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Wikipedia‐ノート:スタイルマニュアル/人物伝/過去ログ4

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琉球の人名、年号の表記について

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琉球史上の人物の投稿、加筆修正を行っているのですが、作業を進めるにあたり疑問点がでてきましたので、現在私のとっている執筆方針と併せて提示し、皆様のご意見を賜り、今後の指針が定まればと考えています。

  • 琉球の人名表記はどうするべきか
1879年以前の琉球人は個人を指す名称として、「唐名」「采地名(無論名島を含む)+位階称号」「采地名+位階称号+名乗」「童名(いわゆる幼名とは異なる)」などが用いられ、純粋な「和名」はありません。多くの人名事典類では「采地名+名乗」をして擬似的に和名スタイルにしていますが、名乗不明な者は「采地名+位階称号」で、王、久米村籍の者は「唐名」を用いるのが一般的です(事典により立項の揺れもあるが)。
これらを踏まえ、私は王、王号追贈者、久米村籍の者は「唐名」での立項・リンク。それ以外の士族は「采地名+名乗」での立項、記事中の表記は「唐名・采地名+位階称号+名乗」で「采地名+位階称号+名乗」でのリンク。名乗不明者は「采地名+位階称号」での立項・リンクをしています。ほかにもいくつか気になる事項(離島士族、帰化人、僧籍)もありますが、現在このような編集方針をとっています。
現在の記事中の表記とリンク(左側)、および立項(右側)の例
  • 琉球史の年号表記はどうするべきか
琉球は1609年の薩摩の侵入後、日中両属になりましたが、1879年の琉球処分までは明暦・清暦を用いており、琉球史を執筆する上で年号に和暦を用いるのはかなりの違和感を覚えます。
私は現在和暦は一切使用しておりません(無論史書の原典は明暦・清暦、これらを西暦に一旦変換したあと、さらに和暦に変換するという作業自体も煩雑で避けたいし、やはりナンセンスだと思う)。
現在の記事中の例
== 経歴(月日は旧暦) ==
  • 1560年嘉靖39)10月18日 生まれる。
  • 1564年(嘉靖43)閏2月12日 金武間切総地頭となる(→金武王子朝公)

以上が私の疑問点です。もちろん私個人としては私が掲げる執筆方針が一番良いと考えていますが、このWikipediaの性格上、コンセンサスを得ないまま作業を進めるのはいかがなものか、と思い至りましたのでここに提起致しました。新里紹顕 2006年2月26日 (日) 09:18 (UTC)

当時の琉球や史書の原典で用いられている明暦清暦を優先すべきと思います。日本との関わりが強い記述に関しては和暦も有ると便利かもしれません。-- 2006年3月4日 (土) 10:16 (UTC)
少なくても近代以前の琉球の人名を日本本土の基準でそのまま当てはめると問題があると思います。琉球人名については例外ルールがあっても良いと思います。--水野白楓 2006年3月5日 (日) 03:42 (UTC)

新里さん同様、琉球の歴史について執筆している者です。琉球史に精通している方ならお解かりかと思いますが、琉球人名や琉球の暦法については日本本土のそれとは異なる独自ルールがあり、両者を一纏めに出来ようはずがありません。その独自のルールを理解する者(私など)からすると新里さんのご提案は全く理路整然としており非常に納得の行くものであります。私はこの方針に対し大いに首肯すると同時に、より多くの方にご納得頂き賛成して頂ける様、私からもお願い致します。--Kunipoo 2006年3月24日 (金) 06:33 (UTC)

  • 琉球の人名表記について
唐名・采地名+位階称号+名乗」ですが、「五男・唐名・采地名+位階称号+名乗」と書くような場合、中黒が連続して日本語として不自然に思います。それで、「五男・唐名、采地名+位階称号+名乗」と記事を書いたところ、訂正された上に、「スタイルマニュアルで異論が出てない」とのご指摘でしたので、自分の見解を述べたいと思います。
琉球の人名には、唐名、童名、和名的なもの(采地名+名乗り)などがあり、一般の日本人読者には難解なのはもちろんのこと、琉球史に詳しくない現今の沖縄の人にとっても、難解なものになっています。それゆえ沖縄史関係の書籍などでは、采地名+名乗りで和名扱いで人名を記したり、唐名を書く場合は、「唐名・尚健、伊江王子朝直」といった説明を付随して、一般の読者に理解しやすいように配慮しています。
Wikipediaは、専門家向けの事典ではなく、不特定多数の、専門的知識のない方も閲覧するものですから、当然こういった分かりやすい配慮は必要だと考えます。それゆえ、采地名+名乗りで和名的に記すのを可とする、というような柔軟性があってもいいと思います。また、唐名の後は絶対に中黒(・)でなければならない、というような規則も硬直的です。記事によって、「唐名・尚健、伊江王子朝直」、「摂政・尚健、伊江王子朝直」、「五男・尚健、伊江王子朝直」と書いても構わないように、中黒を点(、)に表記を変更するのも認められるべきだと考えます。
  • 琉球史の年号について
琉球王国時代の年号を和暦で記すのは、私も違和感を覚えます。それゆえ、明暦、清暦を用いることに異存はありません。ただし、これも、一般の日本人にはもちろんのこと、現代の沖縄人にとっても、明暦、清暦はなじみの薄いものですから、琉球史関係の記事だからと、やたらと明暦、清暦を使用した場合、「難解な印象を与える」、「専門的、衒学的な印象を与える」という悪影響も考えられます。こういった点を考慮すると、明暦、清暦の使用は、できるだけ最低限にとどめるべきだと思います。--尚玉 2006年8月8日 (火) 08:16 (UTC)
  • 尚泰王の年号について
はじめまして、斎東小世と言うものです。尚泰王の年号は清暦(生年月日)と和暦(没年月日)とするほうがいいのか和暦で統一するべきか迷っています。私は統一されたほうがわかりやすくてよいと考え尚泰王の生年月日に天保14年7月8日と書きましたがその後清暦(生年月日)と和暦(没年月日)ほうがよいのでは?という迷いが生まれました。みなさんの意見を聞かせてください。最後になりますがこの質問にもはや答えが出ているならすいません。また、お門違いならすいません。--斎東小世2007年6月7日 (木) 11:22 (JST)
  • 琉球の人名表記について

上記、人名の議論について「王、王号追贈者、久米村籍の者は「唐名」での立項・リンク。それ以外の士族は「采地名+名乗」での立項」に賛同致します。但し、その場合、王、王号追贈者、久米村籍、士族でもない王族(王子、按司)はどちらになるかという議論が必要だと思います。私の提案としては、王子(按司から昇格しての王子ではなく、純粋に王の子か兄弟の場合)は唐名で尚○○とし、唐名姓が「向」となる按司から「采地名+名乗」としてはいかがでしょうか。どこで線引きをするかは決め手に欠くこともあるかと思いますが、尚○○という名は馴染みがあり、容易に理解できるが、向○○とあると、琉球史に詳しい人でない場合は理解が難しいと思われることと、第二尚氏に関する系図で、王子までを尚○○として記載しているケース(例として「王代記」琉球大学附属図書館など)が多いからです。 また久米村籍の人でも大和名の方が一般的に知られている人物、(例えば高嶺徳明など)に関しては采地名+名乗の方が妥当ではないかと思います。 --Franz Rekio 2012年9月17日 (月) 14:51 (UTC)

はっきりした区別があるわけではないですが、一般的に古琉球期の王子は「尚~」で表記される場合が多いように思います(例:尚維衡小禄御殿元祖)、尚韶威具志川御殿元祖))。これに対して、系図座が設置され、家譜編纂が行われるようになって以降は、大和名が多いように思います。(小禄王子朝奇(具志頭御殿元祖)、読谷山王子朝憲(読谷山御殿元祖))。これは向氏の場合、家譜編纂が始まって、御殿殿内ごとに門中意識が形成されるようになったこと関係があるかもしれまん。全般的にはやはり近世期の王子のほうが数が多いですから、基準を一つにすればやはり大和名が無難かとは思います。--ウィキナ会話2012年9月18日 (火) 04:28 (UTC)

琉球国王の記事名に王号をつける提案

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現在、ウィキペディアの琉球国王の記事名は王号なし(例:尚真)となっています。

しかし、日本の天皇は「明治天皇」、中国の皇帝は「康煕帝」などと、称号をつけた記事名となっています。それは単に元号と同一になり紛らわしいからでなく、桓武天皇のように元号名と一致しない天皇名についても、「桓武」とは記事を立てずに、「桓武天皇」としています。

それゆえ、私は、琉球が統一された第一尚氏以降の琉球国王については、王号をつけて記事名とするのがふさわしいと思います。例えば、「王代記」などの史書では、尚真王と王号をつけて記述しており、歴史的な呼び方としては王号をつけて呼ぶのが一般的です。また、王号をつけたほうが、王位に就かなかった王族(例:尚悦)との区別も明確になります。ただし、王号を追贈された(例:尚哲)が、実際には王位に就かなかった人物は、王号をつけないほうがいいとは思います。みなさんのご意見をお聞かせ下さい。--尚玉 2006年7月27日 (木) 09:30 (UTC)

