られている範囲において、人々の間で共同的にしかも分単位で更新していくことをウィキの仕組みが助けてくれるはずです。もしあなたが最近のニュースを更新する場合、数年後に読んでも文意が変わらないように、過去形を使って記述してください。

という項目についてですが、この「ニュース速報ではありません」とフレーズはいたるところで頻繁見かけられ、どうも拡大解釈、POV気味に乱用されているのではないか?という懸念があります。 青森朝日放送を見ていたのですが、「短期保護 編集過剰 ニュース速報にあらず 」という理由をもって保護されてしまいました。 [1] 結構、こういうのは散見されており、目立つイベントについては短期間に編集が集中するのは当たり前のことであって、たとえば、四川大地震なんかは、まさにその原理によってリアルタイムに進行中の出来事ながら多数の編集により、まともな記事に仕上がっていると思います。

青森朝日放送が保護された理由「ニュース速報でない」という理由をもって同様に四川大地震を1ヶ月保護依頼した利用者もおり、おそらくは根底にこのニュース速報は悪いことである、という信念みたいなものがあるようです。Wikipediaの基本方針と照らし合わせても、そもそもなんで「ニュース速報」はいけないのか?という合理的説明は導き出されません。

その弊害については、Wikipedia:性急な編集をしないという、各記事のノート、または個別のウィキプロジェクトなどで、速報的な記述に関して合意が形成された場合、上記ガイドラインの例外として認められます。ただし、合意意見が圧倒的に多い場合を除いて自粛が推奨されます(あくまで自粛であり、禁止ではない点に注意してください)。ウィキペディア日本語版の考慮すべきガイドラインがありますが、このけっこう控えめな表現のガイドラインをWikipedia:ウィキペディアは何でないかという日本語版の公式な方針の「ニュース速報ではありません」が実質上書きして、かなり強制力を振るっている(少なくとも乱用気味に使用している利用者にとっては強制力として利用されている。)ように見えます。

また、類似の事例としてWikipedia‐ノート:保護の方針/仮運用の試行で多くの反対があり、実際問題点が露見しました。この速報性、性急の判断にはより慎重であるべきだという潮流が出てくる一方で、依然「ニュース速報ではありません」というもっとも頻繁に使われているフレーズについては十分吟味されていないと感じられます。

英語版をみていると、こういうニュース速報でない、というフレーズはまったくといって使われておらず、実際のところリアルタイム、イベント感のある立項、編集には非常に寛容であるというか、そもそもたくさんの編集者の注目が集まって編集が集積されて記事はなんぼ、というWikipediaの根本原理がそのまま利点として現れているように見えます。

要するに、日本語版の「ニュース速報ではありません」という文化は結構な独自路線、本家の英語版とは乖離している路線であり、Wikipediaの根本原理が十分にその功罪が吟味されていない、または乱用され気味な余剰なルールによって損なわれている可能性が極めて強いと危惧します。

このあたり、英語版のなんでないか?はどうなっているか?というと、

en:Wikipedia:What Wikipedia is not

Wikipedia is not an indiscriminate collection of information

Further information: Wikipedia:Notability

5 News reports. Wikipedia considers the historical notability of persons and events. News coverage can be useful source material for encyclopedic topics, but not all events warrant an encyclopedia article of their own. Routine news coverage of such things as announcements, sports, and tabloid journalism are not sufficient basis for an article. Even when an event is notable, individuals involved in it may not be. Unless news coverage of an individual goes beyond the context of a single event, our coverage of that individual should be limited to the article about that event, in proportion to their importance to the overall topic. (See Wikipedia:Biographies of living persons for more details.) While including information on recent developments is sometimes appropriate, breaking news should not be emphasized or otherwise treated differently from other information. Timely news subjects not suitable for Wikipedia may be suitable for our sister project Wikinews.

と冒頭にNews Reportとあるものの、注目すべきことに実際それが意味するところは、この節の最初で示した「ニュース速報でない」の文章が意味するところとは本質的に異なります。そこに書いていることの中心概念とは notability つまりWikipedia:特筆性です。速報禁止的なフレーズはどこにも存在しません。

前提として、英語版と日本語版の方針がシンクロしている必要はないのは当然ですが、この方針は結構根本的なものであり、ローカライズされた日本語版の特殊な事情であるからずれがある、ということであれば、それはなんでなんか?という疑問が当然出てきます。少なくともニュース速報性について日本国あるいは日本語話者特有の事情など存在しません。

もし、現在のニュース・ニュース速報の場所ではありません。というのが英語版をもとにした翻訳であるならば、現在のものは本質的かつ結構な誤訳であり、もし、日本語版が独自にこのような文面の合意に至って方針化された、というのであれば、Wikipediaの原理を損なうデメリットもあるこういう文面がどういう根拠で、どういう議論の経緯を経て現在の形になったのか、ちょっとここらで再検証してみる必要があると思います。

以下、ちょっと英語版になるだけ忠実に翻訳してみたらどういうことが書いているのか?

5.ニュースレポート。ウィキペディアでは、人、イベントの履歴的なWikipedia:特筆性(の英語版)が考慮されます。ニュース記事は百科事典の項目に有用なソースとなりますが、すべてのイベントがそれ自体、百科事典の項目として成立できるわけではありません。公式発表、スポーツ、タブロイド報道のような日常的にあるニュース記事はウィキペディアの一項目として十分な基礎を満たしていないでしょう。仮にあるイベントが特筆的であったとしても、特定個人が関わる項目には注意を要します。複数のイベントに関する特定個人についてのニュースでない限り、そのトピックの重要性特定個人についてのウィキペディアの記述はそのイベントに関連したもの限定であるべきであり、トピック内の重要性を超えるものであってはなりません。(詳細についてはWikipedia:存命人物の伝記(の英語版)を参照)。直近の進展状況についての情報を含ませるのは往々にして妥当ですが、ブレイキングニュース(最新の情報)をことさら強調したり、他の情報と異なる扱いをしてはいけません。ウィキペディアで扱うのには適当ではないタイムリーなニュース案件があるならば、それは姉妹プロジェクトであるウィキニュースで扱うほうが適当であるかもしれません。

繰り返しますが、特筆性について、記事のバランスについての文章です。速報性を排除する文章ではけしてありません。

Wikipedia is not an indiscriminate collection of informationという英語の項目は Wikipedia:特筆性)を何でないか?的に例示して列挙するための項目であることは、そのセクションに最初に明記してあり、ページ全体の構造的にも明らかです。

一方、日本語版のWikipedia:ウィキペディアは何でないかには、 ウィキペディアは単なる知識ベースではありませんという項目になっており、これは実はWikipedia:特筆性のことについて書いてあるものだという事実が、よくわからないものになっているのも不備で問題があります。さらに、#5と、日本語版の明らかに英語版の同じリストを踏襲したものであるのに、この特筆性について語っているリストの事例の文章であるのにもかかわらず、それには一切触れず、原文にはどこにもなかった速報性についてのみ書いてある、とめちゃくちゃなことになっています。

