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Wikipedia‐ノート:削除の方針/実名表記の問題

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殉職した者の実名記載はB-2案件の例外要件として実名記載を認めることを明文化することについて

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警察官や外交官、ジャーナリストなど、しばしば「殉職」された例がありWPの記事になることがありますが、「殉職」前は一般人であったことから、しばしば削除方針に該当するのではないかとの議論があります。しかし、特に殉職された方についてかえって氏名を出さないことは、かえって記事として不自然ですし、むしろ、殉職された方の功績をたたえるため積極的に「実名」を掲載すべきであるという遺族の意見が強い場合が多いです。また、プライバシー権は一身専属的な権利であり遺族に承継されるものでもありますし、殉職者本人の殉職の経緯を記載することが遺族のプライバシーを直ちに侵害することにはなりません。

したがって、B-2案件の例外条項に以下の記述を追加することを提案します。

  • 殉職した者の氏名
    • 職務従事中または職務従事中でなくても対象となる者がある特定の職務に従事していることを理由に第三者から身体的な攻撃を受けた場合に適用する。
    • 職務従事中であっても単なる交通事故など、その職務特有の死亡リスクと評価することのできない形で死亡した者は含まない。
    • 個人的な事情による殺人事件の場合などには適用されない。

--マルシー 2007年9月29日 (土) 02:19 (UTC)

殉職者という珍しいケースまで規定することが必要なのか、と思います。個人の名前を出さなくとも、説明は十分可能でしょう。何より、百科事典は誰かの功績をたたえる場ではありません。--Bellcricket 2007年9月29日 (土) 03:05 (UTC)
上で、記事を書くにあたって参照した記事に個人の名前が出されていた場合に(これは珍しいケースどころか、むしろありふれています)、「参照文献」をそれがために隠したり、個人の名前を消すのは不自然だと書きました。
数日前のカメラマン死亡事件も、マルシーさんのケースに該当するでしょうが、この場合も、当然カメラマンの実名をタイトルにした記事がたくさん出てくるでしょう(名前が出ていない記事のみにあたれ、出ている記事は一切使ってはならない、というのは、中立性の観点から問題があります)。それゆえ、殉職者の氏名については、「彼の功績をたたえるために」ではなく、「参照文献に制限を設けない」という観点から、記述に賛成します。--Sasuore 2007年9月29日 (土) 10:17 (UTC)
イラク日本人青年殺害事件も参考に。プライバシーという言葉に過剰反応しているようにしか見えません。この辺りがFUDになっているような気がします。全国紙に何度も実名で出ているものを見ない振りをするというのもねぇ。遍く知られている事実にプライバシーなど存在しないし、それが不名誉な事実であるとして、既に毀損されるいる名誉を毀損しようがないし。逆に実名さえ出さなければプライバシー侵害や名誉棄損にならないとでも思っているのでしょうか。有××郎(本名/ちなみに××は口でも雄でもない)を野口雄賢(仮名)に変えた小説で敗訴した人もいるのですが。ちなみに、「プライバシー権は一身専属的な権利であり遺族に承継されるものでもありますし」は文意が掴めません。一身専属なら遺族に承継されないはずです。著作者人格権のように実質的に継承されるということでしようか。プライバシーが一身専属という根拠も分かりません。HOTUMA 2007年9月29日 (土) 13:55 (UTC)
個人の記事まで作られてはたまりませんね。--hyolee2/H.L.LEE 2007年9月29日 (土) 23:20 (UTC)
殉職者を例外的に記載するということになると、例えば飛行機が墜落した場合、乗客は伏せても操縦士や搭乗員の名は記載するということでしょうか。例えば建設中の橋が崩落した場合、巻き添えになった住民は伏せても建設作業員の名は記載するのですか。それは細か過ぎるとはいえませんか。
またこうして見ると、殉職というのは必ずしも名誉とは限らない可能性があることがわかると思います。
一つ、提案者に誤解があると看做せる部分があるので指摘させていただきます。「「殉職」前は一般人であったことから、しばしば削除方針に該当するのではないかとの議論」とのことですが、そのような議論は見当たりません。殉職して一般人ではなくなった場合、その実名は記載できると思います。ミャンマーで殉職されたジャーナリストの方に関しても現在そのような議論の推移であると理解しています。殉職してなお、一般人であれば削除方針に該当するでしょう。--Clarin 2007年9月29日 (土) 22:03 (UTC)
Clarinさんのいう一般人が何を意味するのか分かりませんが、現実、死亡したことによって著名になった者の実名は記載しないという運用がなされています。イラク日本人青年殺害事件など。逆に、死亡して著名になった者の実名が記されている記事はありますか。HOTUMA 2007年9月30日 (日) 02:28 (UTC)
死亡したことのみによって著名人になった者というのは、削除の方針の概念にはありません。報道されたことが著名人にあたるのなら、事件関連の人物はほとんど著名人になってしまいます。そうではなく、死亡したことが発端となってその人の生前の仕事に光が向けられたり、本が出版されたり、映画化されたりしたことで著名人と看做すことになる可能性は十分考えられます。--Clarin 2007年9月30日 (日) 03:26 (UTC)
「死亡したことのみによって著名人になった者というのは、削除の方針の概念にはありません」というのは、削除の方針に載っていないから存続なのか、削除の方針の例外に挙げられていないから削除なのか、どちらの意味でしょうか。具体的に、イラク日本人青年殺害事件の被害者について、この人は殺害されなければ無名なままで終わったと思いますが、殺害されたがために実名を冠した書籍が出版されています。この人の実名はClarinの基準で削除でしょうか、存続でしょうか。現実の措置として、イラク日本人青年殺害事件の被害者の実名は記載せずとなっていますが、ミャンマーで殉職したジャーナリストが「そのような議論の推移であると理解しています=殉職して一般人ではなくなった場合、その実名は記載できる思います」というのは、ミャンマーの被害者がイラクの被害者より本質的に著名になるという予想なのでしょうか。HOTUMA 2007年9月30日 (日) 04:17 (UTC)
ご意見がたくさん集まりましたので皆さんの意見に対し回答します。
「『殉職』前は一般人であったことから、しばしば削除方針に該当するのではないかとの議論」についてですが、現在の削除の方針では、「重大な事件・事故によって被害を受けた著名人」としかなっておらず、いつの時点で著名であるのかがきちんと明文化されておらず、論理的には事件前は一般人だから著名人でないという主張を導き出すことが可能なガイドラインの表現になっています。
ところで、「報道されたことが著名人にあたる」ことにClalinさんは反対しておられますが、どんな有名人も報道なりテレビに出ているからこそ著名人になるのであって、ちょっと論理矛盾していると思います。もちろん、一般人がテレビに出演する場合もありますが、それは特定の番組に1回ぐらいしか出ていないからからこそ著名でないといえるのであって、連日報道して、ニュースに何度も出れば加害者や被害者も、世の人の知れ渡るところとなり、また当時の資料を探せば、ああ、そういう人がいたなという感じになれば、個人的には「著名」になったと解釈することは可能に思いますが、現実のWPの運用はそう解釈されていないため明文で方針を変える必要があるということです。
次に「例えば飛行機が墜落した場合、乗客は伏せても操縦士や搭乗員の名は記載するということでしょうか。例えば建設中の橋が崩落した場合、巻き添えになった住民は伏せても建設作業員の名は記載するのですか。それは細か過ぎるとはいえませんか。 」に対してですが、 「職務従事中または職務従事中でなくても対象となる者がある特定の職務に従事していることを理由に第三者から身体的な攻撃を受けた場合に適用する。」とあるとおり、事故で殉職した者はこの指針を適用しないこととしていますので、Clarinさんのご懸念は当たらないと思います。
あと、重大な事件で報道されたものについては、プライバシー侵害の程度は低いといえるので、一律削除とするのではなく編集で対応するという方針もありうるのではないかというのが私の私論ですが現時点での提案は控えさせていただいております(少年法違反は削除対象に当たると思いますが)。--マルシー 2007年9月30日 (日) 07:38 (UTC)
反対。
当該項目のノートにて記載について提案をし合意が成立したら記載可、という通常の手順でいいんじゃないでしょーか、と。殉職を特別な理由として氏名掲載の可否を論じる必要があるような気がしません。淡々と、「その氏名がポインタとして機能するか」「その氏名を掲載することで百科事典の記述として品質があがるか」あたりを検討すればいい。なお、事件直後には、実質以上に氏名がポインタとして機能することがしばしばあるので、しばらく経過した時点で判断すべき(それまでは掲載すべきではない)と考えます。
今回の事件について、個人のジャーナリストとしての功績をまとめて氏名項目を作る分には、それはそれで問題ないんじゃないでしょうか。もちろん著名性などの理由で削除検討がなされる可能性はあるにせよ。氏名を残しておきたいと思うのなら、彼の仕事などをきっちりまとめて項目として置いておくに足りる内容をまとめればいいんで。それがまとめられないようならば、単なる氏名晒しのスタブみたいなのと区別がつかなくなっちゃいますから、やめとくが相当ってことになります。--Nekosuki600 2007年9月30日 (日) 07:42 (UTC)