提案から二週間ちかく反対意見が無いようなので、いったん記事名を変更したいと思います。変更前の記事名は、リダイレクトにより生きていますので、リンク先などの変更は不要です。--尚玉 2006年8月8日 (火) 11:07 (UTC)
無知なので素朴な疑問として尋ねてみるのですが、琉球国王たちに諡号または廟号は贈られなかったのでしょうか?--shimoxx 2006年8月8日 (火) 19:20 (UTC)
琉球には、号というのがありますが、これはいわゆる雅号ではなく、死後につける法名のようなものです。『王代記』や『中山世譜』といった史書を読むと、第二尚氏王朝の初期の王たちには、神号というものが贈られてますが、後の王になるとその習慣はなくなったようです。諡は、第二代国王の尚宣威王にのみ贈られていますが、他には見られません。習慣的なものではなかったようです。それゆえ、琉球国王の死後は、中国皇帝のように諡号廟号で呼ばれることはありません。国王は唐名で呼ばれます。例えば、尚真王の場合、尚が姓、真が名です。--尚玉 2006年8月9日 (水) 02:24 (UTC)
大変勉強になりました。ありがとうございます。ご教示頂いた内容を踏まえますと、尚玉さんご提案のとおり、王号を付けることに何ら問題はないと思料いたします。--shimoxx 2006年8月10日 (木) 13:36 (UTC)

琉球国王の記事名から王号を削除する提案

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現在、ウィキペディアの琉球国王の記事名は王号が付加されています。(例:尚真王

しかし、尚真王を例に挙げれば『尚』は姓(氏)であり、『真』は名です。 上記の王号を付加する提案では「明治天皇」や「康煕帝」などを称号をつけた記事の例としてあげていますが、「明治」は元号諡号であり「康煕」は単に元号であり、桓武天皇については「桓武」は諡号であります。決して姓名ではありません。明治天皇を「睦仁天皇」と呼称・記載したりする事はまず在り得ませんし、康熙帝が「愛新覚羅玄燁帝」などと記載された事がかつてあったでしょうか?

琉球国王の記事において、第一尚氏第二尚氏の各王の記事名を「尚~王」と王号を付加するのは、の高祖を「劉邦帝」、煬帝を「楊広帝」、の太祖を「朱元璋帝」、後醍醐天皇を「尊治天皇」とする事と等しく、非常に違和感を覚えると言わざるを得ません。

ゆえに私は、第一尚氏王統以前の歴代国王の記事との整合性の上から、また中国歴代皇帝の記事や我が国の歴代天皇の記事との整合性の上からも、第一・第二尚氏王統の各王の記事名からは王号を削除した方がよいと考えます。

  • ただし、王号を付加する事が絶対に在り得ないかと言うとそうではありません。例えば、上杉鷹山山内容堂島津斉彬松平春嶽などは、それぞれ鷹山公、容堂公、斉彬公、春嶽公などと親しみを込めて呼ばれますが、ウィキペディアの記事には姓名のみが記事名となっています。同様に呼称としては「尚~王」というのは実際に見聞きされる事であり、各記事の文中において王号を付加するのは構わないかと考えます。それゆえ私は、第一・第二尚氏王統の各王の記事名からは王号を削除した方がよいと考えております。
  • 加えて、王号を付加すると、記事冒頭において姓と名の間にスペースが入っている場合、あらぬ誤解を招く虞があります。例えば前述の尚真王の記事の冒頭では下記の様になっており、姓が「尚」、名が「真王」だと誤解される可能性が皆無ではありません。
    • 尚 真王(しょう しんおう、1465年 - 1526年)
  • イギリス君主一覧フランス君主一覧などと比較してみても、記事名に王号を付加する事はその整合性を著しく損なうと言わざるを得ないと思われます。

尚玉さん、新里紹顕さんをはじめ、みなさんのご意見をお聞かせ下さい。--Kunipoo 2006年12月22日 (金) 08:20 (UTC)

違和感というのは、「聞き慣れない」、「そのような使用例を聞いたことがない」という意味でしょうか? 尚真王という言い方は、沖縄史ではごく普通の言い方です。「尚真王」をGoogleで検索すると、13,000件以上の検索結果が出ます。沖縄県立図書館で前方一致検索すると、尚真王は53件、尚真は69件。単純に引き算して、尚真王の書名タイトルは53件、尚真の書名タイトルは16件ということになります。私はむしろ、尚真という王号なしの呼び捨てに違和感を感じます。--尚玉 2006年12月22日 (金) 12:56 (UTC)
尚玉さんには私の提案をご一読頂いたようですが熟読しては頂けていない様で残念です。「聞き慣れない」「使用例がない」などとは申し上げていないばかりでなく、付記の部分で『呼称としては「尚~王」というのは実際に見聞きされる事』と申しているのですが・・・。記事名・記事中を問わず王号を外せなどと言う言語統制まがいの事を提案するつもりは毛頭ございませんし、『各記事の文中において王号を付加するのは構わないかと考えます。』と申し添えました。私が申し上げているのは記事名に王号をつけるのは如何なものか?という事です。逆に尚玉さんにお尋ね致しますが、1.三山時代以前の王の記事名には王号がついていないのですが、それらの記事との整合性についてどう思われますか?2.尚 真王(しょう しんおう)という書き方が初学者の誤解を招きかねないとはお思いになりませんか?--Kunipoo 2006年12月23日 (土) 01:10 (UTC)
Kunipooさんのご主張には、いくつか矛盾があるように思います。「尚真王」という呼称は一般的であり、記事中に使うのはいっこうに構わない、とするならば、記事名では不可とする根拠がなくなるのではないでしょうか。Kunipooさんが駄目だとされる根拠は、ご自身の「違和感」以外は述べられていないように思います。「睦仁天皇」ではなく「明治天皇」が記事名に相応しいのは、後者の呼称が一般的だからです。「尚真王」の場合、「尚真」からもリダイレクトが張られているので、検索上も問題ありません。三山時代の君主に王号をつける件については、私は別に構わないと思います。ただ、この時代は、冊封を受けていない=王爵を授与されておりませんので、実際には王を称していた可能性は乏しく、後世の付け足しであろうと考えられるので、前回の提案では、その点で一応線引きしたほうがいいと考えました。--尚玉 2006年12月23日 (土) 02:57 (UTC)

王号を付記するかどうか、歴史学の書籍を見る限り、かなりわかれますね。私は基本的に尚玉さんのご提案を支持しましたし、その意向に変わりありません。ちなみに私が王号を賛成の理由は、統一性には欠けるものの一般的な用法であると評価できる、尚氏一門の血筋で王位につかなかった人物の差別化が容易であること、尚玉さんのご提案が王号を称する以前と以後を明確にわけておいででしたので、提案に一定の信頼ができたことがあります。

実際に尚氏に王号を付して概説する書物はいくらでもあります。しかし、史料上、用例としては拮抗していることもまた事実。こうした問題提起はあってしかるべきであると考えました。また、歴史学書では残念ながら、王号を記さない例も多いことは確かで、覆る恐れはあるように思います。今後の項目名の安定化を図るためにも、ここは項目名についての合意形成をしてみるのも一案かと思います。--海衛士 2007年1月4日 (木) 12:04 (UTC)