以上、翻訳したにしろ、英語版の過去のどのバージョンを翻訳したのか、という疑問はありますが、現状を見る限り、いろいろつっこみどころはあって、たとえば最新の出来事についての速報はウィキニュースの領分です。という文面、ウィキニュースでやってください、と捨て台詞のように使われるコメントの該当根拠文面は、英語版ではウィキペディアで扱えないニュース案件についてはウィキニュースのほうが良いかもしれませんと単なる親切な案内文のようなものが、いつのまにかそれが強制力をもつ公式方針として一人歩きしている感がけして否めません。

私は、今回アカウントを取る以前のIP編集も含め比較的新しい利用者であるので、どのようにして日本語版におけるニュース速報NG的な独自路線、風潮が醸成されていったのか、根拠文であるらしき上記の記述はどうやってコンセンサスを得て市民権を得たのか精査するのは限界がありますが、ちょっとみると、結構強権的に便利に利用されているわりには、おおもとをたどるといい加減なもんじゃないか?という疑惑を持っています。このあたり、経緯について詳しい方がおられれば教授していただくと助かりますし、少なくとも情報、意見を集めてこのあたり再検証してみたいと思っています。--Trans24 2008年7月7日 (月) 01:34 (UTC)[返信]

経緯は知りませんが、感じたことを率直に控えめに。
質も量も最高の百科事典を目指すならばある程度の速報は必要かもしれませんが、百科事典の域を激しく逸脱した速報編集があれば慎めという意見が出てもおかしくないと思います。んで、ドキュメントの文面と現状を考えると行き過ぎた速報編集はダメよってのが速報編集はダメよって流れになったのかなという印象があります。--Marine-Blue [ 会話 履歴 電信 ] 2008年7月7日 (月) 03:33 (UTC)[返信]
見出しに「ニュース速報ではありません」と言うのが書き加えられたのがこの版なのですが当時の過去ログを見てもこのことに合意形成が図られた形跡は無いので場合によっては削除しても良いと思われます。また現在の日本語版WP:NOT2005年2月9日に当時の英語版からの反映を行って以降は大きな変更はほとんど行っておらず、そのことも現状の英語版との乖離を生み出してしまっている一因と考えられます。この際現在の英語版との刷り合わせを行ってもよいのではないでしょうか。特にニュース云々に関してはTrans24さんのおっしゃられるように日本国あるいは日本語話者特有の事情はありませんので英語版にあわせて変えてしまっても良いかもしれません。--Web comic 2008年7月7日 (月) 04:04 (UTC)[返信]
利用者:Trans24会話 / 投稿記録 / 記録さんはWP:FXSTのソックパペットとして無期限ブロックを受けたようです。とはいえ提案自体はまともなものなんですよねえ。どうしましょ?--Web comic 2008年7月7日 (月) 04:14 (UTC)[返信]
ブロックされた靴下に編集権はありませんからこれ以上は相手にする必要はないでしょう。--hyolee2/H.L.LEE 2008年7月7日 (月) 04:25 (UTC)[返信]
◆誰か議論を引っ張っていく人がいればそのまま継続でいいんじゃないでしょうか。--iwaim 2008年7月7日 (月) 04:28 (UTC)[返信]
リンク先をみると、同じような意見のひとはそれなりにいるようですWikipedia‐ノート:保護の方針/仮運用/過去ログ1#「ニュース速報」的編集の解釈。とりあえず、この版を書いた、目蒲東急之介 さんにも事情を聞きたいというか、なんかかなり杜撰に昔はルールとか決まってそれが既成概念化してたんだなあという印象です。誰が出そうが、議論を切り捨てるのは愚かでしょう。Trans24 さんは、無期限ブロック者の模倣、ということですが、なんかよくブロック理由がわからないように思えます。前にIP一致なんかで特定したみたいなことを示唆したCUが叩かれていましたが、もしそうならCU権濫用になるんじゃなかったですか?ブロックした管理者さんが性急関連の議論に深く関わっていたようなのでなおさら、ブロック理由について説明をこの場で求めます。--119.72.16.210 2008年7月7日 (月) 04:35 (UTC)[返信]

えーと。ウィキペディアは百科事典です。この一文で、ニュースでもニュース速報の場所でもはないことは明らかです。百科事典とは何かを考えればよいのではないでしょうか。

そもそもなんですが、何か事が起きたときに、わーと編集が集中することは、「当たり前」のことなんかではないですね。事件が起きたときにすぐウィキペディアに反映させなければならないわけではありません。報道内容が正しいかどうかすらわからない(つまり検証すらなされていない)のに、どうして急いで書こうとするのかしら。事件や事故などは、1ヶ月、半年、1年くらい経ってから、事実が解明され、社会的影響なども明らかとなり、その事柄についての検証なども多方面から十分になされ、その時点で検証できる資料をもとにまとめていっても、全然遅くないと思います。ニュースとウィキペディアを同期させる必要なんか皆無です。そもそも、なぜ、事が起きて時間も経たないうちに流された「ニュース」なるものを信用するのでしょうか。そういうものを百科事典に持ち込むことへの疑問、もちこむ方の責任は、考慮されていないようです。

  1. ニュース速報っていうのはニュースなのでは。字面を追っても本質は射ることができません。--はるひ 2008年7月7日 (月) 05:05 (UTC)[返信]
でもそれはあくまで現状のウィキペディア「日本語版」における解釈でしょうね。英語版のWP:NOTでは特質性があるニュースに関しての立項・編集は禁止されていませんし。英語版においては特筆性のあるニュースはウィキペディアに立項してもいいがそうでないタイムリーなニュースはウィキニュースで(立項した方がいいかもしれない)ってことになってます。現在特筆性に関してはノートで議論中なのでこれ(特筆性のあるニュースとは何か)とあわせて話し合うのがいいかもしれません。--Web comic 2008年7月7日 (月) 05:17 (UTC)[返信]
はるひさんのコメントだけどね、ウィキペディアは百科事典ですっていうのは、ほんといろんな人が言っててよく聞くんだけどさ、ぶっちゃけ、そういう人ら思考停止してないだろうか?いままでの紙の百科事典と、こういう不特定多数がリアルタイム更新可能な新しいメディアが深い部分で性格が違うっていうのがあるから、こういう論点も出るし、性急関連の議論であれだけ意見が割れてゴタゴタしたんだと思うんだけどね。それを紙の百科事典基準にすべて統一するのはプロジェクトの性格として無理な話でね。だからいろいろルールが設定されてるんでしょ。百科事典って何か?って考えろ、ってだいたい、この節の提案者が方針に基づいて議論していること、あと、同じウィキペディアでも英語版と乖離している、ことをもって、百科事典について考えろじゃ話ははじまらないんだと思う。はるひさんの言ってることは性急保護の意見の当初の推進者の意見にすぎず、あとあと激しい反発にあったことを見ても、単なるあるサイドの意見で別に一般論として論じられるもんじゃない。単なる独自見解として承れるけども、この節のどっかでそれって合意あったわけ?みたいな答えにはなってない。--119.72.16.210 2008年7月7日 (月) 05:20 (UTC)[返信]