同感。韓国語版には事件被害者の氏名項目がいくつかあるが(殉職とはいえないものも。)内容はイラク韓国人青年殺害事件以外は単なる氏名晒しのスタブ程度しかない模様。(管理者が日本語版が勝手に決めたことといって容認している模様。)氏名晒しをしなくても記事は十分作れるはず。--hyolee2/H.L.LEE 2007年9月30日 (日) 07:49 (UTC)

被害者本人の項目を作ることと事件の記事で名前を触れることでいちいち削除の対象になって、記事を差し戻さなければいけないといって書かれたあとの編集が無駄になることと区別して議論しませんか。削除の方針に置いておくと言うことはこういうデメリットがあるから外そうという意味もあります。そして、何年もたってああ実名記載があるから全部元に戻さなければいけないとすることが、履歴を捨てて何年もかけてできた記事が一瞬にして崩れ去ってしまうケースもあるのです。いまのGFDLを採用するWikipediaでは履歴が命ですから、本当は削除は限定的にしたいのです。他の出版物なら問題のある部分を消してまた掲載しなおすことが可能ですが、Wikipediaの場合は原則として一から記事の作り直しです。むしろ、それが削除を何回も繰りかえすことが記事の質につながるのでしょうか、法的に問題ないものとされているものを削除して記事を台無しにするのはなるべく避けたいというのが多くの執筆者の思いだと思います。--マルシー 2007年9月30日 (日) 08:02 (UTC)
別項に書いたことと重なりますが。
おれの印象では、事件直後に氏名などを記載しようという圧力が一気に高まり、わりと短時間でその圧力は急激に失われるというエンヴェロープを持つようです。しょーじき、アタックのところの圧力さえ受け流せば、さほど不当な結論にならないように思っています。たとえば1年後にまだ覚えているひとが多いくらいの人名なら載せてもいいでしょう、みたいな感じかね(ただしその場合も個別具体的な検討は必要だ。粘着クンがたったひとり覚えているだけで掲載したがってしまう、とかいう可能性はありますから)。さて。
その段階で記載された情報というのが何かというと、たいていは速報にすぎないわけです。おれの感覚では、そんなもんはばっさり消してしまって書き直せばいいじゃん、と思います。書き直すひとがいないんだったら、まあその程度の事件でございました、と。--Nekosuki600 2007年9月30日 (日) 09:15 (UTC)

Nekosuki600さんへ。「当該項目のノートにて記載について提案をし合意が成立したら記載可」といっても、ノートの議論はウィキペディアの方針に照らしてなされるものですから、削除の方針を無視して実名を記載しようなどということになりえません。仮りに勢いでなったとしても、削除の方針は個別記事のノートで覆せるものではありません。Nekosuki600さんのいう通常の手順は成立しません。もし、死んで著名になった者も削除の方針B2の「著名人」に該当すると解釈しておられるなら、その解釈は普通ではないと思います。もし、それが当然の解釈だというのなら、そのことを削除の方針に明記するように提案します。あるいは、実名記載の是非、削除の是非の判断を個別記事のノートに委譲する旨を明記するかです。HOTUMA 2007年9月30日 (日) 08:39 (UTC)

ああ、確かにまあなんだ、記事のノートでローカルに合意形成をしても、それでは対抗のしようがないかもしれませんね。いちいち記事のノートのパトロールまでしてはいられませんし。では、コメント依頼下にサブページを作り、「○○の項目への氏名記載の可否について」というような項目を立てて審議をするというのはどうでしょうか。そこで「掲載可」という合意が形成されていれば、そうそうひっくり返されることはないでしょう(ただし、Wikipediaでは合意が確定するということはありませんから、ひっくり返される可能性は常にあるわけですが)。
死んで著名になったかどうかについては、おれは考慮していません。その者が生きていようが死んでいようが、将来に向けて著名であり続けるようならば、関連記事に記しても記事を起こしても問題ないでしょう。なお、死んだ直後だけ最大瞬間風速として著名になったといったケースでは記載する必要はないと思います、実際にはこの「死んだ直後の最大瞬間風速的に有名になった段階」で記載したがるやつが多いというのが問題なわけで。それこそ「事態収拾後1年は無条件に記載禁止、時期経過後に検討」くらいのルールがあってもいいと思ったりしますね。--Nekosuki600 2007年9月30日 (日) 09:15 (UTC)
基本的に同意します。最大瞬間風速で記事にするべきでないという点にも同意します。問題は、どういう理由でコメント依頼に出しても、「削除の方針に該当するから記載するべきではない」になると予想されることです。HOTUMA 2007年9月30日 (日) 10:07 (UTC)
いや、そんなことはないと思うよ。説得力のある理由できっちり反対して食い止めればいい。
で、「記載してもいいという合意がある」という証拠固めをするためにどうしたらいいかという点での提案がコメント依頼を使うという方法。当該項目のノートでやっても「内輪で決めただけっしょ」と言われたらおしまい(それに、実際内輪で「載せちゃえ載せちゃえ」で決まってしまう可能性もある)。しかしコメント依頼で合意形成をしたら、それなりに尊重されるんではないでしょうか。
そんでもまだ削除依頼を出された場合には、改めて合意内容を踏まえて説明をすると。その説明に説得力があれば、削除は避けられるでしょう。
コメント依頼での確認段階、後日の削除依頼の両ステージで、もちろん氏名非掲載原理主義のひとが掲載に反対してくる可能性はあります。しかしながら、そこのところは「なぜその氏名を掲載する価値があるのか」についてちゃんとした論理があれば、さほど難しいことではないように思います。--Nekosuki600 2007年9月30日 (日) 10:53 (UTC)

hyolee2さんへ。どうして韓国語版の話にあるのですか。「日本語版が勝手に決めたことといって容認」というところからすると、韓国語版に日本人の氏名晒しスタブが大量にあるという御指摘ですか。英語版にもあります。しかし、韓国人を説得するのも米国人を説得するのも難儀そうなので、どちらも傍観しておくしかないのでは。HOTUMA 2007年9月30日 (日) 08:39 (UTC)

Miya.mです。Nekosuki600さんに同意。殉職された方の名前を記載するかどうかは故人の業績などを勘案してケースバイケースで判断すべきでしょう。提示された文案では「一市民である守衛さんが、夜間巡回中に鉢合わせした泥棒に殺された」場合も該当しませんか?Miya.m 2007年9月30日 (日) 08:59 (UTC)