尚玉さんに対する二つの質問のうち、一つ目しか回答を頂いていない様でしたので、二つ目の質問に関して、尚玉さんからのお答えを長らくお待ちしておりましたが、なかなかご回答を頂けない様ですのでこちらからの解答を先にさせて頂きます。
まず、矛盾点についてですが、自分自身でも矛盾してるなぁと思います。しかしこの場は不毛な争いをする場ではなく合意を導き出す場だと認識しておりますので、ダブルスタンダードである事は重々承知の上で、敢えて「記事中の王号の削除や付加にはこだわらない」としました。そこまで言論統制しようとは考えておりませんし、そこまで拘って尚玉さんの体面を潰すのも私の本意ではありません。謂わば「ここまでは妥協できますよ」との意思表示だと考えて頂ければと思います。
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「王号を除くべきだ」と私が考えるのは、Wikipediaの「普遍性」「中立性」や記事間の「整合性」に関して問題が生じると思われるからです。
1-1.琉球史を「世界史」の一部だと考えた場合の「普遍性」
「世界史」の一部と考えた場合、琉球国王と比較されるべき世界の王の名前について、尚玉さんのおっしゃる「王号をつけて呼ぶのが普通だ」と思われる王の名前を以下に列挙してみました。
ピョートル大帝イワン雷帝ビクトリア女王エリザベス女王カール大帝プミポン国王アショカ王
これらはみな、話し言葉では王号や帝号をつけて呼ぶのが一般的と思われるものですが、この中で実際の項目(記事)名に王号(帝号)が付加されているのはカール大帝とアショカ王のみです。(王号/帝号のつかないもののみを挙げると「不公平だ」「恣意的だ」との批判が出ると考え、王号/帝号のついている記事も敢えてあげました。浅学にして七つほどしか思いつかなかったのですがさらに挙げられればご指摘願います。)カール大帝は英語版や仏語版でも「シャルルマーニュ」に相当する語(Charlemagne)が項目名として使われているのでこれは致し方ないと考えられます。アショカ王は日本語でそれ以外の表記がないと考えられます(英語版にはKingまたはEmperorなどの入った呼称は項目名としては使われていません)。エリザベス女王は曖昧さ回避のページへと導かれ、エリザベス一世、エリザベス二世ともに王号はついていません。つまりこれは、それぞれの記事を執筆したWikipedianの方々が「口語(話し言葉)において王号/帝号をつけて呼ぶ事が一般的であっても、王号/帝号を付加しない方が百科事典の項目としてはより相応しく、付加された方の項目については、より相応しい項目名へのRedirectによる対応で充分である」と考えたのではないでしょうか?
(また、念の為にこれらのページから他言語版へ行き、それらのページにおいて項目名に王号・帝号がつくかどうかも確認される事をお勧めします。)
1-2.琉球史を「日本史」の一部だと考えた場合の「普遍性」
「日本史」の一部と考えた場合、琉球国王と比較されるべきは日本全国各地の諸大名(旧華族)かと思われます(実際、尚家も侯爵家でした)。上杉鷹山山内容堂島津斉彬松平春嶽など以前にも列挙しましたが何れも称号などはついておりません。徳川幕府歴代将軍もまた然り(さらに遡って室町幕府の足利将軍も、です)。しかも、尚玉さんや海衛士さんがおっしゃるところの「王位に就いた者と就かなかった者との区別」云々に至っては、15人の将軍と御三家御三卿との区別は項目名のみでは「将軍職に就いた者と就かなかった者」が区別され得ておりません。同じく、島津斉彬の弟・島津久光は藩主にはなっていませんが、歴代藩主との違いは項目名のみでは判り得ません。これらの記事を執筆したWikipedianの方々はなぜ項目のみで判るように称号を付加しなかったのでしょうか?「記事本文に目を通せば判る事をことさら項目に付加する必要はない」と判断されたのではないでしょうか?
2.他言語版との「整合性」について
目下、関連記事は英語版と中国語版にしか存在しないものの、琉球国王の一覧に対応する「琉球君主列表」や尚寧に対応する尚寧が中国語版にあり、尚巴志英語版中国語版の双方にあります。これらの項目名はもちろん、記事中においても王号は付加されておりません。これらも該当記事を執筆したWikipedianの方々が「王号/帝号をつける事は百科事典の項目としては相応しくない」と考えた結果ではないでしょうか?上記の1-1.でも他言語版について書きましたが、ピョートル大帝以下の各王/帝の記事においても言語間での整合性があるにも拘らず、なぜ両尚氏各王の記事では整合性がないままの状態で放置されているのでしょうか?
3-1.王号を付加しないことによる「中立性」
上記において検証したとおり、世界史の視点で見ても王号の付加はほぼみられず、また、即位や冊封の有無によって王号を付加すべきと言うのも必然性がないと言わざるを得ないのですが、にも拘らず両尚氏の各王にのみ王号を付加するというのは、それによって何かを意図してはいないのでしょうか?王号を「奉っている」ように感じるのは私だけでしょうか?これはWikipediaの「中立性」に抵触する可能性はないのでしょうか?
3-2.日本の歴代天皇・中国歴代皇帝の「特殊性」
以上私が述べた中に日本の歴代天皇や中国の歴代皇帝について触れておらず、その事を訝しく感じる方もいらっしゃるかと思いますが、これに関しては以前にも
  • 尚真王を例に挙げれば『尚』は姓(氏)であり、『真』は名です。「明治天皇」や「康煕帝」などを称号をつけた記事の例として挙がっていますが、「明治」は元号諡号であり「康煕」は単に元号であり、桓武天皇については「桓武」は諡号でありまして、決して姓名ではありません。明治天皇を「睦仁天皇」と呼称・記載したりする事、康熙帝が「愛新覚羅玄燁帝」などと記載された事がかつてあったでしょうか?これらを踏まえ私は、第一尚氏王統以前の歴代国王の記事との整合性の上から、また中国歴代皇帝の記事や我が国の歴代天皇の記事との整合性の上からも、第一・第二尚氏王統の各王の記事名からは王号を削除した方がよいと考えます。(上記の自分の意見より抜粋・一部の接続詞などを書き換え)
と私見を述べました。加えて、「~天皇」という尊称に関して言えば、近世までは歴代天皇(上古を除く)を院号で呼ぶのが一般的(崇徳院、順徳院、後鳥羽院など)であり、天皇号を奉るようになったのは天皇主権を謳うようになった明治以降の事で(後西天皇の諡号についての記載も参照)、歴史を中立かつ公平に扱う立場とは全く異なる、いわゆる皇国史観から来るものです。これらを例に挙げて王号付加を提案し追認するのは、やはりWikipediaの原則である「普遍性」「中立性」とは相容れないのではないかと考えます。
4.統計は事実を映すがそれが真実とは限らない
尚玉さんの主張の中に以下のような文言があります。
  • 「尚真王」をGoogleで検索すると、13,000件以上の検索結果が出ます。沖縄県立図書館で前方一致検索すると、尚真王は53件、尚真は69件。単純に引き算して、尚真王の書名タイトルは53件、尚真の書名タイトルは16件ということになります。
これを私も試して見ました。Googleで検索すると「尚真王」は約13,500件(尚玉さんがWikipedia内で努力されたお陰で若干増えたのでしょうか?)でしたが「尚真」だと約58,000件もあります。これで統計的に見ても(これが統計と呼べるのかどうかはさておき)私の主張が正しい・・・のでしょうか?実際に試してみればお解かりになると思いますが、Wikipedia内の「谷口尚真」といった項目も掛かってしまっています。我が子に尚真(なおまさ)と名づけた母親のブログだって存在するかも知れません。それを除くために「尚真 王」として検索してみるとやや減って約34,300件、「尚真 琉球」だと約16,300件、「尚真 国王」だと約953件が検出されました。これにはもちろん「尚真王」と王号のついた記事を含みますので、尚玉さん方式で単純に引き算(-13,500)してみると・・・それぞれ、20,800件・2,800件・-12,547件となります。マイナスがついている時点で単純に引き算する方法は破綻している事が判りますし、そもそもGoogleなどの検索の数を以ってどちらが優勢か争う事自体が、検索語によってこれほど違いが出る事から見てもナンセンスだという事がお判り頂けるかと思います。
さらに、念には念を入れて、沖縄県立図書館蔵書検索でも調べてみました。「尚真」70件、「尚真王」54件、差し引き16件、むむぅ・・・。では「尚巴志」ではどうでしょう?「尚巴志」60件、「尚巴志王」25件、差し引き35件、おや?・・・さらに「尚泰」73件、「尚泰王」16件、差し引き57件!しかしこれは実はインチキです。「尚泰」で検索した結果には「尚泰久(王)」も含まれるからです。そもそも沖縄県立図書館の蔵書中には琉球王国関係の資料が多数ある事は事実ですが、琉球王府の手によって編纂された史書は、Wikipediaでいうところの「中立性」を重んじて記述されているのでしょうか?むしろ、皇国史観と同様の「琉球王国史観」的な立場で書かれていると考えるのが普通ではないでしょうか?そうであれば「尚~王」と記すのは当然であり、そこらへんの事情を考慮に入れた上でこれらの数字を眺めなければならないと思われます。
(尚玉さんはGoogleでの「尚真王」の検索結果のみを示しておられますが「尚真」では検索なさらなかったのでしょうか?また、図書館蔵書検索では尚真以外の王についても検索なされたのでしょうか?私は尚玉さんが自分に有利な結果のみを恣意的に載せたのではないと信じたいです。)
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以上、長々と書き連ねてしまいましたが(しかも前回からの間が長く空いてしまいましたが)、私が「項目名から王号を除くべきだ」と考える所以を述べました。文中、尚玉さんや海衛士さんの発言の揚げ足を取ったかのように勘違いされる虞のある文面もありますが、自分の意見との対比のためであり、他意は毛頭ございませんが、もしも腹に据えかねるような表現だと受け取られたとしたら、それはこちらの言葉の足りない部分であり、深くお詫び申し上げます。
なお、余談ですが、上記の意見はWikipedianとしての「公」の面での私の意見であり、琉球人としての「私」の部分では、舜天王以来の各王に王号をつけた呼称に慣れ親しんでいる事、特に第二尚氏に関しては(自らの出自を辿ると尚清王に至る故に)各王に対し敬愛の情を込めて王号を使用している事、を申し添えておきます。--Kunipoo 2007年1月26日 (金) 07:19 (UTC)
「尚 真王」という分かち書きについては、私も疑問を感じます。確かに「尚真」は姓+名(正確には)ですが、琉球史関連の書籍で分かち書きしているのを見たことがありません。「世界史の普遍性」「日本史の普遍性」という分類はどうでしょうか。私の理解では、世界史は特殊なものの集合だと思います。沖縄の名前の表記は歴史的にかなり特殊で(詳しくは沖縄の名字を参照)、羽地朝秀という記事名も本来は疑問の残るところです。羽地は采地名であって名字ではありませんから。便宜的に無理矢理日本風に解釈しているだけで、本来は島津斉彬などと同一視することはできません。あと、王号付加が中立的でないとする立場は、果たしてそれ自体「中立的」なのでしょうか? 私はイデオロギー論争を避けるために、より統計的に使用例の多いものを選択すべきだという立場に立ちました。その意味で、一般的によく見かける尚真王という表記は、より記事名として相応しいと思います。「~天皇」とするのは皇国史観とのご意見ですが、私はかなり特殊な見解のように感じます。少なくとも現在定着している呼称を記事名にするのは、きわめて妥当な判断ではないでしょうか。また王府編纂による史書の表記は、「皇国史観と同様の「琉球王国史観」的な立場で書かれていると考えるのが普通ではないでしょうか?」とのご意見ですが、そういう立場は一般的に聞いてことがありませんし、少数意見ではないかと思います。-尚玉 2007年2月1日 (木) 15:44 (UTC)