>事件や事故などは、1ヶ月、半年、1年くらい経ってから、事実が解明され、社会的影響なども明らかとなり、その事柄についての検証なども多方面から十分になされ、その時点で検証できる資料をもとにまとめていっても、全然遅くないと思います。

これについてだけど、Trans24さんのコメントにある四川大地震だけど、あなたの理屈で言ったら、あれは今現在も必要のない記事であるってことですか?リアルタイムに注目が集まってリアルタイムのソースで、それなりの人が編集加筆したらから時系列的にも興味深い記事が出来上がったんだと思うし、そういうのローカルHDDに保存して、数ヵ月後に加筆しろ、っていう人も出てくるけど、もうその時点でWikipediaって何か?って見失ってると思う。少なくとも、はるひさんの考えでいうと、現在、日本語版、英語版すべての言語版に四川大地震という項目は存在しえないし、数ヶ月に現状の記事レベルまでに迅速に成長する見込みは極めて低いと思う。なぜかというと、注目、興味が希薄になってるんで、編集する人らが現在まで編集可能であった場合に比較にならないほど少ないから。>検証なども多方面から十分になされ、その時点で検証できる資料をもとにまとめていって、とあるが、Wikipediaは、事故調査委員会の調査報告書ではありません。--119.72.16.210 2008年7月7日 (月) 05:38 (UTC)[返信]

大変興味深い話題と思います。サブページ化してみては如何でしょう?(私がやってみても良いのですが、井戸端からサブページを作成して議論を継続するケースについて未経験なので、齟齬があると困ると思います…他力本願で恐縮ですが…)--Kliment A.K. 2008年7月7日 (月) 08:20 (UTC)[返信]
◆俺も興味ある話題なのだけれど、出だしが良くなかった、かなぁとか(Web comicさん、hyolee2さん、iwaimさんの会話の流れから俺が感じた空気というか、なんかそういう感じです)。ある程度の経験があって、かつ議論を引っ張っていってくれそうな人が、しかるべきところで始めてくれれば、この話題ももっと意義があるものになるんじゃないかなあと。でもまあ、それには仕切り直しが必要な気がします。さらに個人的には、もう少し「性急保護」の件が落ち着いてからの方が煮詰めていけるんじゃないかとか思います。--ish-ka a.k.a.lisky@s.i.b! (talk/wikimail/contributions)2008年7月7日 (月) 08:48 (UTC)[返信]
  • 速報性についてですが、事件・事故のばあい、ほとんどのケースでWikipediaには「被害者名」や「容疑者名」を記載する事は出来ません(Wikipedia:存命人物の伝記)。話題提起者の方はまずこの点をご確認頂きたいと思います。新聞に被害社名や容疑者名が記載されていてもWikipediaには「特別の要件を満たしていない限りは」記載してはいけないのです。ほとんどの場合は記載してはいけないと思っておいて下さい。--ネコバット 2008年7月7日 (月) 08:41 (UTC)ああ、ソックパペットで引っかかっているのですか。さてさて。--ネコバット 2008年7月7日 (月) 08:53 (UTC)[返信]

サブページ化してみました。馴れないので不具合があったら修正願います。--Ks aka 98 2008年7月7日 (月) 09:02 (UTC)[返信]

◆「禁止されているかいないか」からよいとか、禁止されているからダメ、とか、そこはスタート地点ではないと思うんですよ。そもそも禁止するとかしないとか以前に、ウィキペディアは百科事典であるというスタート地点がありまして、百科事典はニュースサイトや新聞とは意味の異なる言葉ですから。なぜウィキペディアは百科事典であるというスタート地点から話を進めると思考停止なのかわかりません。