マルシーさんが例に挙げている人の場合、殉職する前の業績は平凡なものだと思いますが、現時点で報道されていることのみを考えたとき、仮りに彼の実名が正当な文脈で記載された場合、Miya.mさんとしては削除依頼ですか、編輯対応ですか、容認ですか。「正当な文脈」というのが曖昧ですが、Miya.mさんが考える中で最も正当な文脈としてください。HOTUMA 2007年9月30日 (日) 10:07 (UTC)
上に述べた通り人に応じてケースバイケースです。記事を立てるべき人もいるでしょうし、書くべきでない人もいるでしょう。一律には判断できないことを十把一絡げに断定する文案はいかがなものかと。Miya.m 2007年9月30日 (日) 10:53 (UTC)
ところで、現在の指針はそういうことにお構いなく十把一絡げに削除するとしているから方針を提案しているんですけどね。「一市民である守衛さんが、夜間巡回中に鉢合わせした泥棒に殺された」というときですが、殺された守衛さんの項目は百科事典的記事には当たらない(つまりケースE)ので、削除の対象となるのでしょう。--マルシー 2007年9月30日 (日) 11:29 (UTC)
私は、現在の指針が「お構いなく削除」の状態になっているとは思えません。Nekosuki600さんもおっしゃっているのですが、説得力のある理由で反対して食い止めることはできるでしょう。十把一絡げに削除されないために、削除依頼のシステムがあるのではないでしょうかね。--Bellcricket 2007年9月30日 (日) 11:42 (UTC)
えー、説得力ある主張をすれば氏名が記載された項目の削除を食い止めることは可能なのですが(それどころか氏名項目の削除を食い止めることも可能なのですが)、しかしなんか書いてしまって削除依頼でモメるというのもめんどくさいので、デフォルトでは掲載禁止、例外で掲載OK、掲載するなら先に議論をして合意形成をしてから、というプロトコルにしたいんですよねえ。つか、それが定着してはくれないもんだろうかと。
上のほうで書いてますが、当初当該記事のノートでと思ったんですけどそれは機能しなさそう。コメント依頼あたりでやってみてはどうだろうかとか思うんですよね。コメント依頼の使い方としては間違っていないと思うんですが、どんなもんでしょうか。--Nekosuki600 2007年9月30日 (日) 12:30 (UTC)
そこで実際の運用としてWikipedia:削除依頼/国際連合カンボジア暫定統治機構の例のように、殉職した警察官の氏名は削除の方向へというふうにどうやら運用されていってしまっているわけです。被害者のボランティアの1人は父親が活動の本を書いたから著名性があり、もう一人は事件後7年も10年もたった国会で言及されることがあったとしてもなお著名性には十分でないという基準が現在の指針のようですので、参考程度に。--マルシー 2007年9月30日 (日) 13:59 (UTC)
しかしその項目に、殉職警察官の氏名を記載すると、百科事典的にどのようなメリットがあるのでしょーか、と。いらないんじゃない? 顕彰目的で氏名を記載するというのはWikipediaの機能にははいらないんだし。--Nekosuki600 2007年9月30日 (日) 14:08 (UTC)
Wikipedia的には削除しないでその後加筆された記事を残すことができるというメリットはあると思います。--マルシー 2007年9月30日 (日) 14:21 (UTC)
その場合、「編集除去で充分である」と主張して特定版削除を免れるという方法があります。二人とも官憲であり、その後の加筆の有益性との比較考量で削除を選ばない方法を強く支持することも可能なんじゃないでしょうか。なんだったか忘れましたが、この「編集除去で充分」という反論で、削除・特定版削除から救ったこともあったように記憶しております。--Nekosuki600 2007年9月30日 (日) 14:29 (UTC)
この提案の趣旨はそこにあるということですよ。編集除去で十分と主張するためにね、削除方針から外すということにまず主眼をおきたいと思います。--マルシー 2007年9月30日 (日) 14:35 (UTC)
そういう目的なんだとすると、方法論が決定的に間違ってると思います。この方法論は十中八九間違いなく「あっても別段役に立たないであろう個人の氏名が、削除基準の例外措置とされていることをもって、記載してかまわないものだと理解する→ガンガン掲載」という方向で機能するでしょう。まあまず間違いないと思うなあ。
現状でも「編集除去で充分」という主張、「氏名記載はOK」という主張は、ある程度の説得力を伴って主張するならば通るのですから、基準を変更する必要があるとは、おれには思えないのです。しかも、前段で述べたように、この基準変更は間違いなく重大な副作用を持っているのだからなおさら。--Nekosuki600 2007年9月30日 (日) 14:42 (UTC)

氏名記載に反対されている方におうかがいしたいのですが、では、実名をタイトルの一部に使用した雑誌(新聞)記事や著書は参考文献として使ってはいけないのでしょうか。使っても名前を隠したりするべきなのですか。

なお、先ほどマルシーさんの提案に賛成したのですが、私の賛成内容は「殉職者」に限りません。殺害された子供でも、いじめ自殺者でも、交通事故で亡くなった方でも、戦争や公害の被害者でも、書誌にたくさん出てきますから。--Sasuore 2007年9月30日 (日) 22:55 (UTC)