インデント戻します。姓名の分かち書きについては、Wikipedia:スタイルマニュアル (人物伝)において姓と名の間を半角スペースで分かつ事が推奨されていますので、尚玉さんが見かけた経験があろうがなかろうが無関係です。平たく言えば私は「王号をつけるまでは『尚 真』で問題はなかったのに、王号をつけた事によって『尚 真王』のように表示が紛らわしい事になってしまった、どうしてくれるんだ?」と言う事が言いたいわけです。「世界史は特殊なものの集合だ」というのも尚玉さんの私見であって、それをもとに百科事典を編集すべきではありません。「羽地朝秀なども疑問が残る、無理やり日本風に解釈しているだけで本来は島津斉彬とは同一視できない」というのなら、何も王号だけちまちま変えてないで、新里紹顕さんのように琉球の人名全般にわたるスタイルマニュアルを(新里さん案にかわる対案を)提案すべきでしょう。そもそも後からやってきて先にやっていた人のものを「これはこうではない」と言うのは簡単です、簡単な楽な事をせず「対案を出す」という生みの苦しみも味わってみては如何ですか?(まぁ私はそれができなかったので新里さん案に追従したのですが。)『統計的に多いもの』を是とする事には未だ首肯し得ません。ためしにGoogleで「早急 さっきゅう」と「早急 そうきゅう」の両方を検索してみて下さい。早急は「さっきゅう」と読むのが正しく後者は誤りであるにも拘らず後者の方が件数が多いのです。「王府編纂による史書の表記が『琉球王国史観』的な立場で書かれていると考えるのが普通ではないか」というのを聞いたことがない、少数意見だとおっしゃるにいたっては笑止ですね。歴史と言うのは勝者によって紡がれ、時の為政者の都合の良いように紡がれていくというのは、歴史を知る者であれば古今東西を問わず共通の常識なのですがね。中国の易姓革命の考え方も「前王朝末期の悪王を倒し現王朝を立てた聖王」というものですし、日本でも日本書紀は天智・天武朝に書かれたもので、中大兄皇子(天智)の政敵であった蘇我氏を悪者に仕立てていますし、琉球でも「政治を省みない悪王である尚徳は滅ぼされ金丸が群衆の推挙により尚円として即位した」とされているのですが。ご存じないのでしたらお勉強なさってみて下さい。--Kunipoo 2007年3月6日 (火) 09:19 (UTC) 追伸として述べさせて頂くならば、源氏系(惟宗氏系?)の島津氏、藤原氏系の伊達氏、大江氏系の毛利氏、清和源氏(実は在原氏あるいは賀茂氏)系の松平氏などはみな、その初代において自らの所領を名乗っており、これと「采地名」とはどう違うのかというのも浅学な私には判りませんのでご教授頂ければありがたいです。--Kunipoo 2007年3月6日 (火) 09:31 (UTC)

私は王号は削るべきと思います。(私なんかが意見するのはおこがましいですが)

私自身、最初は沖縄について何の興味もありませんでした。ですから最初調べたとき尚~王とあって名前の一部なのか王号なのかずいぶん戸惑いました。(いろいろと調べていくうちに~王は王号なのだと気づきましたが)

まあ、私事は置いといて、理由としては

  • まず、国王といっても人ですから王号をつけることによって人名としての正式名称ではなくなってしまうのでは?と思います。ですから、天皇や中国皇帝等も元号ではなく名前で記載すべきと思っています。
  • それから、私的には日本史のなかの沖縄史と思っています。(本来なら別個のものと捕らえるべきでしょうが、今現在は日本の沖縄という地域なので郷土史と考えました)その観点からいろいろ歴史に関する本等で調べてました日本歴史大辞典(河出書房)には、尚思紹尚巴志尚泰と、新詳日本史(浜島書店)には、尚巴志尚泰とも王号はついていません。関係ないかもしれませんが、広辞苑第五版を調べたところ〝しょうねい【尚寧】シヤウ 琉球国中山王。第二尚氏7代。1609年薩摩の島津氏の侵攻を受けて捕虜となり…云々〟と。(もう少し載せたかったのですが、すいません。)このように日本において文中で紹介するときは国王であろうと王号などはつけないと言うことではないでしょうか?と思うのですが。
  • 沖縄史において尚~王とつけるのが一般的であると思っていますが、それは好事家や専門家そういうものに秀でた者の間だけでは?と思ったことがあります、一般人がはたして一般的だと思っているかというと疑問に思います。(敬称でつけるときや親しみからつけることはありますが)つまり、ウィキペディアは製作者側からではなく、一般人がわかりやすいように作るべきと思います。

以上が私の理由です--斎東小世 2007年6月22日 (金) 18:02 (JST)

(コメント)私は特に琉球史に詳しくないので、現時点では賛否は保留します。ただ、もし削るならば、Category:フランスの君主の例にあるように、「尚真 (琉球王)」・「尚泰 (琉球王)」・「尚思紹 (琉球王)」と、全てに括弧「~ (琉球王)」を付けては如何でしょうか?。スタイルの統一という点と、ついでに「谷口尚真」さんとか「金尚泰」さん等、下の名前との曖昧回避の意味合いも込めて。--MZM 2007年6月22日 (金) 11:25 (UTC)
(コメント)王号だけではなく天皇号も削るのなら、明治天皇は睦仁になりますね。ところが、睦仁では国語辞典等では記載がありません。すると、今度は睦仁は一般的な表記ではないから明治天皇という記事名が相応しいということになり、人名で統一するのは望ましくないということになります。さて、尚~王という表記は、沖縄史の書籍では一般的な表記です。好事家や専門家だけの表記ではありません。このことは上でもすでに述べています。--尚玉 2007年6月22日 (金) 23:56 (UTC)
うーん・・・確かにそうですが、やっぱり私は一般的でなかろうと正式名称にするべきだと思っています、実現されることはないでしょうが。(天皇については。理由と言うよりは願いといったほうがいいですね、すいません。)それから私は沖縄史はあくまで日本史の一部として話しています。日本史でみると王号をつけないほうが圧倒的です。一部からではなく全体的に見るべきと思うのです。私が聞いているのは書籍等についてではなく(大半が王号をつけているのは分かっています、それなりに持ってはいますから)、一般人(全体的に)が王号をつけて呼ぶことが一般的と捉えているのかということです。(琉球王に関して)--斎東小世 2007年6月23日 (土) 13:23 (JST)
(コメント)沖縄史で広く受け入れられている一般的表記を、日本史では非一般的表記であるから間違いである、というのは極論のように聞こえます。原則論を振りかざせば、徳川家康の記事名は、源朝臣家康にすべきです。家康のは源姓、徳川は名字ですから。豊臣秀吉は豊臣朝臣羽柴秀吉が正式名称でしょう。日本史でさえ、姓+名であったり、名字+名であったり、組み合わせは統一されていないのです。従って、日本史の立場から云々、という理屈は意味をなさないと思います。--尚玉 2007年6月23日 (土) 10:55 (UTC)
間違っているというつもりはありません。私はただ日本史の全体では王号をつけないほうが一般的ではと言いたかっただけです、すいません。
ここからは私事です。私なりに聞いて回りました。質問は〝琉球国王の尚泰はそのままの尚泰と呼ぶか尚泰王と呼ぶか?〟30人くらいには聞きましたがまあ、結果は誰一人としてそれ以前の問題、その人誰?という感じでした。(当たり前ですが)このことから推定ではありますが一般人の大半は知らないという事になりそうです。ですが中には今度調べてみよう思ってくれた人もいました。そういう人が現在のウィキぺディアで調べたらKunipooさんもおっしゃっていますが、尚~王まで名前だと思ってしまう人もいるし(私がそうです)そこから発展して琉球の人は名前の最後に王をつけるのかと誤解するかもしれません。そういうことは避けなければいけません。そのためにも記事名だけは尚巴志、尚泰という王号をつけないことによって本文中に王号までついていてもそれは王号なのだとすぐに気づくことが出来ます。知らないから知ってみようという気持ちで百科事典を引くものではないでしょうか?多少知っているからもっと知りたいから引くこともあるでしょう。後者の場合は王号がついていても大丈夫でしょう、しかし、前者の場合は混乱を招くことになると思います。前者と後者なら後者に配慮して書く、それがウィキペディアでいうわかりやすさではないでしょうか?--斎東小世 2007年6月23日 (土) 22:19 (JST)
日本史でも、たとえば以仁王は王号を付けて一般には表記します。これを以仁高倉宮以仁にすれば、余計に分からなくなります。静御前を静にしたら、誰のことか分からなくなるでしょう。日本史の表記でも統一されているわけではないのです。--尚玉 2007年6月24日 (日) 04:18 (UTC)
ええ確かにその通りです、ですから一般的と言っているのです。そして、王号をつけたり、一般的呼び方をするのは、混乱等がおこるからそうしている。つまり、必要性があるからです。私はそれらを無理やり正式名称にしろとはいいません。しかし、必要性もないのにそうするのはどうかと疑問に思うのです。琉球時代の人ならそういうのをさけるため擬似的に日本名にしたりするのでしょうが、国王は唐名で性と名がはっきりしていますから、混乱をおこす恐れは少ないと思います。これに王号をつけるとかえって混乱をおこすことになる(先に述べましたが)ことがあり、王号をつけることに必要性が感じられません。ですから削ることに賛成しているのです。--斎東小世 2007年6月24日 (日) 23:07 (JST)