「四川大地震」の項目を挙げて、「必要ないということですか」とおっしゃっていますが、この議論も、わたしの発言も、「記事の必要性」についてではなかったはずです。もちろんいずれ必要なんでしょう。それが、何も正確な情報がわからない、情報が正しいかどうかすらもわからない、そんな時期には、わたしは要らないと思いますが。その時期に情報を提供するのは百科事典の役割ではなく、ニュースサイト・新聞その他報道メディアにお任せしたい。性急な立項という問題は、ただ時期が早いかどうかという単純な問題ではなくて、全体を俯瞰・鳥瞰すらできない時期、編集の材料の正確性や正当性すら検証できない時期、そういうときに、テレビだとかの流した「情報」を鵜呑みにして信用して書いてしまう、それが問題なんだと、わたしは個人的には思っています。全体像が明らかになって、きちんと多角的に検証できる時期になってから、記事の全体像をイメージして初版を投稿すればよい、と。
Wikipediaは、事故調査委員会の調査報告書ではありません というのは批判のおつもりだったのかもしれませんが、私もそんなことは言っていませんし、これはもう百科事典の記事を作るに当たって、どれだけ信頼できる根拠資料にあたる姿勢があるのか、の現れなんだろうなと思います。ウィキペディアンが「調査報告書」は作る立場ではないですから(WP:OR)。多角的な検証(検証という言葉がWIKIPEDIA:検証可能性を早期させちゃったのかな?)すら社会的に不十分な中で、どうしてその情報を、記事執筆の根拠として採用するのかなぁという疑問です。「調査報告書」のような資料がどこか信頼できる機関等で作成され、もしくは信頼できる多方面からのある程度確定的な評価等がでた段階で、そうしたものに拠って書く。それは、「質の高い百科事典」を作るにあたって、きちんと調べ、構成、推敲、校正し投稿する、という姿勢のひとつなのではないかなぁと思っていますが。--はるひ 2008年7月7日 (月) 10:12 (UTC)[返信]
このように主観的かつ建設的でもない水掛け論は本意ではないので、Wikipedia:井戸端#『ニュース速報ではありません』の議論をWikipedia:性急な編集をしないの公式方針化議論に統合一元化に継承させます。--軽流水 2008年7月7日 (月) 11:20 (UTC)[返信]
はい、ニュース速報ではない、ということについては、そもそも「百科事典であること」から自明ですので、もともと議論の設定がおかしいんでしょうね。「特筆性」など、ニュース速報的な段階で誰が判断できるのでしょう。そもそもが建設的でなく実質的な意味を持たない議論なんじゃぁないでしょうか。--はるひ 2008年7月7日 (月) 11:58 (UTC)[返信]
すでに書いてあるとおり、「百科事典である」と何度もリピートすることは、「ウィキペディアは紙の百科事典ではない」という根本方針について何も語っておらないので、はるひさんの論理は自明でもなんでもないんですね。百科事典の出版で「百科事典である」ってリピートしたら自明ですが、そうではない。議論の設定がおかしいのはあなたのほうです。速報性と特筆性は異なる概念であるので、一緒くたにして話すことが誤りです。--軽流水 2008年7月7日 (月) 12:11 (UTC)[返信]
一人で勝手に「議論を継承させます」って先走るのもどうかと思いますが…。議論参加者の合意も取らずに議論場所を勝手に移動しても、逆に議論を分散させるだけでしょう。
ただ「ニュース速報ではない」という文言が拡大解釈され、一人歩きしているという意見には賛成です。そもそもWikipedia:ウィキペディアは何でないかにおいても、「ウィキペディアは紙製ではありません」で「ウィキペディアは紙製ではありません。ゆえに、ウィキペディアは(略)タイムリーであります」とあります。更に問題の「ニュース・ニュース速報の場所ではありません」の項に於ても「現在起きている出来事を歴史的視点から見た百科事典の記事として作られている範囲において、人々の間で共同的にしかも分単位で更新していくことをウィキの仕組みが助けてくれる」とあります。すなわち、方針はリアルタイムであることをけして否定しておらず、「速報的である」というだけで記述を問題視する考え方は誤りであることが分かります。
おそらく、この項で言わんとすることは、ある情報があり、それを記述する時、
  • 情報の価値(特筆性)が速報性(=知っている人が少ない)にのみ基づくのであれば、ウィキペディアはそれを記載する場所ではない
  • 情報の価値(特筆性)が時間によらない普遍性を持つのであれば、それをタイムリーに(事が起こってすぐに)記述するのは問題がない
ということでしょう。しかし、後者を読み取れていない人は結構多くいるように思います。
そして『「特筆性」など、ニュース速報的な段階で誰が判断できるのでしょう』という点については、判断できる物もあるだろうし、判断を誤るものもあるだろう、という答えにしかならないのでは?そして、その課題の解決は「ウィキペディアは紙製ではなく、判断をいつでも容易に修正できる」という点にあるかと思います。逆に「『特筆性』の唯一絶対的に正しい判断」などすることが可能なのか、と考えれば、はるひさんの疑問には「じゃあ、いつ、誰なら判断できるんだ」という逆質問も可能だとも思いますし。--はま 2008年7月7日 (月) 12:49 (UTC)[返信]
仮にある遺跡の記事があるとします。その遺跡は考古学的に貴重なものとしてウィキペディアにもその旨の記事が書かれているとします。ところが、この遺跡はある学者による捏造であったことが明らかになったとします。さて、この場合はどう対応するべきでしょう。私なら、捏造であったというニュースソースを提示して(ここが重要)この遺跡は捏造であったと記述し、さらに現在進行テンプレと全面改稿を促すためCleanupテンプレを掲出するでしょう。しかし、「ウィキペディアはニュース速報ではない」とおっしゃる方々はこういった編集でも「事実が確定していない性急な編集」として差し戻して保護を依頼されるのでしょうか。こうなると、遺跡に関して虚偽の情報が掲示され続けるということになります。
これはかなり極端な例かも知れませんが、「ウィキペディアはニュース速報ではないから性急な編集は禁止」という考えはこういった事態も生み出しかねません。--Avanzare 2008年7月7日 (月) 13:06 (UTC)[返信]
英語版の中心概念がen:Notabilityにあるということは、「Notability guidelines do not directly limit article content」がニュース速報にも考慮されてるのかな、どうだろ。
ニュース速報は信頼性が低いから編集は控えよ、というガイドラインから適切に逃れる方法は、Wikipedia:検証可能性を満たした編集をせよ、ということではないでしょうかね。たとえ信頼性が低くとも出典による検証が可能であれば日々の編集で内容も改良していくでしょう。内容の真偽を判断するのはウィキペディアのお仕事ではないはずだしね。「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」。そう、四川大地震は後者の方だね。
何かが起こったときに編集が集中することは「仕方が無い」こと。嫌だ嫌だといっても現実は変わらない。規制するための方針はWikipedia:保護の方針/仮運用だったんですけどね。今後は、ただ書きたいだけの初心者ユーザーにも出典を書かせるように、ベテランユーザーが模範・誘導をしていくべきなんじゃないかな。--Knua 2008年7月7日 (月) 21:38 (UTC)[返信]
場合によりけりじゃないかと思いますね。
例えばあるスポーツでそれまで世界記録と信じられてきたものが、そのスポーツを統括する国際機関によって「実はドーピングによるものだったので、これを無効とする」と発表されたら、それはもうその瞬間から無効であるだろうし、将来同じ機関によって復権がなされない限り、無効であり続けるのでしょうから、速報的であろうとなかろうと、ウィキにもそう書かれるべきなのだろうと思います。
しかし、例としてあがっている遺跡の捏造の問題などはどうでしょう。ある機関が「あれは捏造だった」と発表したら、誰がナニを言おうとそれが絶対の事実となるという類のものではないのでは? 「そんなはずはない」「いやいや、そうなんだ」「それを言うなら同じ彼の発表した例のアレはどうなるよ?」「それはそれ、これはこれじゃん」と、いわゆる「定説」のはっきりするまでひとしきりあるんじゃないでしょうか。この様な場合は、やっぱり事と次第のはっきりするまで、編集は控えたほうが良いのじゃないかなー、と私個人は思いますが。--橋川桂16:58の死線 2008年7月8日 (火) 00:14 (UTC)[返信]
あまり例え話に入っていくと本質を見失うと思うので、少しだけにしますが。遺跡の捏造の例で橋川桂16:58の死線さんの言うような状態になったのであれば、「遺跡の捏造の可能性について論争が起きている」という事実を記述することができますね。編集を自粛する必要など全くありません。大切なのは何が検証可能で特筆性のある「事実」かを見極めることです。その見極めをせずに、脊髄反射で全てを書き散らすことも、逆に脊髄反射で執筆全てを止めようとするのも、共にWikipediaにとって害悪なのです。--はま 2008年7月8日 (火) 01:17 (UTC)[返信]
例えが悪かったでしょうか。速報的であっても、取捨選択が正しく行われるなら、記載されても良い、という意味で、橋川の思うところははまさんとほぼ同様であるはずですよ。--橋川桂16:58の死線 2008年7月9日 (水) 02:39 (UTC)[返信]
それは手続きとしては理性的ですが、やっている事は本質的でないと思います。遺跡に関する従来の知見が捏造であったならば、ウィキペディアに書かれるべきは「ではその遺跡は本当は何なのか」であり、現在進行と身構えて捏造報道の経緯を逐一追う事では無いと思います。捏造の可能性に触れておく事は必要ですが、いきなり全面改稿を促されても書ける事は少ないでしょう。性急な編集が嫌われる典型例のように感じます。- NEON 2008年7月8日 (火) 01:56 (UTC)[返信]
『ウィキペディアに書かれるべきは「ではその遺跡は本当は何なのか」であり』という考え方こそ、机上の理想論ではないですか?物事は「本当は何なのか」がいつまでも分からないものが殆どです。例えば、遺跡であれば、調査が捏造や間違いである可能性は絶対にゼロにはなりません。NEONさんの考える「本当は何か分かるまで書くな」というのは、未来永劫一切Wikipediaに項目を立てるな、何も記述するな、と言っているのと大差なありません。事典など、所詮は「現在分かっていることを書く」しかできないのですし、その「分かっていること」の修正が容易であるというのが、紙製でないWikipediaの優位性でもあるのです。
また「事実を即時的に記載することの是非」を「報道の経緯を逐一追う」や「全面改稿を促されても」という極論に摩り替えないでください。特に「報道の経緯を逐一追う」べきなどとは一言も言っていません。だから大切なのは何が検証可能で特筆性のある「事実」かを見極めることと書いたのですが、お分かり頂けなかったのでしょうか?--はま 2008年7月8日 (火) 02:14 (UTC)[返信]
私の投稿はAvanzare氏へのものです。「報道の経緯を逐一追う」とは氏の投稿にある現在進行テンプレの貼付を受けた表現です。あなたの文章を意識した部分はありません。また「本当は何なのか」は、議論の経緯ではなく結論を参照すべきという程度の意味で、真実しか書くな、とは思っていません。- NEON 2008年7月8日 (火) 02:41 (UTC)[返信]

