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CHIEKO BEAUTY

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
CHIEKO BEAUTY
出身地 日本の旗 日本
ジャンル ロックステディ
レゲエ
職業 歌手ミュージシャン
担当楽器 ヴォーカル
活動期間 1990年 -
レーベル ナツメグ
キューンソニー
BAD NEWS
共同作業者 こだま和文
藤原ヒロシ
ピアニカ前田
ランキンタクシー
公式サイト chieko beauty

CHIEKO BEAUTYチエコ・ビューティー)は、1990年代から活動を続ける日本の女性レゲエシンガーの草分け的存在。ややハスキーだが甘い声質を買われ、テレビ番組やCMのナレーションも数多く務めた。初期の『CUTiE』に本名で読者モデルとして登場したこともある。[要出典]

来歴

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西麻布TOOLS BARで行われたコンテストで特別賞を受賞。ECD近田春夫いとうせいこう等の目にとまり、 1990年、元MUTE BEATのドラマー今井秀行の誘いにより、シングル「SHA LA LA」(ナツメグ・レーベル)でデビュー。ランキンタクシー主催のイベントTAXI-HIFIでのラバダブや、TOKYO No.1 SOUL SETとのライブなどで活躍。

1992年、自らのラブコールによりプロデューサーに元MUTE BEATのこだま和文を迎え、ファーストアルバム『BEAUTY'S ROCK STEADY』でメジャーデビュー。MUTE BEATのメンバーの他、TOMATOS東京スカパラダイスオーケストラのメンバーが参加。

1993年には藤原ヒロシをプロデューサーに迎えたセカンドアルバム『L』をリリース。MUTE BEAT、TOMATOS、ビブラストーンのメンバーが介したバックバンドも話題となった。

1997年までに7枚シングルと5枚アルバムをリリース。また、ファッション雑誌のモデル、TV番組のアシスタント、CMやTV番組のナレーターとしても活躍した。

以降は拠点を仙台に移し活動を続けたが、2010年より再び拠点を東京に移し、LITTLE TEMPOのTICO、リクルマイバンドのTHE K、元JAGATARAのエマーソン北村らと頻繁なライブ活動を開始した。[1]

ディスコグラフィー

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アルバム

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  • BEAUTY'S ROCK STEADY (1992年 キューンソニー)
  • L (1993年 キューンソニー)
  • SWEETER (1995年 BAD NEWS)
  • BEAUTY'S (1996年 BAD NEWS)
  • BEAUTY'S BONUS (1997年 BAD NEWS) ミニアルバム

シングル

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  • KIMINOUTAO KIKASETEYO (1990年 ナツメグ)
  • SHA LA LA (1990年 ナツメグ)
  • Beauty's Solo (1990年 ナツメグ)
  • MAKE ME KNOW IT (1990年 ナツメグ) 7インチレコードのみ
  • オレンジ色の恋 (1991年 ナツメグ) ピアニカ前田との共演盤
  • ハートのエースが出てこない (1991年 ソニーレコード)キャンディーズのカバー、ポッカトランプ占いコーヒーCM曲
  • My Dear Soul Sister / This Time I'll Be Sweeter (1996年 People's)
  • I Live In Zipang (1996年 BAD NEWS)
  • いつも心に太陽を (1997年 BAD NEWS)
  • RAIN (1997年 BAD NEWS)
  • ラム & コカコーラ(2017年 Lime Records)

オムニバス

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客演

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関連人物

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出典・脚注

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  1. ^ 来歴は公式サイトを参照。

外部リンク

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