議論も煮詰まって来たようですね。私が長文で書いた、複数の観点(1〜4)から見た「王号削除の妥当性」について、残念ながら尚玉さんからはまともな回答(少なくとも私が論破されたと感じる回答)は得られないままのようです。王号削除賛成派は新里さん、斎東さん、私の3名、反対派は尚玉さん、海衛士さんのお二人、多数決を取れば王号を削除すべく行動に移すべきでしょうか?まぁ、尚玉さんのようにわずか2週間で結論を急ごうとは思いませんが、近々のうちに王号を削除して行こうかと考えています。暇があればの話ですが(笑)。--Kunipoo 2008年1月27日 (日) 03:46 (UTC)

最初の提案から一年以上も経過して、また最後のレスから半年以上にわたって応答を放置して、「議論も煮詰まった」とおっしゃるのは、いささか非常識ではないでしょうか。また削除賛成派に新里さんを加えていますが、新里さんはこの提案に対して一度もレスをしていないのに、削除が多数決という強引な結論付けも理解しがい行為です。素直に考えれば、賛否同数で数ヶ月間レスが付かなかった時点で、この提案は今回は否決されたと見なすのが妥当でしょう。--尚玉 2008年1月28日 (月) 10:04 (UTC)
おやおや、早速のお返事ありがとうございます。火消しは速いですね(笑)。非常識呼ばわりされておりますが、編集のガイドラインなどと言う重大な議論の裁定に、拙速さと慎重さとどちらが大事なのでしょうか?より多くの方のご意見を頂くため待っていた期間であり、どなたかの様に2週間で独断に近い形での改変という暴挙を避けていたと捉えて頂くべきかと。新里さんがレスしてない?最初に叩き台としての大まかなルールである「王号は付加しない」と言う提案をしたのはどなたなのかお忘れですか?確かに新里さんのWikipediaでの執筆活動は目下停止しているようですが、尚玉さんと新里さんとの間にあった編集合戦や意見の相違から派生する個人的感情で、大本の提案者を無視するというのは、まさしく「笑止千万」です。否決したいのならば、わたしの論じている妥当性(1〜4)をことごとく論破し、さらにインデント戻し後の追伸部分「采地名」についても納得のいく説明をしてからになさい。--Kunipoo 2008年1月31日 (木) 20:16 (UTC)
追伸:Wikipediaの編集は下調べ/資料集めなど時間を要する作業であり、執筆者の中には仕事など日常生活の上で多忙を極め(本人の意思とは無関係に)1〜2ヶ月してしまう事も社会人ならばあり得る事であり、相手の事情など考慮せず性急に結論を導きだそうとするのは、例えば国会の委員会での与党の強行採決のようなものであり、暴挙と言わざるを得ない。まぁ、それを承知の上で恣意的にやるのであれば、こういった議論の場そのものを否定する事になり、我々のやっている「合意形成」は形骸化してしまう。--Kunipoo 2008年1月31日 (木) 20:31 (UTC)
私が提案したときには、二週間にわたってどなたも反論がありませんでしたので、とりあえず変更しました。反論がついた場合は確かに二週間は拙速かもしれませんが、新里氏をはじめとしてどなたからも反論がありませんでしたので。後出しジャンケンのような批判をして、私を個人攻撃するのはやめてもらえないでしょうか。それと私は貴殿の見解には十分論理的な反論をしたつもりであり、それに対してまともな反論は一つも頂いておりません。--尚玉 2008年2月13日 (水) 22:09 (UTC)

Kunipooさんが仰る通り、私の考えている方針は「王号は付加しない」というものから些かも動いてはおりません。またこれもKunipooさんの指摘しているところですが、例の二週間で王号を付加した件などは正直なところ快くは思っていませんでした。そのような感情と、これ以外でも衝突している編集方針があり(それについての議論を試みようとしても、こちらの提出した意見に対して肝心のところの回答を避けている(ように私には感じられている)。)、それらの事情からWikipediaでの編集・執筆活動を停止しました。私は感情的な書込をしたくはなかったので長きに亘り傍観をしていましたが、名前も挙がっているようですので一応レスをつけておきます。新里紹顕 2008年2月13日 (水) 16:35 (UTC)

琉球国王の記事名から王号を削除する再度の提案

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現在、ウィキペディアの琉球国王の記事名は王号が付加されています。(例:尚真王

しかし、尚真王を例に挙げれば『尚』は姓(氏)であり、『真』は名です。 上記の王号を付加する提案では「明治天皇」や「康煕帝」などを称号をつけた記事の例としてあげていますが、「明治」は元号諡号であり「康煕」は単に元号であり、桓武天皇については「桓武」は諡号であります。決して姓名ではありません。明治天皇を「睦仁天皇」と呼称・記載したりする事はまず在り得ませんし、康熙帝が「愛新覚羅玄燁帝」などと記載された事がかつてあったでしょうか?

琉球国王の記事において、第一尚氏第二尚氏の各王の記事名を「尚~王」と王号を付加するのは、の高祖を「劉邦帝」、煬帝を「楊広帝」、の太祖を「朱元璋帝」、後醍醐天皇を「尊治天皇」とする事と等しく、非常に違和感を覚えると言わざるを得ません。

ゆえに私は、第一尚氏王統以前の歴代国王の記事との整合性の上から、また中国歴代皇帝の記事や我が国の歴代天皇の記事との整合性の上からも、第一・第二尚氏王統の各王の記事名からは王号を削除した方がよいと考えます。

  • ただし、王号を付加する事が絶対に在り得ないかと言うとそうではありません。例えば、上杉鷹山山内容堂島津斉彬松平春嶽などは、それぞれ鷹山公、容堂公、斉彬公、春嶽公などと親しみを込めて呼ばれますが、ウィキペディアの記事には姓名のみが記事名となっています。同様に呼称としては「尚~王」というのは実際に見聞きされる事であり、各記事の文中において王号を付加するのは構わないかと考えます。それゆえ私は、第一・第二尚氏王統の各王の記事名からは王号を削除した方がよいと考えております。
  • 加えて、王号を付加すると、記事冒頭において姓と名の間にスペースが入っている場合、あらぬ誤解を招く虞があります。例えば前述の尚真王の記事の冒頭では下記の様になっており、姓が「尚」、名が「真王」だと誤解される可能性が皆無ではありません。
    • 尚 真王(しょう しんおう、1465年 - 1526年)
  • イギリス君主一覧フランス君主一覧などと比較してみても、記事名に王号を付加する事はその整合性を著しく損なうと言わざるを得ないと思われます。

「ああいえばこういう」人がいなくなったので再提案してみます。 ご安心ください,2週間程度のわずかな時間で勝手に合意形成がなされたとみなして勝手に変更することはありません。

再度言いますが,「人名(姓名)+王号」という奇妙な記事名は,琉球王国第二尚氏王統の歴代王を除いては存在しえないのです。

追記 短くても半年は,変更する気はありません。1年ほど議論を続け合意形成に至る雰囲気を醸成するべきでしょう。--時空無限(ときそら・げんない)会話2015年6月1日 (月) 05:53 (UTC)


人名のローマ字の表記について

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名前が名姓順ではなく姓名順の人物について、どちらが姓でどちらが名なのか一見では判断できない場合があります。そうしたケースにおいて、利用者の利便のために、姓にあたる部分のローマ字を大文字で表記することを提案したいと思うのですが、いかがでしょうか。この表記法が一般的かどうかは議論の余地があります。姓名の間をコンマで区切る方法もありますし、名姓順で表記する方法もあります。ですが、判別のしやすさという点では、大文字表記が優れているように思います。

やや古いですが、参考資料として[[1]] これは日本人についての議論ですが、外国人名の表記においても参考になると思います。szatoru 2006年4月7日 (金) 00:35 (UTC)

ブラジル人のサッカー選手名について

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Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト スポーツ人物伝にあげてましたが準備中プロジェクトという事もあり論議にならなかったので、こちらに移動しました。Koichi 2006年4月10日 (月) 07:58 (UTC) これまで、Wikipedia:ウィキプロジェクト サッカー選手にて話しあってきましたが、おおまかな方針が見えてきたのでこちらでも意見をきいておこうと思います。

まずは、発端としてサッカー選手の場合、ブラジル人選手(他にもあるが)の場合、選手登録名が通り名で広まっているいます。しかし、通り名を記事名にすると重複する登録名の選手がかなりいるので混乱の元となっていました。

議論の流れで、落ち着きつつあるのは

  • 原則記事名は本名で、登録名は曖昧さ回避で振り分ける。
  • ブラジル人選手の記事名はポルトガル語(原語)読みとする。
  • 日本のクラブに在籍した選手は、クラブが公表した表記を原則とする。

といったところです。

他の記事でのブラジル人の人名では、サッカーほど重複した名前に少ないという認識なのですが、実際のところどうでしょうか? 他のカテゴリーでのブラジル人記事名で問題なら、サッカー選手のローカルルールでもいいと思ってますが、どうでしょうか?

