JRR-1
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JRR-1(ジェイ・アール・アール・ワン:Japan Research Reactor No. 1)は、かつて日本原子力研究所が運転した日本初の原子炉である。
1957年(昭和32年)8月27日より1969年(昭和44年)11月21日まで運転された。
原子炉を利用した各種の実験や技術者の訓練に役立った。既に原子炉としては廃止されており、建屋や原子炉室は、燃料などが取り除かれ密閉管理された状態で、原子力科学研究所敷地内にJRR-1記念展示館として公開されている[1]。
沿革
[編集]1955年11月14日、アメリカから日本へ濃縮ウランを貸与するための日米原子力研究協定(昭和30年12月27日条約19号「原子力の非軍事的利用に関する協力のための日本国政府とアメリカ合衆国政府との間の協定」)がワシントンD.C.で調印され、同年12月27日発効した[2][3]。研究原子炉用に20%濃縮ウラン235を6 kgを限度に賃貸すること、使用済み核燃料のアメリカへの返還、貸与燃料を目的どおり使用すること、使用記録を毎年報告することがとりきめられた。この協定に基づいて、日本最初の原子炉として日本原子力研究所に二つの研究炉(JRR-1、JRR-2)が導入された[4][5]。
- 1957年8月27日:日本で初めて臨界状態を達成[6][7]
- 1957年11月26日:最大出力の50kWを達成[8]
- 1957年12月7日:日本で初めてアイソトープを生産[6]
- 1969年11月21日:運転終了[9][7]
- 1970年3月31日:原子炉の解体を完了[10]
- 1978年8月:記念展示館として公開開始[11]
仕様
[編集]JRR-1の原子炉はNAA社の原子力部門であるAtomics International社によって建設された[12]。補機設備の取り付けには日立製作所が携わった[13]。
脚注
[編集]- ^ 原子力施設構内であるため見学には申込みの上身分証の提示が必要 [1]
- ^ 1955年(昭和30年)12月29日外務省告示第138号「原子力の非軍事的利用に関する協力のための日本国政府とアメリカ合衆国政府との間の協定に法的効力を与えるため必要な憲法上の又は法律上のすべての手続が完了したことを確認した公文がアメリカ合衆国政府との間で交換された件」
- ^ 原子力産業会議 1986, p. 37.
- ^ 『昭和52年版原子力白書』日米原子力協力協定の動き
- ^ 田中慎吾「日米原子力研究協定の成立 : 日本側交渉過程の分析]」『国際公共政策研究』第13巻第2号、大阪大学大学院国際公共政策研究科、2009年3月、141-156頁、ISSN 13428101、NAID 120004846456、2021年5月1日閲覧。
- ^ a b 電気新聞 2014, p. 719.
- ^ a b 鈴木一彦 1971, p. 1.
- ^ 鈴木一彦 1971, p. 15.
- ^ 電気新聞 2014, p. 722.
- ^ 鈴木一彦 1972, まえがき.
- ^ “東海村の歴史(2)”. 東海村 (2015年10月9日). 2019年10月8日閲覧。
- ^ 鈴木一彦 1972, p. 1.
- ^ “取り組みの歴史:日立原子力情報”. 日立GEニュークリア・エナジー. 2019年10月9日閲覧。
- ^ 研究用原子炉
参考文献
[編集]- 『原子力ポケットブック2014年版』日本電気協会新聞部、2014年。ISBN 978-4905217-40-4。
- 日本原子力産業会議 編『原子力年表(1934~1985)』丸ノ内出版、1986年11月18日。ISBN 4-89514-088-1。
- 鈴木 一彦; 山本 章、大森 栄一、池沢 芳夫『JRR-1の運転と利用』(レポート)(JAERI-M 4506)日本原子力研究所、1971年 。
- 鈴木 一彦; 青柳 長紀、伊藤 尚徳、池沢 巌『JRR-1の解体』(レポート)(JAERI-M 4699)日本原子力研究所、1972年 。