上で複数の方が言っておられるのと同じく、それもケースバイケースではないでしょうか。氏名記載に反対されている方といっても、それはそのケースにもよると思います。で、Sasuoreさんの挙げられた例のいずれにせよ、プライバシー性の問題はこのうえなく重大、とても一緒くたに一般論として議論することはわたしには不可能のように思います。--Clarin 2007年10月1日 (月) 01:06 (UTC)
「ケースバイケース」で参考文献を隠したり、実名を伏せたりせよ、ということでしょうか(これは今後の議論で重要なことですので、明確に回答していただきたいです)。プライバシーが重要なものではあるけれど、「このうえなく重大」でもないことは、さまざまな裁判が証明しています。ましてや、参考文献に実名があったという理由で、訴訟ざたになったケースを知りません。--Sasuore 2007年10月1日 (月) 03:16 (UTC)
さあ....今後の議論で重要と言われても。やはり、具体例がなければ議論にならないんじゃないですか? そもそも個別の具体的な主張があり、判例があり、その上で方針の議論になったりするわけで。それに、参考文献に実名があって本文だけ伏せても、意味がありませんよ。読んでいる人はすぐにわかりますから。で、これはこの節で議論すべきテーマなのですか?--Clarin 2007年10月1日 (月) 04:19 (UTC)
イラク日本人青年殺害事件。参考文献の書名が伏字になっている具体例です。HOTUMA 2007年10月1日 (月) 14:21 (UTC)
念のためっすけど、おれは「氏名掲載絶対反対派」ではございません(と、先に確認・念押しをしとく)。個人的には、Clarin氏とはかなりの温度差を感じてます。んな主観的なことはまあいいとしてだ。
さて。
よっぽどの著名人の場合以外は、氏名をタイトルに含むような記事は決して多くないし、含んでいるもののほとんどは事態が進行中の速報的記事であるように思います。それらについては、「Wikipediaはニュースサイトではないので、そもそもそんな速報的情報は載せない」という方法を採用すべきです。著名人については、そのまま載せても問題あるまい。
また、氏名をタイトルに含む雑誌・新聞記事などを使う場合でも、記事の特定のために大事なのは「媒体名・号数」であり、記事名を省いても問題ないことが大半でしょうね。
上の方でも述べましたが、へたに「参考文献としての記載はOK」とかいう話にすると、「本文でさらしあげができないなら参考文献のタイトルで」と短絡するひとが大量に出現するのは火を見るより明らかであり、安易に妥協すべきポイントではないと考えます。新聞雑誌などの記事に出ていればOKというものではなく、われわれは「百科事典としての記述をする上で必要な情報なのかどうか」を判断基準とすべきなのです。--Nekosuki600 2007年10月1日 (月) 09:02 (UTC)
情報源の明示はWikipediaの重要な方針のはずであり、「明示させないようにする方向性」を認めることは、このサイトにとって重大な方針転換にならないでしょうか。Clarinさんに従って具体例を出しますが、1986年2月に起きた有名ないじめ自殺事件の被害者の名前は、その後もしばしば記事タイトルに使われていますし(CiNiiでも出てきます)、書物の題名の一部にもなっています。その書籍は、この事件を調べる人にとっての基本的な文献です。晒しあげする人が大量に出てくるというのがちょっと私にはわかりません(「新聞や雑誌やテレビやネットにいくらでも出てくる名前を出して喜ぶ人」というのが、私に理解できないということです)が、Wikipediaの方向性を変えてまで憂慮しなければならない事態でしょうか。
参考文献についての話は、すぐ上の「被害者の名前をタイトルに用いている本や雑誌(新聞)記事を用いる場合」が適切だろうと私も思いますので、次はそちらで書きます(読みにくくならないよう、この項目の下に移動したいと思います)。--Sasuore 2007年10月1日 (月) 11:38 (UTC)
情報源の確認は確かに重要なことですが、情報源があれば何を書いてもいいという話にはなりません。たぶんそのあたりで、速報が好きな方々とおれとの間には大きな感覚の差があるのだろうなあと思うわけですけど。
日々、いろいろな事件が起こります。その事件直後には、加害者・被害者・関係者の名前がぱ~っと世間に広まり、しばらくの間はある程度のポインタ機能を果たす場合があります。しかし事件は日々新しく起きてくるものであり、加害者・被害者・関係者の名前などはどんどん記憶のかなたに押しやられていき、ポインタとして機能しなくなります。答えあわせをしようとは思いませんが(つまり氏名を書けと言っているわけではありませんということですが)、たとえば耐震偽装事件。建築士の名前はまだ覚えているかもしれませんが、確認検査機関の社長の名前・建築会社の東京支店長や社長の名前・マンション販売業者の社長の名前を、あなたは覚えていますか。1999年に飲酒運転のトラックに追突され子どもを二人失って自動車事故厳罰化に向けての大アピールをやったI夫妻の名前をあなたは覚えていますか。十中八九覚えていない(あるいは最初から知らない)と思うんですよ。あ、ここでぐぐって調べるとかいうのはナシにしてね。でだ。人名なんてそのくらいポインタとしては機能しないものなのです。
事件がある程度落ち着いて、それからまだ記事タイトルなどに名前が出るようならば、それは「その名前はポインタとして機能する」という社会的な判断があると言っていいと思います。それを前提に考えるというのはありだ。しかしそうなる前に出た記事、特に事件直後に出た記事などは「速報」にすぎません。速報は、百科事典で扱うべき情報であるとは、おれは思いません(耐震偽装にせよ尼崎事故にせよ、当初の記事は、不確かな推測満載のどっしょーもない記事でしたし)。事件後、ある程度落ち着いて事態が解明され、事件の評価や関係者氏名のポインタとしての機能などがある程度安定してから判断するのが筋であり、記事タイトルなどにぼろぼろ氏名が出ている時期に記事を書こうというのが、もう間違いなんじゃないでしょうかね。--Nekosuki600 2007年10月1日 (月) 13:03 (UTC)
まあ、私の評価ではヒューザーの社長、それから例の一級建築士(本当は建築士耐震偽装問題は複数あるので、あの人の事件といったらやはり個人名を冠した事件名で区別するしかないのでは)は国会で証人喚問までやりましたし、和歌山カレー事件の女性の方の犯人(この人の場合新潮社とイラスト掲載をめぐって裁判を行って最高裁の判決が出ているので、その点からも記事を書ける)くらいは、後世まで名前が残りそうだなと感じ、実名掲載してもいいのでは、とは思いますけどね。
それから、本のタイトルを勝手に改変して引用したら著作者人格権侵害なのでその点は注意する必要があります。--マルシー 2007年10月1日 (月) 14:02 (UTC)
複数の類似の事件があったとして(あったんだが)、一般市民的に、事件関係者の氏名がポインタとして区別できるような要素があるとは思えない。一般市民(百科事典の利用者を含む)に、それほどの記憶力はありませんよ。確かに耐震偽装事件はいくつか独立したものがあり、後日発覚したのもあったんですが、二番目以降の中核関係者の名前を覚えているひとがどれだけいると思っているのですか。
んで、まあ長大項目になりかねないが、「一連の耐震偽装事件は全部ひとつの項目にまとめて、構成に工夫をこらして、記述する」、あるいは「耐震偽装事件の項目には最初のひとつを詳述し、二番目以降については『耐震偽装事件 (2006年札幌)』などのなんらかの工夫をした別項目を作ってリンクを貼っておく」などの方法のが望ましいと思う。それならば、流れを掴むことはできますからね。
個人的には、関連する複数の要素がからむ場合には、その複数の要素の相互関連も念頭に入れて、「項目群」として整備するという方法が望ましいと思っている。ただ、項目単独ですら交通整理ができないひとがけっこうおいでになるので、そこらへんは事態が落ち着いてから、その項目に深い関心を持つ有志がのんびり手間をかけるしかないのかな、なんて思ってます。
なお、「本のタイトルの一部を伏せる」くらいなら、著作者人格権への侵害にはなんないですよ。そもそも本のタイトルなんて書誌情報であり、識別子として機能するためか単独では著作物にはならない、という扱いなんですから。本のタイトルの一部伏字などが著作者人格権への侵害になるんだったら、最初から本のタイトルを載せることが著作権侵害になるんじゃねーの?(やや大げさだが、それなりに平行して論ることが可能なことではある)--Nekosuki600 2007年10月2日 (火) 15:57 (UTC)
Nekosuki600さんの議論は、著作権と著作者人格権を混同しているように思えますよ。本のタイトルそれ自身に著作権がないとしても、タイトルは作品の重要な部分です(作者が一番思い悩むところだと思います)。実名をあえてタイトルにした著者はそれなりの思いがあって実名をタイトルにしているわけですよ。著作権法20条1項を見てください。「著作者は、その著作物及びその題号の同一性を保持する権利を有し、その意に反してこれらの変更、切除その他の改変を受けないものとする。」と定めています。条文も「著作物」と「題号」を別に定めているでしょ。--マルシー 2007年10月3日 (水) 12:04 (UTC)
じゃ、「氏名などが含まれていて、そこを伏せなければ問題が起きるかもしれないような書籍・文献類は、Wikipediaのソースとしては認められない」ということでいってください。おれはそれで全然かまわないし(これは、「Wikipediaの出典準拠原則を転換すべき」という意味ではありません。著作者人格権などまで持ち出して氏名記載を強引に容認させようとする姿勢に対する強い反対の意見表明です。「タイトルの一部を伏せることを容認する」か「そういうタイトルの文献のソースとしての使用禁止」の、どちらかを選べ)。
現実問題、悪意のある改変でもなけりゃ著作者人格権をめぐる問題になどなりません。また、商業著作物では、著者にタイトルの決定権限なんぞありません(決定権限を持つのは出版者・製作者です。果たしてその著作権は誰が持っているのだろうか)。そのあたり、著作権法が時代からズレている部分はありますし、そのあたりもひっくるめて容認し得るような弾力的な運用がなされています。--Nekosuki600 2007年10月10日 (水) 14:00 (UTC)
それをいうなら、法的に問題のない被害者や加害者の実名を掲載しても問題ないということになりませんかね。現実論を言うなら、そうWPで実名が書かれたからといって訴訟になった実例は聞いたことがないのですが。それなら、実名記載をなんでもかんでも反対するのではなく、弾力化した運用方針を提案しているわけです。
あと、Nekosuki600さんの議論は、アメリカやヨーロッパの著作権法の議論ならそれでもよいのですが、日本の著作権法がそうなっていないから議論しているわけです。--マルシー 2007年10月15日 (月) 16:24 (UTC)

被害者の名前をタイトルに用いている本や雑誌(新聞)記事を用いる場合

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「事故・事件などの被害者の実名」はWikipediaでは伝統的に削除されるとのことですが、こうした事件について調べる際に紐解くことになる書籍や雑誌(新聞)記事の中には、被害者の名前をタイトルに用いていることが少なくありません(具体例をいくつか挙げてもよいのですが、余計なトラブルを招きかねないので控えます)。参考文献を書く際に、名前を伏せ字にするのははなはだ不自然ですし、だからといって最初から載せないというのもおかしな話だと思います。

このような本、記事の取り扱いについてどのようにすればよいか教えてください。--Sasuore 2007年9月18日 (火) 15:30 (UTC)

「殉職した者の実名記載はB-2案件の例外要件として実名記載を認めることを明文化することについて」の下に移動させました。--Sasuore 2007年10月1日 (月) 11:44 (UTC)

上で行われていた議論の続きです。そろそろ、サブページの利用を考えたいと思います。

>Nekosuki600さん 「情報源があれば何を書いてもいい」とは私は言っていません。それがいけないことはWikipediaにも書いてあることですし、曲解されても困るのです。

2段落目についてはまったく理解に苦しみます。ニュースに興味があれば、有名な事件の関連人物を記憶していておかしくないとは思わないのでしょうか。アイドルグループに興味がなければ、メンバーの名前を聞いてもすぐに忘れてしまうことでしょうが、それと同じ次元の話だと思います(なお、私は新聞や雑誌をよく読む方なので、人名については全員覚えております)。

3段落目については、「(ウィキペディアは)ニュース速報の場所ではありません」という文章がWikipedia:ウィキペディアは何でないかに載っていますし、あなたが思う思わないに関わらず、この場にいる方の多くは、そのことを理解されていることでしょう。もしも、たとえばですが、(現在用意されている)「最近の出来事」を載せるべきでない」という考えをお持ちなのでしたら、ここではなく別のところで提案すべきだと思います。--Sasuore 2007年10月1日 (月) 14:32 (UTC)