(以下も参考にしてます)

--Koichi 2006年4月10日 (月) 07:58 (UTC)

同じ誕生日の有名人について

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「同じ誕生日の有名人」は、誕生日の日付からジャンプすれば事足りると思うので、よほど縁のある人でもない限り、不必要だと思いますが。Kino-K 2006年5月20日 (土) 15:40 (UTC)

私もそう思いました。外国人の名まで入っていたりすることがあり、さすがに不要だろうとたびたび思いました。仮利用者名:背負い背負われた者 2006年7月19日

原語強調について

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Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)」では、"Galileo Galilei"は強調されていませんが、この「スタイルマニュアル (人物伝)」では"Gaius Julius Caesar"は強調されています。ガイドラインではどちらでもいいらしいですが、どちらがより推奨されるのでしょうか。--Afaz 2006年8月3日 (木) 08:51 (UTC)

本名非公開の人物の生年月日の記載について

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本名をWikipedia上で公開とせず、かつこれが通称やペンネームと異なることが明らかな場合において、Wikipediaでウソを書いてはいけないらいので、生年月日も記載すべきではない(出生届が本名で提出されていることは明らか)と思うのですがいかがでしょうか。--プロバロン 2006年8月16日 (水) 10:54 (UTC)

  • 何となく放置されている感じなので、コメントだけ。嘘を書いてはいけないというか、Wikipedia:ウィキペディアは何でないかWikipedia:検証可能性辺りにそぐわない内容を書くのはマズイ、という事ではないかと思います。あと通称やペンネームとして公開されているプロフィール上で、生年月日が存在する場合は、それを記述するという事で良いのでは。ただそれが人物伝としてふさわしいかどうか、という判断は必要になると思います。その辺りの判断や合意が出来ないなら記述しない、という選択になるかも。なっしゅびる 2006年10月7日 (土) 13:00 (UTC)

スタイルマニュアル (導入部)との不一致について

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スタイルマニュアル (導入部)では例では原語の強調がされていませんが、スタイルマニュアル (人物伝)では原語の強調がされています。どちらがより推奨されるのですか?おなじマニュアルなのに文書によって例が異なるのは混乱につながります。Nevylaxさんのように強調しているスタイルをご丁寧に外している人と無駄に争いたくありませんから。--Afaz 2006年10月17日 (火) 17:00 (UTC)

個人的見解ですが、こちらの表記を導入部に要点部分として反映させる、という事で良いのではないかと思いますが、どうでしょうか。--なっしゅびる 2006年10月22日 (日) 02:09 (UTC)

本名記載についての記述修正

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2006年11月5日 (日) 2:44 (UTC)の版 において、IPユーザ 222.145.48.41から、いきなり要約のみで修正が行われています。言っている事は分かるのですが、手続きを踏んでいない点と、文面的にもバランスが悪い(ですます調とである調の混在)部分が気になる、という印象です。

  • きっかけはおそらくノート:片瀬那奈辺りからと考えます。どうも、公開を歓迎していないケースというのを拡大解釈している可能性もあります。

という訳で、皆さんのご意見を伺いたく。--なっしゅびる 2006年11月5日 (日) 09:23 (UTC)

毎度どうも。実は今、余所で噛み付かれている事にも通じるんですが、ページ冒頭の文章(枠の中のも含む)がくせ者なんですよ。今回の場合は『大きな変更を加える場合は、先にノートページで…』ってありますが、『大きな変更じゃないっ』と考えてる人は安易に編集しちゃうって事です。 222.145.48.41氏の主張は、表現上の程度問題であって、その意図する処は概ね賛同できうるんじゃないかなぁと思いますが、その変更手順としてはやはり乱暴な感が強く、その点は残念というのが感想です。この際、記事本文の語尾統一もさることながら冒頭の文言を先に強化・明確化したいなぁと思う次第です。「考慮すべきガイドライン」ってのは「考慮すべきだが遵守し従う義務はない」と考えるユーザが増加中みたいで。。。(公式な方針への昇格を諮るって事になるのかなぁ…) --Lan-Cruer 2006年11月5日 (日) 17:53 (UTC)
そもそも、母体のスタイルマニュアルが「ガイドライン」ですからねぇ。その全体について「公式方針への昇格」となると、さらに合意が面倒になりそうな気がします。そもそも表記上の問題なので、あまり制限を加えすぎると編集が窮屈になる、という部分はあるかと思います。それに、各ガイドラインでの表記上の揺れも有りますし、中には不一致な部分だけでなく、矛盾すら有ったりしますし。
今回は、その「公式方針との矛盾を無くす」という意味では、私も賛成なんですけどね。まぁ何故こんな乱暴な形になったのか、だいたいの経緯は推測出来るのですが、それこそ「憶測で物を言うな」という事になりそうなので保留します。
あと「従う義務はない」といっても、「では、従わない理由の提示と、そのためにこちらが納得し得るだけの対案はありますか?」という提案は出来るかと思います。もし対案が無ければ「さしたる反対理由にはならない」という形には持っていけると思います。--なっしゅびる 2006年11月13日 (月) 16:40 (UTC)

Wikipedia:削除の方針は公式な方針です。 これに反する身勝手な定義で編集しないように注意します。 ケース B-2:プライバシー問題に関して 積極的に実名を用いて活動している政治家・スポーツ選手・研究者・作家・芸術家・アーティスト・芸能人などの著名人を除き、本名(個人の実名)を含んでいたり、個人が特定できる記事は、削除の対象になります。日本国法の個人情報保護法、民法709条などを参考にしていますが、法令とは関係なく日本語版Wikipediaは個人のプライバシーを尊重する方針を採っています。下記に、ウィキペディア日本語版で伝統的に削除されている例を挙げます。 本名を敢えて非公開にしている著名人の実名(例:覆面作家)。

ウィキペディア日本語版内で、削除されず、伝統的に認められている例を挙げます。 本名を公開している著名人の本名。 220.111.54.208 2006年11月16日 (木) 05:07 (UTC)

えーとですねぇ、わざわざ当方のノートにまで出向いて同様の書き込みをされている220.111.54.208さんが、何をおっしゃりたいのか? が漠然としすぎてて対処できません。 それと、急激に忙しくなった為ここ数日活動できてませんので、何か返答をお望みなのでしたら具体的な個々の例を含む提示や質問と、月末くらいまでの猶予をお願いします。--Lan-Cruer 2006年11月16日 (木) 09:16 (UTC)
見出しに関しては、IP:222.145.48.41会話 / 投稿記録氏が、公式方針に基づいて修正したとはいえ、ノートでの提案が抜けていたため、「本当にこういう手順で良いのかな?」と思って補足提案した次第です。guidelineテンプレートにも「必要に応じて編集することは可能ですが、大きな変更を加える場合は、先にノートページで提案してください。」と示されていますし。今回は「公式方針を提示して、提案理由とする」という意図なのでしょうか?加筆された内容もどうやら、そういう趣旨のようですし。
あとIP:220.111.54.208会話 / 投稿記録さんが、当方のノートなども含めた書き込みに関しては、それぞれ私が関わっている範囲でコメントさせていただきました。--なっしゅびる 2006年11月16日 (木) 10:24 (UTC)

公式方針だけ示されて放置されたようなので、さらに提案を行います。現状では

  • 普段、通称で活動している方の本名は本人が公開しているときには記載してもかまいません。
    • 本人が公開していないとき、あるいは公開を歓迎していないときにはWikipedia:削除の方針のケース B-2:プライバシー問題に関してに従い書いてはいけない。
      • そのような理由で非公開とした場合には、<!--本名は非公開。公開すると削除の対象になります-->とコメントアウトして、注意を促す。

としていますが、先述の通り、文体のバランスが悪い状態です。さらに「非公開とした」や「本名は非公開」という記述についても、前後の繋がりを考慮し、敢えて踏み込んで書いている内容についても見直す必要があると考えます。

改善例:

  • 普段、通称で活動している方の本名は、本人が公開しているときには記載してもかまいません。
    • 本人が公開していないとき、あるいは公開を歓迎していないときには、Wikipedia:削除の方針の「ケース B-2:プライバシー問題に関して」に従い、本名は書かないで下さい。
      • 上記のような理由で本名を書かない場合は、<!--特に公開されていない本名を、理由無く記述した場合、削除の対象になります。-->とコメントアウトして、注意を促します。

「理由無く」を追加したのは、Wikipedia:検証可能性#出典を示す責任は掲載を希望する側にによります。本当はもう少し書きたいのですが、あまり長くなると、却って読まれない可能性があると考えます。一応、1週間くらい待って、特に反論・改善提案等が無ければ、ひとまず上記の内容に変更したいと考えます。--なっしゅびる 2006年12月16日 (土) 12:49 (UTC)

追記。過去ログの/archive 03において、本名非公開の表記が前提という形での議論がなされていますが、ここを或る程度拡大解釈しても運用出来るような形に持っていければ、というのも今回の提案理由です。そもそもB-2違反についての記載内容変更に関わる部分ですし、本名非公開と書かれなくても、本名を記載していないケースは多々有りますので。そこで「本名非公開」と表記しなくても、注意喚起までは行える、という内容まで持っていければ、と考えます。--なっしゅびる 2006年12月17日 (日) 00:00 (UTC)

1週間としていましたが、2週間待って特に意見が出ないため、ひとまず上記の通りに記述を修正しました。いかがでしょうか。--なっしゅびる 2007年1月2日 (火) 13:21 (UTC)

お願い

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wikipediaに載せる人物伝の記事はすべて第三者が検証できる内容であることが望ましいです。要するに、ホームページ、本人談、手紙、メールなどや電話で確認した内容を公表することは個人情報保護法との兼ね合いもあり、絶対に控えるべきだということです。例え本人や回答者からの了解を得られたものであってもです。よって、本人に関わるすべてのいろいろなことを公表することで本人や回答者が何らかの不利益を被ることになるかもしれないということですので、載せなくても良いことは載せないほうが無難です。それに、多くの人が情報提供した時にいろいろと意見が食い違ったりすると、編集合戦にもなりかねませんので、注意してください。--60.39.50.120 2006年11月24日 (金) 05:40 (UTC)

(短くコメント)wikipediaは個人プライバシーの尊重はしますが、それは個人情報保護法に則ったものではございません。それは間違いです。--Los688 2006年11月24日 (金) 05:44 (UTC)