インデント戻します。四川大地震を立てた者ですが、大きな事件・事故などの場合に編集が集中するのはその件に興味を持つ人間が増える以上、ある程度やむを得ないかと。また、現実として報道によってもたらされる情報は直後が一番多い訳です。日本の新聞社のサイトなどだと比較的短い期間で記事が削除される様ですし、書籍など出典として使える別のソースが出るかは必ずしも確定的じゃないので「数ヶ月して落ち着いてから」では記述自体が難しくなる場合もあります。

ただ、この地震の例だと先に「中国大地震」という記事が立てられて、確かその内容が「四川省で地震があった、福田首相がお悔やみを言った」で終わってたんですよね。で、削除依頼となってる。結局のところ「ニュース速報的な記事」を書く人は、検証などは横に置いた状態で項目を立てることや書き込むこと自体が目的になってしまい「書いた!立てた!あと知らん!」になるってのが問題なんだろうと思ったりもします。

実際の話として、内容眺めてると「自分の書きたいことだけ書き込んだ」結果として「全部通して読むと脈絡が通らない」内容になってると思しき記事もチラホラっつーか。--KAMUI 2008年7月8日 (火) 01:43 (UTC)[返信]

上記の前半に同意。KAMUIさんが5/13に四川大地震を立ち上げたのが、[2]これです。だいたいウィキペディアの初版はこの内容レベルで十分だと思う。それから1ヵ月後の6/13には[3]このように、最新版の骨格と肉付けがすでに形成されるまでに成長しています。全履歴を参照すると[4]実に多くの利用者が貢献されていますが、おおかた9割の編集履歴は、5/13-6/13の1ヶ月に集中しています。多くの利用者の編集により記事が成長する、まさにウィキペディアの原理を体現した履歴であるといって良いでしょう。
さらに驚くべきは英語版。en:2008_Sichuan_earthquake[5]これ、初版から500編集分の履歴です。07:11, 12 May 2008から23:02, 12 May 2008 まで。おおよそイベント発生後よりたった16時間で、実に多くの利用者が500以上の版を重ね、結果、[6]ここまで成長しています。
要するに、なんでこういうことが起こるか?っていうと、集合智なんです。インターネットという人をひとつの場所にわーっと集めて、ひとつのことに集中させてなんかやらせる力学を最大限に具現化した現象です。当然、リスクもある、はるひさんとかがしきりに心労している「最高の質」を貶める不純物がまざらないか?とかいうリスクですね。このプロジェクトは同様に集合智によってそれがエラー修正されるだろうという楽観論に基づいています。そしてそれが実験の結果、機能することがわかった。オープンソースです。リナックスやってる人は知ってるでしょうが、伽藍とバザールの理屈です。リナックス、Firefoxのモジラプロジェクトは、世界中のボランティアプログラマがマイクロソフト製品を凌駕するものを作れることが実証されています。そもそもこのプロジェクトもこのオープンソースの思想を継承してはじまりました。オープンソース#GNU_Free_Documentation_License_.28GFDL.29つまりこのプロジェクトの文書ライセンスであるGFDLも、オープンソースライセンスをそのまま継承しています。
オープンソースプロジェクトってのは、「人が集まってなんぼ」のプロジェクトです。その思想がこのウィキペディアプロジェクトの根幹にある。だからね、「イベント発生後人が集まるのは仕方が無いことです。」とか言うのは、そもそもこのプロジェクトの理解がまったくない証拠です。方針熟読しているつもりでしょうが、その理念が頭に入っていない。さらに「過剰編集」とか言う言葉。おそらく英語版は、文化的に、思想的にオープンソース思想が土壌に浸透しているのだろうと思います。日本語版でイベント発生直後から16時間で500編集とかはじまったらどうしますか?「過剰編集、ニュース速報にあらず」とかいう名目で保護する管理者がいて許容されてしまう、もしくはそれが正しいことだ、となってしまう風潮をみてもわかりますね。
たった、24時間以内でもそこまで成長する、注目が高く人が多いほど、即座にまずい編集はリバートされるでしょう。間違ってたら別のひとが修正すれば良い。性急保護、速報性排除、削除、保護、というのは、この辺の「成長の可能性」を著しく損なうものです。性急保護ってのは、人がせっかく集まっているのにそこから全員追い出す行為ですからね。このプロジェクトの存在理由と照らし合わせてもオープンソース思想と矛盾している極めて愚かなルールです。
さて、上ではるひさんが主張する「1ヶ月、半年、1年くらい経ってから、事実が解明され、社会的影響なども明らかとなり、その事柄についての検証なども多方面から十分になされ、その時点で検証できる資料をもとにまとめていっても、全然遅くないと思います。」「何も正確な情報がわからない、情報が正しいかどうかすらもわからない、そんな時期には、わたしは要らないと思いますが。」「数ヶ月して落ち着いてから」ということですが、これはウィキペディアの理念ではないです。本来特筆性の箇所が速報性についてと歪曲された「ニュース速報ではありません」以前に、そのページの一番上には「ウィキペディアは紙製ではありません」と最初に書いてあります。紙の百科事典のことを繰り返す前に、[7]に紙の百科事典でない利点について創立者の見解とともに書かれているので熟読して理解されたらいかがか?さらに、そういった作業をする利用者は注目が集まり人が集まっている間開放している記事に比較して、いったい何人くらいがその作業をするんでしょうか?少なくとも、「数ヵ月後」にはこのプロジェクトの財産、原動力である人なんていないですし、その時点では今実際ある記事もまったく存在しません。ゼロからたかだか数人がよっこらせ、と作業をはじめる。今実際ある記事にまで成長する見込みは低いです。
性急保護にしろ、いろんな人の議論を追っていたけれども、はるひさんのような見解を含め、根本的に誤解している人が多いです。このプロジェクトの原動力は「信頼できる情報源、資料」ではありません。そうではなくて「利用者の数」です。その辺は改めて、英語版の四川大地震の履歴を追えばよくわかるでしょう。たしかに記事執筆コンテストなどで、1名だけで集中して執筆し、投稿する、記事の整合性も最初から取れている、著作権のチェックもしている、というケースもありますが、そういう記事はむしろイレギュラーであると考えたほうが良い。逆にそういうものを追い求めるとプロジェクトのあり方を根本から否定していることになります。そういう少数の極めて優秀な執筆者さえいればよいという風潮が強まると、排他的になり(実際、日本語版は、英語版よりも排他的)プロジェクトの原動力である人が近寄りにくくなります。
どうも見ていると、一部の利用者(管理者もふくむ)は、伽藍とバザールのバザールがこの場所であるのに、しきりに伽藍に改造したがっているように見える。伽藍は最初から清潔で整然としているが、このプロジェクトはその側面は設立、設計段階において切り捨てているのです。両方おいしいところ取りは土台無理な話で、その辺をしっかり理解して、バザールにはゴミが落ちていて当たり前、誰かが拾えば良い、でも人が集まってくるからバザールなのだということをぜひ理解していただきたいと思う。--Moviestyle 2008年7月8日 (火) 06:42 (UTC)[返信]
Ks aka 98さん、サブページ化をありがとうございます。
私としましては(他にも賛成出来る方はいらっしゃいますが、特に)はまさんとMoviestyleさんに賛成ですね。特にMoviestyleさんの御意見は目から鱗といったところです。
「ニュース速報ではない」とは言われていても、「ニュースではない」とは言われていないような。「ニュースじゃない」と言ったら「1日経ったらニュースではない」のか、「何日経てばニュースではない」のか(週間ニュースなんていうのもある位ですからね)…。兎に角、実はとんでもなく曖昧な観念によって性急な保護が行われてきたのではないかと思う次第です。
Moviestyleさん仰る通り、人数による叡智の結集がウィキペディアの利点の筈です。IPユ-ザーによる荒らしが発生するなどしたら、半保護の方針を適用すれば良いだけの話で、別に「ニュース速報では無いから即時保護云々」とならなくとも良い筈であります。--Kliment A.K. 2008年7月8日 (火) 08:19 (UTC)[返信]
いくらWikipediaが『紙製ではない、新しい百科事典』であっても、やはり百科事典です。速報だろうが詳報だろうがニュースでは無いでしょう。 -- NiKe 2008年7月8日 (火) 11:29 (UTC)[返信]