この事件のことを仰っておられるのですよね。わたしはやはり、ローカルのノートで提案し、真摯に説明されてみるのがよろしいと思います。21年も前の事件ですし、かといって未だに名前を覚えている方もいると思いますよ。なにがなんでも削除というのが今のシステムではないという意見は的を得ていますし、わたしもそう思います。--Clarin 2007年10月1日 (月) 14:51 (UTC)
こんなふうに節をまたいで議論を展開されても困るんだけどね(ためいき)。
二段落目について理解に苦しむのならば、それはあなたが速報厨とか呼ばれるような方々や、Wikipediaをさらしあげの場として使おうとする方々の威力を、あまりご存知ないということなのだと思うのですよ。直接的なイヤミと思われたらかなわんのでひとつ前のコメントを書く前にあなたの発言履歴を調べさせていただいたのですが(あなたが速報厨のようなことをやっていたならもうちょっとオブラートに包んだ表現にしただろう。そういう形跡は確認できなかったので直截な表現にした)、現実問題むちゃくちゃ「ごく近い過去」のことばっか書きたがり、しかも後始末をせずに書き逃げするんだね。そういうやつらによってWikipediaがリスクを背負わされるのはまっぴらだ、と、おれは思います。
んでだ。あなたが本当にそれらの人名を覚えていたのならば、「いかにポインタとして機能しないか」について実感をしていただこうという意味では空振りでした。どうも申し訳ない。しかしだ。あなたの周囲のひとたちが、数年前の事件にかかわった関係者の名前を聞いてどの事件だったか思い出してくれるかどうか(その氏名がポインタとして機能するかどうか)をしばらく確かめて、それから改めて意見を形成してはもらえませんか。
おまけ。「Wikipediaはニュース速報の場所ではありません」をはじめとした規定類・ガイダンス類がどの程度機能しているのかを、いまいちど、依頼関係をしばらく眺めるなどしたうえで、考えてみてはもらえないでしょうか。「誰もマニュアルなんか読まない」という経験則がありますが、Wikipediaも同じ経験則に悩まされており、そうそう簡単にかたづけられるような話ではないのです。もひとつついで。「最近の出来事」について、おれは何も言っていません(意見は持っていますがね)。--Nekosuki600 2007年10月1日 (月) 14:54 (UTC)
まずは節をまたいだことをお詫びします。
>Clarinさん そうです。ただ私が加筆しようと考えていたのは、それとは別の事件なのですが、少し調べるうちに、上の問題点に気がついたというわけです。参考文献を列挙するのにもノートページで提案し、しかも皆さんの同意を得ないといけない、という状況――まだ、その実際を見たことはありませんが――は、少なくとも私にとっては負担ですし、まじめに調べている人たちにとってはデメリットが大きいです。
>Nekosuki600さん 私にも興味関心をあまり持たないニュースは多々ありますので、それらの関連氏名、例を挙げれば、風船おじさんの本名は私には「ポインタとして機能」しません。私は確かに「速報厨」(と言われてもピンときません)などの実態をよく知りませんが、仮に相当認識していたとしても、次の問題点が生じることに変化はありません。すなわち、情報源を明示しない場合を認めることは、Wikipediaの3つの方針の1つ「検証可能性」を低下させる、ということです。繰り返しますがこれは「重大な方針転換」です。検証可能性の低下は、「書き逃げ」派にとって、むしろ有利な状況になると思われるのですが、いかがでしょうか。--Sasuore 2007年10月1日 (月) 16:26 (UTC)
まず最初に。速報厨に悩まされたことがなければ、それは幸せなことなので、あえてそんなもんを見に行く必要はないと思う。だが、そういう問題があるのだということは、覚えておいてもらえるとありがたい。
さて本題。
この「関係者の氏名が掲載されている記事などについては、出典としての記載も避ける」という考え方ですが、これだけを取り出してみれば確かに「情報源を明示しない」ということにつながりかねません。しかし、もともとWikipediaは「速報をしない」という原則があるんでして、事件直後の事件関係者の氏名がポインタとして機能している時期の新聞記事・雑誌記事などは、速報者が多く情報源としてはふさわしくない、という説明をしています。つまり、「速報をしない限り、関係者氏名が掲載されている記事などを出典として認めなくても問題はなく、情報源を明示するという原則にとって脅威とはならない」のです。
ある程度事件から時間が経てば、ほとんどの場合、関係者の氏名はポインタとしての価値を失い、記事タイトルなどに使っても意味がなくなります。そうなってから記事を書いてもぜんぜん問題はないんですよ。また、かなりの時間が経ってもポインタとして機能するほどに定着したら、その場合には「この事件の関係者であるIという名前は(アルファベット程度でいいでしょう。それで参加者にわかんなけりゃポインタとして機能していないということだ)、ポインタとして機能しているので、記事に記載しても良いことにしたい。出典になり得る記事などにも使われている」という問題提起をノートにして合意を形成すればいいだけの話じゃないかと思う。--Nekosuki600 2007年10月2日 (火) 16:03 (UTC)
「速報でない」という前提の下に、最近の出来事欄やTemplate:現在進行が存在しています。もし、「最近の出来事」や「現在進行中の事象」をWikipediaで扱ってはならないという考えをお持ちであれば、ここ以外で主張すべきですが、そうでなければ。「性急な編集をせず事実を確認し、正確な記述」をする近道は何でしょうか。言うまでもなく、情報源(それも複数)の活用と、明示です。「情報源としてはふさわしくない」ということは、何も速報に限らずあることですが、最初から出所を明かさないことは、「ふさわしい」か「ふさわしくない」かを検証者が確かめることができないことを意味します。それゆえ、「情報源を明示するという原則にとって脅威」なのです。出所を明示しないことによる他の問題点は書くまでもありません。
最後の文章(問題提起をノートにして……)については、私が上で答えていますので、それを踏まえていただきたかったです。どの項目で議論するにせよ、共通点は「出所となる記事や書籍を、人の名前が使われているからといって題名を隠したりなどすることが妥当なのかどうか」ということでしょう。--Sasuore 2007年10月3日 (水) 01:07 (UTC)
追加します。私は「参考文献としたものは、実名が掲載されていようがいまいが、情報源の明示のルールにより掲載すべきである」という立場に立っていますし、そもそも、Wikipediaのどこにも「実名を記載しているものについては、出所の情報の一部を隠してよい、あるいは出所となるものを隠すべきだ」とは書かれていない以上、問題提起を個別的記事のノートで行うよりも、ここや「出典を明記する」「検証可能性」で行い、新たなルールを形成するのが理にかなっていると考えます。--Sasuore 2007年10月3日 (水) 01:50 (UTC)
なんかどうしても「最近の出来事」と結び付けたいようですが、あれは速報を是認するものではなく、最近の話題(ニュース)と関連する項目を紹介することが目的のものです。Portal:最近の出来事にも「百科事典をつくることの助けになる最近の出来事を紹介し、あわせてその背景を解説する記事への案内をする」と明記されています。これは、速報項目の作成を推奨するものではなく、事件報道などからその背景を調べにきたひとを主たるターゲットとしたものです。
また、「現在進行」のテンプレートは、速報をやりたがる人々を抑制するためのものです。あの文面を普通に解釈すれば「速報なんか書くなよ」という以外には受け取れないと思いますが、いかがでしょうか。
どちらからも、「Wikipediaは速報を歓迎するものではない」ということが導けます。Wikipediaは、速報をするためのサービスではありません。どうしても速報をやりたければWikinewsに行け、というのが原則でございます。いまのところ話はまとまっていませんしまとまる気配もありませんが、「事件発生後一定期間はその事件項目の立項を禁止しよう」なんて声もときどき出てきています(おれは、事件によって相当の禁止期間が異なるため一括規制は難しいという考えでおりますが、考え方には賛同します)。こういった規制が実現すれば、「名前がはいっている時期を参考文献に入れられないのはおかしい」といった話は、ほぼ解決するんじゃないかなあと思ったりもしますね。
ついでなんだけどさ。新聞社の公式サイト上の記事って、あんまり長生きしないんだよね。内部規定に基づく期限が来るとさくさく消されてしまう。縮刷版を見ろってのはありだが、オンライン版と最終版準拠の縮刷版では記事が異なるなんてのもフツーにあるからな。少なくとも、Web上の新聞記事情報は、典拠にゃできませんよ。--Nekosuki600 2007年10月3日 (水) 10:06 (UTC)
Nekosuki600さんも私も「速報ではない」という言葉を繰り返している点は同じですが、Nekosuki600さんは、テンプレートに関して「『速報なんか書くなよ』という以外には受け取れない」、私は文字通り(「ニュース速報ではありません」「性急な編集をせず事実を確認し、正確な記述を心がけてください」)に理解し、引用しています。どちらがより正しいかは皆さんにおまかせしたいと思います。
私は先ほど、20年ぐらい前の事件を具体例に挙げました。Nekosuki600さんは実名表記反対派ではなく、実名表記の有無にかかわらず、時間が経過していない記事を情報源として使用されることに反対されているのだと私は理解しました。間違っていましたら申し訳ございません。ただ、もしそうでしたら、私は「実名表記を理由に、参考文献を隠したり、情報の一部を伏せたりすること(そういうルールがあるとすればですが)は問題である」という立場に立って議論を展開しているので、Nekosuki600さんとの間に幾分すれ違いが生じています。そこで議論を提出した私としては、先ほどの事件のような、幾分時間が経っているものについて話しあうのが妥当に思います。他の方のご意見もお待ちしております。--Sasuore 2007年10月3日 (水) 14:13 (UTC)
あー。おれも他の方のご意見をお待ちします。
なんてのかな。もうひとつSasuoreさんとおれとの間には、大きな感覚の差があるような気がしています。それはなにかというと「対話によって打開策が得られる可能性」です。
おれは経験則から「おれが氏名記載をする理由があると思い、そう主張した場合、それはそれなりに通る」と思っています。氏名不記載は、原則ではあるが、けっこう反論すれば受け入れてもらえる程度の原則である、と。
しかし氏名記載を原則禁止するルールの撤廃を求める方々は、そうは思っていないような気がする。「いくら言っても絶対に氏名記載は認められない」と思っているような印象があるんだ。それについておれは、「氏名記載が認められないのか、アンタの主張に説得力がないのか、その区別をしてくれ」とか思っているのですが。
説得力のある主張をすれば氏名記載は可能。説得力がなければ不可能。説得力がない主張しかできないひとのために原則を後退させてやる必要なんかない、というのがおれの感覚なんですよねえ。おれもいろいろ意見を聞いてみたいのだが、そういう観点も意見を形成するときに入れておいてもらえるとありがたいと思う。--Nekosuki600 2007年10月3日 (水) 14:25 (UTC)