追伸 上記のことはwikipediaの編纂の某先輩からの言葉です。それを「お願い」として述べたまでです。--219.103.153.148 2006年12月4日 (月) 01:45 (UTC)

では、その言葉をどこから引用してきたか位は、Wikipedia:出典を明記するなどを考慮して、Wikipedia内のどの記事のどの版かくらいは、記述されても宜しいのではないでしょうか。ここからは個人的見解ですが、その箇所をちゃんと示せば、言いたい事の趣旨理解の助けにはなる、と考えます。--なっしゅびる 2006年12月9日 (土) 06:45 (UTC)
もちろん出典は第三者が参照できる刊行物であることが望ましいのですが、やむをえずそのような状態に無い出典を使うことが学術の世界ではまれにあります。「本人の談話、○年×月×日」「どこどこでの口頭発表、著者の好意により原稿を参照させていただいた」「○○所蔵の未公開草稿、所蔵者の好意により(以下同文につき省略)」などと書きます。あまり望ましくないが、まったく論外といったほどのものでもないです。学界の慣行よりきつい基準を導入するのでしたら、匿名氏の「お願い」以上に、どこの誰がどのような根拠に基づいていっているのかを明確にしたほうがよいように思います。--Aphaia 2006年12月9日 (土) 06:53 (UTC)
あ、ちょと分かりにくかったかしら。私はこれ、匿名氏の「お願い」について逆お願いをしているのです。また「先輩」のお願いであるといわれても、その方の個人的な希望を強制される根拠もわかりませんし、お返事はいたしかねますね。明示の方針がこれこれなので、それに鑑みこうこうお願いします、というならまだ話はわかるのですが。--Aphaia 2006年12月9日 (土) 09:26 (UTC)
「Wikipediaの編纂の某先輩からの言葉」という記述だけでは、どこに示されている内容かが極めて分かりにくいです(Wikipedia日本語版だけでも、30万件近い記事がありますし、どの版かまで追うとなると、さらに増えます)。その曖昧さを解決する提案として、Wikipedia内で考慮すべきガイドラインの1つを示しました。ただ、適切な提案ではなかったようです。という訳で、記述を少し変更します。--なっしゅびる 2006年12月9日 (土) 08:07 (UTC)

人名のイタリック体表記について

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引用文中などの場合を除いて、人名はイタリック体では表記しません。これは「日本語の文末には”。”をつける」というのと同レベルの、文章を書く上での基礎知識ですので、本来であればこのガイドラインに明記する必要もなかったのですが、人名表記をわざわざイタリック体に変更して回っている人がいましたので明記する必要が出てきました。イタリック体の使用には厳格なルールがあります(例えば[2])。「見栄えがいいからイタリック体にする」というのは、「”「」”より”『』”の方が好きだから俺の文章は全部”『』”にする」というのと同レベルの行為になりますのでご注意ください。2週間ほど様子を見て異論がないようであれば本文にその旨を明記します。--猪山人 2006年12月5日 (火) 04:18 (UTC)

決めるのであれば好きなように決めればよいが、字体を変えるだけの編集が起こらないように注意するべきだと思うね。それとこの部分
  • >本来であればこのガイドラインに明記する必要もなかったのですが
以下は真っ赤な嘘だな。それは利用者‐会話:Kobayanを見ると分かる。
  • >ウィキペディアのガイドラインによれば、外人の人名はボールド体で表記することになっています。--猪山人
とあるとおり、書く必要の有無はどうあれ猪山人という人物は「ボールド体で表記すること」になっていると思いこんでいたのは明白な事実である。この後、そんなことは全く書いてないという事を指摘したら、猪山人は逆切れしてトンズラしたというのもそこに書いてある通りだ。んで、今は嘘を嘘で塗り固めるのに必死で、今このような提案をしてるわけだ。猪山人という人物は、見ての通りただの嘘吐きでしかないということは、ここではっきりとさせておくよ。--Kobayan 2006年12月5日 (火) 11:37 (UTC)
現行のガイドラインについて勘違いしていたのは申し訳ありませんでした。人名のイタリック体表記の件については同意いただいたようですのでありがとうございます。--猪山人 2006年12月5日 (火) 11:59 (UTC)

関連ガイドラインのリンク追加、及びその位置について

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現状、関連項目としてウィキプロジェクト関連のリンク記載はなされていますが、関連ガイドラインのリンク記述をどこで行うか、という点で迷う部分が有るので、提案を追加します。基準としては、全見出しに影響する内容なら関連項目、そうではないものなら関係する箇所に、というレベルで良いとは思うのですが、注意喚起も考慮する必要がある内容についての扱いが難しい、という印象です。

なお、現在翻訳中・タイトル変更提案中ではありますが、Wikipedia:存命人物の伝記辺りは追加しても良いのではないでしょうか。追加位置は小見出し「芸能人、漫画家ほか現代人の記事について」が妥当と考えます。--なっしゅびる 2006年12月16日 (土) 23:44 (UTC)

「ウィキプロジェクト 人物伝」の開設について

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人物伝の記事に関するガイドラインには、カテゴリの設定やテンプレートの使用など、「Wikipedia:スタイルマニュアル (人物伝)」で規定するにはなじまないものがあります。これらについて検討する場として、「Wikipedia:ウィキプロジェクト 人物伝」を開設しました。「Wikipedia:スタイルマニュアル (人物伝)」とは補完関係になると考えています。ご意見よろしくお願いします。--猪山人 2006年12月24日 (日) 14:53 (UTC)

Template:プライバシー導入について

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「Wikipedia:削除の方針の「ケース B-2:プライバシー問題に関して」に従い、本名は書かないで下さい。」というあとに「本名の記載があった場合Template:プライバシーで注意を呼びかける」という文を追加したいのですがよろしいでしょうか?--222.0.165.19 2007年2月3日 (土) 11:29 (UTC)

読み仮名の強調について

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こんにちわ、悠卯斗と言います。一通り調べたのですが自身で結論を出せなかったため質問させて頂きます。

さて、人名の読み仮名の強調を外すだけの編集行為が、IPユーザーを中心に多々見られます。スタイルマニュアル上では「読み仮名は標準体かボールド体で記載してください。」と、つまりどちらでも構わないとの方針がされています。しかし読み仮名の強調を外すだけの編集は、はたして必要なのでしょうか。また、こういった編集は方針の何れかに違反しますでしょうか。--悠卯斗 2007年4月4日 (水) 12:39 (UTC)

かなり遅まきなコメントですが・・・Wikipedia‐ノート:スタイルマニュアル (導入部)#導入部における読み仮名の強調についてでも、提案された内容と共通するものがあるかと思います。強調しない理由については「リダイレクトされるものなら強調、単なる読み仮名なら強調はしない」という事を提案しています。--なっしゅびる 2007年8月11日 (土) 21:57 (UTC)

生没年の元号併記について

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日本人の人物伝にて生没年に元号を併記する場合、どのようなスタイルですべきなのでしょうか?たとえば夏目漱石はWikipedia:スタイルマニュアル (人物伝)の例では

夏目 漱石(なつめ そうせき、1867年2月9日(慶応3年1月5日) - 1916年12月9日(大正5年))・・・・・

と、元号は年月日の後に書かれていますが、実際の夏目漱石では

夏目 漱石(なつめ そうせき、1867年2月9日(慶応3年1月5日) - 1916年(大正5年)12月9日)・・・・・

と、グレゴリウス暦採用以前の元号年月日は西暦年月日の後に、グレゴリウス暦採用以後の元号年は西暦年の後に書かれています。 --61.126.223.165 2007年8月7日 (火) 13:52 (UTC)

太陽暦採用後の生年月日の表記は、XXXX年(元号YY年)MM月ZZ日の形が多く使われているようです(例:吉田茂鳩山一郎など)。人物伝の冒頭部に限らず、地の文でも和暦併記の場合はこの形が多く採用されているので、表記法を揃える意味でもこの方の形が望ましいと思います。--ととりん 2007年8月11日 (土) 03:19 (UTC)

上記に関連して、太陽暦採用後の生年月日の和暦併記の例が中途半端な状態なので、野口英世と小泉純一郎(保護中なので適用は解除後になりますが)についても記事に和暦を追加し、例に反映させようと思いますがいかがでしょうか。--ととりん 2007年8月11日 (土) 03:19 (UTC)


ととりんさんが示された例で言えば、

夏目 漱石(なつめ そうせき、1867年2月9日慶応3年1月5日) - 1916年12月9日)・・・・・

というように表記しましょう、ということで合意ができていました。太陽暦採用後の元号は西暦をクリックすれば確かめられるから一々書かなくてもいいことになっていましたけど、元号表記しておいた方がいい場合は書いてもいいことになっていました。ただしリンクは元号のみとすることになっていました。杓子定規に決めなくても良いんじゃないのという空気が支配的だったので、元号表記禁止しなかったように記憶しております。やっぱりビシッと決めておかないと多様な書き方がされて統一性を失ってしまいますね。いい機会ですからここで話し合ってガイドラインかすればよいのではないでしょうか。 --赤い飛行船 2007年8月14日 (火) 15:09 (UTC)

確かに、いままでの私のように、公式でない多数の例を編集スタイルと思い込み編集していたケースもあり、今後も他の方々も同じことをしてしまう可能性があるので、公式なガイドラインが必要かと感じます。

私は、ととりん様の提案されてるスタイルを支持する意見です。--かんな文移 2007年8月14日 (火) 15:40 (UTC)

