CHIEKO BEAUTY
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CHIEKO BEAUTY | |
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出身地 | 日本 |
ジャンル |
ロックステディ レゲエ |
職業 | 歌手、ミュージシャン |
担当楽器 | ヴォーカル |
活動期間 | 1990年 - |
レーベル |
ナツメグ キューンソニー BAD NEWS |
共同作業者 |
こだま和文 藤原ヒロシ ピアニカ前田 ランキンタクシー |
公式サイト | chieko beauty |
CHIEKO BEAUTY(チエコ・ビューティー)は、1990年代から活動を続ける日本の女性レゲエシンガーの草分け的存在。ややハスキーだが甘い声質を買われ、テレビ番組やCMのナレーションも数多く務めた。初期の『CUTiE』に本名で読者モデルとして登場したこともある。[要出典]
来歴
[編集]西麻布TOOLS BARで行われたコンテストで特別賞を受賞。ECD、近田春夫、いとうせいこう等の目にとまり、 1990年、元MUTE BEATのドラマー今井秀行の誘いにより、シングル「SHA LA LA」(ナツメグ・レーベル)でデビュー。ランキンタクシー主催のイベントTAXI-HIFIでのラバダブや、TOKYO No.1 SOUL SETとのライブなどで活躍。
1992年、自らのラブコールによりプロデューサーに元MUTE BEATのこだま和文を迎え、ファーストアルバム『BEAUTY'S ROCK STEADY』でメジャーデビュー。MUTE BEATのメンバーの他、TOMATOS 、東京スカパラダイスオーケストラのメンバーが参加。
1993年には藤原ヒロシをプロデューサーに迎えたセカンドアルバム『L』をリリース。MUTE BEAT、TOMATOS、ビブラストーンのメンバーが介したバックバンドも話題となった。
1997年までに7枚シングルと5枚アルバムをリリース。また、ファッション雑誌のモデル、TV番組のアシスタント、CMやTV番組のナレーターとしても活躍した。
以降は拠点を仙台に移し活動を続けたが、2010年より再び拠点を東京に移し、LITTLE TEMPOのTICO、リクルマイバンドのTHE K、元JAGATARAのエマーソン北村らと頻繁なライブ活動を開始した。[1]
ディスコグラフィー
[編集]アルバム
[編集]- BEAUTY'S ROCK STEADY (1992年 キューンソニー)
- L (1993年 キューンソニー)
- SWEETER (1995年 BAD NEWS)
- BEAUTY'S (1996年 BAD NEWS)
- BEAUTY'S BONUS (1997年 BAD NEWS) ミニアルバム
シングル
[編集]- KIMINOUTAO KIKASETEYO (1990年 ナツメグ)
- SHA LA LA (1990年 ナツメグ)
- Beauty's Solo (1990年 ナツメグ)
- MAKE ME KNOW IT (1990年 ナツメグ) 7インチレコードのみ
- オレンジ色の恋 (1991年 ナツメグ) ピアニカ前田との共演盤
- ハートのエースが出てこない (1991年 ソニーレコード)キャンディーズのカバー、ポッカトランプ占いコーヒーCM曲
- My Dear Soul Sister / This Time I'll Be Sweeter (1996年 People's)
- I Live In Zipang (1996年 BAD NEWS)
- いつも心に太陽を (1997年 BAD NEWS)
- RAIN (1997年 BAD NEWS)
- ラム & コカコーラ(2017年 Lime Records)
オムニバス
[編集]- Tokyo Diskjockey's only (1990年 アルファレコード)「ナカナマイヤ」を提供
- NUT-MEG SHOWCASE MASTERPIECE COLLECTION (2011年 ナツメグ)ピアニカ前田、チエコ・ビューティ、TOMATOS、ローランド・アルフォンソ、Dub Master Xなどナツメグ・レーベル作品のオムニバス
- 青春REGGAE(2011年)Tico(土生剛)、icchie名義のアルバム。「オリビアを聴きながら」、「海を見ていた午後」にヴォーカリストとして参加。
客演
[編集]- 夢で逢えたら/RANKIN TAXI feat.CHIEKO BEAUTY with LITTLE TEMPO (2006年)
関連人物
[編集]出典・脚注
[編集]- ^ 来歴は公式サイトを参照。