ここで、私の論理を、これまでに書いてきたものとの重複を覚悟で書いていこうと思います。私は議論によって新たなルールが生まれるだろうと信じ、それだけでなくそのルール作りを行っていこうと考える者です。誤解のないように言っておくと、私はあくまで、実名記載が、出所明示原則との関係において「認められるのが当然である」という立場に立っています。つまり、出所を示す場合以外の箇所への実名記載を「望むものではありません」(否定もしませんが)。つまり、本文で「中学生」「会社員」となっている人たちの氏名を明かしてもいいようにしよう、とは主張していないのです。実名記載を「認めてほしい」とは書いていないように、実名記載がしたいからこのような立場をとっているのではありません。

たとえばこれは草案段階ですが、Wikipedia:引用のガイドライン/草案では、「著作権法上の引用より厳しい制限が必要だ」とし、「引用した部分の直後に、引用した文書(書籍、URL など)の標題、著者、ページまたは URL を記述し、引用元を明記しなければなりません」(太字引用者)とあります。ここから、本や記事のタイトルは省略できないことがわかります。著者が被害者であるケースも同様です。また、タイトルの一部を伏せる行為はNekosuki600さんによると、「著作者人格権への侵害にはなんない」とのことですが、実際にはマルシーさんがおっしゃっているように、侵害に当たります。今の段落では引用について説明しましたが、引用をともなわない、単に参考にしたケースでも同じことが引き出せましょう。「認めてほしい」のではなく、「認められるのが当然」だという考えはここから出発します。私は一番最初に「はなはだ不自然」「おかしな話」という表現を使いましたが、(単なる質問だったとはいえ)「法的な問題が生じる」と書いておくべきでした。

もし、実名の表記に反対される方がいらしたら、次のようなご意見を1つの主張として書かれるかもしれません。「名前が出ていない記事のみにあたれ、出ている記事は一切使ってはならない」。はじめから実名表記記事を排除しようというものです。これについては前に、中立性の観点から問題だと書いたのですが、これが中立性の観点に触れないとしても、出版物の一部を規制するように思われる行為には私は慎重でありたいと考えます。

「ケースバイケースによって判断」という対処が私には、実は一番よくわかりません。ケースバイケースによって、引用の原則を破ったり、人格権侵害を奨励したり、参考文献のこれはよく、あれはダメと判断したりするというような方向性が妥当なのかどうか(私とて出所に関する情報をうっかり書き忘れていたこともありますし、著作権法上問題のある行為をしなかったとはいえませんし、「お前だって」と言われれば言葉もありませんが)。ともあれ、実名表記している記事や書籍が無視できないほど多数あり、Wikipediaでは出所明示原則が叫ばれる現状の中で、最初の質問に戻りますが、どのようにすればよいか教えていただきたいのです。それが有効なものであれば支持し、今までの論点に固執するものではありません。--Sasuore 2007年10月4日 (木) 05:42 (UTC)