典型的な詭弁ですね。確かにWikipediaは百科事典であってニュースではない。しかし、貴方の言うことが正しいと証明したければ、「ニュースで報じられていることは全て百科事典的に価値の無い情報である」と証明する必要があります。当然、そんなことはないわけで、ニュースの中にも百科事典的特筆性を持った情報もある以上、それを即時的に記載することを否定する論拠には全くなりません。--はま 2008年7月8日 (火) 13:32 (UTC)[返信]
そのとおりですね。いくらWikipediaが「やはり百科事典」であっても、それはやはり『紙製ではない、新しい百科事典』です。このポイントがいつまでたっても理解できない人が絶えないのはなんでだろうか?多分「百科事典だ」と呪文を繰り返せばなんでも通ってしまうという悪しき風習があるのかもしれない。Nike氏の言ってることは、要するにこの節で指摘されている捏造された条文の繰り返しに過ぎません。それについて、おかしいという提起が出ているのになお捏造された条文を繰り返す行為自体が、いかにこの条文が鵜呑みにされていてあらゆる利用者の信条となってしまっているのか?という追加証拠になりますね。論理的には「すべてのニュースのうち特筆性のないニュースは百科事典では扱わない。」すべてのニュースのリスト→ウィキペディアの項目、とはならない、と特筆性の観点から除外するように牽制しているにすぎません。今、日本語版においては「すべてのニュースのリスト」について、本来の特筆性の尺度からいつのまにか時間的な速報性の尺度と摩り替わっている。その理屈で「すべてのニュースリスト」は最初は全部速報性のあるニュースなのでNG、時間が経過すれば速報性のなくなるニュースになるのでOKとかいう考えなのでしょう。--121.84.118.122 2008年7月8日 (火) 22:59 (UTC)[返信]
百科事典とニュースは求められるものが違います。Wikipediaがニュースサイトか何かなら、速報性は重要です。しかし百科事典にとっては速報性は必ずしも必要なものではありません。確かに、ウィキを使っているWikipediaは(紙の印刷物と違って)速報にも対応できますが、無理に速報を扱う必要はないのです。なお、 「ニュースで報じられていることは全て百科事典的に価値の無い情報である」と証明する必要 など全くございません。ニュースになった話題を記事にすること自体には問題ありませんが、一分一秒を競うように投稿・編集することはない、というだけのことですから。失礼ながら、はまさんのおっしゃることの方が詭弁に傾いているように感じられますね。 -- NiKe 2008年7月9日 (水) 04:19 (UTC)[返信]
そうやって論点を摩り替えるのは止めませんか?それとも、論点が理解できないのでしょうか(もしそうなら、一度、素直な目で他の人の書いたものを読むことをお勧めします)? この議論は「Wikipediaで速報性を重視しよう」と言っているのではありません。むしろ逆で「速報的・即時的であるからという理由で、普遍的に特筆性のある情報を軽視・排除するな」ということです。ですから「無理に速報を扱う必要はない」というのはトンチンカンな反論です。むしろ貴方方反対派が「無理に特筆性のある情報の記述を排除する」ということを問題視しているのです。そして貴方が「一分一秒を競うように投稿・編集することはない」というお考えを持つのは勝手ですが、その意見にはウィキペディアの方針の裏づけが全くありません。むしろ、昨日Moviestyleさんが指摘されたWikipediaが「バザール方式」を原点としているプロジェクトである以上、「一分一秒を競うような投稿・編集を排除する必要こそない」と考えるのが、正しい考え方であると言えるでしょう。繰り返しますが、誰も「一分一秒を競うように投稿・編集すること」の必要性など論じていません。だから貴方がそれを必要でないと主張しても的外れです。論点は「有意な内容の編集でも、一分一秒を競うような投稿・編集なら排除するべきか」です。「Xが必要か」と「Xを排除するべきか」は、論点としてイコールではありません。--はま 2008年7月9日 (水) 06:02 (UTC)[返信]
『速報的だからと言って有意な情報を排除するな』というのは賛成できます。しかし、「ニュース速報ではありません」という記述は、速報的なら排除せよとか言っているものではないと思いますので、これを外す必要はないと考えます(まあ現実的には、ニュースよりも遅れて編集するくらいでないと面倒なことになりがちだと思いますが)。なお、速報的だからと無理に排除していると思われる場合があれば、その都度おっしゃっていただければよろしいかと。 -- NiKe 2008年7月9日 (水) 13:30 (UTC)[返信]
速報的な記述を入れてよいかどうかというと、よいとは思うのですが、速報なら何でもありかというとそれも違うと思います。
ウィキペディアは「最新の正確な情報を掲載しなければならない」という考え方に陥っている人もいるように思われますが、それもまた逆方向に極端な考え方になってしまっています。今後変わることが容易に推測される情報(大災害の被害者数など)を、新しい情報が入り次第更新すべきかというとそうではなく、ある程度情報が落ち着いてから編集すればいいのではないか、と思います。
また、速報的に逐次追記した内容があってもいいとは思います。あとでまとめて百科事典的にすればいいだけで(ここをサボるから速報容認派が批判されているのは理解してください)、情報を集約する場としてウィキペディアを機能させることはできるのではないでしょうか。--Tamago915 2008年7月8日 (火) 23:18 (UTC)[返信]
まず確認したいのですが、ひとつの記事の編集プロセスにおいて速報禁止派vs速報容認派という構図は成立しません。これはプロジェクトのスタンスの問題であり、まず一律速報禁止などというプロジェクト理念に反する合意のない概念(本来、判断根拠は特筆性、ソースの有無であり、時間ではない)に基づいた編集妨害行為を改めようということです。ここで速報禁止がおかしいという主張をしているもの≠あとあとまとめないサボっている編集者、ではないし、ひとつの記事を編集する多くの利用者で記事構造を整理する人、情報を追加する人、いろいろいるのは当たりまえのことです。全員ボランティアによるオープンソースプロジェクトでは誰かがサボりで悪い誰かが貢献で良いとかいう見方は取りません。次に、この節で論じられている主題は速報性についてのこれまでの誤った信念の指摘、訂正、否定であり、そういう信念の否定がコミュニティにより自覚された後に、はじめて個別の程度問題の議論が可能になります。今までは程度問題を議論するにしても、こういう「ニュース速報ではありません」という捏造条文に基づいた誤った信念をもった利用者が参加し、程度を議論するので、妥当な合意は不可能だったでしょう。とりあえずここは根本のプロジェクトのスタンスはどういうものであるのか?という基本的な確認作業で、それが終われば、程度問題の調整を図るために、「『ニュース速報ではありません』の議論をWikipedia:性急な編集をしないの公式方針化議論に統合一元化」の叩き台に具体的議論として場を移行させればよいと考えます。--121.84.118.122 2008年7月9日 (水) 00:19 (UTC)[返信]
半保護された議論で、非ログインユーザーにいうのも何ですが(反論できないので)、自分の価値観の押しつけしかできない上に他人の記述を正しく読み取れないのでは、議論にならないでしょう。
本題に戻りますと、ニュース速報そのものを禁止している、という事実はないと認識していますし、そのような運用も行われていないと思われます。自分が関わった具体的な事例でいうと、女流棋士 (将棋)#将棋連盟からの独立はかなり速報的・断片的な記述が続きました(2007年3~4月頃の履歴)がとくに問題視されたわけでもなく、Mixi#2008年4月1日施行予定の利用規約改定を巡りも同様です(こちらはまとめ直す必要がありそうです)。私が知らないところも含めれば、こういった例は多数あるのでしょう。
「ニュース速報ではない」というのは、すべての速報的記述を認めないというのではなく、その中に散見される不適切な記述が問題視されるのでしょう。具体的には、ニュースサイトからの文章の複製や、悪質ないたずら、極端に中立性を欠いた記述、百科事典的ではない文章(これは文章の巧拙の問題なのですが)といったものが挙げられます。もちろんこれらは常に問題なのですが、速報的な記述では、編集数が増えることもあって必然的にこれらの不適切なものが増えるので、問題視される可能性がより高まっているということはいえると思います。
そういうところに気をつければ、速報だからといって目くじらを立てられるようなこともないのではないか、と思うのですが。--Tamago915 2008年7月9日 (水) 23:04 (UTC)[返信]