元号併記の形式を決めて、併記型の統一性を確保すればそれで問題はないのでしょうか。また、元号を併記するかの判断は従来通り執筆者に任せることが現実的な判断だと思います。元号の使用自体を禁止するという議論は、「日本に関する記事には和暦を必ず併記する」という対案を呼び込むでしょうし、議論の進行ととりまとめはなかなか大変だと思います。--ととりん 2007年8月15日 (水) 06:00 (UTC)
赤い飛行船さん>上記で述べられている合意の件ですが、参考にしたいので過去ログのどの辺にあるのか教えていただけないでしょうか。ざっとみたところ見つからなかったので、よろしくお願いします。--ととりん 2007年8月16日 (木) 12:43 (UTC)

ごめんなさい。気づくのが遅くなりました。かなり昔のことなので私も記憶が曖昧なのですが、井戸端の古いログにあるかと思います。2004年か2005年の前半だったように記憶しています。--赤い飛行船 2007年9月23日 (日) 11:22 (UTC)

井戸端の方でしたか。スタイルマニュアルの方の履歴を追っていたので、見つからないはずですね。該当部はこれでしょうか?→ Wikipedia:井戸端の過去ログ/2004年9月#年号について --ととりん 2007年9月23日 (日) 16:17 (UTC)

生年月日の編集スタイルについての質問です

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ベテランのユーザの方からいろいろアドバイスを受け、勉強中の身です。なるべく多数の方々が編集されてるスタイルにならい生年月日を書いていますが。たまに西暦と和暦が混じるスタイルが見受けられます。

例その1・(1961年昭和36年)11月3日 - 2007年平成19年)8月14日

例その2・(昭和36年(1961年11月3日 - 平成19年(2007年8月14日

例その3・昭和36年(1961年11月3日 - 平成19年(2007年8月14日


西暦と和暦の順序のスタイルは決まっているものなのでしょうか?

それとも個性として放置してよろしいものなのでしょうが?

Wikipedia:井戸端にて、赤い飛行船様、ととりん様からご意見を頂きましたことに感謝と恐縮です。

1961年11月3日 - )とすべきか、

1961年昭和36年)11月3日 - )とすべきか、考えてます。

スタイルマニュアルを読んでも、例が複数あり、今まで通りにすべきか、和暦を付け加えるべきか、悩んでますが、私の意見としては和暦を加えるのがいいかなと感じます。--かんな文移 2007年8月14日 (火) 14:49 (UTC)

井戸端の方にも書きましたが、和暦を併記するならば、スタイルはWikipedia:表記ガイド#年月日・時間で最初に提示されている「XXXX年(元号YY年)」の例と揃えるのがいいのではないでしょうか。地の文と冒頭部のスタイルを揃えておけば、混乱を招かずに済むと思います。--ととりん 2007年8月16日 (木) 12:12 (UTC)
現在、Wikipedia:井戸端にて議論が進んでいる様子ですので、しばらく見守りたいと存じます--かんな文移 2007年8月19日 (日) 12:51 (UTC)

井戸端の方でも、和暦の有無についてどちらかに一本化するという流れにはなりませんでした。そこで、例としては、小泉純一郎を和暦無し、野口英世・夏目漱石(没年)を和暦ありの例として「その1」の形で反映させたいと思います。--ととりん 2007年9月16日 (日) 04:07 (UTC)

上記の通り反映させました。--ととりん 2007年9月23日 (日) 09:01 (UTC)

ととりんさん、せっかく作業していただきましたが、元に戻していただけませんか? きちんと合意を得ないままにAでもBでも良いというような形にしてしまうと統一性を欠いたものになってしまいます。それを避けるために数々のプロジェクトが進行しているのですが、中にはなかなか合意が取れないものもあります。だからと言って統一性を欠くような形で見切り発車してしまうのは危険です。--赤い飛行船 2007年9月25日 (火) 14:39 (UTC)

なるほど、議論のプロセスついてどうあるべきかは、一般論としておっしゃる通りだと思います。しかし本音を言わせていただくと、対話に一ヶ月以上間をあけておいて(しかも作業開始にあたって予告後一週間の期間を置いています)、決定的な動きがあった後に異議を唱えるというのはいががなものでしょうか。赤い飛行船さんが今後この問題に積極的に関与するおつもりであるなら、改めて議論を提起して頂くのが筋かと思います。また、統一性の確保についてご心配されているようですが、現行ルールは「Aを基本にBも認めている」形となっており実際に二通りの記事(まれに和暦だけの記事もありますが)が作成されています。ルール上も実質的にも並立が容認・実施されているのがウィキペディア日本語版であり、ご懸念にはおよばないと思います。--ととりん 2007年9月25日 (火) 19:55 (UTC)

武士テンプレート使用記事の定義部生没年月日記述について

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すでに過去ログ化されておりますが、以前にTemplate:武士を使用した人物記事において重複する生没年月日の記述をどうするか、という議論がこちらで行われていました。 それに関して、テンプレートの側の解説に「スタイルマニュアルには従わない」という記述があるため、それを根拠に、定義部の生没年月日を削除する編集を行われている方がおられます(利用者‐会話:小者Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 武士/Template#テンプレート適用記事の本文書き出しを参照)。

こちらでの議論を拝見しましたが、まだ結論が出ておらず合意が行われていないようにお見受けしました。 私個人の理解では、現状、合意が形成されていない状況のため、スタイルマニュアルが優先されるとの認識ですが、こちらでの議論に参加された方はどのようにお考えか、よろしければご意見を伺いたくお願いいたします。--Horlicks 2007年11月19日 (月) 05:37 (UTC)

実際の姓名より、名前+官職名の方が有名な人物についての取り扱い

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例えば、古田織部と古田重然大岡忠相と大岡越前、徳川光圀と水戸黄門、浅野長矩と浅野内匠頭のように、 実際の名前ではなく、名前+官職名の通称の方が一般に有名な人物を登録する場合の定義をどうするべきかの議論を、 提案したいと思います。自分が調べた限りでは、名前+官職名で正式登録されているケースの方が少ない、もしくは変更されている物が多いように見受けられるのですが、現在、高山右近のノートで改名をするか否かの議論が行われています。現在のところ「学術的、一般的に一番知名度が高いのだからそのままでいいのではないか」という意見が出ていますが、このあたりの定義が曖昧なので、ハッキリとしておきたいので意見をお願い致します。--ポテンシャル0 2007年12月27日 (木) 14:07 (UTC)

「どちらがよりよいのか」という観点では、どちらの考え方もあると思いますが、現時点での方針としてどうかということになると、Wikipedia:記事名の付け方#正式な名称を使うことに従うのが原則ということになるのだと思います。例としてはたとえば「真田幸村」としてよく知られている武将の記事名は「真田信繁」となっています。
個人的には「どちらがよいか」と考えるなら、より「通りのよい」方がよいように思うのですが、そうすると判断が分かれる記事も少なくないような気がしますね。意外と難しい問題のように思います。--Horlicks 2007年12月27日 (木) 14:25 (UTC)
私が個人的に見て回ったところでは「実際の名前」が不明な人物では当然名前+官職名ですが(福島越前守)、「実際の名前」が不明確な場合の扱いについてはまちまちのように見えます(たとえば簗田政綱については名前が不明なので簗田出羽守に改題すべきという提案がなされたことがあります)。厳密に考えると「実際の名前」は必ずしも確定されていないのにも関わらず、歴史を題材にしたゲームなどの影響でその作品中の名称をそのまま採用している記事は案外多そうですね。もっとも、ここでの議論は「(「実際の名前」が明らかとなっているのに)「実際の名前」ではなくそれ以外の名称(官職名、通称、法名)」に限定してのご提案に見えます(「実際の名前」が確定されていない高山右近は例として不適切でしょう)ので、その点に限定して一般論を述べるならば、官職名入りの名前は場合によっては複数の人物について「 ( )」付でいちいち区別する手間ができるのであまり望ましくないとは思います。もちろんケースバイケースで例外はありますけどね。--Kangoshiyouichi 2007年12月27日 (木) 17:54 (UTC)
正式な名前が確定できる場合にはやはり正式な名前を使うべきだと思いますが、そうでない場合――例えば、異説がある場合には結局は通称名を使わざるを得ないような気がします。高山右近については通称の知名度が非常に高く、それ以外の名前の確定が難しい以上は右近のままがいちばん適当な気がします。
で、一般論ですが、Kangoshiyouichiさんの議論の中で、官職名や通称に対して法名は、確かに議論の共通点もありますが分離して考えるべきかと思います。法名は基本的に個人に対する名前ですから混同の可能性はかなり低いですが、官職名となりますと「名字と官職が同じ」という混同の可能性はかなり高くなるでしょう(近世になると代々同じ官職を受け継ぐことも多いですし)。通称は微妙なケースですが、本名が確定できるならWikipedia:記事名の付け方#正式な名称を使うことになるべく従う方が適切であると思います。つまりは、高山右近は現状維持を推しますが、本名が確定できないことを理由とする次善策としての意見です。ただし、「確定できない」のならばかなり蓋然性が高くても通称名を優先する方が良いと個人的には考えています。
ちなみに、例えば法名に関しては武田信玄上杉謙信の例がありますし、淀殿のように通称名を使っているケースもありますね(個人的には、「淀殿」は同時代的な呼称でない可能性がある上に、本名がほぼ確定しているので正直微妙なケースだと思うのですが……)。--Nukkie 2007年12月28日 (金) 14:38 (UTC)