少しだけコメントします。
当人の立場に立ったら公表を望まないだろうと、一般人の感じ方で感じるような情報の公表は基本的にプライバシー侵害に相当すると考えました。(宴のあと事件判決から)
プライバシー侵害に当たる場合でも、報道の自由の観点から、氏名公表などが正当化されることはありうるという判決を幾つも見ました(エロス+虐殺事件高裁判決、逆転事件最高裁判決など)が、これは個別の事例に即して検討されるべきもののようです。プライバシー侵害のもたらす被害と、報道の自由によって得られる公益を比較して、後者が勝っていればプライバシー侵害の違法性を阻却したり、差し止め請求を認めなかったりすることは、五十嵐清『人格権法概説』(有斐閣 2003年)では「比較衡量説」と呼ばれ、近年主流になりつつあると紹介されています。
そうすると、仮に事件当時の報道において被害者の実名を明記する、更にはそれを記事や書籍のタイトルとして使用するということがあったとしても、その文脈とは異なるウィキペディアへの掲載という文脈で、実名の記載をすることが適当かどうかは、個別に検討してみなければ何とも言えないとまずは言えるのではないかなと思いました。
ただ、そういう個別的な検討に際して参考になるような裁判例というのがどのくらいあるのかは、僕は不勉強なのでまだよくわかりませんし、それらに通じている人が問題のある場合とない場合とを上手に切り分けてくれるということが、あれば嬉しいことですが、あるのかどうかもちょっと自信がありません。
加害者ではなく被害者で、かつ、本文中ではなく文献のタイトルに名前が使用されている場合はどうなのかと考えてみましたが、事件の性質によっては被害者として実名を公表されることを嫌がるケースはあるでしょうし、文献のタイトルが明記されていればおおよその場合そこから実名が読者に伝わってしまうところでしょうし、一概に問題がないとまでは言えないのでは、というのが僕の(素人感覚での)感想です。極端な例として、記事の執筆上さして重要性はないものの、実名を晒したい人がその記事を典拠としてある情報を記入する場合を考えてみるとどうでしょうか。プライバシー侵害と報道の自由に関して扱ったものの中には、「記事の目的」を判断材料のひとつにしたもの(最高裁H.15.3.14判決)や、特定の情報を公表する「意義や必要性」を判断材料のひとつにしたもの(東京高裁H13.7.18判決)があるわけですが、それらに照らした場合にはやはりやや弁明しづらい事態になるのではないかなと推測しました。もちろん、これらはすべての判例で用いられている基準ではないようですし、用いられている場合であっても判断材料のひとつでしかありませんから、確実に違法であるという断言もまた、できなさそうな感じもするところですが。。
大変歯切れの悪い意見で申し訳ありませんが、さしあたり考えたことは以上です。Tomos 2007年10月4日 (木) 09:21 (UTC)
ひとしきり他のひとの意見を聞くというターンにはいるのかと思ったのですが、どうもそうではなく、「読者は自分の味方だ」という意味での「皆さんにおまかせ」であったらしいということがわかりました。まずその点に、強い不快感を表明しておきます。
さて第一に、「引用の基準を適用できるのか」。
2つの異なる要素についてとっちらかっておられるようです。「引用の場合の引用元表示」と「Wikipediaに記事を書く場合の典拠表示」とは、まったく異なる概念です。前者は法の要請であり、後者はWikipediaのローカルな方針です。引用の場合に要求される引用元表示と、Wikipediaに記事を書く場合の典拠表示は、同一線で語れるものではありません。また、「Wikipediaにおける引用の場合の引用元表示」は、法の要請を受けてWikipediaとして安全なラインを策定しようというもので、必ずしも法の要請と一致するものではありません。法が要請するのは「引用元がわかるようにしておけ」ということだけであり、様式は定められていないのです。極端な話、引用元文献名・著者などが欠落していても「フツーはまあわかるだろ」というケースならば無断転載とはならず引用として扱うことが可能です。そのあたりをとっちらかったまま論を組み立てても、おかしな結論に到達せざるを得ません。
続きまして、「ルールは効果を考えて決めなければならない」。
しょーじき、あなたが氏名表記をしたいかどうかは、ぼくにとってはどうでもいいのです。そうではなく、結果としてどのような現象が引き起こされるのかを予想し、それが百科事典づくりの上で好ましいことかどうかを判断し、そこから逆算してルールを決める必要がありますし、それはルールを策定しようという者には不可欠な視点でしょう。すでに「必要であれば説得すれば氏名を記述することは可能」なわけですが、このような状況の中ですら手間を省いて独断で氏名が書かれ削除検討を余儀なくされるという問題が頻繁に起きている。ここで不用意な緩和ルールを設ければ、間違いなく「不適切であり、必要もない」氏名記載が増え、手間も増えることが容易に想像できます。その手間をあなたは、誰がどう負担すると想定しているのか。おれは、現実的にはその手間を負担できるひとも組織もないと思いますので、緩和には賛成できません。これまで通り、「記載すべき理由がある」と思う者がそのように主張し合意を取り付けてから記載が認められる、という方法で充分でしょう。
最後に、「ケース・バイ・ケース」。
法律というのは、いちおう条文というものがありますが、実際の適用についてはすべてが「ケース・バイ・ケース」で、それぞれの判決によって決められるものです。法律ですらそうなのだ。Wikipediaの規定にしたって、果てしなく細かく規定を設けても最終的にはケース・バイ・ケースで判断をせざるを得なくなるものです。ケース・バイ・ケースでの判断というのは、決まりごとの基本なんです。文書にまとめられた規定類は、「ケース・バイ・ケースでの判断をある程度の範囲に安定させるための枷(かせ)・目安」であり、「ガイドライン」にすぎないものなんですね。どんな規定を置いたところで、それぞれの具体的事例への適用のためにはケース・バイ・ケースで判断せざるを得ないのであり、その判断を避けるために規定を設けようという発想は、正直よくわかりません。なんか根本的に「成文法」の位置づけがおかしいんじゃないかという気がします。--Nekosuki600 2007年10月4日 (木) 10:13 (UTC)
Wikipedia:削除の方針に反しても「必要であれば説得すれば氏名を記述することは可能」の実例か根拠を挙げていただけませんか。念のためですが、Wikipedia:ルールすべてを無視しなさいは駄目ですよ。私は、この議論がなされているということが「ルールすべてを無視しなさい」の現れであると考えていますので。とはいえ、私も「殉職」という言葉で括るべしとは考えていません。HOTUMA 2007年10月4日 (木) 11:39 (UTC)
犯罪事例ではないのであまり鮮やかには感じられないかもしれませんが、たとえば旧石器捏造事件。事件の中核にいた個人の名前が記されており、それどころかその個人名の項目まであります。
これらは、ほぼ同時にケースB-2該当事例として削除依頼が出されていますが、いずれも「事件の中核にいた個人の名前がポインタとして機能する」という指摘によって存続となっています。その名前を掲載しておくことによってどういうメリットがあるかを指摘することによって記載が生き延びた事例であると言えましょう。--Nekosuki600 2007年10月4日 (木) 12:40 (UTC)
この人は、「積極的に実名を用いて活動している政治家・スポーツ選手・研究者・作家・芸術家・アーティスト・芸能人などの著名人を除き」に該当します。名前がポインタになることもさりながら、実名記載継続という御意見の理由として、実名での活動があり、削除の方針に該当しないことを挙げられている方が多くいます。HOTUMA 2007年10月4日 (木) 13:16 (UTC)
あなたがそう思うのは自由なのですが、事件以前には無名のアマチュア研究者にすぎず考古学に興味がないひとには知られていませんでしたし、事件以降は悪名しかなかったことも事実なんであります。そして、立てられた個人名記事は初版はバッシング目的のひどいスタブでした。それでも、メリットがあるなら救えるんですよね。
氏名を明記することには、リスクを伴います。リスクを上回るメリットが提示できればOK、提示できなければNG。そういう話です。書くことに積極的に意味を見出すのなら、メリットくらいやすやすと提示できて当然だろうと、おれは思うのですがね。--Nekosuki600 2007年10月4日 (木) 13:36 (UTC)
この人が著名であったかどうか、私がどう思っているかは論点ではありません。重要なのは、削除依頼において、実名で活動している研究者であるという指摘が少なくなかったということです。Nekosuki600さん自身も仰せのように「考古学関連の文書類(公刊本を含む)にはかなり名前が掲載されている」というのは事実なのですよね。それでもって形式的にケースB-2から外れます。ケースB-2の例外について議論しているところでケースB-2に該当しないものを挙げても意味がありません。HOTUMA 2007年10月5日 (金) 13:03 (UTC)
説得が功を奏して存続になったんだとおれは判断していますが、存続とすべき理由を力説して存続に持ち込んだら、その結果をもって「B-2適用外」とか言われてしまうんだったら、意味ないですわね。自分の結論を見直す気がないひとに説明するのは徒労だ。--Nekosuki600 2007年10月5日 (金) 13:17 (UTC)

横から失礼します。

はたから見ると、Tomosさんの言い方を借用すれば、法的には「問題がないとまでは言えないのでは」というレベルの争いに見えます。「ウィキペディアに名前を出された。責任とれ」と主張する被害者、「出所を明らかにせずに引用しやがって。これは剽窃行為だ」と怒る著作権者が、実際に出てきてはじめて、問題になるっていう話では。

Wikipedia日本語版がとっている「プライバシー配慮」「出所明示」という2つのルールが、一般のそれよりも厳しくなっているのは理由があり、まじめに考えるとSasuoreさんのように悩むことになる。Sasuoreさんがケース・バイ・ケースを疑問視する事情はなんとなくわかりますが、ルールづくりをしたいのであれば、まず他の人たちに、個別の案件ごとに「自分だったらどうするか」を判断させるようにしたほうが得策です。2つのルールが共存しているなか、考えうる手段のすべてにダメ出しが出ているので、皆さんも困ってしまうだろうけど、その経験を多くの人が共有することが重要なんじゃないでしょうか。--Nattilv1 2007年10月11日 (木) 06:16 (UTC)

皆様ご意見ありがとうございました。まず、引用と典拠を同一のように扱えるだろうと書いたのは私の認識不足でした。ご指摘に感謝します。
この件については、私の知人たちにもログを見せ、意見をうかがいました。いろいろな指摘を受けましたが、出所明示が当然という点、文献情報の提示を何らかの形で制限することはおかしいという点では全員一致していました。ただし、私も含め、知人たちが全員大学に属し、情報源提示を当然だとする環境にいること、学術誌にも実名記載の論文が載っている実態を認識しているという事情がありますので、私たちの方がまわりから見ればおかしいのだという批判はありうるかと思います。
まわりからは「堂々と投稿すべきだ」とのアドバイスを受けました。実際にそうするかどうかについては決めかねていますが、記事を書くための文献の渉猟は今後も行っていきたいと思います。なお、私が調べている事件は愛知県西尾市中学生いじめ自殺事件‎です。ノートにも書いたように、実際の投稿はかなり先のことになります。--Sasuore 2007年10月18日 (木) 11:08 (UTC)