とりあえず、以上の議論に基づいて合理的な反論はこれまでなされておらず、すでに論点は出尽くしているように見えます。そこで、現時点でのコミュニティによる趨勢、状況を明示的に見極めるために調査投票を行い、その結果次第では、『ニュース速報ではありません』の議論をWikipedia:性急な編集をしないの公式方針化議論に統合一元化を一案とし、具体的検討のフェイズに移行させることを提案します。なお、この節での継続した議論、異論は妨げるものではありませんので念のため。--121.84.118.122 2008年7月9日 (水) 02:14 (UTC)[返信]

投票に反対します。私もこの場の議論が有益であること、現状に問題があることは賛同いたしますし、特にはまさまのご議論には深く共感していることは確かです。しかしながら、この場の議論自体が長期間荒らしによるソックパペットを強く疑われて無期限ブロックされた方による提案であること(その後もソックパペットと思しき方の介入が続いていることも含め)から、このままでは提案自体に瑕疵があるとして認めない方が多く出る懸念があります。議論を次の段階に進めるには、Wikipedia内で実績のある方による提案がないと、今後の展開がうまくいかないと考えます。さらにIPでの議論参加にはなんら問題がないものの、投票行為に参加することはできないことから121.84.118.122様には今後も議論をお進めになるならば、ぜひアカウントを取得していただき、一般の記事編集にもかかわっていただくことをお勧めいたします。IPの方の発言(編集ではなく)を軽視ないし否定する傾向(そのよしあしはここでは問いませんが)があることもお忘れなく。出発点に瑕疵があることで、せっかくの有意義な議論が反故になることは避けなければなりません。--春秋君 2008年7月9日 (水) 03:58 (UTC)反対表明を取り下げます。--春秋君 2008年7月9日 (水) 06:07 (UTC)[返信]
私が上記の異見を書き込んだところ、さっそく私の会話ページと匿名掲示板にいやみな苦言を呈する書き込みがありました。それはそれでよろしいのですが、私の主張を理解なさることのできない方がいらっしゃるようなので、もう少し書き込ませていただきます。私が賛同しているはま様の主張は特に次の部分です。以下はま様の 2008年7月7日 (月) 12:49 (UTC)の投稿より引用[返信]
  • 情報の価値(特筆性)が速報性(=知っている人が少ない)にのみ基づくのであれば、ウィキペディアはそれを記載する場所ではない
  • 情報の価値(特筆性)が時間によらない普遍性を持つのであれば、それをタイムリーに(事が起こってすぐに)記述するのは問題がない
引用ここまで。
私が想像するこのような違いは例えば、古い例で申し訳ないのですが、哺乳類で最初のクローンドリーが誕生した際、それを新聞報道を基に記事を書いただけでは単なる速報だが、同じ時期であってもネイチャー誌の原著[1]をもとに書けば立派な普遍性をもった記事であるのだと思うのです。四川大地震でも事情は同じだと思います。アメリカ地震研究所や日本の東京大学地震研究所の公式発表は地震当日に行われているわけですから、記事の普遍性を担保する情報は存在していたわけです。それに気づいた人が、その信頼性のある情報源に基づいて記事を書けばいい。最初にいい加減な記事であれば、信頼性のある記事の存在を知っている人が加筆すればいいのだと思います(信頼性のおける情報源と思われたものをもとに記事を書いたが、後にそれが誤り、ないしは捏造などであることが発覚した、ということであれば、それはすでにWikipediaの問題ではなく、社会問題ですから、それ自体が記事の対象になるでしょう)。
では最初にその項目が意味する事件なり事故なりが起こったときに、それが普遍性を持ったものかどうかを誰が判断するか。これはどこかで線を引かなければならないと思います。ある一定期間待っても信頼性のある情報源に基づいた加筆が行わなければ、それは普遍性を伴っていない(少なくともその時点で)、という判断を下す基準が必要なのだと思います。その基準が今存在しているのかどうかはよくわかりません。曖昧だから現在のような問題がおきているのかもしれません。だとしたら、これからそういう「速報性のある事象を記事にしてもよい規準」というものを決めなければならないのかもしれません。
ここまで書いてきていうのもなんですが、相変わらず121.84.118.122様の提案には反対いたします。理由は上記のまま変わりません。私が言いたかったのは、どれほど内容が理論として正しいものであっても、手続き的に瑕疵があるようでは正統性を主張できない、その意味で手続き論としてもきちんとした議論の場を作っていただきたいということだけです。私の会話ページで「ならお前が提示しろ」という趣旨のことをお書きになったIP様がいらっしゃいましたが、残念ながらこの問題に関して私はそこまでの情熱を持っておりません。きちんとした提案があれば議論に何らかの形で貢献したいとは思っておりますが。--春秋君 2008年7月9日 (水) 05:26 (UTC)反対表明を取り下げます。意見自体は変わらないので、理由は存続します。--春秋君 2008年7月9日 (水) 06:07 (UTC)[返信]
  1. ^ Wilmut, I et al (1997), “Viable offspring derived from fetal and adult mammalian cells”, Nature 385: 810-3, PMID 9039911 
反対だけするのは政治的意図があるというご意見がありました。そういう意図はありませんが、私自身が改めて議論を提示するだけの情熱を持ち合わせていないので、反対表明は取り下げさせていただきます。お騒がせいたしました。--春秋君 2008年7月9日 (水) 06:07 (UTC)[返信]

『ニュース速報ではありません』の議論をWikipedia:性急な編集をしないの公式方針化議論に統合一元化

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Wikipedia:井戸端/subj/『ニュース速報ではありません』というのはいったいどこから出てきた概念なのか?の議論を継承、参考とし、ひとつの叩き台をつくる試み。 IP編集でしたが、変化するのでアカウントとなっています。

統合一元化という見出しですが、本来は特筆性についての記述されている事例集リストに、ある時期にどこからともなく紛れ込んだ「ニュース速報でない」という条文を除去、分離し、該当文は英語版に準拠した特筆性という要点に基づき正しい翻訳文に修正しアップデートします。分離された「ニュース速報でない」という要素は、より体系的に整理され議論されているWikipedia:性急な編集をしないにおいて一元的に統合し、そこで妥当性の検証とともに合意を目指します。

  1. 「速報性」と「特筆性」は異なる概念であることの確認。中立的な観点、検証可能性、独自研究、著作権とも関連する要素であるが、現状ごった煮で議論されてしまうことが多い。
  2. 「ニュース速報ではありません」という表現による影響が大きすぎ、拡大解釈して参照の上濫用されるのが散見される。温度差のある異なる考えの利用者との衝突を解消する。事前に然るべき場所にてある程度までコンセンサスを取ることは可能で、これまでのプロジェクト全体の重複するディベートコストを削減する。
  3. 「ニュース速報ではありません」もしくはその表現に順ずる概念は英語版には存在していない日本語版の独自方針である事実の確認。日本国または日本語話者特有の事情によるローカライゼーションである根拠はない。
  4. この日本語版独自方針に関連し「ウィキペディアは紙の百科事典ではない」というプロジェクトの根本理念、メリットと相反しているとする考察多数。英語版はこれに沿った運用がなされており、日本語版の独自路線、風潮、運用方法が不自然であるという見解。基本方針、それに基づく英語版との乖離の検証。(参考意見)Wikipedia‐ノート:保護の方針/仮運用/過去ログ1#あまり厳しく対処すると基本方針に反しないか? Wikipedia‐ノート:保護の方針/仮運用/過去ログ1#「ニュース速報」的編集の解釈もしくは、性急保護仮運用時の反対意見全般。
  5. Wikipedia:ウィキペディアは何でないかの「ウィキペディアは単なる知識ベースではありません」というのは、原文参照すると、文書構造的にも特筆性についての例示リストであり、実際そのとおり詳細は特筆性を参照と明示されている。原文内容もすべて特筆性についての記述。日本語版の「ニュース速報ではありません」という速報性のみ強調した文章は、誤訳であり独自見解により歪曲されたままなし崩し的に方針化されてしまった可能性が高い。方針文書のフォーマットとしても現状結構めちゃくちゃなままに放置されている。
  6. また、ニュース速報ではない、という概念のまともな合意形成の形跡がない。。
  7. 最新版の英語版のen:Wikipedia:What Wikipedia is notの当該項目にフォーマットとともに準拠するように修正し、特筆性についての記述と正しく翻訳しなおす。
  8. 現状の「ニュース速報ではありません」その他の表現は、何でないか?の翻訳仕切り直しによる上書きに伴い方針から除去される。
  9. 速報性もしくは「ニュース速報ではありません」の議論は、何でないか?の当該項目の議論とは分離し、Wikipedia:性急な編集をしないの公式方針化議論に明確に統合一元化し、そこで合意形成を目指す。その際、「紙の百科事典でない」というプロジェクトの根本理念に留意し、それを侵犯せず矛盾しない範囲におさめる。 
  10. 現在のテンプレートに含まれる「Wikipediaはニュース速報でも宣伝サイトでもありません。」という文面リンクを修正し、整合性を図る。

以上、重要な変更であり、別段急ぐこともないが、しばらく様子見の後、収拾が見られるようであれば、それぞれのノートに提起すればよいのではないか?--軽流水 2008年7月7日 (月) 11:17 (UTC)[返信]

いっそのこと、ニュース系はウィキニュースに誘導するとかどうでしょうか?--𡚴 2008年7月8日 (火) 10:41 (UTC)[返信]
ウィキニュース誘導ってよく言われてますがそれが実を結んだことってない気がします…。提案する人は提案するだけで人任せだし実践する人もなぜかよくフェードアウトするし…。まぁ、百科事典の域を完全に出るニュース速報的なものはウィキニュースへ持っていった方がWikimedia Projectsの理念にかなったものなのかもしれませんが。--Marine-Blue [ 会話 履歴 電信 ] 2008年7月10日 (木) 02:34 (UTC)[返信]
ウィキニュース:記事の書き方などを読むと解りますが、ウィキペディアとは文章の書き方からして違うので単純に「誘導」つ〜ても難しいんじゃないでしょうか。
あと、IPユーザーとしてウィキニュースに記事を投げてみた事が2〜3回あったと記憶していますが、確か翌日になっても査読中のままで掲載されなかったのでチェックも止めた記憶が。結局その記事が掲載されたのか知りません。つ〜か、もはや何を投げたのかすら覚えてない。--KAMUI 2008年7月11日 (金) 11:17 (UTC)[返信]