改訂案2

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まあ、ケース・バイ・ケースの問題なのですが、現在相当程度削除依頼の過去ログが整理されないままたまっていて、過去の例を探すのも大変な状態にあるので、重要な先例となりそうなものをまとめていく必要性はあるのかなとは思います。これは、この問題だけでなく著作権についてもまとめていく必要があるかなと思います。Wikipedia削除依頼先例研究会みたいなものがあってもよいかもしれませんね。

殉職という言葉が不適切な場面もまあ確かに想定されるわけなので、例外的に実名を掲載される際に考慮すべき事項みたいな、考慮事項みたいなものの文案を少し練って削除の方針の中に挿入することの方が現時点では現実的かもしれないかなとも考えます。

例えば、こんな文言を挿入したらどうかなと。太字挿入 

積極的に実名を用いて活動している政治家・スポーツ選手・研究者・作家・芸術家・アーティスト・芸能人などの著名人を除き、本名(個人の実名)を含んでいたり、個人が特定できる記事は、原則として削除の対象になります。日本国法の個人情報保護法、民法709条などを参考にしていますが、法令とは関係なく日本語版Wikipediaは個人のプライバシーを尊重する方針を採っています。下記に、ウィキペディア日本語版で伝統的に削除されている例を挙げます。

  • 事故・事件などの被害者の実名。
  • 本名を敢えて非公開にしている著名人の実名(例:覆面作家)。
  • 著名人の記事で、著名活動をしていない家族の実名を含むもの。ただし、俳優の芸名が年長の家族の名に由来する場合などは例外的に認められることがあります。
  • 犯罪の被疑者名または被告名または元被告名。
  • 著名人の記事内で、著名活動に多大な影響を与えたとは考えられない逮捕歴、裁判歴、個人的情報など(例:大学教授の記事で、車庫法違反で罰金の有罪判決を受けたという事実を記載する必要はありません。記載された場合削除の対象になります)。

特に個人の犯罪歴に関して、実名や個人が特定できる場合、ほとんどが削除の対象になります。これは、日本国では、元服役囚に、服役囚であった事実を公開されない権利があることに由来します(したがって日本に深い関係を持たない人物の場合は、別途、考慮が必要です)。

ウィキペディア日本語版内で、削除されず、伝統的に認められている例を挙げます。

  • 歴史的な記事(ほとんどの関係者が既に死亡している場合)。例:A級戦犯
  • 政治家の逮捕歴。
  • 本名を公開している著名人の本名。
  • 逮捕歴などを本人が積極的に公開し、自作中で使用している著名人の逮捕歴。
  • テロリストの実名。
  • 重大な事件・事故によって被害を受けた著名人。
  • その他、Wikipediaに実名記載することが特に必要と認められる場合で、かつ、掲載することによるプライバシー侵害が低いと認められるとしてノートで合意がなされた場合

いずれにしても、個人の実名や個人情報を含むという理由で削除依頼される可能性はありますので、実名などを記載する場合は該当記事のノートページなどであらかじめ他の利用者と話し合い、記載すべきかどうか十分に検討し合意をとりつけてください(実名掲載の可否を議論する際には、事件・事故の重大性により記事本体、コメント依頼、特に重要な事件の場合はPortal:お知らせで告知するものとします)。その議論に当たっては、事件や事故の重大性、実名を掲載しようとする方の後世に与える影響、事件・事故前の活動状況、プライバシー侵害の程度等を総合的に判断してなされるものとします。

また、非公開の個人・団体の電話番号やメールアドレスはいかなる理由があっても削除されます。


さらに、削除の対象にならないものに

軽微なプライバシー侵害事案で編集除去によるものが相当と認められ、かつ、その後の加筆状況により削除で対処するのが適当でないと認められる場合

追加することもあわせて検討すべきかなとも一応の提案といたします。 --マルシー 2007年10月4日 (木) 13:00 (UTC)

とりあえず、全面的に反対。現段階では改定の必要は認められない。
前の議論がぜんぜん収斂する気配を見せていないのに改定案を出して強行突破をはかるなんてのは、合意形成の尊重という観点だけから見ても、あんた問題外だろうがっ。--Nekosuki600 2007年10月4日 (木) 15:53 (UTC)
(反対)調整すべき局面が増え、その調整の手間と、さらに削除依頼の手間の増大が懸念されます。ご提案は速報系のかたがたへの加勢となるでしょうね。現段階では反対としますが、特定版削除の作業がシステム的にもっと簡単になったり、履歴や過去版の調整の自由度が高まったりした場合にはまた考えます。--スのG 2007年10月4日 (木) 17:11 (UTC)

実名記載条件緩和の提案

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御賛同いただける方のみへ。

被害者が公的に表彰された場合

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記事「内閣総理大臣顕彰」において、一国の総理から顕彰を受け(新聞報道などもされ)たにもかかわらず、「一般人である」との理由で2名の名前が消去(肩書のみ掲載)された状態にあります。事件に関する記事中において被害者の実名を書くべきかどうかはこれまで皆さんが多くの議論を積み重ねてこられたので今更蒸し返しませんが、ある事件において単に被害者であるのみならずその犯人に立ち向かったことが確認され、その行動が内閣総理大臣により顕彰されたという事実がある場合、その実名を(事件の記事中ではなく)内閣総理大臣顕彰の記事中においても一切記載してはならん、という理屈はどのあたりから出てくるのでしょうか。ノート:内閣総理大臣顕彰にも書きましたが、こういう場合は実名記載あり、だと思うのですが。無論「百科事典を使ってその人を顕彰したい」などという利己的・自己満的な動機ではありません。あくまでデータとして載せることも許されないのか、という疑問提起です。--無言雀師 2007年11月6日 (火) 22:00 (UTC)

試しに書いて見るというのが正解かもしれませんね。但し、焚き着けるつもりは無いので悪しからず。HOTUMA 2007年11月7日 (水) 12:08 (UTC)
そもそも「百科事典」に書かれることについてどう思っていらっしゃるか…きっと分かりません。分からないのであれば確認できない事項となりますので書かない方がいいのではないかと考えます、少なくとも本件のターゲットは「被害者」ですよね。もちろん最近の出来事ページであれば全く問題がないことだと思いますが。疑問ということなので私もくだけた書き方をさせていただきました。--Springtide 2008年1月26日 (土) 18:22 (UTC)
ウォッチリストから外していたため気づくのが遅れました。本件のターゲットは、事件の記事中に書くのであれば「被害者」でしょうけど、内閣総理大臣顕彰の記事の表中に書くという視点においては「被顕彰者」だと考えます。叙勲や顕彰など栄典的なものは、少なくとも日本では(天涯孤独で遺族のない人は別として)基本的に事前に打診があり辞退することが可能です。しかし、にもかかわらずそれを受けたということは、そういう栄典記録が報道され後世に残ることを暗黙の内に受忍した、とは考えられないでしょうか(無論本人の意思でなくあくまで遺族の意向にはとどまりますが)。今回当方が議論提起した件はあくまで「顕彰を辞退せず受け」たことが新聞報道等で確認される人のみが対象で、しかも事件の記事中への実名加筆は引き続き行わない、というのが大原則です。そういう限定的な加筆まで封じるというのは、少し抑制が過ぎるような気がしています。--無言雀師 2008年2月8日 (金) 07:12 (UTC)
すみません、私もしばらくログインできませんでしたので…今回の場合は「故人」ですのでちょっと抑制気味でもいいのかな、と考えた次第です。また褒賞の対象が「事務次官」とか「なんとか社社長」とかであれば他の資料で調べることが可能ですのでこの部分は実名表記をしてもいいと考えておりますが、肩書きが「警察官」とか「職業」程度であれば伏せるべきと考えます(通常の手段では氏名にたどり着けないため)。このくらい細かい運用ができるのであればプラスとなる名前は書いてもいいのかもしれないと考えてはおります。--Springtide 2008年3月5日 (水) 16:28 (UTC)

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1990年に起こった読売新聞奨学生の過労死事件(読売新聞#疑義が持たれた報道、スキャンダル に概略があります)の記事中、記事名での実名表記の是非に関して、ノート:三鷹新聞奨学生過労死事件 にて疑問が出されました。ご意見・ご関心をお持ちのかたのコメントをお待ちいたします。--スのG 2008年1月26日 (土) 15:09 (UTC)